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アイズ・ワイド・シャット [2010年 ベスト20]

アイズ・ワイド・シャット」(1999年・アメリカ) 監督:スタンリー・キューブリック

 妙な胸騒ぎのするスゴイ映画だ。
 ジャンルとしてはサスペンスだがショッキングな映像も、ショックの強い編集も皆無。それどころか非常にゆったりとしたカメラワークの中で、役者はそれ以上にスロウな演技を披露している。
 ストーリーはシュニッツラーの原作「夢小説」(1926)に比較的忠実で、奇妙な出来事が次から次へと起こるのだが、映画で注目すべき点はそれらがまるで高いところから低いところへ流れる水のように、自然な流れに見えるところ。
 サスペンスにありがちな観客の心拍数を上げる演出の逆を行き、しかも奇妙な出来事をさも平凡な日常のように切り取るキューブリックのテクニック。僕が感じた妙な胸騒ぎは、映画の文法をことごとく裏切った、この「テンポ」と「展開」によるものだろう。こういう映画との出会いは決して多くない。だから文句なくワクワクする。

 主人公の医師ビル・ハーフォード(トム・クルーズ)は、妻アリス(ニコール・キッドマン)からの告白により、性的な妄想から逃れられなくなる。やがて
妻に対する疑惑の念からビルのバランス感覚は狂い始め、自身のテリトリーを逸脱して不可侵の領域へ足を踏み入れて行く…。

 思えば“胸騒ぎ”はファーストカットから始まっていた。
 ニコール・キッドマンのフルヌードのバックショット。そしてバックに流れるショスタコーヴィチの「ジャズ組曲第2番ワルツ2」。
 なぜ冒頭からキッドマンのフルヌードなのか。なぜメインテーマがワルツなのか。
 前者はともかく後者の「ワルツの起源」を調べたてみたら、こんな思いが浮かんだ。
 「冒頭の映像と音楽はキューブリックの前口上ではないか」
 ワルツは18世紀、宮廷文化に取り入れられて世界中に広まるが、その起源は13世紀にハプスブルグ帝国の農民が踊っていたヴェッラーと言われている。
 ヴェッラーはゲルマン文化初の「男女が身体を密着させて踊る激しいダンス」で、当時は汚らわしいという理由で法律によって禁止されたが、娯楽も少なく監視の目も届かない山間部の農民たちの間でヴェッラーは踊り継がれたのだそうだ。
 僕はワルツの根本に「男女の営み」があると見た。
 そこでキューブリックの前口上。
 
 「これから始まる物語は突飛な作り話ではない。誰も否定できないセックスにまつわる寓話である」

 続ければ「ニコール・キッドマンのヌードはこの映画の売り物ではない」となる。だから惜しみなくファーストカットで見せた。もちろん掴みの意味もあっただろう。けれど「観客の目を早く慣らすことによって作品の本質を見失わないようにした」キューブリックの配慮とも受け取れる。その証にキューブリックは続くシーンでキッドマンの排泄シーンを用意した。しかも無造作にトイレットペーパーまで使わせて、「余計な妄想はするな」と言わんばかりだ。

 妙な胸騒ぎはビルの立ち位置にも関係している。
 観客からすればビルはまともな人間に見えるが、劇中ではマイノリティとして扱われている。そして特異な性癖の持ち主たちがマジョリティとして描かれているのだから、観客は“まともな自分”に居心地の悪さを覚える。
 キューブリックはこうして、個々の内面に潜む性に対する欲望と向き合うよう促しているのだろう。そしてアリスがしたのと同じように観客にもカミングアウトさせ、更なる高みへ誘う。そこでキューブリックは「理性と本能」の解釈を質すのだ。
 僕は本作から、「本能とは分かち合う相手を見出せれば許されるもの。理性とは分かち合う相手を見出せないときに求められる抑止力」と解釈した。

 一編のサスペンス映画として本作を観ると、欠けているピースがいくつもある。
 何よりビルが無くしたはずの“仮面”が自宅のベッドに置かれていた謎については一切触れられていない。それでも僕はエンドクレジットで再びショスタコーヴィチのワルツを聴きながら、まるで「サモトラケのニケ」のような存在感と完成度に感銘を受けていた。キッドマンに始まりキッドマンに終わる159分は、キューブリックの緻密な計算によって作られた至高の芸術品である。

 僕は食わず嫌いだった。
 当時、私生活でも夫婦だった2人が、セックスにまつわる映画に出るというゴシップ的な要素が気に入らなかったし、そもそも性的なテーマが好みじゃない、という理由もあった。けれどそんな人にこそ観て欲しい「自己再発見」映画。
 スロウな演技を求められながら、粗を出さずに演じきったトム・クルーズも素晴らしい。

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コメント 15

satoco

初見のときは若かったので今一つとらえきれない映画でしたが、kenさんのレビューをガイドにもう一度見たくなりました。今なら違った見方ができるでしょうか。
by satoco (2010-10-18 21:10) 

midori

>本能とは分かち合う相手を見出せれば許されるもの。
>理性とは分かち合う相手を見出せないときに求められる抑止力
・・・ううう至言ですね。観なくちゃ。
by midori (2010-10-18 21:33) 

ken

>satocoさん
 僕は10年前なら理解できなかったと思います。
 今でもすべてを理解出来たのか分かりません。
 satocoさんの解釈もぜひ聞いてみたいと思います。
 nice!ありがとうございます。

>midoriさん
 ここにたどり着くのに2日かかりましたw
 だから「至言」と言っていただけると嬉しいです。
 nice!ありがとうございます。
by ken (2010-10-18 23:25) 

ルル

はじめまして。
映画レビュー系ブログなのですね?
参考にさせて頂きます。

しかし… 
黒背景に白文字は、目がぁ〜イタタタ…(x_x;)
by ルル (2010-10-19 23:10) 

ken

ルルさん、ようこそ。
目に優しくするためには、輝度を少し下げるといいかと…。スイマセン。
nice!ありがとうございます。
by ken (2010-10-20 01:34) 

ヤス

はじめてコメントさせていただきます。
非常に読みやすく、読んでいていやな気持ちにならないレビューにとても好感を持ちました。自分も映画好きとして、参考にさせて頂きます。

上映会など開かれているようですね、自分も機会があればぜひ参加したいと思いました。

自己再発見の映画、観る側にとっては少し酷な映画ですね。やはりきわどい性をモチーフとしている作品ということもあり、好き嫌い分かれるところです。乱交シーンなどは西洋的な性の深さを感じました。日本人の自分には、なかかな馴染めないというのが気持ちです。
by ヤス (2010-10-20 20:43) 

ken

ときどき嫌な気持ちにさせるモノも書いていますw
上映会は年内にやりたいのですが、もろもろ調整中です。
本作は確かに酷な映画ですね。
でもそれをようやく観ることが出来る歳になって良かったと思いました。
by ken (2010-10-21 18:44) 

u_yasu

劇場で観た時は、なんだか釈然としない感じだったのですが、
kenさんのレビューを読んで、また観なおしたくなりました♪

ありがとうございます☆
by u_yasu (2010-10-24 18:33) 

ken

99年に観たら、僕もちんぷんかんぷんだったと思います。
nice!ありがとうございます。
by ken (2010-10-24 20:55) 

movielover

確かに胸騒ぎのする映画でした。
キューブリックならではの間と、サスペンス要素、そして性的なテーマではっきりとそれを見せているのに、何かそのあたりを超越しているように感じさせる映像。20代の頃はわけわからず観てました。30過ぎてもいまだによくわからない部分もあるのですが…。
でも美しい、と思える映画でした。
kenさんのレビューを拝見すると、自分の言葉の足らなさに愕然とします。
「サモトラケのニケのような~」という譬えはどこからわいて出てくるんでしょう??

とはいえ、私の未熟なレビューもTBさせてください(笑)。
by movielover (2010-10-31 00:04) 

ken

「サモトラケのニケ」については、9月に初めてルーブルに行って実物を観て
その神々しい造形に激しく感動していたのです。
ピースが足りないにも関わらず、完成度の高さは尋常じゃないと思っていたので
ちょうどいいかと思い、比喩に使ってみました。
nice!ありがとうございます、
by ken (2010-10-31 02:08) 

coco030705

こんにちは。ご無沙汰してすみません。お元気そうで何よりです。
この映画は、好きな映画です。でも友人の間では評判がよくなく、
「理解できなかった」という声が多かったんですよ。
kenさんの解説を読んで勇気づけられました!
>キューブリックの緻密な計算によって作られた至高の芸術品である。

同感です!二コールがほんとに美しかったし、トム・クルーズもよかったと
思います。二人ともよく思い切って出演しましたよね。
トム・クルーズってアクションものが大半ですが、結構うまい俳優だと思っています。彼の出る映画はほとんどがおもしろいですもの。
kenさんのレビューを読んで、またキューブリックの作品が見たくなりました。ありがとうございました。
by coco030705 (2010-11-01 17:36) 

ken

僕は「2001年宇宙の旅」はよく分からないし、
「時計じかけのオレンジ」は途中で観るのをやめちゃったし、
そんなわけで、キューブリックの作品は苦手な部類に入るんですけど
これだけは、見事に刺さりました。
いろいろ“タイミング”ってあるんでしょうね。
僕は「マグノリア」のトムも大好きです。
nice!ありがとうございます。
by ken (2010-11-02 03:26) 

Sho

なるほど、性にまつわる「寓話」というのは、とてもわかる気がします。
「時計じかけのオレンジ」は、大好きなのですが
「アイズ ワイド シャット 」で、少女がトムに微笑みかける場面が
「時計じかけのオレンジ」と、同じ空気だと感じました。
これは、個々人の心の奥に潜めているものを、背中から突かれている感じの映画だった気がします。又観たくなりました。
by Sho (2010-11-03 06:53) 

ken

「時計じかけのオレンジ」はあまりにもスラングが多くて、
それを僕は理解できないと思って途中で止めました。
でも、そろそろリトライの時期かも。
nice!ありがとうございます。
by ken (2010-11-03 11:41) 

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