クラウド アトラス(2012年・アメリカ) [2013年 レビュー]
原題:CLOUD ATLAS
監督・脚本:ラナ・ウォシャウスキー、トム・ティクヴァ、アンディ・ウォシャウスキー
久しぶりに劇場に足を運びました。
172分の大作ですがまったく飽きることなく観られた面白い映画でした。でも「どう面白かったのか」を伝えるのがとても難しい映画だったので、今日はまず「面白い」の定義についてお話しします。
そもそも「面白い」と「面白くない」の分岐点はどこにあるのでしょうか。
僕が思うにそれは「観客が作り手の意図を理解できたか否か」にあると思います。
作り手は当然「自分たちなりに面白いもの」を作ろうとします。それが古典的であろうと革新的であろうと、自分の感性と価値観と先見性を信じて、ものづくりに励みます。
たとえば「ダンディなスパイが次々と難局を乗り越え、祖国の危機を救う」という映画があったら面白いんじゃないか、と思ったプロデューサーがいます。彼はその着想を別の作り手と共有し、1本の映画に仕上げ、世に送り出しました。映画はプロデューサーの想像を超える大ヒットとなるのですが、これは多くの観客が「プロデューサーの意図に共鳴し、面白さを理解した」からだと思うのです。
つまり「面白い」と「理解」はイコールで、逆にヒットしない映画は「観客の理解を得られない、ちょっと分かり難い映画」だからではないでしょうか。
ただ「理解」のスピードは作品によって異なります。分かり易い映画は瞬時に理解出来ますから、伝播のスピードも速く、瞬く間にヒットします。一方、テーマが精神世界に及んでいたり、表現や設定がトリッキーだったりすると観客は戸惑い、理解に時間がかかります。
それでも何日か後ふとした瞬間に、すとんと“理解の塊”が降って来るときがあります。まるで中年の筋肉痛のようなタイムラグは、作品に籠められたメッセージが深ければこそです。そうして誰かが気付いた「映画の見方」が口コミで広がると、ゆるやかにヒットするというケースもあります。残念ながらそれがDVDリリースのタイミングになるときもあるのですが…。
「クラウド アトラス」もそんな作品です。
僕は「興行成績は芳しくないだろうな」と思いながら観ていました。映画の構造以上にテーマの偏差値が高く、一度観たくらいではなかなか理解し難い作品だったからです。では、ウォシャウスキーたちはなぜこんな作品を作ったのでしょうか。
それは作り手の“ある想い”が関係しています。
作り手は皆、自分の中に「表現したい何か」を持っています。
言い換えれば「自分の感性と価値観と先見性をカタチにして、身体の外に放出したい」という欲求です。ただしこれは作り手を目指すときの動機に過ぎません。実際に作り手側に回ってみると「欲求の放出」はマスターベーションに過ぎないことに気付きます。
ものづくりを自己満足で終わらせないためには、金と名誉を手にする必要があります。商業映画の場合は興行的な成功以外に目指すべきゴールはありません。ところがそのゴールテープを何度も切ってしまった一握りの作り手たちは、さらなる高みを見ようとします。その頂きにあるのは何か。「永遠の命」です。
人はいずれ死にます。しかし評価された芸術は死にません。ダヴィンチは死んでもモナリザは生き続け、モネは死んでも睡蓮は咲き続けています。アーティストの村上隆は自著「想像力なき日本」でこう言いました。
「“時のふるい”にかけられたときに、残ることができるか、できないか。ある意味でぼくは、死後に備えて作品をつくり続けているとも言えるのです。それは『死んでからが勝負』という発想です」
ウォシャウスキーたちの“ある想い”とは「いずれ肉体は朽ち果てようとも、己が魂は遺したい」、つまり「永遠の命を持った映画を作りたい」ということです。
では「永遠の命を持つ映画」とはどんな作品なのでしょうか。
それはきっと「一度観れば充分」という単純な映画ではないはずです。僕ならば「人々の記憶にこびりついて離れず、何度も観たいと思わせる映画を作りたい」と考えます。となると目指すべき道は自ずと見えて来るでしょう。
それは「普遍的であること」。
チョイスしたテーマは、「人類永遠の謎」でした。
【1849年、南太平洋。波乱に満ちた航海の物語】
【1936年、スコットランド。幻の名曲の誕生秘話】
【1973年、サンフランシスコ。巨大企業の陰謀を暴く人々】
【2012年、イングランド。ある編集者の大脱走】
【2144年、ネオソウル。伝説のクローン少女と革命兵士】
【そして遥か未来。崩壊した地球での戦い】
さて。
僕が「面白かったけれど、面白さを伝えるのが難しい映画だな」と感じたのはこの部分です。
つまりこの作品は「自分にとっての『人類永遠の謎』と向き合い、その答えを自分なりに見出す映画」なのです。
ウォシャウスキー姉弟とティクヴァは、いい映画を作ったと思います。観客は観るタイミングによって受け止め方を変えるでしょうし、観れば観るほど自分の内にある「人類永遠の謎」への理解を深めることでしょう。
原作未読を先に断っておきますが、一人の役者が時代を超えて異なる人物を演じる、というアイディアは実に映画的だったと思います。本作は「ソウルメイト」もモチーフのひとつですが、分かり易さという点においては確実に原作を上回っているはずです。俳優の特殊メイクは単なる“見世物”と見えなくもないのですが、本作の正しい見方さえ心得れば、余計な雑念は消えることでしょう。
個人的には、僕にとっての永遠のアイドル、ペ・ドゥナ観たさで劇場へ行ったようなものなので、ネオソウルを舞台にしたエピソードが一番愉しめました。
彼女は「空気人形」に続いて、血の通わないアンドロイドを演じたわけですが、無表情の中に見せる喜怒哀楽がここでも素晴らしかった。このエピソードを見るためだけに1800円払う価値がありました。
最後に本作を愉しむためのアドバイス。
「物語を俯瞰して下さい」
僕は「人間の身体は所詮《乗り物》でしかない」という思いを新たにしました。それは「人が生まれて来た意味は一代では出せないのだ」と言うこと。
この映画に救われる人がきっといると思います。
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イップ・マン 誕生(2010年・香港) [2013年 レビュー]
原題:葉問前傳/THE LEGEND IS BORN - IP MAN
監督:ハーマン・ヤオ
脚本:エリカ・リー、リー・シン
ヒット作の続編でいわゆる前日譚にあたるものは、およそ駄作が多いと警戒している。
今までで一番痛い目に遭ったのが「新・明日に向って撃て!」であることは、ここに何度も書いて来た。はたしてイップ・マンの場合はどうだろう。
「誕生」編は、6歳で詠春拳を学び始め、やがて成人して家庭を持つまでが描かれている。
敵役に日本人が配置されているのは過去2作と同じ。ここに幼なじみとの三角関係という要素が加味されて、文字通りイップ・マンの「青春時代」を描いたストーリーだが、物語としてはあまりにも平凡だ。
日本人の設定(悪徳貿易商人)も使い方(裏金を受け取らない中国人をシメる)もパンチに欠けるし、そもそも演じる澤田拳也がイマイチで(髪型なんてコシノジュンコだし)、我々が日本人であることを忘れてもカタルシスを感じるに至らず、なんともお粗末な復讐劇となっている。
初恋のシークエンスは、相手役のチャン・ウィンセンがまずまず可愛かったので百歩譲るとして、さて一番肝心なのはカンフーシーンである。
イップ・マンを演じるのはもちろんドニー・イェンではない。
ドニー・イェンに似たデニス・トーという無名の俳優である。実際に6歳の頃から武術を習い始め、18歳のとき史上最年少で「世界武術選手権大会」(知らないけど)で優勝したことがあるらしい。確かに(ドニーほどではないけれど)技は悪くない、しかしカンフーシーンの大半はフィルムが早回しされていて、これには興ざめしてしまった。
「序章」と「葉問」の最大の見どころは、間違いなくドニー・イェンのカンフーだった。
流れる水のような、無駄の一切無い、美しくも激しいカンフー。
それが今回は「完全に作られたもの」に見えてしまったのが残念だ。役者がどう頑張っても動きが遅く見えるのなら、その先の工夫は監督が行うべきである。
カット割りを熟考して撮影し、編集で劇的に見せる方法はきっとあったと思う。
無名の俳優を使う保険として、懐かしい人たちが担ぎ出されている。
サモ・ハン・キンポーとユン・ピョウ。「燃えよドラゴン」にエキストラ出演していた2人が、ブルース・リーの師匠の映画に出て来るのだ。まだ幼いイップ・マンの前で手を合わせる2人のシーンは、長年カンフー映画を観て来た者には実に感慨深い。個人的にこのシーンだけは観る価値があった。願わくばジャッキーも交えた3人の新作映画を観てみたいと思う。
イップ・マンの実の息子、という人も出て来る。スタッフの顔色を伺いながらセリフを棒読みする老人がいて、何者かと思ったらこれがイップ・チュンだった。スタントマンを使ってはいるが、この人とデニス・トーの組み手も見物。
しかし主軸のストーリーはどうにも貧弱で、やはり「前日譚」に佳作無しの証明になってしまった。
残念。
プロメテウス(2012年・アメリカ) [2013年 レビュー]
原題:PROMETHEUS
監督:リドリー・スコット
脚本:ジョン・スペイツ、デイモン・リンデロフ
この映画の成り立ちを今日まで知らずに観ることが出来た僕は幸運だった。
劇場公開時のコピーは「人類はどこから来たのか」だった。続けて「人類最大の謎、それは《人類の起源》」とも。
これを日本の配給会社が付けたのなら、その宣伝部の勇気に拍手したい。なぜならこれを「意図的なミスリード」と憤る人もいたと思うからだ。
僕が憤るどころか、逆に感心している一番の理由は、そんなコピーであっても途中までは“受け売りの疑問”を抱いたまま、充分に観ていられたからだ。一定の年齢を超えていて勘の良い人なら「これってもしや…?」と早い段階で気付いたことだろう。僕もそう思わないでもなかったが、そのタイミングはずいぶん遅かったし、結果的にはラストシーンで「そういうことか!」と驚いたのだから、僕は勘が鈍かったおかげで結果的に得をしたことになる。アタマの回転が鈍いと世の中新鮮なことだらけだ。
2089年。世界各地の遺跡から共通するある“サイン”が発見される。それは地球外生命体からの招待状と確信した科学者のエリザベス・ショウ(ノオミ・ラパス)は宇宙船プロメテウス号で約2年の航海に出る。目的の惑星に到着した探索チームはさっそく謎の解明に乗り出すのだが…。
映画冒頭で取り上げられる「地球外生命体」からの“サイン”は、プロメテウスと観客を宇宙へ連れ出すための壮大な言い訳だ。
僕も「人類はどこから来たのか」というコピーに引きずられたから、“サイン”の謎が蔑ろにされている本編にいささか違和感を感じていた。しかし、あのコピーさえ忘れてしまえば、“サイン”の存在はただの前フリだと理解し、ストーリーが本筋(と勝手に解釈したもの)からどんどんズレて行く違和感もなくなる。ただし、あのコピーがあったからこそ僕は最後のオチに驚いたのだから、まさに諸刃の剣のようなコピーだったのだ。だから僕はミスリードされたものの憤ることなく、最後に口をあんぐり開けたというわけだ。
それにしても、さすがリドリー・スコットで、いろんなもののビジュアルが見事だった。
プロダクション・デザイン、キャラクター・デザイン、衣裳。本作はまぎれもなく「見せる」映画だったと思う。ブルーレイで観たせいもあるけれど、ファーストカットからして素晴らしく美しかった。
俳優陣で群を抜いて良かったはアンドロイド役を演じたマイケル・ファスベンダー。「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」で若き日のマグニートーを演じた役者だけれど、彼が見せた「無表情の中にある自己主張」は完璧だったと思う。
本作を観てしまうと、やはりリドリー・スコットの出世作を観直したくなる。アンドロイドがクビをへし折られて尚コミニュケーションを取るシーンは、間違いなく「エイリアン」である。
リアルタイムで観たのは1979年8月31日。高一の夏休み最後の日だった。映画ノートにはこうあった。
「寿命が3日ほど縮まった。しかし3日長く生きるより、この1本の映画を見る方が価値があるように思えた」
伝えられるものなら、この日の自分に言ってやりたい。
「33年後にこの監督がまた面白い映画を撮るから楽しみにしてな」と。
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酔拳 レジェンド・オブ・カンフー(2010年・中国) [2013年 レビュー]
監督:ユエン・ウーピン
脚本:クリスティン・トー
まさか2013年にユエン・ウーピンの名前を聞こうとは。
言わずと知れたジャッキー・チェンの出世作、「ドランク・モンキー/酔拳」(1978)の監督で、その後は「マトリックス」(1999)のカンフー・コレオグラファー(振付師)、「グリーン・ディスティニー」(2000)のアクション監督、「キル・ビル」(2003)の武術監督を務め、ハリウッドでもその名を知られることになったユエン。でもこれが監督となると1999年のテレビシリーズ「新・少林寺IV」以来。一体誰がユエン・ウーピンにやらせようと思ったんだろう。それとも彼自身の企画だったのか?
本作は「ドランク・モンキー/酔拳」でジャッキーにカンフーを教える師匠として登場した伝説の武術家、スー・サンの若かりし頃の物語、ということになってます。スー・サンは伝説上の人物であり、史実もへったくれもないのだから、これは完全なるフィクションということでいいんだろう。
時は1681年、清朝時代。戦で高名をあげたスー・サン(チウ・マンチェク)は知事の職を与えられるが、それを異父兄弟の兄ユアン(アンディ・オン)に譲り、自分は妻子と共に静かな土地で武術を極める道に入る。この義兄弟。実はスー・サンの父が、ユアンの父を殺害していた過去があった…。
スー・サンは映画の冒頭で完全無欠の武術家であることが語られます。
ルックスもいい、性格もいい、そして腕も立って、嫁さんも美人(趣味じゃないけど)。だから「なんでこの男が、わざわざ酔拳を会得することになるんだ???」と思います。
まあ、ここまではいい。
でもこの先がハチャメチャなんです。とにかくユアンのキャラが濃すぎて、ドラマの軸がブレブレになります。僕に実写版「デビルマン」を思い出させました。それはダメでしょう(笑)。
酔拳ですから当然「酔わずにはいられない」ってことでいいんですけど、そこに辿りつくまでが長すぎる!それに見世物としてのカンフーがまったくなってない。ユエン・ウーピンは完全にハリウッドで毒されて、カンフー映画の基本を忘れてしまっています。ワイヤーに頼らず、肉体重視で行きなさいよ!ワイヤーに吊ってる時間が長いと、あやつり人形みたいな動作になっちゃうから、ブルース・リーからカンフーを観ている世代には辛いんですよねえ。
本作に限っては完全に邦題にダマされました。まったく観る価値なしの1本です。
ピラミッド 5000年の嘘(2010年・フランス) [2013年 レビュー]
原題:LA REVELATION DES PYRAMIDES
監督・脚本:パトリス・プーヤール
「5000年の嘘」とはなんとも派手なタイトルである。原題は「ピラミッドの暴露」。
邦題を聞いたとき、5000年もの間、ピラミッドのことについて誰がウソをついてきたのだろう、と思ってしまった。そもそも何が本当で何がウソなのかすら分からないのに。
ギザの三大ピラミッドを実際に見たことがあるかないかで、関心の度合いも違うと思う。この映画がアメリカではなく、フランスで作られたのも、ピラミッドとの距離感によるところが大きい。幸いなことに僕は一度だけピラミッドを見たことがある(正しくは一度ではなく、5日間あらゆる角度から見続けたのだけれど)。そして見れば誰もが同じ疑問に行き当たるのだ。
「誰が、何のために、どうやって、この巨大建造物を建てたのか?」
一般的に知られる仮説は王の墓である。それをエジプトの民が(建築方法は謎だが)20年で完成させたということになっている。本編の「5000年の嘘」は、この定説にかかっていると言っていい。
僕は元エジプト考古庁長官のザヒ・ハワス博士が、クフ王のピラミッドは「クフ王の墓」であると信じて、中からクフ王のミイラを発見することに情熱を燃やしていたことを知っている。
しかしこの映画は王墓説を完全に否定している。
ではピラミッドの正体をなんと説いているのかというと、それについては何も無いのだ。
何を隠そうこの映画は、広く知られた仮説を否定しながら、しかしそれに代わる新説を提示しないという、なんともおかしな映画なのである。
いささか強引な事実関係の提示はある。
そのひとつが「赤道と同じ長さで、30度傾いている幅およそ100キロの円周上に、数多くの遺跡が並んでいる」というもの。
ナスカ、マチュピチュ、クスコ、ペトラ、モヘンジョ・ダロ、スコータイ、アンコールワット、イースター島。これらはそれぞれの位置が黄金律と関係していて、ピラミッドの2辺の和は自転速度に等しいなどなど。
映画では何を言わんとしているかというと、「地上から消えた古代文明の警告」らしい。じゃあその「警告」とは何なのか。それは教えてくれない。本編ナレーションに「疑問だらけでめまいを覚える」とあるのだけれど、「疑問を解決してから映画にしてくれ!」と思ったのは僕だけだろうか。
そもそもナレーションの情報量が多すぎて、字幕についていくのが精一杯。画を見る余裕はほとんどなく、突飛なハナシを理解する暇もない。
近年観終わったあとに、これほど「で、なんだったの?」と思った映画もなかった。
ただただ疑問と疲労が残るだけ。回避が賢明。
裏切りのサーカス(2011年・イギリス/フランス/ドイツ) [2013年 レビュー]
原題:TINKER TAILOR SOLDIER SPY
監督:トーマス・アルフレッドソン
脚本:ブリジット・オコナー、ピーター・ストローハン
雰囲気はすごく良い映画なんですけどねえ。原作を読んでないとまったく面白くない映画の典型です。
時は東西冷戦下。イギリスのMI6(通称サーカス)とソ連のKGBは様々な情報戦を繰り広げていた。
そんな中、MI6のリーダー“コントロール”(ジョン・ハート)は、内部に二重スパイ「もぐら」がいることを確信するも「もぐら」を捕まえる作戦に失敗。コントロールは右腕であったスマイリー(ゲイリー・オールドマン)とともに引退を余儀なくされる…。
と、これくらいのことも、実はよく分からずに観ていました。
繰り返しますけど、本当に雰囲気はいいんですよ。絵の切り取り方もキレイだし、含みを持たせたカットの積み重ねが、質のいい小説を読んでいるような気にさせてくれます。だから行間を読む愉しさもあるとは思うのですが、行間の前後の文脈を理解していなければ、この“良さ”はまったく分からない仕上がりになっていましたね。
何の予備知識もなく観た僕は、とにかく分からないことだらけで、それを確認するために公式サイトを事後に覗いたのですが、そこでビックリ!。映画サイトにありがちなメニュー項目、作品情報、ニュース、劇場情報、予告編、などと並んで「必読」というメニューがあるじゃないですか!。で嫌な予感も感じつつ、クリックしてみたら「鑑賞前:ご一読下さい」という大見出しの下に、「本作の徹底した<リアル>を楽しんで頂くため、以下情報を鑑賞前にご一読頂くことをお勧め致します」と小見出しを付けて、ストーリーの概要をがっつり紹介してる。
こらー!だったら「原作未読じゃムリ」くらいのPR打たんかい!GAGAさんよぅ。まったく損したわ。
でも、原作読んでたら、相当面白かったんじゃないかなあ。だって原作読んでない人はゼッタイ相手にしてない作りだもん。原作読んでる人に「そう来たかあ」と言ってもらいたいような作りだったと思いますもん。だから原作を読んでない僕は“完全に置いて行かれた”客でしたね。伏線の妙も、ラストカットのカタルシスもまったく分かりませんでした。残念。
キャスティングも良かったんだけどなあ。原作読んでからもう一度観ようかなあ。
裏切りのサーカス コレクターズ・エディション [Blu-ray]
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レジェンド・オブ・フィスト/怒りの鉄拳(2010年・中国) [2013年 レビュー]
原題:精武風雲・陳真/Regend of The Fist:The Return of Chen Zhen
監督:アンドリュー・ラウ
脚本:ゴードン・チャン、チェン・チーシン
新年1本目は今年もカンフー映画です(笑)。
「イップ・マン」のドニー・イェン主演、「インファナル・アフェア」のアンドリュー・ラウ監督によるカンフーアクション。ドニー・イェンは今一番美しいカンフーを見せてくれる役者ですから、ちょっと期待してしまいました。で、本作を観るとよく分かります。「カンフー映画はカット割りが命」であることが。
ドニー・イェンが演じているのは、ブルース・リーが「怒りの鉄拳」で演じて以来、中華圏で圧倒的な人気を誇る架空のキャラ、チェン・ジェン(陳真)。そういえばジャッキー・チェンもやってましたし、ジェット・リーも演じたことがあるそうです。なぜそれほど人気があるかと言うと、観たことのある人なら一発で分かるはず。日本人がコテンパンにやられるからです(笑)。
上海で抗日組織に身を置くチェン・ジェン(ドニー・イェン)は、日本軍の情報を得るために各国要人が集まるナイトクラブ「カサブランカ」のオーナー、リウ(アンソニー・ウォン)に近づき、やがて腹心となる。一方、チェン・ジェンたちのレジスタンス活動に手を焼く日本軍は、反日中国人処刑者リストを発表し、街を混乱に陥れる…。
観ていてまず驚いたのはライティング。
ホントにビックリするほど、ありとあらゆるところに照明が当たってます。特にカサブランカを中心とした上海の街並のセットはあり得ないくらい明るい。これって「金かけて大きなセットを組んだんだから全部見せたい」っていう貧しい発想なんじゃないかと思います。もっと陰影があったほうがゼッタイに良かった。派手なライティングのせいでミュージカル風な映像になってしまい、ことセットに関してダークなイメージは皆無だからです。
「カット割りが命」と言ったのは、「金をかけて作ったセットを見せたい」という何者かの意思が働くあまり、「カンフーを見せる」というファーストプライオリティが崩れ、結果的に中途半端なカット割りになり、せっかくのブルース・リーリスペクトも台無しになっていたからです。
カンフーシーンの基本は「組手をキチンと見せる」に尽きます。
四肢を駆使した肉弾戦をいかに激しく、美しく、痛みを伴いながら見せるかが勝負なのですが、本作はそれが出来ていません。ドニー・イェンは「グリーン・ホーネット」のカトーをリスペクトした「仮面の戦士」に扮したり、ヌンチャクを使うシーンまで用意されているのですが、残念ながら心に迫るものが無い。それは本来見せるべきもの、“美しいカンフー”よりも、ゴージャスなセットを見せようとしてしまった監督の演出ミスだと思うわけです。
脚本も実はイマイチでした。
ある登場人物が日本軍のスパイという隠し設定になっているのですが、その駆け引きがまったくなってない。「インファナル・アフェア」を撮った監督とは思えないほど、その関係性はフニャフニャです。
あっちもこっちもとにかく「もったいない」映画でした。あー、ドニーのナイスなカンフー映画が観たい!