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奇跡(2011年・日本) [2011年 レビュー]

監督・脚本・編集:是枝裕和

 日本にとっては敗戦以来の国難となった2011年。その最後を締めくくる作品は、しばらく前からこれと決めていた。地震はともかく、起きて欲しくなかった“事故”が起きた今年。叶うことなら起きて欲しい“奇跡”。

 本作のことを語る前に、今年観たもう1本の是枝作品について少し触れておきたい。
 それは震災前の2月16日にリリースされたAKB48のシングル「桜の木になろう」のPV(DVD収録完全バージョン)。是枝監督が撮ったこのショートフィルムを観て、僕は不覚にも号泣してしまった。
 ストーリーは亡くなった友人の何度目かの命日を迎え、かつての友が故人を偲ぶというもの。早世した少女を松井珠理奈が、遺された友を前田敦子、大島優子、高橋みなみ、小嶋陽菜、板野友美の5人が演じている。
 泣けた理由は単純。僕もこれまでに何人かの友を亡くしているからだが、それにしてもどうしてこんなに泣けたのかと冷静に考えたら、過去の是枝作品に共通する“あるワザ”が使われていることに気が付いた。

 それは「役者の演技に依存することなく観客の心を揺さぶるワザ」である。
 断っておくが、AKBメンバーの演技が下手だと言っているワケではない。当て書きしただろう脚本の巧さはあるにせよ、彼女たちの自然な表情には彼女たちの理解力の高さが表れていたと思う。
 とまれ是枝演出の真髄は「役者がただ立っているだけでも、観客が感情移入できるよう仕向けるリードの仕方にある」と気付いたのだ。
 僕が「桜の木になろう」で心を揺さぶられたのは、亡くなった珠理奈が「自分のことを想い続けている人たちのことを、逆に見守り続けている」という設定だ。それはドラマの中盤で明かされ、5人の視点で描かれていたドラマは一転、松井珠理奈視点で描かれる。この瞬間から観客は「遺された人間が想う以上に、逝った人間が遺された人間を想っている」というメッセージを受け取るのである。本作にはこれ以上の芝居もセリフも存在しない。「役者の演技に依存しない」とはこういう意味である。

 「過剰な演出を避けて、明確なメッセージをタイミング良く投下し、観客に物語を補完させる」

 これはドキュメンタリー演出を手がけた是枝監督ならではのワザと言っていいと思う。
 振り返ってみても、「誰も知らない」では観客を“共犯者”に仕立て上げ、事件そのものを再考させ、「花よりもなほ」では時代劇の定番プロット「仇討ち」を否定して、実は身近な暴力を無意識のうちに許していないかと観客に問いかけ、「歩いても歩いても」では知らず知らずのウチに家族の誰かを傷つけたかも知れないエピソードを観客に思い出させて、「空気人形」では観客自身が“ココロを失った登場人物のひとり”になっていないか客観視させたのだ。
 被写体にすべてを語らせない。それがドキュメンタリーの基本。
 そして「奇跡」である。
 小学生兄弟漫才コンビ「まえだまえだ」を起用したと聞いたときは、さすがにどうかと思っていた。けれど「桜の木になろう」のPVを観て、僕はすっかり安心した。理由は先に挙げた通りである。

 両親の離婚によって福岡と鹿児島で離ればなれに暮らす航一(前田航基)と龍之介(前田旺志郎)。航一はある日「九州新幹線の一番列車がすれ違う瞬間、その場で願い事を唱えると夢が叶う」というウワサを耳にする。大阪から鹿児島に引っ越し、なかなか馴染めなかった航一は、また家族4人で一緒に暮らしたいと密かに行動を起こすのだが…。

 航一が登場するファーストカットからして「さすが」と思ったのだけれど、とにかくフツー。とにかく気取りがない。本当にドキュメンタリーのようにさりげない風景からテイクオフしている。そもそも役者が市井の人を演じていること事態非日常なのだから、それをありがちな景色として切り取れるのは相当なセンスだと思う。
 ところが時間が経過するに従い、作品の風味がいささか「ぼんやり」して来る。進展もスピーディとは言えず、明確なメッセージもなかなか投下されない。「樹木希林」という保険は掛けてあるから、飽きることなく観ていられるのだけれど、さて一体どうしたもんかと思っていたら、終盤へ向う途中での“さりげない仕掛け”に気付いて、僕はなるほどと膝を打った。
 
 これは大人向けの映画ではなく、是枝監督が子どもたちのために撮った「児童映画」だ。

 “さりげない仕掛け”とは航一の友だち、真の飼っていた犬の死である。
 真は九州新幹線のすれ違いを目撃する旅に、亡骸となった愛犬を抱えてやって来る。そして「イチローのようなプロ野球選手になりたい」という願い事を取り消し、愛犬を生き返らせたいと言うのだ。
 この瞬間、大人はもとより子どもですら「その奇跡は起きない」と思う。
 それでも真は、起きない奇跡を起こすため、航一とともに旅に出る。
 真の行動は「努力を怠った瞬間、奇跡が起きる可能性はゼロになる」ことを教えてくれるのだ。
 これほどまでにピュアなメッセージは今さら大人には伝わるまい。しかし子どもには分かって欲しいし、子どもになら伝わると思う。だから僕はこの作品を児童文学ならぬ「児童映画」だと思ったのだ。

 もうひとつ印象的なシーンがある。
 かつて和菓子職人だった航一の祖父・周吉(橋爪功)が、昔取った杵柄で「かるかん」を作り始める。材料となる山芋を周吉と航一が並んでおろしているシーンで、ゴシゴシと縦に山芋をおろす航一を見て、周吉は「丸ぅ、回さんか」と注意する。丸く回すのはきめを細かくするためである。しかし時間はかかる。子どもは与えられた仕事を早く済ませたい一心である。
 「経験値の差」とよく言う。
 これは結果(あるいはゴール)をイメージ出来ているか否かの差だと思う。結果がイメージ出来ていれば、そのための努力は苦にならない。目的が明確だからである。しかし結果がイメージ出来なければ、当然目的も理解出来ず、求められる努力は苦痛になる。僕はこのシーンを観て、オトナになると言うことは「結果を急いて求めずともいられる」、つまり「ガマン出来る」ことだと思った。
 これは今すぐ理解出来るかどうかは別にして、小学4年生以上のすべての子どもに見せていい作品だと思う。小学生にとってはかなりリアルな現実が描かれていると思うし、親と一緒に見て感想を共有するには絶好のテーマである。

 2012年にはいくつの奇跡が起きるだろう。
 そのためには僕たち自身になすべきことがあると思う。
 だから「来年はいい年でありますように」と願をかけるのではなく、「来年はいい年に出来ますように」と自分にハッパをかけて、2011年を締めくくりたい。

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蛇鶴八拳(1977年・香港) [2011年 レビュー]

原題:蛇鶴八歩/SNAK&CRANE ARTS OF SHAOLIN
監督:チェン・チーホワ

 ジャッキーの出世作「酔拳」以前(いわゆるロー・ウェイプロダクション時代)の作品の中では比較的おもしろいと認知していた1本。それを今回28年ぶりに観てみたのだけれど、確かに他と比べるとまずまずの出来映え。その一番の要因は「監督がロー・ウェイじゃない」ということかも知れない。

 少林寺八大流派の師範が集まり、最強の拳「蛇鶴八歩」が編み出された。ところが師範たちは何者かによって毒殺されてしまう。しかも「蛇鶴八歩」の奥義をまとめた秘伝書も持ち去られてしまった。
 多くの流派が「蛇鶴八歩」を我がものにしようと捜索をしていたとき、秘伝書を持った若者がとある酒場に現れた。彼の名はシー・インフォン(ジャッキー・チェン)。めっぽう強いその若者は肩にアザのある男を捜していると言う…。

 本作の監督をロー・ウェイがやらなかったのは、スケジュールの問題じゃないかと思う。
 「蛇鶴八拳」が香港で公開されたのは1978年3月8日。この1本前のジャッキー作品「成龍拳」は1977年7月22日に公開されている。この2作を見比べると面白い発見があって、実はロケ場所を何カ所もシェアしているのだ。もちろん正しくは「『蛇鶴八拳』が『成龍拳』のロケ場所を使い回した」ということなのだが、こんなことは僕自身、永らく映画を観て来て初めての発見だった。
 なぜこんなことが起きたのかと言うと、
 1)ロー・ウェイは人の手を借りてでも多くのジャッキー映画を作りたかった。
 2)しかし自分が監督をするわけじゃないので、予算にはシビアだった。
 3)となると制作スケジュールをコンパクトにせざるを得ない。
 4)撮影にかかる日数は大幅に削れないので、準備期間を削るしかない。
 5)そこでロケハン日数を大幅に削減。前作のロケ現場を流用することにした。

 これが僕の推理だ。当たってようと外れてようとどうでもいいが(笑)、最低でも3カ所は「成龍拳」のロケ場所が使い回されているのは事実。ロー・ウェイのジャッキーに対する入れ込み方が伝わってくるようだ。

 「成龍拳」に比べるとフィルムを逆回転にしたり、スピードを上げたりと言った姑息な演出が減り、ジャッキーの純粋なポテンシャルが楽しめる。特にオープニングのタイトルバックで見せる「槍使い」との組み手は、素晴らしい身のこなし。本編のアクションよりも一見の価値ありである。
 ブルース・リーからカンフー映画にのめり込んだファンには、ノラ・ミャオとの競演も見どころ。しかもまずまずのアクションを見せるから驚きだ。

 ジャッキー自身、コミカルカンフー路線には目があると確信した1本だろう。ファンに撮ってはジャッキー映画を語る上でゼッタイに見逃せない1本。

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成龍拳(1977年・香港) [2011年 レビュー]

原題:剣・花・煙雨江南/TO KILL WITH INTRIGUE
製作・監督:ロー・ウェイ 脚本:クー・ルン


 ジャッキーがコミカル路線に走る直前の至ってマジメな復讐劇。
 製作は1977年だが日本で公開されたのは1984年。「プロジェクトA」公開の3ヶ月後で、原題からほど遠い邦題の「成龍」は言わずと知れたジャッキーの中国名。タイトルからしてジャッキー人気にあやかろうとする映画会社の商魂が見え見えである。それでもダマされたつもりで観に行ったジャッキー・ファンは本当にダマされてビックリしただろう。

 中国・江南の山岳地帯。ある夜、総督の還暦祝いが開かれていた。
 その頃、総督の息子であるシャオレイ(ジャッキー・チェン)は妊娠していた恋人に冷酷な別れを告げ、さらには父のために集まった大勢の客に無礼にも「夜も更けた」と帰宅を迫る。しかしそれには理由があった。実は15年前、総督が成敗した盗賊団「人面桃蜂党」の生き残りが今夜、復讐にやって来ようとしていたのだ…。

 と、ここまでのストーリーラインはまともだが、この一歩先からおかしなことになる。
 復讐に現れた人面桃蜂党の首領は初代首領の娘で、その娘が敵役の息子であるシャオレイに一目惚れしてしまうのだ。一方シャオレイは両親を殺され、自身も大きな痛手を負い、生きる気力を失い、冷たく突き放した恋人チェンチェンを求めてさすらう展開となる。
 「はあ?」である。
 桃蜂党の首領は、そんなシャオレイをストーカーのように追い続け、自分に何の興味を示さないシャオレイに「そろそろ私の名前も聞いてよ!」と逆ギレする。 
 マジで「はあ?」である。
 僕は途中、ストーリーの流れが理解出来なくなって「もしかして途中寝ちゃったか?」とリモコンを手に巻き戻しをしたほどだ。それほどヒドい。

 当時ロー・ウェイはジャッキーを第二のブルース・リーにしようと意気込んでいた時代である。なのにフィルムの逆回転を多用したアクションや、早回ししてスピード感をアップさせる技法はあまりに小手先過ぎてガッカリ。
 一方ジャッキーはブルース・リーのコピーでは成功はないと思い始めていた時代である。本作はやがて仲違いする2人の晩年の仕事ということ以外に観る価値はない気がする。完全にマニアックなファン向け。

成龍拳 デジタル・リマスター版 [DVD]

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ステキな金縛り(2011年・日本) [2011年 レビュー]

監督と脚本:三谷幸喜 主演:深津絵里、西田敏行

 本としては文句無く面白いと思う。
 どうしてこの人はこんなことを思いついちゃうんだろう、と嫉妬心を覚える脚本家は大勢いると思う。ただし映画を観てホッとする監督もいるはずだ。
 「監督としての力はやっぱりそれほどでもないな」
 そうなのだ。脚本の力が100点を越えて120点あったとしても、映像の力は30点ほどしかないのだ。だから映画としての出来映えは75点ということになってしまう。エンドクレジットを観ながら僕が最初に思ったのは、「これを別の監督が撮ったら、どうだったかなあ」だった。

 失態続きの三流弁護士エミ(深津絵里)は、ある殺人事件を担当することになる。資産家の妻殺しの容疑をかけられた男(KAN)には本人曰くアリバイがあった。男は妻が殺された当日旅館の一室で金縛りに遭っていたのだと言う。無実を証明出来るのは、男に一晩中のしかかっていた落ち武者(西田敏行)の幽霊だけだった…。

 三谷さんの監督としてのセンスに「?」が出たのは一番最初の見せ場、落ち武者・西田敏行登場のシーンだ。観客は笑う気満々で待っている。こんなタイトルでこんな設定にした以上、落ち武者登場シーンのハードルが上がるのは監督自身覚悟していたと思う。ホームランは難しかろう。しかしここでは確実にランナーを返すバッティングが必要だった。ところが結果はゲッツー崩れの1点である。笑えはした。でも画角もメイクも照明もタイミングも間も、何もかもがちょっと違うのだ。かといって今の僕にも正解は分からない。ただ観客としてもっと笑いたかったのだけは紛れもない事実だ。

 そもそも西田さんの落ち武者は出オチである。
 仮にドカンと笑いが取れていたとしても、そこから高い位置で笑いをキープするのは相当骨の折れる作業だ。それでも三谷さんは頑張っていた。あの世とこの世を繋ぐためのハーモニカだったり、亡くなった動物を連れて来てみたり、とにかくいろんな“仕掛け”を用意していて、苦心の跡は見て取れた。けれど僕が一番驚いたのは「ブスも3日で慣れる」ならぬ、「落ち武者も30分で慣れる」だった。有り得ないはずのことが起きても、それが恒常化してしまうと、単なる“日常”になってしまう怖さ。つまり時間が経つに従って、落ち武者西田は他の登場人物と横並びになってしまうのだ。
 これが本と違う映像の怖さである。意外とこの本は舞台向きだったのかも知れない。

 本作がイマイチなのはもうひとつ理由がある。キャスティングだ。
 大ヒットした過去2作「THE有頂天ホテル」と「ザ・マジックアワー」は役所広司と佐藤浩市という、どちらかというとコメディには縁遠い役者が主演を務めていたからこそ、その意外性で笑えるシーンが多々あった。しかし西田さんは日本を代表する喜劇俳優である。このキャスティングには何の意外性もないのだ。
 はまるかどうかは別だが、例えば中井貴一や阿部寛が落ち武者役をやっていたら、これは相当なインパクトだったと思う。そんな配役で別の監督だったら…とやはり思わずにはいられない「あんまりステキじゃない金縛り」だった。

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イップ・マン 葉問(2010年・香港) [2011年 レビュー]

原題:葉問2/IP MAN 2  
監督:ウィルソン・イップ 脚本:エドモンド・ウォン

 結論から言うと、断然前作の方が面白かった。
 2作目は脚本が凡庸で、B級カンフー映画としか言いようの無いクオリティなのだ。
 ストーリーは1作目からの流れである。
 日本軍に占領された佛山を離れ、香港へと逃げて来たイップ・マン。ここで武館を開こうとするが、香港武術界を仕切るボス、ホン(サモ・ハン・キンポー)たちの邪魔が入ってしまう、というのが序盤の展開だ。 
 
 香港で武館を開くためには、他の流派の師匠連の挑戦を受け、彼らを倒さなければならない、という設定は(いかにもB級だが)なかなかおもしろい。若い弟子が見守る中、初老の師匠たちが「もしや負けるかも知れない」イップ・マンと闘うという肝の座り方は好感が持てるし、師匠連のボスであるサモ・ハン・キンポーもまた老いた身体に鞭打って闘うところもいい。ただ問題はこの先の展開である。
 中盤、中国武術を侮辱するイギリス人プロボクサーが現れ、ある人物が殺されてしまう。そしてお約束の復讐劇となるのだが、この肝心の対決が面白くないのだ。何故か。カンフー対ボクシングという「異種格闘技戦」になってしまったために、カンフーの様式美が堪能出来ないのだ。
 イップ・マン演じるドニー・イェンの身のこなしは相変わらず流れるようで美しい。しかし攻撃と防御が表裏一体となっているカンフーを美しく見せためには、相手もまたカンフーの使い手でなければ、その美しさは半減するのである。永らくカンフー映画を観て来たけれど、そんなことに気付いたのは本作が初めてだった。カンフー最大の魅力は「所作」なのだ。
 1作目が面白かっただけに本当に残念でならない。
 
 最後に少年時代のブルース・リーが出て来る。
 結局イップ・マンを語るとき、ブルース・リーしかないのかと思うと、それも残念なのだが、ブルース・リーとの日々を描いたパート3も観たいと思った。ただ、それだと時代設定から言ってイップ・マンをドニー・イェンが演じられないだろう。
 ドニー・イェンは香港カンフー映画界の至宝である。
 イップ・マンは面白い脚本を作って、どんどんシリーズ化して欲しい。

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デタッチメント(2011年・アメリカ) [2011年 レビュー]

原題:DETACHMENT  監督:トニー・ケイ 脚本:カール・ルンド

 24thTIFFラストの10本目。
 今年僕が
観た中では一番の佳作で、もしやこれがグランプリを獲得するんじゃないかと思ったけれど、それはならなかった。TIFFの密かな愉しみは「自分がチョイスした作品がグランプリを獲らないかな」とこっそり期待すること。でもまだ一度も当たったことが無い。

 代理教員として高校を渡り歩くヘンリー・バルト(エイドリアン・ブロディ)の新しい職場は、生徒も親も学校経営も破綻寸前の荒れに荒れた高校だった。ヘンリーはそれでも「失うものも恐れるものもない」代理教員としての立場を利用して生徒たちに真正面からぶつかって行く。
 そんなヘンリーには介護施設に預けた父がいた。激しい認知症。父と向き合わない介護士のせいでヘンリーはことあるごとに呼び出され、父を介抱する羽目に。昼も夜も休む間もないヘンリーだったが、ある日未成年のストリートガールまで保護してしまう…。

 原題の「DETACHMENT」は「無関心」という訳が適当だと思う。
 「ATTACHMENT:愛情、愛着」の反対語である。
 本作は「アメリカの教育現場で起きている様々な問題を白日の下にさらすこと」を第一の目的にしているが、代理教員を通して、現代人の歪なコミュニケーション能力についても意見しようとしている。
 現代人、特に都市部で生活する人間は「誰かと繋がりたいと思う一方で、かといって深入りはしたくない」という矛盾した意識の下にプライベートを構築している。代理教員のヘンリーも大いなる矛盾を抱えた青年だ。父親とのコミュニケーションには積極的ではないが、学校の生徒たちとは積極的に関わろうとする。さらに未成年のストリートガール(サミ・ゲイル)まで保護し、自分のアパートに住まわせながら更生させようとする。
 僕はヘンリーの行動に一貫性がないと思った。けれど途中、仕事とプライベートと分けて考えたときに「自分にも思い当たる節が無いわけじゃない」とも思えて来た。

 少なくとも僕は、仕事とプライベートは別人格である。
 例えば営業職ともなると、引っ込み思案ではいられなくなる。消極的では売り上げは上がらない。だから自分を偽って(自分を洗脳して)一歩前へ出ようとする。もちろん社会人としては必要なことだ。必要ではあるけれど、「仕事に追われる日々の中で自分自身を見失う」とよく言うのも、きっと別人格の時間が長過ぎるからなのだ。ということは、ヘンリーが未成年の街娼を拾った理由は、仕事もプライベートも関係なく、ただ自分の信念の所在を確かめたかったからだろう。
 多くの人が自分の中に矛盾を見つけていると思う。僕もその一人として本作はとても考えさせられたし、いいキッカケと作ってくれた1本だった。

 エイドリアン・ブロディのなりきり方が凄まじい。
 それもこれもホームビデオタッチな質感やカメラワークにこだわった撮影が効いている。ブロディ以外の役者陣、クリスティーナ・ヘンドリックス、ルーシー・リュー、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ジェイムズ・カーンの芝居もリアリティに満ち溢れていた。
 
 本作、中学高校の教員はゼッタイに観た方がいい。その気にさせるヘンリーのセリフをひとつ。
 「この仕事の問題点は、誰にも感謝されないことだ」
 なかなかの秀作。グランプリでも良かったのに。

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ある娼館の記憶(2011年・フランス) [2011年 レビュー]

原題:House of Tolerance/L’Apollonid,souvenirs de la maison close 
監督・脚本・音楽:ベルトラン・ボネロ

 24thTIFF9本目。
 これも作品解説に惹かれて観る気になった。

 「20世紀初頭、パリ。閉鎖目前の高級娼館を舞台に、娼婦たちの争い、不安、喜び、痛みを、絵画のような映像と見事なアンサンブルキャストで描く。狭い空間内で展開する群像劇をさばくボネロ監督の演出力が光る。カンヌ国際映画祭コンペ部門正式出品作品」

 娼館を舞台にしたハナシと聞くと、ある世代までは「悲恋」と「不治の病」という2大プロットをイメージすると思う。それは恐らく水上勉の代表作「五番町夕霧楼」の影響だろう。僕も確実にその世代に入る一人で、本作の場合も解説を読んでなお、このプロットだけは鉄板だろうと思っていた。それをフランス映画としてどうまとめたのかを観る気で劇場に足を運んだのだけれど、そこには僕の安易な想像をはるかに超え、久しぶりに身体を硬直させるほど衝撃的な展開が待っていた。

 ベルトラン・ボネロがフォーカスしたのは「娼婦と言う職業のリスク」と「娼婦を取り巻く客(とりわけ貴族たち)のアブノーマルな嗜好」である。
 先に衝撃的としたのは、娼館一の美女と謳われた一人の娼婦が、客の求めに応じて手を縛らせたばかりに、ナイフで顔を傷つけられるというシークエンスの存在。その娼婦はバットマンの敵役ジョーカーのように「口裂け女」と化し、観客は変わり果てた娼婦を見て心痛める。ところが、これで終わらせないのが本作の恐ろしいところである。
 “ジョーカー”となってしまった娼婦は、行く当てもなく娼館で下働きをすることになるのだが、しばらくして事件のウワサを耳にした客が「一目会わせろ」とマダムに詰め寄るのである。
 商品価値を失ったはずの娼婦が、新たな客を呼ぶと言う究極のアイロニー。美しい娼婦の人生を狂わせた恐怖体験すら愉しもうとする貴族たちの邪悪な嗜好と、アブノーマルな客相手なら娼婦以上に金を稼げると知ったマダムの商魂を見せつけられて、観客は激しく動揺するだろう。そして、人間がいかに残酷な生き物であるかを思い知るのである。

 それにしてもここで描かれる娼館の描写は美しい。
 様々な想いを抱きながら客を待つ娼婦たちも美しい。
 彼女たちの人生が恵まれているとは言い難いけれど、その中にあって懸命に生きようとする彼女たちの姿を見ていると、それだけで愛おしくなる。と、そんな想いを膨らませていると、これまた意外なラストカットが待ち受ける。
 人類史上最古の職業とも言われる娼婦の“今”である。
 このラストカットが、本編を単なる「記憶の風景」で終わらせない巧妙な仕掛けになっている。ボネロの素晴らしいアイディアに拍手。「娼婦」という職業を偏見なく真正面から考えるきっかけになるだろう。
 アート作品としても二重丸。

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ティラノサウルス(2010年・イギリス) [2011年 レビュー]

原題:TYRANNOSAUR  監督・脚本:バディ・コンシダイン

 24thTIFF8本目。
 公式サイトの作品解説を読んで観てみたくなった作品。
 
 「怒りをコントロール出来ず、自己崩壊寸前の男。彼が唯一心を開けそうな女性が現れる。しかしその女性も秘密を抱えていた…。ピーター・ミュランの存在感が冴え、予期せぬ展開が胸を打つ人間ドラマ。サンダンス映画祭外国映画部門監督賞受賞」

 解説にある通り演のピー・ミュランがいい。
 何がいいって顔だ。顔のシワがいい。ナイフで刻み付けたような深いシワが、本人の芝居以上に多くのことを物語っている。自分の内から出る「怒り」に抗えず、振り回され、傷つけ、傷ついて来た人生。そのシワには観る者に有無を言わせない迫力がある。僕は「この男に殴られないように観よう」と思った。僕が彼の近くにいても難癖を付けられないように。つまり遠巻きに、客観的に、冷静に。
 ところが。遠巻きに観ていたから大抵のことには驚かないつもりでいたはずなのに、途中で大きな衝撃を受けた。ピーター・ミュラン演じる男が心許す女(オリヴィア・コールマン)の意外な告白である。

 オリヴィア・コールマンが演じるのは心根の暖かい人だ。
 決して美人とは言い難いけれど、男を包み込んでくれる優しさがある。しかし愚かな男はあとで思い知るのだ。そんな女性の多くは、他人より傷ついている女性であることを。
 時々思う。その人の笑顔の裏にどれほど辛い経験があっただろうと。
 たとえば年配の方のほとんどは、某かの「死」を経験している。「死」は人の一生で唯一定められた運命でありながら、直面するとやはり悲しい。場合によって受け入れることが困難なときもある。年配の方々は間違いなく、笑うことを忘れるような経験をしながら、歳を重ねているはずなのだ。だから僕は自分の身に不幸が降り掛かったとき、辛いのは自分だけじゃないと思うようにしている。
 
 女の告白を聞いた主人公は自分の甘さに気付く。
 人間は傷ついた人を癒せたとき、さらに大きな人間になれるのだと思った。
 衝撃的な展開も決して“物語のなせる技”と思わせない周到な脚本が良し。
 40オーバーでアンチハリウッドな人にはオススメ。

157820_1.jpg ピーター・ミュランに殴られないように。


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哀しき獣(2010年・韓国) [2011年 レビュー]

原題:THE YELLOW SEA/黄海  監督・脚本:ナ・ホンジン

 24thTIFF7本目。
 昨年僕がベスト20にチョイスした「チェイサー」の監督、ナ・ホンジンの新作。
 実は成瀬巳喜男の「杏っ子」とダブルブッキングだったんだけど、「チェイサー」の印象が勝ってこちらをチョイス。

 グナム(ハ・ジョンウ)は中国延辺朝鮮族自治州で暮らすタクシー運転手。
 稼ぎを求めて、妻を韓国に出稼ぎに出したが、送金も連絡も途絶えていた。しかも妻を韓国へ密入国させるために作った借金で首が回らない。そんな折、グナムは朝鮮族を牛耳る犬商人のミョン(キム・ユンソク)から、韓国へ行ってある男を殺せば借金は帳消しにしてやると言われ…。

 まずは「朝鮮族」という設定の巧さが光っていたと思う。
 「朝鮮族」とは中国に住む朝鮮民族を指すが、日本で言うところの「在日朝鮮人」とは違い、中国国籍を持つ中国人なのだそうだ。分かり易く言うと「朝鮮系中国人」。中国人でありながらルーツは朝鮮半島にあるという微妙な立ち位置の彼らが、韓国に対して抱く想いを垣間見るだけでも面白い。
 ここでの主人公は身を持ち崩した朝鮮族の男である。監督のナ・ホンジンにろくでなしの男を撮らせたら、どれほど面白いかは前作で立証済みだ。だから本編には期待した。その期待には途中まで充分すぎるほど応えてくれるのだけれど、ストーリーのオチだけが難解だった。

 そもそも人を殺すという仕事は只事じゃない。
 なのにグナムは借金返済のために、その理由も知らされず、実行犯になろうとしていた。どう贔屓目に見ても人生が好転するとは思えない仕事を引き受けざるを得なかった男の悲哀。これは実に良く描けている。しかも結局自らも命を狙われると言う、この手の作品のお約束な展開へと向うのだが、そのスピード感が素晴らしい。観客にも冷静さを取り戻すヒマを与えず、とにかくどうやってこの最悪な状況から逃げ出すかを共に考えるよう、ナ・ホンジンは我々をも追い込んで行く。やがて、あれよあれよと言う間に事は大きくなり、一体何が原因でこんなことになってしまったのか。そもそもミョンに殺しを依頼した人間は誰なのか。またその理由は何なのか。あるタイミングで、ただそれだけが知りたいとグナムにも観客にも思わせる。このリードは見事だったと思う。

 そしてオチである。
 いろんなことが考えられた。ただ確実にこうだ、という答えは僕には出せなかった。
 幸運なことに上映後、監督が登壇しティーチインが行われた。客席からもオチについての質問が飛んだ。そこで監督の意図したことは明かされたが、僕はそう受け止めていなかった。客席からも驚きの声が上がった。
 「実は韓国で公開したときも、『最後の意味が分からない』とネットで話題になったんです」
 と監督。そう言う意味では惜しい。オチのキレが良ければ、かなり高く評価出来る作品だった。
 しかし、ナ・ホンジンの味は存分に堪能出来る。驚くほどのカット数に目をチカチカさせて欲しい。来年2012年1月7日から劇場公開。オチを知った上でもう一度観たい。

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より良き人生(2011年・フランス) [2011年 レビュー]

原題:Une Vie Meilleure/A BETTER LIFE  監督・脚本:セドリック・カーン

 24thTIFF6本目。
 ちょっとした賭けが裏目に出て人生を大きく踏み外してしまう男の物語。かといって奈落へ堕ちて行くだけでのハナシではない。最後は精神的V字回復を果たすのだが、そこがこの映画の見どころである。

 給食センターでコックをしているヤン(ギョーム・カネ)と、ナイトバーでウェイトレスをしているナディア(レイラ・ベクティ)は、ある日出かけた湖畔で空き家を見つける。ヤンはかねてからの夢だった自分の店を持つ決意をし、銀行に融資を申し込む。審査は通ったが、実は「ある」前提だった頭金をヤンは持っていなかった。どうしても自分の店を持ちたかったヤンは、町金で頭金を調達することに。しかし、これがすべての間違いだった…。

 映画は時として“転ばぬ先の杖”になる。
 本作で主人公のヤンが教えてくれるのは、「気持ちが焦ると判断ミスを冒し易い」ということ。
 もちろんサラ金から金を借りる以外に道がないときもあるだろう。僕も若いとき、もう二進も三進もいかなくて、消費者金融で金を借りたことがある。しかし、さすがの僕も「頭金をサラ金から引っ張って、マンションを買おう」とは思わない。そう。目当てがマンションなら「別に必要ない」といった真っ当な理由で過ちを犯すこともないのだが、じゃあこんなときならどうだろう。
 「いいカンジになったのにコンドームがない」
 うわあ、である。なんでこんなときのために用意しておかなかったんだろう、と思う。それはコンドームも貯金も同じこと。チャンスはいつやってくるか分からないのだ。しかし、そんなことを今さら後悔しても仕方が無い。それよりも今、目の前にぶら下がっているチャンスを逃したくないと男なら誰でも思う。だからヤンはイッてしまったのだ。僕はヤンの気持ちが痛いほどよく分かった。男ならほとんどの客がヤンに感情移入を果たすだろう。

 人生とは真夜中にセント・アンドリュースのコースを歩くようなものだ。花道を歩いていたつもりが、一歩間違うだけでロード・ホール・バンカーに墜ちてしまう。
 墜ちてからのヤンの暮らしは悲惨だ。ところが面白いのはここからで、観客は人間の逞しさを思い知るだろう。それは「如何なる状況に追い込まれても、人間は最悪の中の最良を見出そうとする」生き物であることを知るからだ。

 最後にヤンが見つけた“幸福”に心が温かくなること必至。これぞまさに「A BETTER LIFE」
 幸せを手にする方法もきっと見つかる映画。佳作。
 ギョーム・カネが素晴らしく良い。

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