指輪をはめたい(2011年・日本) [2011年 レビュー]
「指輪をはめたい」 監督・脚本:岩田ユキ
久しぶりに小さな新作邦画を観てみた。
構えは小さいけれど、キャスティングは妙に豪華だ。小西真奈美、真木よう子、池脇千鶴。
この3人を相手にするのが山田孝之。がんばれ。
製薬会社の営業マン片山輝之は、30歳目前のある日、営業先のスケートリンクで転倒し意識を失ってしまう。目が覚めてカバンの中を見ると、そこには婚約指輪が…。これは自分が買ったもの?一体誰に渡すつもりで? 輝之は一部記憶を失っていた。やがて輝之の前に彼女だと言う女性が3人現れる。さて輝之は誰と結婚するつもりだったのか…?
自称カノジョの3人が先の3女優。
小西真奈美は製薬会社のヤリ手研究部員。真木よう子は能天気な風俗嬢。池脇千鶴は一本気なひとり人形劇師と、3者3様の設定になっている。
著名な女優を3人も揃えたせいで、結果“大きな風呂敷”を広げたことになってしまった。この中から一人を選ぶのだから、決着のつけ方は相当難しい。そんな状況の中、観客はハッキリしない輝之の言動にヤキモキしながら、事の顛末を見届けることになるのだが、これがちょっと意外な展開をする。これ以上はネタバレになるので自主規制。
「キャスティングは最大の演出である」とは、かつて僕が教わったことで、ここにも何度か書いてきた。本作のキャスティングもなかなか巧い。ポイントは「女優の知名度を利用した演出」である。僕は「こんなやり方もあるか」と感心してしまった。
さて、3人の女優がのびのびとした演技を披露する中、僕は夢か現実か分からない世界にいる謎のスケート少女、エミを演じた二階堂ふみに強く惹かれた。
実は彼女、今年9月のヴェネチア国際映画祭で新人賞を受賞した人。実年齢は16歳らしいが、劇中ではまったく年齢不詳。不思議な魅力を備えた彼女はすべての男の記憶の中で生きている“永遠の初恋の少女”のようだった。こういう出会いがあるから小さな邦画は楽しい。
ちょっと筋違いかも知れないけれど、本作で残念だったのは脚本も書いた監督が女性だったこと。タイプの違う3人の女子を好きになる男の気持ちは、男にしか分からないと思う。さらに男は「なんとかして、この関係を継続出来ないか」と思う生き物なのだが(だって遺伝子がそうさせるのだ)、そんな男のズルさまでは描けていなかった。ここに女性ならではの願望が見え隠れしたのだ。
テーマは面白かったけれど、これを男の脚本家が(たとえば宮藤官九郎とか)書いたら、さてどうだったかなと思いながら、僕は愛する妻と子どもの待つ家路についた。
山田孝之ファンは間違いなく必見。
マリッジブルーになったナイーブな青年を好演している。
ちょっと、どうすんの?
新少林寺(2011年・香港/中国) [2011年 レビュー]
原題:新少林寺/SHAOLIN 監督:ベニー・チャン 主演:アンディ・ラウ
中国の資本と香港の技術が組み合わさると、相応の映画が出来るという証の1本。
「少林寺」というコンテンツのパワーも手伝って、なかなか見応えのある作品だった。
中華民国初年、辛亥革命によって清王朝が倒れたものの、西洋の国内浸食や戦乱で乱れ、軍人たちによる私利私欲の争いが繰り広げられていた。その中に身を置いていた一人の将軍が、部下に裏切られ、最愛の一人娘を失ったことで少林寺に入門し、やがて人々のために身を投げ出して救おうと立ち向かった…。(パンフレットより転載)
タイトルに「新」とあるのは、1982年に公開された「少林寺」を受けてのこと。
僕は観ていないけれど、日本で公開されたアジア映画の配収歴代1位記録を持っているそうで、主演のリー・リンチェイ(ジェット・リー)が大スターになるきっかけとなった1本だ。でもストーリー的な繋がりは皆無。まったくのオリジナルである。
「少林寺」はストーリーというより、武術シーンに主眼が置かれた作品だったらしいが、本作は監督のベニー・チャンが「少林武術の極みである禅武、つまり『武』をもって『禅』を修める、を中心のメッセージにした」と語るとおり、少林寺の教えそのものがストーリーの根底に流れている。そういう意味では若干“お説教臭い”と感じる若い観客もいるかも知れない。もちろん僕はもう若くないので、それなりに心に刺さるメッセージはあったけれど、あまりに真っ当すぎて、この辺りが「中国当局にも好まれる映画を作ったらこうなった」という感じがしないでもない。
ただ、そんな意地悪な観方をしなければ、映画としての完成度は素晴らしく高いと思う。アクションシーンはどれも見応えがあり、特に序盤に展開する馬車での追走劇は久しぶりに手に汗握った。
義侠心あふれる少林寺の僧侶たちにも心打たれる。
ベニー・チャンの言う「禅武」は丁寧に分かりやすく描かれていて、きっと日本人にも受けるだろう。これに影響を受けて少林寺拳法をはじめる人も増えるかも知れない。僕もムスメにやらせようかと思ったくらいだ。ただし少林寺拳法と劇中の少林拳はニアリーイコールであるので要注意。
とにかく(金を掛けただけあって)見どころの多い映画だ。
中でも感心させられたのはスタントマンたちの命がけの演技。ケガ人がどれほど出たかと心配になるほど、彼らが身を賭したシーンは多い。
そんな無名の俳優たちの演技が心を打てば打つほど、実はクライマックスに物足りなさを感じてしまった。少林寺の僧となった浄覚(アンディ・ラウ)と、かつての部下・曹蛮(ニコラス・ツェー)の対決シーンである。どちらが悪いとは言わないが、所詮“殺陣”のレベル。アクション映画のバランスがいかに難しいかを思い知らされた。
ジャッキー・チェンの名前も大きくクレジットされているが、活躍シーンはさほど多くない。ましてやファンを満足させるほどのカンフーシーンもない。なのであまり期待しないように。
ヒロイン、浄覚の妻・顔夕を演じたのはファン・ビンビン。今、サントリー烏龍茶のCMに出ている人だった。キレイだったけど、思いのほか出番が少なくてガッカリ。
細かい点で思うところはいろいろあったけれど、久しぶりに中国&香港のポテンシャルを見せつけられた大作。ジェット・リーも出れば良かったのに。
前田ではない。
プレイ(2011年・スウェーデン/デンマーク/フランス) [2011年 レビュー]
原題:PLAY 監督・脚本:リューベン・オストルンド
24th「TIFF」5本目。
スウェーデンで実際に起きた黒人少年グループによるカツアゲ事件を題材にし、その標的となった白人&アジア人少年3人を、わずか12〜14歳の黒人少年たちが追い込んで行く様を描いた、実験的かつ挑戦的な作品。
本編のほとんどが「子供の世界で起きていること」を客観描写している。
事は人通りの多いショッピングセンターで始まる。
黒人少年グループは、買い物を愉しむ白人とアジア人の少年3人に照準を合わせる。黒人少年たちにはいくつかの作戦があって、この日は「リトル・ブラザー・ナンバー」で行くことを決めた。「ちょっと携帯電話を見せて」と近寄り、一人の少年が「弟が盗まれた携帯電話に似てる」と言いがかりをつけるのだ。
黒人少年たちの作戦はなかなか巧妙で、言いがかりをつけるキレ気味な役もいれば、ターゲットとの間に入って事を荒立てずに済ませようとする仲介役もいる。彼らは基本暴力には訴えない。知恵者なのだ。
子供の頃に一度でもいじめに遭った経験がある人なら、黒人少年グループに追い込まれる白人&アジア人少年の気持ちが手に取るように分かると思う。少年たちがショッピングセンターを出る頃には、心の奥底で眠っていた記憶がぽかりと浮き上がり、あの日の緊張感をまるで昨日のことのように思い出すだろう。
カメラはズームやドリーと言ったカメラワークを行わない客観描写に徹しているため、観客は現場に居合わせたような錯覚を得る仕掛けになっている。強烈な緊張感はそのせいだ。
僕も中学時代、劇中の少年たちのように面倒な連中につきまとわれた経験がある。それは今思えばスピルバーグの「激突!」にも似た執拗さで、怖くなった僕はオトナに助けて欲しいと心から思った。けれどそのアピールは出来なかった。誰かに救いを求めて失敗に終わったときが怖いからだ。だから僕は劇中の白人少年たちのように平静を装っていた。ただ目ではしきりに訴えた。「オトナなら気付いてくれる」と信じていたからだ。しかしそれは僕の妄想でしかなかった。
僕は本作を観て初めて「子供同士の諍いに、いつの時代もオトナは介入しようとしない」ことを確信し、さらに「いじめる側はオトナの介入を許さない圧力を発している」ことを知った。どんなケースでも“いじめの現場”が見えない理由はこういうことだったのだ。
本作にはもうひとつ特筆すべきことがある。
黒人少年たちは私たちのステレオタイプを逆利用していたことだ。本作のテーマもそこに集約されていて、観客は終盤、あっと驚かされる。そして私たちはオープニングのショッピングセンターからすでにステレオタイプで観ていたことに愕然とする。見事である。脚本も、モデルとなった黒人少年たちのレトリックも。
本作は子供同士の諍いに介入するオトナの立場についても一考を迫る。
すべてはステレオタイプがいかに危険な観念であるかを訴えるものだが、テーマと等しくビターな展開がとにかく見事。東京国際映画祭もこの作品にグランプリを与えるようなら、映画祭としてのステージも上がる気がしたほど。
J.A.C.E./ジェイス(2011年・ギリシャ/ポルトガル/マケドニア/旧ユーゴスラビア/トルコ/オランダ) [2011年 レビュー]
原題:J.A.C.E. 監督・脚本・プロデューサー:メネラオス・カラマギョーリス
第24回東京国際映画祭4本目は、いま世界経済の鍵を握るギリシャの作品。
TIFF公式サイトの作品解説に「ギリシャ発の暗黒エンタテインメント!」とあったのが、この作品を観るきっかけだった。ところが本作で描かれる世界は「エンタテインメント」と割り切るには、あまりに恐ろしい現実。これはバルカン半島に巣食うマフィアの実態に基づいた物語だそうだ。
家族をマフィアに殺された少年は、人身売買の“商品”となり、アテネの商家の養子になっていた。ところが養父もマフィアに殺され、少年はかつて父からもらったナイフでマフィアの一人を殺してしまう。そして少年院へ。ところが塀の中までマフィアの手は伸び、少年は脱走を手引きされる。仮病を使って病院へと移った少年はマフィアの罠によって腎臓を摘出されてしまう。今度は臓器売買の“商品”にされてしまったのだ。少年は病院を抜け出し、サーカス団に身を隠すが、身の不幸はこれでは終わらなかった…。
タイトルのジェイスは少年が途中から名乗る名前。
サーカス団には人間に両親を殺されたため、時に凶暴になる子象がいた。その子象がなぜか少年にはなついた。子象の名は「J.A.C.E(Just Another Confused Elephant/群れから離れ、混乱した象)」。少年は叔父の遺言「余計なことは喋るな」を頑なに守っていたため、他人に名前すら明かしていない。ある日、サーカス団で名を聞かれた少年は自らの境遇を重ねて子象の名前を指差す。以降少年は「ジェイス」と呼ばれるようになる。以上がタイトルの理由である。
TIFF公式サイトに「事実に基づく過酷な物語」とあるものの、ジェイスの辿る数奇な運命がそのまま事実とは信じ難い。と言うのも、ストーリーの途中でジェイスが好意を寄せる女性が登場するのだが、この女性とマフィアのボスの関係が、物語としては“かなり出来過ぎ”な関係だったからだ。
また「今もなおバルカン半島全体で行われている」(監督)という人身売買や臓器売買の問題を取り上げながら、この2人の関係だけが極めてドラマ的なシークエンスで、僕の目にはいかにも“付け足した”ように映った。だからジェイスのような子どもはいたにせよ、ジェイス自身は架空の少年と観るのが懸命だと思う。
もしも本作が日本で公開されたら、「どこまでが事実で、どこからがフィクションなのか」は気にせずに観るのがいいだろう。それでも充分過ぎるほど衝撃的な作品だからだ。
なにより子どもを食い物にするマフィアの実態は目を覆いたくなるほど卑劣である。これが大航海時代ならいざ知らず21世紀の今に行われていることかと思うと、幼い子を持つ親としては激しい怒りに駆られる。
しかしマフィア以上に許されないのは、その顧客である。
マフィアからすれば「欲しいという客がいるから手配しているだけ」に過ぎない。しかも反社会的な行為に及ぶ人間が、往々にして社会的地位の高い人間であることにも憤慨する。
ドラマは途中から幼児売買を行うに至ったマフィアの背景にまで言及し、いささか散漫になるが、バルカン半島の暗黒面を世界に告発した価値ある1本と言っていい。
アナザー・ハッピー・デイ(2011年・アメリカ) [2011年 レビュー]
原題:ANOTHER HAPPY DAY 監督・脚本:サム・レヴィンソン
国際映画祭のいいところは、外国人の観客と一緒に映画を観られることだ。
サンダンス映画祭で脚本賞を受賞した本作は、大家族が内包する摩擦や対立を「笑わずにはいられない」ところまで昇華させたヒューマン・コメディ。しかし僕たちは外国人客のリード無しに笑えるシーンは少なかったと思う。事態(ストーリー)はそれほど深刻だった。
リン(エレン・バーキン)はドラッグ依存症の長男エリオット(エルザ・ミラー)と、自閉症の二男ベン(ダニエル・イエルスキー)を連れて実家へと向っていた。最初の夫ポール(トーマス・ヘイデン・チャーチ)との間に産まれた長男ディランの結婚式に出るためだ。集まった家族は誰もが某かの問題を抱えていた。中でもリンはディランの継母(デミ・ムーア)の存在が気に入らなかった…。
親戚という存在はとかく厄介なものだ。
血縁関係という目に見えない鎖に縛られ、時に友達にもなれないような他人と交わらなければならず、気にかけたくもない子どもにも目を配らなければならない。これが赤の他人なら“関わらなければ済む”ハナシだが、親戚関係にあると否応なしに“面倒なことの一端を担がされる”のだ。
アメリカの大家族の物語である。だからと言って日本人に突飛なエピソードが紡がれるわけではない。
両親の離婚によって引き離され育てられた兄妹の苦悩。子供2人の親権を得られなかった母親の後悔。後ろ向きな母親と問題を直視しない父親にいらだちを隠せない長男。そんな長男も含め、誰にも心を開けない二男。姉の家族のごたごたをゴシップ記事のように笑う妹たち。実母を蔑視する継母。継母の存在を妬む実母。その怒りを母にぶつける娘。そして無関心な夫たち…。結婚式という人生で一番幸せな瞬間に、家族全員がカオスへ迷い込む。
ここで恐ろしいのは、「この中でまともなのは自分だけ」と全員が思っていることだ。そう気づいた瞬間から観客は笑えなくなる。それはまさしく自分のことでもあるからだ。
序盤、外国人客のリード無しに笑えなかったのは、この作品の目指すところが今ひとつ見えなかったから。
しかし監督は中盤、ドラック依存症のエリオットに“目からウロコ”の台詞を与え、観客に明確な行く先を示す。
「9.11のときは人生で一度だけ家族の絆を感じたときだった。悲劇が起きないと絆を感じられないなんて皮肉だね」
この10年で最高の台詞だと思った。
今の時代の確信を突いた、これは21世紀の「定説」である。
この台詞以降本作は一気に観易くなる。さらにエリオットの言葉をそのまま証明することになる結末も捻りが利いていて良い。「絆」という言葉が巷にあふれている今の日本だからこそ、この映画は一般公開され、多くの人に観てもらいたいと思った1本だった。
顔の皺という皺を全部見せたエレン・バーキンと、自身のキャラクターを前面に出して圧倒したデミ・ムーア。見事という他ない女優2人の対決も見物。
佳作。
カウボーイ&エイリアン(2011年・アメリカ) [2011年 レビュー]
原題:COWBOY & ALIENS 監督:ジョン・ファヴロー
前略、スティーブン・スピルバーグ様
あなたが製作総指揮をつとめた新作、拝見しました。希代の007俳優ダニエル・クレイグと、盟友ハリソン・フォードを起用して作ったSF映画。
なんですかコレは。あなたはどうしてこうも宇宙人映画を作りたがるんですか。
2006年にグラフィックノベルとして発表された原作。これをあなたは「なぜ映画化されなかったのか不思議なほど、すごい原作」と言ったそうですね。どこがスゴイんですか?。子供向けコミックの編集会議ネタレベルじゃないですか。でもあなたは「しめしめ、これでまたUFO映画のネタが出来た」と思ったのでしょうね。フツーの映画人はそんなこと思いません。「カウボーイ&エイリアン」ってあなた、日本に置き換えたら「侍と宇宙人」ですよ。ぷぷ。ちょっと笑ってしまいました。え?それもイケるんじゃないかって?。そんなことを言うのはあなたと矢追純一さんだけです。でもマジ作るんなら、監督は三池崇史さんでお願いします。
スピルバーグ様。
あなたにとって宇宙人映画は「未知との遭遇」と「E.T.」の2本で充分だったんじゃないですか?
我々はあなたのせいでいろんなUFOと遭遇し過ぎて、全然「未知」じゃなくなりました。我々にとってはUFOはもう、時々ひょっこり帰って来る寅さんレベルです。だからって、我々が驚かなくなったからって、何もカウボーイにUFO見せることはないでしょうよ。ダニエル・クレイグもハリソン・フォードも金欲しさにこんな仕事受けてんじゃないよ、と言ってやりたいくらいです。
いやこれが100歩譲って、脚本がおもしろければいいですよ。でもつまらないじゃないですか。いろんなものが強引すぎるじゃないですか。たとえばドラマの鍵を握る謎の女性エラに、終盤どえらい台詞を言わせますよね。私は思わず仰け反り「おまえはウルトラセブンか」とツッコミを入れてしまいましたよ。まったく。
スピルバーグ様。
唯一私が良かったと思ったのは、「トロン:レガシー」に出演していたオリヴィア・ワイルドさんのキャスティングです。これは良いっ!すごく良いっ!でもあなたの仕事じゃないですね。キャスティング・プロデューサーに「Good job!」と伝えて下さいませ。
それとダニエル・クレイグ、格好良過ぎ。彼主演の純粋な西部劇が観たくなりました。ハリソンもなかなかだったけど、やっぱり老けたましたね。
最後にスピルバーグ様。
あなた様のお名前はそろそろ“逆パブ”になりつつあるようです。草々。
少林寺木人拳(1976年・香港) [2011年 レビュー]
原題:少林寺木人巷/SHAOLIN WOODEN MEN 監督:チェン・チー・ホワ 総監督:ロウ・ウェイ
今年ジャッキー・チェン出演100作目となる「1911」が公開されるのを記念して、wowowではそのうちの35作品を一気に公開。その中にはロー・ウェイプロダクション時代の初期作品も含まれていて、なかなか興味深いラインナップになっている。そこで観たものも観ていないものも合わせて、ここにレビューの無い作品をチェックしようと思う。その第1弾が本作。ジャッキーにとっては映画出演11本目。コミカルカンフー確立以前のなかなかシリアスなドラマである。
少林寺で修行をする一龍(ジャッキー・チェン)は、幼い頃何者かによって父を殺され、その仇を討つためにカンフーを学んでいた。少林寺には木人路と呼ばれる修行の難関があり、数十体の木人を相手に闘い抜くことが出来れば免許皆伝、下山が許された。一龍は少林寺の住人2人からカンフーを習い、見事木人路を突破するが、父の仇は意外な人物だった…。
実は本作、ジャッキー・チェンが整形する直前の作品である。
ジャッキーの目は完全に一重まぶたで、今の顔からは想像出来ないくらい腫れぼったい目をしている。今思えば、こんな顔でよく主役を張れたもんだと思うが、香港映画界もロウ・ウェイもブルース・リーの後継者探しに必死だったことが伺える。
さて肝心なドラマは、観るうちに展開が容易に想像出来る生温いものだが、70年代に作られた時代劇と思えば許せる範疇。木人の造形や動きが緩いのもご愛嬌。香港映画界はブルース・リー亡き後とにかく迷走していたのだ。
ただしオープニングで披露されるジャッキーの演武と、クライマックスの対決はとにかく単調で飽きる。音楽も京劇の録音を切り貼りしたような間の悪さで耳には辛かった。
ジャッキーの成長アルバムの1ページを観るつもりで。期待は禁物。
ちなみにユン・ピョウがチンピラ役でエキストラ出演している。その他大勢の中にあって、キラリと光るものを持っているように見えるのはひいき目だろうか。
猿の惑星:創世記(2011年・アメリカ) [2011年 レビュー]
原題:RISE OF THE PLANET OF THE APES 監督:ルバート・ワイアット
ハリウッドの続編ビジネスはおよそ3つのパターンで括られると思う。
第一は純然たる「続編」
よせばいいのにと思う続編が圧倒的に多いが、中には「ゴッドファーザー PARTⅡ」のような秀作もある。調子に乗ってシリーズ化することも度々。
第二は「リメイク」
かつての名作を新たな解釈で、とか、現代に置き換えて、とか、デジタル技術で、とか言い訳はいろいろあるが、とにかく話題にはなり易い。だから手を出す人が多い。
第三は「オリジナル以前」
主人公が死んでしまった場合によく使われる手で、いわゆる若かりし頃のお話パターン。僕の記憶に残る一番酷い作品は「新・明日に向って撃て!」で、これはオリジナルの看板に泥を塗った駄作だ。
「オリジナル以前」作品に課せられたミッションは、いかに無理なく、また美しくオリジナルに繋ぐかである。しかも一作品としてのクオリティも保たなければならない。ハードルは意外と高いのだ。
これらの作品は、「THE EARLY DAYS」「FIRST」「BIGINS」あるいは「RISE」と言ったワードを含むタイトルが多く、本作「猿の惑星:創世記」も原題の通り、オリジナルに至る道程を描いたものである。
テーマは「地球はいかにして類人猿に支配されることになったのか」。
本作は、とてもよく練られた脚本だったと思う。そもそも「アルツハイマー治療の実験で、開発中の新薬をチンパンジーに投与する」という設定が巧かった。これ一発で僕はストーリーの波に乗り、一匹のチンパンジーの数奇な運命を俯瞰することが出来た。
さらに特筆すべきは主人公チンパンジーのシーザーは言葉を持たないという点である。彼はその演技でもって、人間並みの知能を持ってしまったチンパンジーの悲哀を表現してみせた。その仕事をこなしたのは「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムや「キング・コング」のコングを演じて来たアンディ・サーキスである。VFXの技術もさることながら、ボディランゲージのみで感情移入させるテクニックは見事という他ない。
またオリジナルほどではないが現代社会への風刺も効いていて、「製薬会社は国民の健康に貢献すると言いつつ、実は株主の利益を追求しているに過ぎない」というメッセージは、耳が痛い人も拍手を送りたい人も大勢いることだろう。それにしても人間とはなんと愚かな生き物であるかを思い知らされる1本でもあった。
さて「オリジナル以前」の作品は、オリジナルへバトンを渡すためにいくつかの宿題をこなさなければならない。本作で言うなら「類人猿はいかにして言葉を持ったのか」と「人類はいかにして絶滅したのか」である。もちろん宿題は提出された。その答えも80点は付けられると思う。特に後者の宿題の解き方は巧かった。
佳作。原作により近いと言うティム・バートン版も観たくなった。
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キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー(2011年・アメリカ) [2011年 レビュー]
原題:CAPTAIN AMERICA:THE FIRST AVENGER 監督:ジョー・ジョンストン
これは1941年3月に発売されたマーベルコミック。「キャプテン・アメリカ」初登場時の表紙である。
星条旗をモチーフにしたコスチュームの青年が、ヒトラーを殴りつけるという、政治的メッセージの色濃い第1号が発売されたのは、ドイツがアメリカに宣戦布告する9ヶ月前のことだった。
僕はアメリカ人でもなければ、アメリカで暮らしたことも無いので、アメリカ人にとってのキャプテン・アメリカがどういう存在なのか理解していない。ただ、この表紙を見る限り「星条旗をまとって正義を振りかざしている」ことだけは事実で、ハリウッドにしてみれば、マーベルコミック、DCコミック全キャラクター中、最も映画化し難い素材だったのではないかと想像する。なぜならハリウッドは海外での売り上げに大きく依存しているが、一方で“世界警察”を自負するアメリカに拒否反応を示す国も少なくないからだ。マーベルにとっても、ハリウッドにとっても、キャプテン・アメリカが海外セールスで苦戦する様は、容易に想像が出来ただろう。
そんなキャプテン・アメリカが、今年21年ぶりに映画化された(日本公開は初)。「なぜ今さら?」と思ったら、これはマーベルとその親会社ディズニーの周到な計画によるもので、すべては2012年夏に公開予定の「アベンジャーズ」を成功させるための布石だった。
「アベンジャーズ」はマーベルコミックに登場するキャラクターの集合体。キャプテン・アメリカ、マイティ・ソー、アイアンマンが「ビッグ3」と呼ばれていて、すでに成功をしているアイアンマンに続き、マイティ・ソー、キャプテン・アメリカの映画を順次公開し、そこからオールスター映画「アベンジャーズ」へつなごうとする戦略らしい。だから意地悪な言い方をすれば本作は「前説」、あるいは「プロローグ」ということになるのだが、実はこれがなかなか面白かった。
僕が一番感心したのは、アメリカ国外で嫌われかねない、そのコスチュームを逆手に取った脚本である。
PR用のパンフレットにはこんなコピーがあった。
「なぜヒーローは変身し、コスチュームを身につけ、アイテムを持つのか?全ての答えはこの映画にある」
まったく偽りなしである。それどころか納得のプロットで個人的には腑に落ちた。特にアイアンマン=トニー・スタークの父、ハワード・スターク(ドミニク・クーパー)を登場させたのも効いている。実は本編、エンドロールの後に「アベンジャーズ」への橋渡しとなるシーンがあって、思わずニヤリとしてしまう。お見逃しの無いように。
3Dロードショーである。
3D作品としても非常に良く出来ていて驚いた。おそらくちゃんと3Dカメラで撮影したと思われ、かつ3Dを前提にセットもカット割りも作られていたと思う。とにかく奥行きを意識したカメラワークが見事で、「アバター」以来初めて感動した3Dだった。
ヒーロー映画にしては珍しくヒロインが美人なのも良し。
男性以上にタフな女将校ペギー・カーター(ヘイリー・アトウェル)。特に目を引く彼女の赤いルージュは、意図的に配色されたものと思われ、ダークな色味になりがちな画面にアクセントをつけると同時に、強い牽引力を持った唇でもあったと思う。
敵役のシュミット/レッドスカルを演じたのは、「マトリックス」のエージェントスミス、ヒューゴ・ウィーヴィング。レッドスカルになってしまうと、ときどき「男梅キャンデー」の男梅三に見えて困ったけれど、シュミットとしての彼は存在感もあって、敵役としては申し分なし。
結論。ヒーローものとしては久々の当たり作品。
時代設定が40年代でありながら独創的なプロダクションデザインにも好感が持てた。
「マイティ・ソー」も観て、「アベンジャーズ」を心待ちにしよう。
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世界侵略:ロサンゼルス決戦(2011年・アメリカ) [2011年 レビュー]
原題:BATTLE:LOS ANGELES 監督:ジョナサン・リーベスマン
ロサンゼルスを舞台にエイリアンの侵略を描いた作品である。
そんな作品が今年は2本あった。
6月18日公開の「スカイライン−征服−」と、9月17日公開の「世界侵略:ロサンゼルス決戦」。僕はどちらの予告編もiTunes Movie Trailersで早くに観ていた。中でも民間人がUFOにもりもり吸い上げられるシーンを観たとき、これはゼッタイ映画館で観ようと思った。
そして今日。僕は劇場で嫌な感じがしていた。民間人がいつまで経っても出て来ないのだ。やっと出て来たと思ったら、たったの5人である。「うおい、こっちじゃねーよ」と気がついたときには既に1時間以上経過していた。まったくとんまにもほどがある。
マイケル・ナンツ曹長(アーロン・エッカート)率いる海兵隊2-5小隊の10名は、訓練中に招集をかけられる。基地に戻るとCNNがエイリアンの襲撃を告げていた。空から海から怒濤の攻撃を受けるロサンゼルス。エイリアンを撃破すべく2-5小隊も市街へと向かうが、エイリアンたちの火力は圧倒的だった…。
ふと振り返れば、地球は夏祭りくらいの頻度でエイリアンの攻撃を受けているように思う。
特に今年は多かった。メジャーどころだけでも「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」と先の2本を合わせて3度である。さすがの祭り好きもきっと「全部は行かねーよ」と言うに違いない。
古くは1953年の「宇宙戦争」からである。長生きしている映画ファンは「またエイリアンが攻めて来たのか」と思うだろう。それでも観てみようかなと思わせるのは、新たなアプローチに期待するからだ。
「スカイライン−征服−」と本作を取り違えていたのは僕自身のミスだから諦めるとして、それでも本作に期待するところはあった。タイトルにロサンゼルスと打った作品である。
「有名なランドマークをどうやって壊すんだろう?」
僕の期待はこの1点に注がれていた。
ところが、そんなシーンは1ミリもなかった。ハリウッドサインも、ビバリーヒルズも、ドジャースタジアムも、ロサンゼルス国際空港も、ディズニーランドも、チャイニーズシアターも、どこも出て来ない。これはガッカリである。アーロン・エッカート率いる小隊は瓦礫の山と化した、どこだか分からない場所をただ彷徨っているだけ。しかも画が狭いと来てる。
「どこがロスなんだよ」
僕は完全に失望してしまった。
潜水艦映画によくある、エリート上司v.s叩き上げの部下というプロットが採用されていたのはちょっと意外だった。まさか小手先の人間ドラマを見せられるとも思っていなかったから。
圧倒的な兵力を持つエイリアンとどう決着をつけるのか、途中からかなり気になるのだが、その決着の付け方がこれまた如何にも映画的で、まったく納得が行かなかった。
結論。これは「風呂敷を広げたはいいが、完全にたたみ損ねた」映画。
「スカイライン」観たいなあ。