グラン・トリノ [2009年 レビュー]
「グラン・トリノ」(2008年・アメリカ) 監督:クリント・イーストウッド 脚本:ニック・シェンク
タイトルはクルマの名前だった。
「グラン・トリノ」とは1972年から76年まで製造されたフォード・トリノの名称で、クリント・イーストウッド演じる主人公ウォルト・コワルスキーが大事にしている愛車。ではタイトルにした理由は何か。それを知ることが、この映画を理解することになる。
しかし子どもには分からない映画だと思う。ある程度の社会的地位を確立し、失うものがあるオトナでなければ、主人公ウォルトの気持ちは分かるまい。
物語は妻の葬儀から始まる。ウォルトは出席する孫たちのだらしない格好に苛立ち、それが2人の息子夫婦に対する不満にもつながり、さらには何かと世話を焼こうとする若い神父にも「頭でっかちの童貞野郎」と毒づく。とにかくウォルトは自分が認めた極一部のもの以外、すべてにイラつくのだ。
そんなある日。隣に住むアジア系移民の子ども、タオとスーを不良たちから救ったのがきっかけで、タオという少年との交流が始まる。ウォルトはタオを通して今どきの若者にも「イイ奴」がいることを知るが、タオの周辺をうろつくチンピラと関わったばかりに、ある事件を引き起こしてしまう。
観終わってしみじみと感じるのは、これは男の映画だということ。
僕はある種偏見に満ちたウォルトになかなか感情移入できなかったせいで、ドラマの途中胸を熱くすることはなかったのだけれど、エンディングでグラン・トリノが走るシーンを観て、思わず涙ぐんでしまった。1972年製のフォード・トリノが2008年の街中を颯爽と走っている。コンピュータで設計された現代のクルマとは比べ物にならない存在感をアピールしながら走り去るその後姿は、ウォルトの背中“生き様”に重なる。自動車と言う工業製品に人間並みの愛着を抱ける「男」でなければ理解出来ない世界観である。
ただ、クライマックスのウォルトの行動は男の僕にも予想がつかずにドキドキした。「許されざる者」のことを思い出していれば、あるいは想像出来たのかも知れないが、「どうやって観客の満足を勝ち取るか」という問いには答えを見つけ出せないまま、僕には衝撃的な結末を迎えてしまった。
娯楽アクション映画なら劇中のタオが望む結果で良かったと思う。誰もが溜飲を下げる結末。しかしこれはまもなく人生のゴールを迎えようとしている78歳の老人が撮った作品である。俳優として、映画監督として、確固たる地位を築いたイーストウッド自身の「決断」が試されるシーンだったと思う。ここは本作を語る上で最も重要なポイントだ。
イーストウッドは自身の「死に方」をずっと考えていたのだと思う。具体的に言うと「自分の死そのものを、何かの役に立てられないか」と考えているような気がする。
年明け早々僕は47歳になる。死を語るにはまだ少し早いかも知れないが、「どういう死を迎えるか」はここ数年考えなくもない。僕と同世代の男衆はこの作品を観て、自身の「死生観」と一度向き合ってみるのも悪くないだろう。
愛車を駆って、いろんなことを考える旅に出てみたくなった。
タイトルはクルマの名前だった。
「グラン・トリノ」とは1972年から76年まで製造されたフォード・トリノの名称で、クリント・イーストウッド演じる主人公ウォルト・コワルスキーが大事にしている愛車。ではタイトルにした理由は何か。それを知ることが、この映画を理解することになる。
しかし子どもには分からない映画だと思う。ある程度の社会的地位を確立し、失うものがあるオトナでなければ、主人公ウォルトの気持ちは分かるまい。
物語は妻の葬儀から始まる。ウォルトは出席する孫たちのだらしない格好に苛立ち、それが2人の息子夫婦に対する不満にもつながり、さらには何かと世話を焼こうとする若い神父にも「頭でっかちの童貞野郎」と毒づく。とにかくウォルトは自分が認めた極一部のもの以外、すべてにイラつくのだ。
そんなある日。隣に住むアジア系移民の子ども、タオとスーを不良たちから救ったのがきっかけで、タオという少年との交流が始まる。ウォルトはタオを通して今どきの若者にも「イイ奴」がいることを知るが、タオの周辺をうろつくチンピラと関わったばかりに、ある事件を引き起こしてしまう。
観終わってしみじみと感じるのは、これは男の映画だということ。
僕はある種偏見に満ちたウォルトになかなか感情移入できなかったせいで、ドラマの途中胸を熱くすることはなかったのだけれど、エンディングでグラン・トリノが走るシーンを観て、思わず涙ぐんでしまった。1972年製のフォード・トリノが2008年の街中を颯爽と走っている。コンピュータで設計された現代のクルマとは比べ物にならない存在感をアピールしながら走り去るその後姿は、ウォルトの背中“生き様”に重なる。自動車と言う工業製品に人間並みの愛着を抱ける「男」でなければ理解出来ない世界観である。
ただ、クライマックスのウォルトの行動は男の僕にも予想がつかずにドキドキした。「許されざる者」のことを思い出していれば、あるいは想像出来たのかも知れないが、「どうやって観客の満足を勝ち取るか」という問いには答えを見つけ出せないまま、僕には衝撃的な結末を迎えてしまった。
娯楽アクション映画なら劇中のタオが望む結果で良かったと思う。誰もが溜飲を下げる結末。しかしこれはまもなく人生のゴールを迎えようとしている78歳の老人が撮った作品である。俳優として、映画監督として、確固たる地位を築いたイーストウッド自身の「決断」が試されるシーンだったと思う。ここは本作を語る上で最も重要なポイントだ。
イーストウッドは自身の「死に方」をずっと考えていたのだと思う。具体的に言うと「自分の死そのものを、何かの役に立てられないか」と考えているような気がする。
年明け早々僕は47歳になる。死を語るにはまだ少し早いかも知れないが、「どういう死を迎えるか」はここ数年考えなくもない。僕と同世代の男衆はこの作品を観て、自身の「死生観」と一度向き合ってみるのも悪くないだろう。
愛車を駆って、いろんなことを考える旅に出てみたくなった。
冒頭、ウォルトの偏屈じじいぶりにイラッとしていたのですが、
男ではない私でも最後のウォルトの行動にはグッときたくらいですから
(私自身も人生折り返し始めてますし。。。)
殿方にはもっとグッと来る映画なんでしょうね。
by うつぼ (2009-12-27 11:54)
きっとグッと来ない男もいると思います。
いくら歳を重ねていても、精神的に子どもなら理解できないはず。
そういう男どもが、劇中のチンピラみたいなヤツらなんですけどね。
これはオトナの男のリトマス試験紙みたいな映画でした。
nice!ありがとうございます。
by ken (2009-12-27 12:31)
冒頭はこれでもかというくらい主人公の老いを強調していますね。
そしてこのラスト。正直いうとイーストウッドの映画は割と苦手なんですが、本作と「チェンジリング」には色々と参りました。
by きさ (2009-12-27 17:30)
「チェンジリング」もイーストウッドの作品でしたね。
今年は観られなかったけど、来年トライします。
by ken (2009-12-28 03:27)
78歳で「チェンジリング」「グラン・トリノ」を二本撮るってのが凄い。
今年も最新作「インビクタス/負けざる者たち」が2月公開ですしね。
これも見ます。
by きさ (2009-12-28 05:43)
「インビクタス」もイーストウッドですか。恐ろしいジジイですね。
by ken (2009-12-28 13:39)
私もkenさんと同年代ですが、劇中のウォルトは、確かに人種差別的な
偏見も持っていますが、それ以上に、現在の妙に物分りのいい、大人には
ない大切なものを持っていると思いました。
とてもいい映画でした。
by nary (2010-02-14 17:14)
物分りのいいオトナかあ。きっと僕もそうかも知れません。
by ken (2010-02-14 22:15)