息もできない(2008年・韓国) [2011年 ベスト10]
原題:똥파리/BREATHLESS 製作・監督・脚本:ヤン・イクチュン
何気なく自宅で観始めた130分後に放心してしまった。
僕はこの7年間で約90本の韓国映画を観てきたけれど、今日からは「殺人の追憶」も「オールド・ボーイ」も抑えてこれが「한국 영화로 가장 재미있는 작품」(韓国映画で一番面白い作品)と言おうと思う。
借金の取り立て屋をしているサンフン(ヤン・イクチュン)は、一旦火がつくと抑えきれないほど激しく暴力を振るう気性の荒い男だった。そのせいか回収率も高く、実入りも良かったが、まとまった金が入るとサンフンはその金を必ずある場所へ届けていた。その帰り道、サンフンはすれ違った女子高生ヨニ(キム・コッピ)に誤って唾を吐きかけてしまう。謝罪を求められたサンフンはヨニを勢い殴って気絶させてしまうのだが…。
テーマはDVである。
サンフンは幼い頃、実の父に妹を殺され、錯乱した母親を交通事故で失っていた。父は罪を償い出所しているが、サンフンの心の闇が晴れることはない。暴力によって大事なものを失ったせいで、自らの鬱積も暴力によってでしか排出することが出来ない人間になってしまっている。
一方のヨニも家庭に問題を抱えている。父はベトナム戦争の帰還兵で年金暮らし。しかし妻の死を受け入れられず、精神に異常をきたしている。弟は定職につかず怪しい仕事を始める始末。そんな家庭を恥じているヨニは抱える悩みを一切表に出さず、気丈に振舞っている。
そんな2人が邂逅することによって、2人の人生が動き始める。本作は過去に引きずられながら絶望の中で生きてきた人間の「再生の可能性」を垣間見るものである。
そもそもこの作品は、俳優として活躍してきたヤン・イクチュンの内に眠るテーマだったそうだ。
「自分は家族との間に問題を抱えてきた。このもどかしさを抱いたままでは、この先生きていけないと思った。すべてを吐き出したかった」
そこで脚本を書き始め、資金を集め、初めて監督に挑戦し、自ら演じることにした。彼は「内容はフィクションだが、映画の中の感情に1%のウソもない」と言い切っている。それは観ればきっと誰もが理解できると思う。まるで肌を刺すようなヒリヒリとした緊張感が、ファーストカットからラストカットまで、すべてのカットに満ち満ちているのだ。「息もできない」のは実は観客の方だ。
技術的にも感心するところが多かった。
脚本に感心したのは、サンフンとヨニの過去の接点。ヨニの母親は生前、屋台を経営していたが、その屋台が何者かに襲撃されたことがあった。ヨニはそれを目撃していたが、実はその男たちの中にサンフンがいた、というシーン。映画的文法で言えば、ヨニがその記憶を呼び覚ましサンフンに詰め寄る、という展開が容易に想像できるが、ヤン・イクチュンはそうはしなかった。「まず観客にだけその事実を伝える」という方法をとって、観客の期待を最期まで裏切り続けるのだ。巧かった。ラストの余韻はこのシークエンスが効いている。
また「人と人の出会いはタイミングによって、その関係を大きく変える」という詩的表現にも取れて、個人的にはかなり気に入った。
撮影に感心したのは、サンフンたちが街中を散策するシーンを手持ちカメラで、しかも俳優たちから離れてルーズショットで撮っていたこと。
複雑な事情と関係にあるサンフンとヨニの存在はフィクションである。しかしそんな2人を雑踏の中に置くと、周囲の人々と溶け合って現実となって行くのだ。雑踏の中で時折その姿を見失いそうになると、「そりゃいろんな人間がいるよな」と観客は勝手に思う。そしてリアリティが生まれる。もちろん古くから使われてきた手法だけれど、この手法を使ったことで作品に緩急もついたのは大きかった。
クライマックスでは編集にも感心した。
全編を通して登場人物たちの回想シーン以外は基本時系列で展開したが、最後の最後に大きく時系列を入れ替えた箇所がある。この入れ替えは絶妙なアイディアだと思った。
「どれほどの哀しみが横たわっているだろう、人間の笑顔の裏には」
そう思わせる素晴らしい編集だった。圧倒的に感服。
韓国社会が抱える問題を内包した、韓国映画ここ10年の最高傑作。
NO MORE DOMESTIC VIOLENCE.
何気なく自宅で観始めた130分後に放心してしまった。
僕はこの7年間で約90本の韓国映画を観てきたけれど、今日からは「殺人の追憶」も「オールド・ボーイ」も抑えてこれが「한국 영화로 가장 재미있는 작품」(韓国映画で一番面白い作品)と言おうと思う。
借金の取り立て屋をしているサンフン(ヤン・イクチュン)は、一旦火がつくと抑えきれないほど激しく暴力を振るう気性の荒い男だった。そのせいか回収率も高く、実入りも良かったが、まとまった金が入るとサンフンはその金を必ずある場所へ届けていた。その帰り道、サンフンはすれ違った女子高生ヨニ(キム・コッピ)に誤って唾を吐きかけてしまう。謝罪を求められたサンフンはヨニを勢い殴って気絶させてしまうのだが…。
テーマはDVである。
サンフンは幼い頃、実の父に妹を殺され、錯乱した母親を交通事故で失っていた。父は罪を償い出所しているが、サンフンの心の闇が晴れることはない。暴力によって大事なものを失ったせいで、自らの鬱積も暴力によってでしか排出することが出来ない人間になってしまっている。
一方のヨニも家庭に問題を抱えている。父はベトナム戦争の帰還兵で年金暮らし。しかし妻の死を受け入れられず、精神に異常をきたしている。弟は定職につかず怪しい仕事を始める始末。そんな家庭を恥じているヨニは抱える悩みを一切表に出さず、気丈に振舞っている。
そんな2人が邂逅することによって、2人の人生が動き始める。本作は過去に引きずられながら絶望の中で生きてきた人間の「再生の可能性」を垣間見るものである。
そもそもこの作品は、俳優として活躍してきたヤン・イクチュンの内に眠るテーマだったそうだ。
「自分は家族との間に問題を抱えてきた。このもどかしさを抱いたままでは、この先生きていけないと思った。すべてを吐き出したかった」
そこで脚本を書き始め、資金を集め、初めて監督に挑戦し、自ら演じることにした。彼は「内容はフィクションだが、映画の中の感情に1%のウソもない」と言い切っている。それは観ればきっと誰もが理解できると思う。まるで肌を刺すようなヒリヒリとした緊張感が、ファーストカットからラストカットまで、すべてのカットに満ち満ちているのだ。「息もできない」のは実は観客の方だ。
技術的にも感心するところが多かった。
脚本に感心したのは、サンフンとヨニの過去の接点。ヨニの母親は生前、屋台を経営していたが、その屋台が何者かに襲撃されたことがあった。ヨニはそれを目撃していたが、実はその男たちの中にサンフンがいた、というシーン。映画的文法で言えば、ヨニがその記憶を呼び覚ましサンフンに詰め寄る、という展開が容易に想像できるが、ヤン・イクチュンはそうはしなかった。「まず観客にだけその事実を伝える」という方法をとって、観客の期待を最期まで裏切り続けるのだ。巧かった。ラストの余韻はこのシークエンスが効いている。
また「人と人の出会いはタイミングによって、その関係を大きく変える」という詩的表現にも取れて、個人的にはかなり気に入った。
撮影に感心したのは、サンフンたちが街中を散策するシーンを手持ちカメラで、しかも俳優たちから離れてルーズショットで撮っていたこと。
複雑な事情と関係にあるサンフンとヨニの存在はフィクションである。しかしそんな2人を雑踏の中に置くと、周囲の人々と溶け合って現実となって行くのだ。雑踏の中で時折その姿を見失いそうになると、「そりゃいろんな人間がいるよな」と観客は勝手に思う。そしてリアリティが生まれる。もちろん古くから使われてきた手法だけれど、この手法を使ったことで作品に緩急もついたのは大きかった。
クライマックスでは編集にも感心した。
全編を通して登場人物たちの回想シーン以外は基本時系列で展開したが、最後の最後に大きく時系列を入れ替えた箇所がある。この入れ替えは絶妙なアイディアだと思った。
「どれほどの哀しみが横たわっているだろう、人間の笑顔の裏には」
そう思わせる素晴らしい編集だった。圧倒的に感服。
韓国社会が抱える問題を内包した、韓国映画ここ10年の最高傑作。
NO MORE DOMESTIC VIOLENCE.
この映画をご紹介くださり、ありがとうございます。
運命だと思います。
今日、レンタルしてきます。
by Sho (2011-04-10 08:28)
これは盛岡で公開されなかったと思います。
この映画は韓国のエンタメ情報で知っていました。
好きな分野では無いのですが気になっていた映画の一つでした。
機会がありましたら必ず見ます。
ご紹介ありがとうございました。
by noel (2011-04-10 09:34)
今、観終わりました。
再度、「この映画を紹介してくださって、ありがとうございます」
kenさんがレヴューの最後に指摘しておられる「時系列の入れ替え」。
これはまさに白眉だと思いました。
>「内容はフィクションだが、映画の中の感情に1%のウソもない
比較するにはあまりにおこがましいですが、私の書いているブログもまさにそのとおりで
>すべてを吐き出したかった
というのが、私がブログを書いている理由だ思います。
いつ感想が書けるかわかりません。
全ての登場人物の中に、「私」がいました。
by Sho (2011-04-10 15:13)
>Shoさん
確かにShoさんのブログは、すべてを吐き出そうとしているものですね。
いい映画をご紹介できて僕も満足しています。
いつか感想も楽しみにしています。
nice!ありがとうございます。
>noelさん
僕は自分自身の嗅覚を褒めてやりたいと思いました。
そしてこんな作品を放送してくれたwowowに感謝です。
by ken (2011-04-10 18:25)
こちら、すごく気になっていたんですよね。
『殺人の記憶』然り、『オールドボーイ』然り、
韓国映画の底深さに舌を巻く思いをしたのですが、
こちらはさらに上を行くんですね。
早々に観てみたい、と思わされました。
韓国映画、恐るべし。
by movielover (2011-04-11 23:11)
主演男優が監督だったと気付いて、2度驚いた次第です。
お早くご覧になって下さい!でも賞味期限は永遠にありません。
この世から暴力がなくならない限り。
nice!ありがとうございます。
by ken (2011-04-13 00:22)
ずっとヒリヒリして骨太で良い映画でした。
そして漢江で二人が泣くシーン、泣かされました。
by 脳外科医 (2011-04-15 12:13)
心と心が触れ合う、いいシーンでしたよね。
グッと来ました。
nice!ありがとうございます。
by ken (2011-04-16 11:52)
こんにちは。Shoです。
この映画の感想を自分のブログに書く際に、
kenさんのブログで知ったこと、そこに書かれていたkenさんの記事に
非常に惹かれるものがあったこと、その文章などを、書かせていただいたり
リンクを貼らせていただいてもよろしいでしょうか?
自分の感想を語るときに、どうしても欠かせないと思いました。
お許しいただければありがたいです。
もし支障ありましたら、どうぞそのようにご教示ください。
よろしくお願いいたします。
by Sho (2011-05-07 14:10)
一人でも多くの人にこの映画を観てもらって
DVとは何なのかを理解してもらいたいと思います。
記事の引用も大歓迎です。よろしくお願いします。
by ken (2011-05-07 19:48)
ご快諾いただき、ありがとうございます。
一所懸命、自分の気持と向き合いたいと思います。
よろしくお願いいたします。
by Sho (2011-05-07 20:05)
どういたしまして。愉しみにしています。
by ken (2011-05-07 22:17)
kenさん、ご無沙汰しています。
この映画、最近みたのですが、あれだけ暴力的な場面があったのに
泣きました。
幼い頃の記憶、体験が大人になってもその影響があるとはいえ、サンフンの
不器用さは見ていて切なくなりました。
この映画はブログ友のcocoa051さんの記事を読んで借りたのですが、
この映画に出てくるスラムっぽい地区は今政府によって再開発されて
いるそうです。。国としてはこういう場所は消したいのでしょうね。
韓国映画というだけで甘ったるい感じがしてちょっと避けていたのですが、
そういう先入観もいけませんね。
kenさんの記事を読んで改めてこういう良作の存在を感じました。(^_^)
by うつぼ (2014-02-09 19:05)
うつぼさん、お久しぶりです。
久しぶりにメンテナンスしようとやって来たkenです。
韓流ブームはすっかり鳴りを潜めてしまいましたが、日本にはない良質な映画が沢山あるのは事実です。
…とはいうものの、最近の韓国映画事情も変わってきたようですが。
でも、こういう作品をサルベージする必要があるよなあ、と思っています。
nice!ありがとうございます。
by ken (2014-03-03 20:00)