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腑抜けども、悲しみの愛を見せろ [2009年 レビュー]

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」(2007年・日本) 監督・脚本:吉田大八

 タイトルは力強い。しかし映画からその熱量は感じなかった。
 理由は3つあると思う(と言っても、オリジナルを知らないので、あくまでも想像だ)。
 ひとつは「舞台用の戯曲である」と言うこと。
 これは個人的な趣向なので大きな声では言えないが、結局「劇映画用のハナシ」じゃないのだ。そりゃ舞台なら面白かろう。なんたって登場人物の設定がハチャメチャだから。それもこれも舞台だからこそ成せる技なのだ。
 
 舞台はその空間からして非現実である。観客が許す限り、そこでは何が行われてもいい。頭の上にライオンの面を乗せた男が「心配ないさ~」と歌ってもいいし、厚化粧の女が男物のスーツを大股で着こなし、「僕には君しかいないんだ!」と叫んでもいい。しかし映画でそれをやったらダメだ。舞台にリアリティは必要ないが、映画にリアリティは欠かせないからだ。
 本作で最もリアリティに欠けていたのは、主人公の和合澄伽(佐藤江梨子)と、義理の姉にあたる待子(永作博美)のテンションだろう。「いや、そこはフィクションなんだから、いいでしょう」と言われるのを承知で言う。
 「北陸の山間部にこんな女はいない」
 ロケーションと女優がこれほどマッチしない映画も珍しいと思った。もちろん舞台用の本だから仕方ないのだが、だったら相応の演出をしろよ、と思う。

 熱量を感じなかった理由のふたつめは「キャスティングの弱さ」。
 佐藤江梨子がそもそも無い。「和合澄伽」は目的のためなら手段を選ばない“業の女”だ。その凄みがまったく感じられなかった。もちろん本作のプロデューサーは別の女優も視野に入れていただろう。僕ならまず沢尻エリカを口説く。それでダメなら真木よう子。あるいは麻生久美子。百歩譲って藤原紀香か。
 永瀬正敏も弱い。役者としての出力ではなく、この役に永瀬は似合わないと思った。人間の内面にある変態性が永瀬からは微塵も感じられなかったからだ。個人的には田口トモロヲさんがいい。もしくは佐藤浩市。このキャスティングイメージは熱量を感じなかった三つめの理由にもつながる。それは「エロティシズムの不足」である。
 僕はこれが「にっかつロマンポルノ」として作られていたら、かなり完成度の高い作品になっていたんじゃないかと思う。というのも本作はセックスを抜きにして語れない戯曲でありながら性描写が決定的に弱く、登場人物の本気度が全く伝わって来ないからだ。
 誰かR-15指定で作り直してくれないだろうか。二女を演じた佐津川愛美の存在感と永作博美の演技が抜群だっただけに、本当にもったいない映画だったと思う。

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  • 出版社/メーカー: アミューズソフトエンタテインメント
  • メディア: DVD

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コメント 4

Sho

これすごく見たかったんです。
というのも、このタイトルなどから、kenさんおっしゃるところの「凄み」を
感じられる映画だと思っていたからです。
そういえば「凄み」を感じられる女優さんが、減ってきたようなきがします。
by Sho (2009-12-24 07:32) 

ken

いませんね、凄みのある女優。
それもこれも、トレンディドラマなんてのがあったせいかも知れませんね。
by ken (2009-12-24 14:25) 

**feeling**

妹にナイス!
by **feeling** (2009-12-31 20:22) 

ken

妹に萌え!
by ken (2010-01-01 12:43) 

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