ゴジラ(1954年・日本) [2014年 レビュー]
監督:本多猪四郎
特撮監督:円谷英二
脚本:村田武雄、本多猪四郎
16年ぶりの新作でありながら、いささか食傷気味だったハリウッド版「ゴジラ」。
では、原点はどうだったのか。
やはり、今から60年前に作られた作品であることが最大の驚きで、先人たちの勇気と創意にただただ敬服するばかりである。
本題に入る前に時代背景をおさらいしておく。
日本映画史における戦後のターニングポイントは1952年である。この年の4月28日に日本はGHQの占領から解放され、検閲を受けることなく自由に映画を作ることが出来るようになった。おかげで翌年から日本映画の公開本数が増加。1952年は34本だったが、1953年49本、1954年51本、そして1955年には81本と着実にその数を増やすのである。
ちなみに「ゴジラ」が公開された1954年には「七人の侍」と「二十四の瞳」が公開されている。
南太平洋で行われた水爆実験によって、海底に潜んでいたジュラ紀の怪物が出現。最初に上陸した島の伝説から「ゴジラ」と名付けられる。
国会では国際情勢を鑑みて公表すべきでないとする一派と、一刻も早く公表すべきとする一派が対立。いずれにしても政府は放射能を帯びた怪獣は抹殺するしかないと検討を始めるが、古生物学者という立場から山根(志村喬)はその決定に心を痛める。しかしゴジラは人間の手におえるものではなかった。
山根の娘・恵美子(河内桃子)は、水中の酸素を一瞬にして破壊する「オキシジェン・デストロイヤー」を、旧知の科学者芹沢(平田昭彦)が開発したことを知る。この秘密兵器ならゴジラを抹殺できるかも知れなかった。しかし芹沢は「水爆の二の舞にしたくない」と、頑なに拒否するのであった…。
劇中の時代設定は明確にされていないが、電車内の会話からオンタイムであることが分かる。
「嫌ねぇ、原子マグロだ、放射能雨だ、その上今度はゴジラと来たわ」
原子マグロとは、1954年にアメリカがビキニ環礁で行った水爆実験によって被ばくしたマグロのこと。放射能雨とは、同じ実験によって大量にまき散らされた放射性物質が雨となって降ったこと。1945年に2発の原子爆弾を投下された日本は、そのわずか9年後に三度目の被ばくをしていたのである(その様子は新藤兼人監督の名作「第五福竜丸」に詳しい)。
そんな中、当時961万人が劇場に足を運んだと聞く。
円谷英二をはじめとする特撮チームの素晴らしい仕事が、ヒットの一因であることは疑いようもない。しかし、エンドマークを見届けた瞬間、これがGHQの占領から解放されて、ようやく声を大にして叫ぶことが出来るようになった反米、反戦、反核映画だったことに当時の人たちは気付いたことだろう。
とすれば、ゴジラは単なる怪獣などではなく、目に見えない「放射能」を可視化することで明らかになった、「人間にはコントロールできない悪魔」だったことに気付いたに違いない。
改めて観てみると、当時の日本人は反骨精神に満ちていたことがよく分かる。アメリカからの独立を果たそうとする気概も伝わってくる。そう思うと今年のハリウッド版「Godzilla」に期待した自分はまったくのお門違いだった。「ゴジラ」を作れるのは日本人だけなのだ。そして今こそ日本人の手でリブートしなければならない映画だったのだ。
ただし、今の日本人(映画会社)にその気概があるかどうか。もしかしたらゴジラに試されているのかも知れない。
素晴らしいレビューですね! !
なるほどゴジラとは、
>人間にはコントロールできない悪魔
であり、
>目に見えない「放射能」を可視化
するもの
でもあったわけですね。
作られた時代の背景と、この作品の意味。
kenさんのレビューを読ませていただき、ものすごく納得しました。
by Sho (2014-09-04 22:03)
見えないものが見えたときの恐ろしさ。
フクイチで思い知らされましたよね。
by ken (2014-09-15 11:01)