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鴨川ホルモー [2010年 レビュー]

鴨川ホルモー」(2009年・日本) 監督:本木克英 脚本:経塚丸雄

 どこかで予告編を観たとき、CGで作られた奇妙な生き物がちょこまか動いているカットが薄気味悪くて、一体誰がこんな映画を観るんだろうと思った。でも巷で万城目学の原作は売れていて、なんだか奇妙な話が「本屋大賞」の候補になっているんだなあと、そのときの僕は思っていた。

 ホルモーとは体長20センチほどのオニを使い、肉弾戦によって勝敗を決める競技。
 この競技を行っているのが、京都大学青竜会、京都産業大学玄武組、龍谷大学フェニックス、立命館大学白虎隊の4団体。主人公の安倍(山田孝之)は2浪の末なんとか入った京大で、第499代青竜会会長の菅原(荒川良々)に「フツーのサークルだから」と騙されて行ったコンパの席で、早良京子(芦名星)に一目惚れし入会。その後オニの存在を知って、ホルモーの世界に引き込まれていく。

 僕はコメディで見せる山田孝之の芝居が大好きだ。
 その芝居は(誤解を恐れずに言うと)お笑い芸人がコントで見せる、ややオーバー目の芝居なのだが、俳優でこれを嫌味なくやれる人はなかなかいない。僕の記憶の中では風間杜夫さんくらいだと思う。そんなコミカルな山田孝之が観たい一心で僕は本作に手を伸ばした。だから作品の内容をとやかく言うつもりはない。ただ山田孝之の芝居は堪能させてもらった。
 一番面白かったのは、青春ドラマの“鉄板”とも言うべき「片思いの相手を自分の小汚いアパートに上げる」のシークエンスだ。
 コンパの帰り道。酒と早良京子に酔った安倍は、気持ちよくなって寝転がった公園で、偶然にも泣いている京子を発見する。深夜、警官の職務質問を受ける京子に助け舟を出した安倍は、思い切って「良かったらウチに寄ってかない?」と声をかける。
 独り暮らしをしたことのある男子なら、きっと誰もが思い出し笑いをしてしまうシーン。この前後は「そうそう、そんな感じになっちゃうよね」と語りかけたくなる山田孝之の芝居が絶品だ。
 僕は以前、「いいオッサンになると若者の恋愛ドラマはもう観ていられない」と書いたことがあるけれど、青春ドラマなら意外と観ていられるんだなと思った。若さの特権とも言うべき、無鉄砲で無自覚で無責任な日常は、もうそんな時代には戻れないと分かっているからこそ、今は懐かしく振り返ることが出来て、素直に受け止めることが出来るのだろう。
 想う人には想われず、想わぬ人から想われる、という恋愛の法則もドラマに生かされていて愉しかった。ただ栗山千明がもうちょっと可愛ければもっと良かったんだけれど。
 
 ホルモーとは陰陽道を取り入れた設定なのだそうだ。興味がある人なら、作品そのものを愉しめるのかも。僕はそうじゃなかったので、山田孝之と荒川良々と濱田岳の芝居を愉しんだ。目的を持たずに観ると辛いかも?

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鴨川ホルモー (角川文庫)

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  • 発売日: 2009/02/25
  • メディア: 文庫

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デスレース [2010年 レビュー]

デス・レース」(2008年・アメリカ) 監督・脚本:ポール・W・S・アンダーソン

 2012年。
経済が破たんしたアメリカで刑務所の経営は民間に委ねられていた。
 孤島の刑務所ターミナル・アイランドでは独自の収益を上げるため、「5勝で釈放」というエサを囚人に与えて命がけのレースをさせ、それを有料でインターネット中継をしていた。

 ある日、妻殺しの冤罪で投獄されたジェンセン(ジェイソン・ステイサム)は、所長のウォーデン(ジョアン・アレン)から、すでに4勝しながら死亡した人気レーサー“フランケンシュタイン”としてレースに出るよう圧力をかけられる。出所して身の潔白を証明したいジェンセンはそれを引き受けるのだが、レースを重ねるうちに意外な事実を知る…。

 オリジナルは1975年に制作された「デス・レース2000」で、デヴィッド・キャラダインと「ロッキー」でブレイクする前のシルベスター・スタローンが出ているのだそうだ。しかも、オリジナルとリメイクいずれも“B級映画の帝王”ロジャー・コーマンのプロデュース作品。いや、俄然オリジナルも観たくなってきた。
 それはともかく。
 このリメイク版は、ジェイソン・ステイサム好きで、クルマ好きで、いいオンナ好きなら、「まあこれでいいか」的な感想になってしまうのだが、僕は“映画好き”でもあるので、一つだけどうしても言いたいことがある。
 妻殺しの汚名を着せられたジェンセンの“謎解き”と“名誉回復”には何のカタルシスもなく、消化不良も甚だしい。それでなくたって今の僕には「娘が産まれて間もないときに妻を何者かに殺害される」なんてシチュエーションはシャレじゃ済まないのだ。そこは是が非でも「マッドマックス」的着地点を用意して欲しかった。

 と言いつつ、コレはウルトラB級映画であるが故、多くを望んではいけないことも知っている。
 あり得ないほどの銃弾を浴びながらクルマはパンクひとつせず、しかもジェイソン・ステイサムには一発も当たらず、どうでもいい人間だけバッチリ被弾する予定調和の中、ドラマの整合性を求めるのは野暮と言うもの。僕の場合、ジェンセンの助手席でナビゲーターをするナタリー・マルティネスが刺さりまくりで、大概のことは許せてしまった(笑)。

death race1.jpgナイスバディ

death race2.jpg おいおいおい。

 B級映画マニアのユルいアタマにはエロが一番のカンフル剤。薬が効けば大抵の映画は肯定出来る。
 しかもプロダクションデザインも、編集のテンポも悪くない。やっぱりオリジナルが観たくなってきた。

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僕の心の奥の文法 [2010年 レビュー]

「僕の心の奥の文法」(2010年・イスラエル) 監督・脚本:ニル・ベルグマン

 第23回東京国際映画祭、東京サクラグランプリ作品。
 個人的には「サラの鍵」が気に入っていたので、これがグランプリと言われるとちょっと不満。
 それよりも一番大きな問題は、僕がこの作品をイマイチ良く理解できなかったことだ。
 
 理由は大きく2つある。
 僕が映画の舞台となった1960年代初頭のイスラエル事情にまったく詳しくなかったこと。
 もうひとつは座席の位置。
 僕が抽選販売で入手した席はTOHOシネマズ六本木ヒルズで最大の座席数(644席)を誇るスクリーン7のD列45番、つまり前から4列目の一番右端だった。
 チケットを手にした瞬間から嫌な予感はしていたのだけれど、劇場に入ったら案の定。僕の席は巨大なスクリーンを一番端っこから斜めに見上げる場所だった。
 過去の記憶が蘇える。実は今から14年前に「ミッション:インポッシブル」を観たときも、やはり同じような場所だった。その日僕は、本来長方形に観るべきスクリーンを巨大なひし形に観て、大きく歪んだトム・クルーズの顔を追いかけた。これで料金も同じかと思うと余計に腹立たしく、雑念だらけで映画は素直に受け止められず、後年DVDで観直したときに「こんなに面白かったんだ」と驚く羽目になった。以来「劇場で“観る場所”を間違えると、映画の評価にも悪影響を与える」というのが僕の中で定説になっていたのだ。
 ただ、グランプリを獲得したこのイスラエルの小品が一般公開される保障はどこにもなかった。それで僕は席を立たずにおとなしく開演のベルを待った。

 1963年のイスラエル。ホロコーストの生き残りである両親と、好戦的な友人に囲まれたアハロンは、教養や芸術など人間性を高めてくれるものに興味があった。けれどそれは今の環境では手に入らない。このまま大人になることを拒否したアハロンは3年間成長することを止めてしまう…。

 思春期とは性欲的関心の芽生えを言い、その欲求が簡単には通らないことを知ったときに起きる「大人に対しての敵対心」が激しい感情の揺れを引き起こす。
 アハロンの悩みはそこまでストレートではなかったけれど、父親が壁の修理と称して美しい隣人宅に入り浸ることへの苛立ちは、初恋の相手が自分と異なる思想の持ち主だったことと無関係ではないだろう。この年頃の子どもは得てして純粋で高尚な生き物であることを改めて知らされた気がする。
 いずれにしても当時のユダヤ人のベクトルを理解しないで、この作品の真意は理解しかねる。いい映画だとは思うが、座席の関係もあってスクリーンから発せられる情報のすべてがキャッチ出来なかった僕にはこれ以上語る資格はないだろう。いつか観直してみたい。


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武士の家計簿 [2010年 レビュー]

武士の家計簿」(2010年・日本) 監督:森田芳光 脚本:柏田道夫

 第23回東京国際映画祭特別招待作品。
 堺雅人は観たかった。でも監督が森田芳光と聞いて腰が引けた。2年前に観た「
椿三十郎」にほとほとガッカリしたからだ。さてどうするかと悩んで結果観ることにしたのは、何やら新しいタイプの時代劇のように思えたからだ。

 加賀藩の御算用者(会計担当者)として仕える猪山家八代目の直之(堺雅人)は、特に野心を抱くでもなく、ひたすら数字の帳尻合わせに勤しむ毎日。同僚たちは直之のことを陰で「そろばん馬鹿」と呼んでいた。
 そんな生真面目な性格が功を奏し、異例の昇進をはたした直之だが、ある日自宅の家計が窮地に追い込まれていることを知る。父・信之(中村雅俊)と合わせた猪山家の年収は銀約3,000匁(約1,200万円)。対して借金の総額は銀約6,000匁もあった。そこで直之は“家計建て直し計画”を立てる…。

 原作は、猪山家の家計を記した古文書を発見した磯田道史(茨城大学人文学部准教授)による歴史書「武士の家計簿」
 さすが事実ほどおもしろいものはない。僕は映画の出来栄え以前に「御算用者」という設定が気に入った。脇差をした武士たちが整然と並びそろばんを弾く姿は観たことのない映像で、新しい時代劇の登場を感じさせた。いや、もし時代劇が刀という武器に依存した物語ならば、これは「クラシックドラマ」とでも呼んで区別したほうがいい。なぜなら本作は、武士が主人公でありながら、誰ひとり柄(つか)に手をかける場面が無いからである。
 時代劇で描かれることの多い、体面にこだわる武士の生き様が、ここでは「生活費」という視点で描かれているのもおもしろい。しかも猪山家の財政はそのまま日本の財政とイコールで、あらゆる手段を講じて家計の建て直しを図る直之の実行力は、観ていてまったく胸がすく。今年の国債発行額が過去最高だったことを思えば、直之のような政治家が「身の丈に合った暮らし」を提案して、まずは我々国民の目を覚まさせてくれないものかと考えてしまった。

 やはり堺雅人がいい。
 本作には食事のシーンが多いのだが、食べる様子は「南極料理人」で観たまんま。ここに演じ分けは無いんだな、と妙に可笑しかったけれど、「ジェネラル・ルージュの凱旋」でも見せた確信的な“正義漢”ぶりは、本作でも充分に活きていた。
 また興味深いシーンもあった。
 4歳の息子・直吉に早くも家計簿をつけさせていた直之が、収支の合わないことを問い詰めるシーン。幼い息子と言えど容赦せず追い込んで行く姿は、森田芳光の出世作「家族ゲーム」での松田優作を思い出させた。なるほど森田芳光は刀を抜かない時代劇なら大丈夫かも知れない。
 思ったよりいい映画でホッとした。

武士の家計簿(初回限定生産2枚組) [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 松竹
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武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)

武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)

  • 作者: 磯田 道史
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/04/10
  • メディア: 新書

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臍帯 [2010年 レビュー]

臍帯」(2010年・日本) 監督・脚本:橋本直樹 脚本:いながききよたか

 第23回東京国際映画祭、「日本映画・ある視点」出品作品。

 生まれてまもなくゴミ集積場に捨てられ養護施設で育ったミカ(於保佐代子)は、成人したのち自分を捨てた母・直子(滝沢涼子)を探し当てる。そこで直子は漁港で働く夫と高校生の娘・綾乃と幸せな暮らしを送っていた。その様子を何日もうかがっていたミカは、ある日女子高生になりすまして綾乃に接近。そして拉致監禁する…。

 劇場鑑賞のみを想定して作られた本作は、限りなく暗い映像と、限りなく少ないセリフで作られた実験的要素の強い作品である。すなわち「商業映画」の対極とも言うべき位置に立っていて、これをどう受け止めるかは個人の自由だが、僕は純粋にこの作品の“立ち位置”を愉しんだ。
 それは映画のクオリティ云々ではなく、腐っても“国際”映画祭で上映された1本として、「およそ一般ウケしないだろう作品を、誰がどんな風に評価するのだろう」とか、「誰かが買い付けてどこかで上映するだろうか」といった“他人の評価”を想像をする愉しみである。
 こんな愉しみ方をしたのは、僕がプレス用のID上映で観たせいもあると思う。そこには外国人の映画関係者が何人かいた。けれど監督の意図を汲みきれず途中退席した人たちもまた何人かいた。限られた時間の中で良質な作品を求めて劇場をハシゴする人々。そんな風景をスケッチするのも国際映画祭の愉しみ方のひとつだ。

 これは実の母親に捨てられた娘の復讐のドラマである。
 復讐を実行に移すまでは、ミカと母・直子の背景が淡々と描かれる。映像も音声も恐ろしく静か。やがて観客はミカの目的を理解し、それが行動に移されたとき、直子と対峙する瞬間をイメージする。つまり結末を予想するわけだが、監禁がはじまってからの描写がかなり特異であるため、観客は想像した結末をいったん白紙に戻し、書き換えを迫られる。それも何度も。
 この「結末の予想」は映画や小説などストーリーを軸にしたエンタテインメントの最大の愉しみである。観客はそれぞれの展開に合わせていくつもの結末を想像しながらゴールへと向うのだが、まれに結末を想像しにくい作品もある。結末を想像できない作品は、「どこに向っているのか分からない映画」であることが多く、時に「監督の意図が汲み取れない映画」と評され、結果「面白くない映画」というレッテルを張られることがある。

 映画の中で結末をイメージできない時間帯はあっていい。イメージできないからこそ観客は考えるわけで、これが映画中盤の愉しみのひとつとも言える。しかし、それが長いのは良くない。なぜなら観客は頭を使うことに疲れて、想像することを止めてしまうからだ。そうなると途端に「なんだか面白くない」というファジーな感情を抱いてしまう。商業映画にはこの時間帯が無かったり少ないものが多い。頭を使わせずに済めば、「面白くないことに気付く間もない」からである。
 本作の場合、ミカが綾乃を監禁してからが“頭を使わせる”時間帯に当たるが、この時間が正直長かった。外国人客の多くはこの時間帯に席を立っていった。僕も大いに頭を使わされて少々疲れたけれど、「分かりやすさがすべての商業映画に対する皮肉」と受け止めれば、その志には拍手を送りたい。

 ドラマの結末は僕の想像と違う方向へ転がっていった。意外な展開とまでは言わないが、娘の母親に対する純粋な思いが心に痛かった。そして世の中、金はなくとも愛さえあれば解決できることは沢山あるのに、とも思わずにいられなかった。
 さてこの映画、どこかで公開されるのだろうか?僕は悪くないと思うけれど。


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一粒の麦 [2010年 レビュー]

「一粒の麦」(2010年・ルーマニア/セルビア/オーストリア) 監督:シニツァ・ドラギン

 第23回東京国際映画祭コンペティション作品。
 邦題の「一粒の麦」とは有名な聖書の言葉から。
 「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もしも死んだなら豊かな実を結ぶようになる」(ヨハネによる福音書12:24)
 これは十字架に向うキリストの覚悟を表した言葉で、「1人の犠牲によって多くの人が救われる」という教えなのだそうだ。
 聖書。多分僕は40代になって一度も読んでいないと思う。昔はキリスト教徒でもないのに持ち歩き、まるで文庫本のような気軽さでページを開いた。いま読むと一体どんな風だろう。

 僕がこの作品を観ようと決めたのは、公式サイトの作品解説に気になる一文があったから。
 「ルーマニア、セルビア、コソボ。混沌たる東欧地域で交差する、ふたりの父親の物語。息子と娘を探す旅に出るふたりの道程を繋ぐように現れる、200年前の教会の伝説…。旅路の果て、映像のみが表現できる至高のラストシーンに息が止まる」
 映像のみが表現できる至高のラストシーンとは、一体どんなシーンなのか。

 ふたりの父親の物語とはこうだ。
 ルーマニアで自動車事故を起こし遺体となった息子を探すセルビア人の父親。
 そして、コソボで売春を強いられている娘を探すルーマニア人の父親。
 2人はドナウ川で出会い、船頭から200年前の伝説を聞かされる。それは正教会の建設が禁止された時代に、古い木造の教会を移築しようとして失敗するルーマニア人の物語だった。

 ストーリーは重い。しかも東欧情勢に明るくないと、ところどころ捻りの効いた演出について行けない。中でもルーマニアの独裁者だったチャウシェスクと、ユーゴスラビアの終身大統領だったチトーがネタになっているシーンは、明らかに笑いを誘うシーンなのだが、その文脈が理解出来なくて悔しかった。と、こんなストーリーでありながら、旅の道程には少なからず笑いが散りばめられいる。これは「懸命に生きるということは時に滑稽ですらある」というメッセージかと思ったが、これはクライマックスへ向けての伏線だった。
 人生にはいくつもの辛い局面がある。
 その辛さは大きく二つに分けられる。あとで笑えるものと、一生笑えないもの。

 本作で最も衝撃的な展開は、売春宿に乗り込んだ父親が、組織のボスから「娘と姦通すれば返してやる」と言われるところだ。娘への愛情がどれほどのものか見せろ、と。虫唾が走る言い草である。娘を持つ身となった僕は、なんとか別の方法でこの窮地から脱出して欲しいと願った。しかしその願いは叶わなかった。
 父親の娘に対する愛情は、娘が思う愛情の在り方と決定的に乖離していたのだ。恐ろしい。僕はこの一連を生涯忘れないだろう。
 父親は組織から娘を取り返すが、娘は父の元には返らなかった。
 娘は自らドナウ川へ倒れこんで行く。その瞬間、流れが赤く染まる。僕は意表を突かれたこともあて、うかつにも「美しい」と思ってしまった。映像作家の“勝ち”だ。

 セルビア人の父親が探していた息子の遺体はドナウ川に流されていた。そうとは知らず土嚢の入った棺を運ぶ父親。長い旅の途中、その目的が“弔う”ことから“埋葬”することに変わっているのが可笑しくも哀しい。
 そして2つの遺体は伝説の教会で邂逅する。水に浮かぶ教会が神々しい美しさを放っている。
 「一粒の麦」が2つ。彼らの死は一体どれだけの人を救ったのだろう。
 少なくとも、もう一度以上観ないと、その答えは出ない気がする。ただし「二粒の麦」を取り巻く人々を見ていて、僕はこんな風に思った。
 
 人はみな良心を持っているが、その形はかなり歪である。

 秀作。
 世界史を勉強してからもう一度観たい。


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フラミンゴNo.13 [2010年 レビュー]

「フラミンゴNo.13」(2010年・イラン) 監督:ハミド・レザ・アリゴリアン

 第23回東京国際映画祭コンペティション作品。
 今回も時間の無い中、スケジュールをやりくりして何本か観る予定。観たいものは観られず、時間が合うから観るという作品もきっとあるだろう。
 この作品は「禁じられたフラミンゴ猟にとりつかれた男」という設定に惹かれて観ることにした。

 イラン山間部の小さな村。
 他所からこの村へ亡命してきたソレイマンは、禁じられたフラミンゴ狩りをする男として村では一目置かれていた。そんな彼は村の美しい未亡人タマイと通じ合いやがて結婚をするが、ある日フラミンゴ猟に出かけたまま戻らなくなってしまう。村人たちは「ソレイマンは死んだのだろう」と噂をし、新たに言い寄る男もいる中、タマイだけが「彼は生きている」と信じていた…。

 そもそもフラミンゴが猟の対象になるということすら僕は知らなかったけれど、こういったローカルルールはその土地を映す鏡であり、それが異形であればあるほど、観客の関心度は高まることを知った。想像の域を超えたルールの背景には、ルールが生まれるきっかけとなる“ストーリー”が必ず存在しているからだ。
 だから本作にもフラミンゴ猟が禁止されたストーリーがあって、それをきっかけに僕たち異邦人が知る由もないドラマが展開するものだと思っていた。
 しかし実際は違った。フラミンゴ猟は以前から禁止されていて、その理由も「村周辺にやって来る鳥が少ない中にあって、さらに美しい鳥であるから」というものだった。誰がどうやって決めたルールなのか、そんな説明は一切ないまま、それは当然のこととしてドラマは別の方向へ向かって行く。

 期待は外れたが興味深く観た。

 周囲を山脈に囲まれ、隔離された土地で暮らす人々の日常はどんなものなのか。究極に狭いコミニュティで暮らすことの不都合。恋愛にまつわる不具合。都会で見知らぬ人に囲まれて生きている僕たちには理解し難い世界。一方で環境がどう変わろうと、変わりようのないものも見せつけられる。それは、同じヒトでありながら、男と女は別の動物であるということ。広義に解釈すれば、これはDNAにまつわる物語である。

 極小のコミュニティで会話の無くなった村人たちの静寂を水タバコの音が埋める。
 イスラム圏の映画ならでは。そして映画祭ならではの愉しみ。


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フェイス/オフ [2010年 レビュー]

フェイス/オフ」(1997年・アメリカ) 監督:ジョン・ウー 脚本:マイク・ワーブ、マイケル・コリアリー

 アクションドラマの秀作。
 「人間の顔を外科手術によって入れ替える」というホラさえ赦せれば絶対に観て損はしない。僕は劇場ではなくDVDで、レンタルされて間もなく観たのだけれど、あまりに面白かったのですぐさまDVDを買い、すぐまた観た記憶がある。

 なんと言ってもジョン・トラボルタとニコラス・ケイジの“演じ分け”がスゴイ。
 2人は共に【FBI捜査官、ショーン・アーチャー】と【冷酷無比のテロリスト、キャスター・トロイ】を演じているのだが、2人で役作りしたのかと思うほど、どちらの役も見事板に付いている。この2人の達者な演技力が「顔を入れ替える」という究極のホラ話を、力技でもって観客に信じ込ませているだ。
 またこれらの役は、役者としての力量が拮抗している2人でなければ実現不可能なプロジェクトだったと思う。「両雄並び立たず」とはよく聞く言葉だが、この作品は“両雄が並び立たなければ”成功しないはずだった。どちらか一方が巧くても、どちらか一方が下手なら、結果どちらも“浮いた演技”に見えたことだろう。そういう意味でも本作の完成度の高さは奇跡に近い。そして脂の乗った2人の演技は観ているだけで愉しい。

 いくつかの「映画術」も確認できる。
 個人的に感心したテクニックは、「視点を替えることで登場人物を多面的に描くことが出来る」というもの。具体的にはキャスター・トロイの子どもを産んでいたサーシャ(ジーナ・ガーション)の描写。トラボルタ演じるショーンと向き合ったときには「ロスを壊滅しようとするテロリストの仲間」。一方ケイジ演じるショーンと向き合ったときは「子ども想いのどこにでもいる母親」として描けている。
 このテクニックのおかげで、ラストシーンはありがちなではあったけれど誰も文句を言わず、それどころか意外と泣けたりしたのだ。

 CG全盛の今から観ると、スタントマンが大活躍した最後の時代の1本と言えるかも知れない。
 特にクライマックス。ショーンとキャスターがボートで対決するシーンは素晴らしく見応えがある。スタントマンの仕事の間にトラボルタとケイジのインサートを入れる編集のセンスも良くて、充分2人の対決に見えている。
 ただ繰り返しになるけれど、一番の見ものは2人の芝居だ。
 特にトラボルタ。テロリストの顔から優しい夫の顔に戻るシーンは最大の見せ場。途中のキレっぷりがハンパないだけに、「もうゼッタイ堅気に見えないはず」と高をくくっていると、まるで憑き物が取れたような表情で現れるから驚く。
 とにかく百聞は一見にしかず。どれだけ美辞麗句を並べても、この映画の面白さは語れない、とここまで書いて気が付いた(笑)。

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ナイト&デイ [2010年 レビュー]

ナイト&デイ」(2010年・アメリカ) 監督:ジェームズ・マンゴールド

 ときどき自分で自分のことを馬鹿なんじゃないかと思う。
 トム・クルーズとキャメロン・ディアスが2人でバイクにまたがって、2丁拳銃でバカバカ撃ちまくってる映画に「おおお!こりゃスゲー」と僕が興奮する確立は、中国が尖閣諸島をあきらめる確立並みに低い。それを知っていて何故こんなものを観るのか。どうしてオマエはハリウッドの術中にまんまとハマってしまうんだ。バカバカ。

 ビンテージカーの修理工場を営むジューン(キャメロン・ディアス)は、ある日空港でハンサムな男、ロイ(トム・クルーズ)と出会う。同じ飛行機に乗り合わせ、意気投合したかに見えた2人だったが、実はロイはある重要な任務を帯びたスパイだった…。

 映画史を振り返ってみると今まで数々のスパイが登場し、数々の任務についていたけれど、もうそろそろネタ切れと見た。本作の場合は「充電しなくても永久に使える“電池”の開発に成功した高校生の護衛」である。…まあいいけど(笑)。
 あ、そう言えば。
 「トランスフォーマー/リベンジ」を観たときに、「作る阿呆に観る阿呆」と身も蓋もないことを書いたら、「映画は娯楽でもある限りバカ映画は作られていくのだ」との至言をtomoartさんから頂いた。
 確かにそうだ。でもだからと言って僕はバカ映画を愉しめる歳じゃない。それは世の中がバカ映画みたいに都合よく行かないことを知っているからだ。
 
 ただ注目すべき点がないわけじゃない。
 デジタル技術の進歩によって、映像の限界点が無くなりつつある今、ハリウッド産映画はいよいよアニメやマンガ化して来た。
 最も顕著な例はカメラワークだ。ウォシャウスキー兄弟が「マトリックス」で取り入れたマンガ的画角は、いまやハリウッドに深く浸透し、スタンダードになろうとしている。
 ハリウッド恐るべし。ヤツらは日本で育まれた“様式美”を完全に呑み込んだのだ。世界中から「クールジャパン」と言われて、日本人がいい気になっていた、そのスキに。
 日本で生まれた映像スタイルは、ハリウッドがさらに進化させるだろう。僕にとってバカ映画の見どころはこの一点に尽きる。

 大スクリーンでキャメロン・ディアスのアップを見るのはもう辛い。けれど彼女の代わりがいないのも事実。言葉は悪いがあそこまでフツーにバカ役が出来るコメディエンヌもなかなかいないからだ。このポジションのネクスト・ジェネレーションに期待。トム・クルーズは(お好みだと思うけれど)メーターが振り切れてて良かった(笑)。

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エクスペンダブルズ [2010年 レビュー]

エクスペンダブルズ」(2010年・アメリカ) 監督・脚本:シルベスター・スタローン

 キャストは濃いが中味は薄い。
 この映画を語るこれ以上のコピーは存在しないと思う。
 シルベスター・スタローン、ジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、ドルフ・ラングレン、ミッキー・ローク、ブルース・ウィリス、そしてアーノルド・シュワルツェネッガー。
 なんなんだ、この布陣は。金に物言わせて引っ張った大砲だらけで、小技の効かないかつての巨人打線みたいじゃないか。しかも高い金を払った割には、大砲がいまひとつ働かないところもそっくりだ(笑)。

 本作の「expendables」とは「消耗品軍団」という意味なのだそうだ。
 劇中ではスタローン率いる「傭兵軍団」のチーム名になっているが、彼らアクション俳優に対するハリウッドの扱いを皮肉ったタイトルでもある。そんなスタローンの思いが見え隠れするばかりに、僕はどうにも乗りきれず、斜に構えて観てしまった。
 大好きなジェイソン・ステイサムも出ているけれど、僕は彼を「消耗品」とは思っていないので、ステイサムのマネージャー感覚で、僕の反対を押し切って出演した映画を苦々しく観る気分でもあった。

 その中味。
 スタローンに仕事を持ちかけたのはブルース・ウィリス(うひょー)。ただしウィリスはスタローンだけじゃなく、別の傭兵軍団を抱えるシュワちゃんも呼びつけ、2人に話をする(うひょひょー)。するとシュワちゃんは「やーらない」となって、スタローンと小学生のガキみたいな罵りあいをして帰っていく。ちなみにシュワちゃんとブルース・ウィリスの出演はこれだけ(笑)。
 仕事を引き受けたスタローンは任務遂行のため現地の下見に行くが、これが実はCIA絡みの面倒な仕事であることが分かる。下見に同行したステイサムは「こんな危ない橋、渡れるか」と仕事を下りるが、スタローンは下見の際に出逢った女が忘れられずに、単独で決行しようとする。…なんだよ、
 女かよ!
 いや女でもいいんだけど、その女優がこれまた美人じゃないと来てる。
 観るモチベーション、ゼロである。
 これだけ濃い野郎が集まってたら、せめて女子はエロ過ぎるくらいでないと困る。
 それにしてもこの映画で誰が得をしたんだろう。ふと思い出したのが、一昔前に詐欺罪で逮捕されたジー・オーグループの社長・大神源太。コイツもどんだけナルシストか知らんが、「ユニバG物語“私がアジアを救う”」で、自ら密林の中を走ったり懸垂したりして、ワケもなく肉体を誇示するバカビデオがあったけど、
あれと大差ないんじゃないかと思ってしまった。
 だからせめてネエチャンだけでもエロでなきゃねえ。残念。


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