ホテル・ルワンダ [2006年 ベスト20]
「ホテル・ルワンダ」(2004年・イギリス/イタリア/南アフリカ) 監督:テリー・ジョージ
同じところに住み、同じ言葉を喋り、同じ宗教を信じ、人種間結婚もしていた2つの部族。
しかし、ある事件をきっかけに長年続いていた民族間のいさかいが大虐殺に発展してしまう。
何の罪も無い「ツチ族」の人々が、一部の「フツ族」たちによって次々と殺されていく。
死者はわずか100日間で100万人にも上ったという。
これは日本から遠く離れたアフリカの小国ルワンダでの出来事である。
しかし決して遠い昔の話ではない。
事件が起きたのは1994年。
アイルトン・セナが事故死し、村山内閣が発足し、プレイステーションが発売された年である。
それから12年後。
東京・有楽町の劇場で僕はこの作品を観ながら身震いをしていた。
実はこの事件が起きた年、そうとは知らずに僕もアフリカにいたからだ。
そこはルワンダから西へ約5,000キロ離れたアフリカ西端の国、ギニア。
滞在はたった13日だった。けれど僕はギニアでの出来事を一生忘れない。
なぜなら、僕はここで「本当の恐怖とは何か」を知ったからだ。
「ホテル・ルワンダ」の生い立ちと日本公開に関する経緯はいろんなところに書かれているので、僕は純粋に映画としての話を書こうと思う。
巷の評判どおりこの作品は本当に良く出来ている。
中でも僕が感心したのは「映画であることを忘れさせるリアリティ」を確立している点だ。
実際僕は終盤ジャン・レノがカメオ出演するまで、映画であることを忘れつつあった。僕はポール・ルセサバギナ(ドン・チードル)と共にルワンダ脱出をひたすら考える人だった。
リアリティを持たせるために効果的だった演出上のポイントは2つあったと思う。
まずは「虐殺の様子を一度も映像化しなかったこと」。
そもそも殺人とは非日常の行為である。それを我々が目撃するのはテレビドラマや映画といったフィクションの世界でしかない。もしも「ホテル・ルワンダ」に殺人シーンがあったなら、観客は「所詮これは映画なのだ」と心のどこかで思ったことだろう。しかし虐殺シーン(それは残酷すぎて描けないという理由もあったかも知れないけれど)がなかったおかげで、結果としてニュースやドキュメンタリーと同レベルの「現実」を見ているような「錯覚」を観客に与えたのだ。虐殺シーンを盛り込まないという監督の判断は実に賢明で効果的な選択だったと思う。
もうひとつのポイントは、「民兵が主人公に銃を握らせ、妻を銃殺させようとするシーン」を割りと早い段階で、しかもさらりと挿入して見せたことだ。
「妻を殺すか、それとも自分が殺されるか」という“究極の選択”は、本来ならドラマ全体の「肝」となるうるシーンである。こんなシーンを見せられた観客は誰もが主人公となって激しく苦悩する。ここはワンカットづつじっくりと時間をかけて編集し、観客をを追い込んでいく演出も当然可能なはずだった。ところが監督は実にあっさりとした編集で、しかも本編の序盤にこのシーンを配置した。まるで「こんなことルワンダでは日常茶飯事だったんだよ」と言わんばかりに。このシーン以降スクリーンからは並々ならぬ緊張感が伝わることになる。
少なくともこの2つの点が「ホテル・ルワンダ」に(例えジャン・レノが出ていようが)揺るぎないリアリティをもたらし、「もしや自分も誰かに殺されてしまうのではないか?」という謂れの無い恐怖を観客に与え、大量虐殺もさることながらそれを「第三世界の出来事」として黙殺しようとしたアメリカ、ヨーロッパ、国連の行為が「如何に人の道から外れていたか」訴えることに成功している。
ところが。
エンドクレジットが流れるころ、観客は再び平和な現実の世界に戻される。
もちろんルワンダの虐殺は日本では“非現実”である。あれから10年以上が過ぎ、事件は一応の解決を見ている。しかし、だから良いというわけではないのだ。平和ボケした我々日本人は、この映画から学習しなければならないことがある。
それは「世の中には我々の想像もつかない“恐怖”が存在している」ということだ。
僕がギニアで体験した恐怖は直接命に関わることではなかった。その恐怖は何気ない表情をして日常に潜んでいた。
例えば。
ギニアには数年前まで骨折を治せる医師がいなかったと聞いた。その証拠に骨折しただけで右腕を切断する羽目になった少年がいた。
一般道をクルマで走っていたら突然警察の検問に遭い、通行料を要求された。ギニア政府の撮影許可証を持っていたにも関わらず。
ホテルで国際電話をかけたら、まもなく従業員が僕の部屋を訪ねてきて、「今の通話料100ドルを現金で払え」と言う。電話料金をその都度現金で払うなんて世界中どこのホテルでも聞いたことがない。チェックアウトのときに精算する、と言うと従業員は「じゃあ50ドルでいい」と言った。僕はバカバカしくなってドアを閉めた。
僕がギニアで知った「本当の恐怖」とは「常識が通用しない怖さ」だ。
日本でも警察官に車を止められることはある。しかし「この先の通行は我々の許可なしに出来ない」と言われることがあるだろうか。しかもその警察官たちは実は無言で現金を要求していると知ったら、あなたはどう思うだろう。
少なくとも僕は怒り狂った。
国の大臣に言われるがままの額を支払い、ギニア国内の私有地以外すべての場所での撮影許可証を持っていたのである。ところが僕たちの前に立ちはだかった警察官たちはそんなことお構いなしだった。
これが日本なら行動の起こしようはある。所轄の警察署や本庁に抗議も出来るし、マスコミにリークすることも出来る。しかし僕がいたのはアフリカだった。そして正義の象徴と信じていた警察官が僕たちの身柄を拘束しようとしていた。ギニアに日本大使館は無かった。頼るべきところを失った僕たちに最早「常識」など無かった。そして、常識の通用しない世界を支配するのは恐怖以外の何物でもなかった。
「ルワンダの大虐殺は決して対岸の火事ではない」と僕は思う。
ポール・ルセサバギナは鍵のかかった自宅で休んでいるとき、銃を構えた民兵に踏み込まれた。今の日本では考えられないことだが、これはたとえルワンダであっても有り得ないことだった。
とすれば、今の日本に北朝鮮の核ミサイルが飛んでこないと断言できるだろうか。
僕には出来ない。
「だってそんなことフツー有り得ないだろう」と人は言う。
では僕は聞きたい。
「そのフツーとは何なのか?」
僕はギニアで、「常識」とは小さなコミニュティでのみ成立している「暗黙の了解」であることを知った。僕たちはこの「あやふやなもの」の上に胡坐(あぐら)をかいて生活しているのだ。
絶望の淵にいたギニアで唯一僕たちの心を癒したのは子供たちの笑顔だった。
子供たちはとにかく無心だった。
彼らの望みは僕たちの仕事を見学することと、一緒に遊ぶことだけだった。
僕たちは仕事の合間に彼らと一緒にサッカーをした。
楽しかった。
やがてすべての撮影を終え、明日は帰国するだけという段になったとき、それまで僕たちの周りにいた子供たちの姿がなかった。どこに行ったんだろうと思って探したら、ここにいた。
子供たちは勉強をしていた。
僕はこの光景を見て、世界に平和をもたらすものは教育だと思った。
もちろん誰がどんな教育を施すかによって子供たちの思想は大きく変わる。宗教の存在も大きい。だから一概にどんな教育がいいかとは言い難い。
しかし教育を受ける国や地域が変わろうと、「普遍の常識」だけは誰でも教えられると僕は思う。
「何人たりとも人の命を奪うことは出来ない」
この「常識」だけは「世界共通の常識」であって欲しい。
「ホテル・ルワンダ」、必見の名作。
thanks! 320,000prv
同じところに住み、同じ言葉を喋り、同じ宗教を信じ、人種間結婚もしていた2つの部族。
しかし、ある事件をきっかけに長年続いていた民族間のいさかいが大虐殺に発展してしまう。
何の罪も無い「ツチ族」の人々が、一部の「フツ族」たちによって次々と殺されていく。
死者はわずか100日間で100万人にも上ったという。
これは日本から遠く離れたアフリカの小国ルワンダでの出来事である。
しかし決して遠い昔の話ではない。
事件が起きたのは1994年。
アイルトン・セナが事故死し、村山内閣が発足し、プレイステーションが発売された年である。
それから12年後。
東京・有楽町の劇場で僕はこの作品を観ながら身震いをしていた。
実はこの事件が起きた年、そうとは知らずに僕もアフリカにいたからだ。
そこはルワンダから西へ約5,000キロ離れたアフリカ西端の国、ギニア。
滞在はたった13日だった。けれど僕はギニアでの出来事を一生忘れない。
なぜなら、僕はここで「本当の恐怖とは何か」を知ったからだ。
「ホテル・ルワンダ」の生い立ちと日本公開に関する経緯はいろんなところに書かれているので、僕は純粋に映画としての話を書こうと思う。
巷の評判どおりこの作品は本当に良く出来ている。
中でも僕が感心したのは「映画であることを忘れさせるリアリティ」を確立している点だ。
実際僕は終盤ジャン・レノがカメオ出演するまで、映画であることを忘れつつあった。僕はポール・ルセサバギナ(ドン・チードル)と共にルワンダ脱出をひたすら考える人だった。
リアリティを持たせるために効果的だった演出上のポイントは2つあったと思う。
まずは「虐殺の様子を一度も映像化しなかったこと」。
そもそも殺人とは非日常の行為である。それを我々が目撃するのはテレビドラマや映画といったフィクションの世界でしかない。もしも「ホテル・ルワンダ」に殺人シーンがあったなら、観客は「所詮これは映画なのだ」と心のどこかで思ったことだろう。しかし虐殺シーン(それは残酷すぎて描けないという理由もあったかも知れないけれど)がなかったおかげで、結果としてニュースやドキュメンタリーと同レベルの「現実」を見ているような「錯覚」を観客に与えたのだ。虐殺シーンを盛り込まないという監督の判断は実に賢明で効果的な選択だったと思う。
もうひとつのポイントは、「民兵が主人公に銃を握らせ、妻を銃殺させようとするシーン」を割りと早い段階で、しかもさらりと挿入して見せたことだ。
「妻を殺すか、それとも自分が殺されるか」という“究極の選択”は、本来ならドラマ全体の「肝」となるうるシーンである。こんなシーンを見せられた観客は誰もが主人公となって激しく苦悩する。ここはワンカットづつじっくりと時間をかけて編集し、観客をを追い込んでいく演出も当然可能なはずだった。ところが監督は実にあっさりとした編集で、しかも本編の序盤にこのシーンを配置した。まるで「こんなことルワンダでは日常茶飯事だったんだよ」と言わんばかりに。このシーン以降スクリーンからは並々ならぬ緊張感が伝わることになる。
少なくともこの2つの点が「ホテル・ルワンダ」に(例えジャン・レノが出ていようが)揺るぎないリアリティをもたらし、「もしや自分も誰かに殺されてしまうのではないか?」という謂れの無い恐怖を観客に与え、大量虐殺もさることながらそれを「第三世界の出来事」として黙殺しようとしたアメリカ、ヨーロッパ、国連の行為が「如何に人の道から外れていたか」訴えることに成功している。
ところが。
エンドクレジットが流れるころ、観客は再び平和な現実の世界に戻される。
もちろんルワンダの虐殺は日本では“非現実”である。あれから10年以上が過ぎ、事件は一応の解決を見ている。しかし、だから良いというわけではないのだ。平和ボケした我々日本人は、この映画から学習しなければならないことがある。
それは「世の中には我々の想像もつかない“恐怖”が存在している」ということだ。
僕がギニアで体験した恐怖は直接命に関わることではなかった。その恐怖は何気ない表情をして日常に潜んでいた。
例えば。
ギニアには数年前まで骨折を治せる医師がいなかったと聞いた。その証拠に骨折しただけで右腕を切断する羽目になった少年がいた。
一般道をクルマで走っていたら突然警察の検問に遭い、通行料を要求された。ギニア政府の撮影許可証を持っていたにも関わらず。
ホテルで国際電話をかけたら、まもなく従業員が僕の部屋を訪ねてきて、「今の通話料100ドルを現金で払え」と言う。電話料金をその都度現金で払うなんて世界中どこのホテルでも聞いたことがない。チェックアウトのときに精算する、と言うと従業員は「じゃあ50ドルでいい」と言った。僕はバカバカしくなってドアを閉めた。
僕がギニアで知った「本当の恐怖」とは「常識が通用しない怖さ」だ。
日本でも警察官に車を止められることはある。しかし「この先の通行は我々の許可なしに出来ない」と言われることがあるだろうか。しかもその警察官たちは実は無言で現金を要求していると知ったら、あなたはどう思うだろう。
少なくとも僕は怒り狂った。
国の大臣に言われるがままの額を支払い、ギニア国内の私有地以外すべての場所での撮影許可証を持っていたのである。ところが僕たちの前に立ちはだかった警察官たちはそんなことお構いなしだった。
これが日本なら行動の起こしようはある。所轄の警察署や本庁に抗議も出来るし、マスコミにリークすることも出来る。しかし僕がいたのはアフリカだった。そして正義の象徴と信じていた警察官が僕たちの身柄を拘束しようとしていた。ギニアに日本大使館は無かった。頼るべきところを失った僕たちに最早「常識」など無かった。そして、常識の通用しない世界を支配するのは恐怖以外の何物でもなかった。
「ルワンダの大虐殺は決して対岸の火事ではない」と僕は思う。
ポール・ルセサバギナは鍵のかかった自宅で休んでいるとき、銃を構えた民兵に踏み込まれた。今の日本では考えられないことだが、これはたとえルワンダであっても有り得ないことだった。
とすれば、今の日本に北朝鮮の核ミサイルが飛んでこないと断言できるだろうか。
僕には出来ない。
「だってそんなことフツー有り得ないだろう」と人は言う。
では僕は聞きたい。
「そのフツーとは何なのか?」
僕はギニアで、「常識」とは小さなコミニュティでのみ成立している「暗黙の了解」であることを知った。僕たちはこの「あやふやなもの」の上に胡坐(あぐら)をかいて生活しているのだ。
絶望の淵にいたギニアで唯一僕たちの心を癒したのは子供たちの笑顔だった。
子供たちはとにかく無心だった。
彼らの望みは僕たちの仕事を見学することと、一緒に遊ぶことだけだった。
僕たちは仕事の合間に彼らと一緒にサッカーをした。
楽しかった。
やがてすべての撮影を終え、明日は帰国するだけという段になったとき、それまで僕たちの周りにいた子供たちの姿がなかった。どこに行ったんだろうと思って探したら、ここにいた。
子供たちは勉強をしていた。
僕はこの光景を見て、世界に平和をもたらすものは教育だと思った。
もちろん誰がどんな教育を施すかによって子供たちの思想は大きく変わる。宗教の存在も大きい。だから一概にどんな教育がいいかとは言い難い。
しかし教育を受ける国や地域が変わろうと、「普遍の常識」だけは誰でも教えられると僕は思う。
「何人たりとも人の命を奪うことは出来ない」
この「常識」だけは「世界共通の常識」であって欲しい。
「ホテル・ルワンダ」、必見の名作。
thanks! 320,000prv
当時、しきりにツチ族、フツ族のニュースが流れていたのに
どこかピンと来ていなかったのはなんでだろう、、とこの映画をみて
考えてしまいました。。あってはいけない、でも現実に起こった恐ろしい
事件をなんでよく理解しようともしなかったのかなぁと。。
常識が通じないというのは実に恐ろしいことですね。
教育が大事なことはもちろんですけど、スタンダードはいったいどれ
なんだ??と最近ちょっとわからなくなっております。。
そしてkenさん、挨拶がおくれました。。
あけましておめでとうございます。今年も映画情報&マンセー期待して
ますね。今年もよろしくお願いします。
by po-net (2007-01-01 17:28)
宗教の存在がある以上、教育のスタンダードは作れないと思います。
だからこそ、「普遍の真理」だけを伝えられればいいような気がするんですけどね。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
nice!ありがとうございます。
by ken (2007-01-01 19:23)
「何人たりとも人の命を奪うことは出来ない」
誰もが胸に持たなければいけない常識ですね
スバラシイ記事をアリガトウございます
コノ作品の衝撃をもっと多くの人に見てもらいたいです
by 魚河岸おじさん (2007-01-01 23:31)
3月に観たのに、年末まで記事を書けないでいた理由は
東銀座の鮨屋でお話しましたが、結局書いた文章の半分以上はカットして
ようやくアップにこぎつけました。
ところで今年1月には同じルワンダの大虐殺を題材にした「ルワンダの涙」
という映画が公開されます。こちらの出来栄えも気になるところです。
nice!ありがとうございます。
by ken (2007-01-02 01:55)
ルワンダの隣のダルフールではまだ悲惨な虐殺が
続いていますね。
2006年には「ナイロビの蜂」も観ました。
2007年には「Blood Diamond」を観るのでしょう。
ダルフールやソマリアでは宗教が絡んだ戦いになっており
救いがないです。
TVシリーズのERの第9シーズンファイナルの「Kisangani」
ではコンゴの内戦が描かれています。このエピソードを
学生に見せて関連した疾患の話などをしています。
市場原理主義とグローバリズムがどこに歪みを収束させている
のか、一旦創り出された憎悪は憎悪を生む、ということを
あらためて思い知らされます。
僕は罪滅ぼしにできたことは募金したことだけです。
by yamagen (2007-01-02 19:02)
「一旦創り出された憎悪は憎悪を生む」
悲しいことですね。
どうして「消火」出来ないのかといつも思います。
ところで年が明けて先生は元気になりましたか?
by ken (2007-01-03 03:06)
こんにちは。
読んでて、涙がでてきました、、、イイ写真ですね。
by ジジョ (2007-01-06 04:40)
これらの写真は、間違いなく僕の腕じゃなくて、
被写体が撮らせてくれたものですね。
今自分で観てもいい写真だなと思います。
この写真を撮ったときは、自分自身も無の境地だったかも知れません。
nice!ありがとうございます。
by ken (2007-01-06 16:23)
松の内を過ぎてしまいましたが・・
あけましておめでとうございます!
今年もどうぞ宜しくお願いいたします。
私、同じ時代に確実に生きていたのに、この映画を観るまでこのような事が起きていたということに気づきませんでした。ほんと、平和ボケしてます。
『常識が通用しない怖さ』は、スクリーンの向こうでは何べんも観てますが、実際に自分がその渦中に投げ込まれたら・・・・考えただけでも怖いです。
by まみりん (2007-01-08 01:58)
まみりんさん、あけましておめでとうございます。
僕たちは結局我が身に問題が降りかからない限り、誰も慌てないんです。
この映画は観ていて身震いしつつ、恥ずかしい思いもしましたね。
nice!ありがとうございます。今年もよろしくお願いします。
by ken (2007-01-08 16:55)
ポールさんの講演を聞いたときのことを思い出しました。
私の家族がいるブラジルもだんだんこの状況に近くなってきているようです。なんていうか、「非日常が日常になることの恐怖」を最近思います。それは決してよそ事ではなく例えば60年ほど前の沖縄など。
講演でポールさんはダルフールについて強く訴えてました。同じことが起きていると。この問題についてジョージ・クルーニーなんかは公の場での言及を繰り返してますね。無力さと同じことが起きてしまうことのやるせなさを覚えつつ、それでも忘れてはいけない、それしか食い止める手段がないのだと思います。
by 瑠璃子 (2007-01-09 16:35)
誰が言ったか「常識は非常識」という言葉の意味が最近分かってきて
ふとした瞬間にこの言葉を思い出す度、鳥肌が立ちます。
本当にこんなことでいいんでしょうか?
nice!ありがとうございます。
by ken (2007-01-09 21:03)
「ホテル・ルワンダ」を観ている最中にも、人がこのように簡単にケモノになってしまう、それを食い止めるのは教育かもしれない、とぼんやりと考えていました。対立が暴力に発展するかしないか、人間を止めるのは教育なのかな、と。
素晴らしい記事、感動しました。
TBさせてください。
by satoco (2007-12-01 01:18)
ときどき思い出してしまう映画です。
そして教育の重要性に気がついてくれる人がいるだけで
ここにアップしてよかったと思う記事のひとつです。
nice!ありがとうございます。
by ken (2007-12-01 05:27)