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殺人の告白(2012年・韓国) [2015年 レビュー]

英題:CONFESSION OF MURDER
監督・脚本:チョン・ビョンギル

 実際の未解決事件をモチーフにした韓国映画の傑作『殺人の追憶』を観た監督が、「時効成立後に犯人が名乗り出たらどうなるのか?」と考えたところからスタートしたというクライム・サスペンス。ドラマとしての面白さ以前に、犯人役を演じたパク・シフが美しすぎて片時も目を離せない作品だった。

 15年前。刑事のチェ・ヒョング(チョン・ジェヨン)は偶然、連続殺人犯に遭遇。拘束を試みるが既のところで取り逃す。その後、懸命の捜査にも関わらず時効が成立。喪失感を抱くチェに追い打ちをかけるニュースが飛び込んできた。法的に無罪となった犯人が手記を出版するというのだ。これには遺族もマスコミも激しい批判を展開するが、犯人イ・ドゥソク(パク・シフ)が会見を開くと世論に歪みが生じ始める。まるでモデルのように美しいルックスをしていたからだ。

 2012年の映画ではあるけれど2015年に観たため、序盤はどうしても「神戸連続殺傷事件」の犯人、元少年Aが6月に発表した手記を思い出さずにはいられなかった。
 元少年Aの手記について、日本のメディアは「遺族感情を無視した独り善がりな行動で、全く許されるものではない」という批判を展開した。この批判そのものは“本題の前提”としてはあっていい。しかし肝心の「厚生プログラムを終えて社会復帰した元少年Aが、手記で発信したかったメッセージは何かを探る」という仕事は放棄していたように思う。恐らくマスコミ各社は「この手記について正面から向き合うことは賢明ではない」と判断したのだろう。なぜならそれはかなりの労力を必要とする仕事であり(そもそも本を読まなきゃならない)、かつ検証行為そのものが「被害者感情を無視している」と批判されることを恐れたのだろう。だからマスコミは批判の矛先を元少年Aから出版社に向け、「世間の逆風は想定内であったはず。それを承知で出版した理由は何なのか」という議論に終始した。早い話が日本のマスコミは元少年Aから“逃げた”のである。
 『殺人の告白』では犯人の倫理観を問うため、自社の報道番組に出演をさせようとするテレビマンが登場する(本作において最も重要な設定のひとつ)。ここにリアリティを感じられなければ本作への感情移入は難しい。僕は韓国のメディアなら元少年Aもテレビの前に引きずり出すかもしれないな、と思いながら見ていた。韓国には逮捕された容疑者への取材を許す警察、容赦ない質問を浴びせるメディア、またそれも禊ぎの一種と捉える視聴者が存在するからである。だから僕は本作の設定にリアリティを感じたし、脚本そのものは面白いと思った。
 ただし「見せる」ことにこだわったいくつかのアクションシークエンスは「ありえない」と呆れた。商業映画であるから否定はしなけれど、ドラマ部分がとても良く出来ていただけに、個人的には「もったいない」と思った。
 またクライマックスについても(ネタバレになるのでディテールは割愛)、カタルシスを演出するために止むを得ないこととはいえ、演出過多であった気がしてならない。

 それにしてもこの映画は、パク・シフのビジュアルによって支えられていたように思う。対する刑事役にチョン・ジェヨンという武骨な役者を置いたことも効いている。
 韓国映画界の世代交代を感じさせる1本。


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エベレスト3D(2015年・アメリカ) [2015年 レビュー]

原題:EVEREST
監督:バルタザール・コルマウクル
脚本:ウィリアム・ニコルソン、サイモン・ボーフォイ

 この作品を3Dに仕立てて、タイトルに3Dと打ったのは戦略として勝ちだ。
 このタイトルだけで、たとえ内容がどうであろうと「観てみたい」と思わせるチカラがある。もちろん僕もただそれだけで劇場へ行った。

 フタを開けてみたら「事実に基づくストーリー」だった。
 観終わってみると、何の予備知識も持たずに行ったのが良かったのか、それとも悪かったのかは正直悩ましい。予備知識を持たないからこそ展開にはハラハラしたし、予備知識を持たないからこそ今ひとつ理解し切れないところがあったからだ。ただし今日で一旦腹を決めることにする。
 「予備知識は入れた方がいい」
 その方が2度観なくて済む(笑)。本作のベースとなったのは、1996年に起きたエベレスト登山史上最悪の遭難事故である。

 個人的な話になるけれど、僕は2014年に「ジョージ・マロリー」の伝記番組を作ったので、エベレスト登山がいかに過酷な仕事であるか多少の知識は持っていた。ただそれはあくまでも登頂経験者の話や著作物からといった間接的に仕入れた情報でしかなくて、リアルな体感によって得た知識ではない。しかし本作は「エベレストの恐ろしさ」を限りなくリアルに近い肌感覚で教えてくれる。どこまでリアルなロケで、どこからがそうじゃないのかなんて分からなくなるくらい僕は息が詰まりそうだった。3Dの効果も良かったと思う(3Dメガネをかけることによって、輝度が落ちる以外は)。
 予備知識を入れておいた方が良かったと思った点は、登頂を目指す主要登場人物たちの“背景”である。
 「なぜ彼らは命を賭けてまで世界最高峰を目指すのか」。
 ここを理解できないと、単なる無謀な人たちの愚かな挑戦にしか見えないからだ。本編ではこの動機がほぼ全員について語り尽くせていない。否フィクションなら「語り尽くせていない」と作り手のせいに出来るのだけれど、ノンフィクションであるからには観る側の問題もある。だから「予備知識は入れた方がいい」という結論に至った次第である。

 この作品は、エベレストの怖さの“見本市”でもある。
 エベレスト登山の際に肝を冷やす、いろんなケースが描かれている。高所恐怖症の僕にしてみれば「そんなところへ行くなんて頭がおかしい」と切り捨てたくなるほどだ。だからこそやっぱり最後は「なぜ、あなたはエベレストに登るのか?」と考えてしまう。
 しかし、空調の効いた快適な劇場でリアルなエベレストを体験した僕は、頭と身体が完全に乖離し、ますます何の答えも出せないまま今もぼんやりとしているのである。こんな体験も悪くない。


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南太平洋の若大将(1967年・日本) [2015年 レビュー]

監督:古沢憲吾
脚本:田波靖男

 古いハワイの風景見たさに「ハワイの若大将」を見て、あまりのノー天気ぶりにびっくらこいて、わざわざTSUTAYAで借りてもう1本観ることにした。この作品をチョイスしたのはWikiに「サイパン、タヒチでロケーションされた」とあったから。サイパン好きなのよ。友達もいるし、日本史的に重要な場所だし、なんたって4歳のムスメを連れて行ける一番近い海外リゾートだし。だから60年代はどんな様子だったのか見てみたくて借りたんだけど、サイパンロケはなんとガセネタ。「こういうことがあるからWikiは信用できないんだよ。なあ青大将」(若大将風に)。

 若大将(加山雄三)は東京水産大学の学生で柔道部員。遠洋航海実習でハワイに立ち寄った若大将と青大将(田中邦衛)は、日本料理店「京屋」で客に絡まれた客室乗務員の澄子(星由里子)を助けるために乱闘騒ぎを起こす。この一件が縁で京屋の主人(左卜全)がハワイの店にすき焼きを出したいと来日。若大将の家族と親睦を深める。特に主人の孫・由美子(前田美波里)は若大将に好意を寄せるのだが…。

 「若大将シリーズ」を知らない人には信じられないと思うけれど、主要キャストは変わらないにもかかわらず、設定は毎度違うという珍しいスタイルの映画である。だから加山雄三は、田沼雄一という役名で「田能久」という老舗すき焼きやの跡継ぎという設定、また星由里子は澄子という同じ役名でありながら、作品ごとにまったく別人として登場するのだ。それでいて人格は一緒と来ているから、なんともノー天気なパラレルワールドである。観たことはないけれど、この時代の東宝を支えた「社長シリーズ」や「駅前シリーズ」も同様なのだろう。ただこれは物語を分かり易くするという点ではとても有効な手段だ。落語における「八つぁん、熊さん」と同じで、登場人物の性格を語る時間が必要ないから、そのぶん脚本がスリムになる。これは早い話が「面白いからいいでしょ?」という東宝の開き直りだ。
 そういう意味では「開き直り」の激しい脚本だった。
 一番ビックリしたのは、若大将と京屋の娘・由美子が結婚すると誤解した澄子が、日本からハワイまでわざわざ「おめでとう」を言いに行くシーン。このシーンは由美子に「若大将はうなされながらアナタの名前を呼んでいた」と言わせるために強引に作ったもので、そう聞いた澄子があわてて日本に飛んで帰るという設定になっている。この距離感。日本とハワイの距離を、浅草と六本木くらいの感覚で書いているのだ。もうちょっとアタマ使えよ(笑)。
 あと、このシリーズは2本観ただけだけど、男にとって都合のいい脚本だなあ、としみじみ思う。常に女性のほうからアプローチをさせ、若大将は恥もかかなければ、傷つくことも無い役回りになってる。こういうヤツを女性は「ズルい男」って言うんだよ。オレもよく言われたな。でもまあいい時代だったな(笑)。

 正直言うと「ハワイの若大将」で好感が持てた加山さんの“うすらバカ”感は、それから4年も経って若干薄まっていた気がする。こうなってくるとシリーズ1作目から観たくなってくるなあ。そんなヒマないけどなあ。

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うすらバカ感が消せないジャケ写。

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ロボコップ(2014年・アメリカ) [2015年 レビュー]

原題:ROBOCOP
監督:ジョゼ・パヂーリャ
脚本:ジョシュア・ゼトゥマー

 1987年作『ロボコップ』のリメイクである。
 リメイクだから「事故によって重傷を負った警官が、機械の体を手に入れてロボコップとなる」というコンセプトは変わらない。しかし決定的な違いがひとつあった。それは「ロボコップとして生まれ変わった主人公が元の記憶を持っていたか、いなかったか」という点である。
 オリジナルを観た我々世代からすると「元の記憶を持たないロボコップが、徐々に以前の記憶を取り戻して行く」という設定のほうがドラマとしては見応えがあった気がするのだが、そこはあえて掘り下げない。比較検証を始めると結果的にオリジナルの再評価をして終わることになるからだ。ただし、2014年というタイミングでリメイクされた背景についてはいささか興味があった。

 アメリカのオムニコープ社は軍事ロボットを開発・販売する企業。2028年、その製品は世界各地で使われていたが、アメリカ国内は軍事ロボットの配備を規制する「ドレイファス法」が存在していたため、市場開拓がまったく出来ないでいた。法案廃止を目論むオムニコープのCEOセラーズ(マイケル・キートン)は、世論も納得する製品の開発を目指し、サイボーグ技術の権威であるノートン博士(ゲイリー・オールドマン)に接触を試みる。セラーズが提案したのは機械に人間の脳を備えたロボットの開発だった。

 冒頭、軍事ロボットのポテンシャルを示すためにムスリムが引き合いに出される。
 そこはニュース映像で見覚えのある中東もしくは中央アジアの傷んだ小さな街。“危険分子”の判別を瞬時にこなす軍事ロボットは、すれ違うムスリムたちを問答無用で尋問し、身体検査を行う。その様子をアメリカのテレビ番組が生中継し、自国の技術が抑止力となってここにも平和をもたらしていると自画自賛する。ところが、この生放送中を狙って一部のムスリムが自爆テロを決行。軍事ロボットとの交戦が全米に放送されることになる…。
 これは相当にパンチの効いた皮肉だ。
 こんな仕事を一体誰がやったのかと確認をしたら合点がいった。監督のジョゼ・パヂーリャはリオデジャネイロ出身のブラジル人で、デビュー作は『バス174』というドキュメンタリー映画。この作品はリオで実際に起きたバスジャック事件をモチーフに、スラムや貧民街の実態、またブラジルの刑事司法制度が貧民層をどう扱うかを描いたものだという。
 本作におけるムスリムは「資本主義という怪物に食い物にされる弱者」として描かれている。つまりパヂーリャはハリウッドデビュー作で「テロの萌芽はアメリカに要因がある」と言い切ったのだ。MGMもよくもまあこんなことを許したもんだと感心するが、しかしこれはあくまでも“つかみ”であって、ロボコップの敵はISILではなかった。例えばバットマンがゴッサムシティ、スパイダーマンがニューヨークを拠点にしたヒーローであるように、ロボコップは昔も今もデトロイトをホームとしたハイパー警察官なのだ。
 ではなぜデトロイトが舞台となったのか。それはここが全米で1、2を争う危険な都市だったからだ。

 1980年代。デトロイトは長らく続く自動車工業の不振から失業率は高く、生活苦による犯罪率も上昇。治安の悪化に伴って人口は流出して税収は落ち込み、警察は人員減を余儀なくされて、結果治安がさらに悪化するという負のスパイラルに陥っていた。そこに巨大コングロマリット企業が乗り込んで街を支配する、という近未来設定がオリジナル版の『ロボコップ』だったのである。
 そして2013年7月。デトロイトは本当に財政破綻をしてしまう。オリジナル版で描かれた近未来の姿が現実のものとなったのだ。リメイクの話は2005年から出ていたというから、この財政破綻がリメイクのきっかけではないにしても、2014年の公開はまさにドンピシャのタイミング。プロデューサーは「時代の流れを読んだ結果」と胸を張っても誰にも非難されないだろう。

 さてその中味について。前述した通りオリジナル版を観ているため「元の記憶を持たないロボコップが、徐々に以前の記憶を取り戻して行く」という設定の方が面白いと思うのだが、「記憶を持ったまま」という設定もこれはこれで見応えがあった。自らの身体がどうなってしまったのか鏡越しに対面するシーンは『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』で、ダース・ベイダーとなってしまったアナキンの絶望を思い出すし、続く家族との対面シーンでも実にいろんなことを考えさせる。だからこれはこれでいいのだけれど、オリジナルのストーリーを継承するためにアレックス(ロボコップ)の感情を抑制し「記憶を失ったも同然」とするのは反則。それなら最初からオリジナル版と同じ「元の記憶を持たないロボコップ」で良かったはずだ。
 クライマックスは「生みの親に疎まれて始末されそうになる」という『仮面ライダー』的展開になるのだが、これにも少々不満がある。なぜなら結局は《ロボコップ対軍事ロボット》という構図になるからだ。ロボコップのカタルシスは、一歩間違えば警官が命を落としかねない凶悪犯罪をいとも簡単に解決するところにある。そういう意味ではISILが敵でも良かったのだ。しかしあえてそうしなかったからには、デトロイトの犯罪抑止力となる活躍をもう少し見たかった。

 「まるでバットマンのよう」と一部で酷評された黒いスーツ。個人的には好きだ。しかし車からバイクに乗り換えたために、警官のコンビネーションが描けていないのは残念。相棒との関係性も途中まで良く描けていたので、いわゆる「ポリスストーリー」にも期待をしたのだけれど見事に外されてしまった。「脚本って本当に難しいなあ」と痛感した1本。


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イップ・マン 最終章(2013年・香港) [2015年 レビュー]

原題:葉問 終極一戦
監督:ハーマン・ヤオ
脚本:エリカ・リー

 イップ・マン物件なので無条件で観てしまった。
 「序章」「葉問」でイップ・マンを演じたドニー・イェンのパフォーマンスが素晴らしすぎたのと、過去の「勧善懲悪的功夫映画」でないところが気に入っている。作品の出来栄えは別にして。

 タイトルから分かる通り晩年のイップ・マンを描いたものである。とはいえ特に「事実」との断りもないので物語はフィクションと捉えたほうがいいだろう。中国から香港に渡り、武館を開くことなく僅かな弟子たちにカンフーを教えていたイップ・マン。突然の国境管制による妻との別れ、美しいクラブ歌手との交流、そして裏社会のトラブルに巻き込まれた弟子の救出などを経て、その生涯を閉じるまでを描いている。
 今作でイップ・マンを演じるのは「インファナル・アフェア」でウォン警部を演じたアンソニー・ウォン。52歳のときの作品だが、なかなか美しいカンフーを披露している。また序盤の敵役として登場するのが香港映画界の重鎮で、やはり「インファナル・アフェア」でマフィアのボスを演じたエリック・ツァン。本作「イップ・マン 最終章」もこの人が出て来た瞬間にグッと締まるから大したもの。ただし残念ながら脚本の出来が悪くて作品の完成度は高くない。

 一番気になったところはそれぞれのシーンが断片的であること。
 物語としての脈絡はあるものの、シーンごと話に“丸(句点)”がついてしまっていて、次のシーンは又一から話が始まる構造になっているのだ。シーンの継続性がないと続きを見るモチベーション(あるいは期待感)は低下する。となるとレンタル視聴の場合は、途中で「もういいかな」ってことにもなってしまう。映画はシーンの積み重ねによって完成するものと分かっていても、実はその積み重ね方がかなり難しい。…とはある映画プロデューサーの受け売りである。

 最も有名になった弟子ブルース・リーとのエピソードもある。
 我々の世代は本物と偽物の相似形にこだわってしまうため、輪郭が似ていないだけでガッカリし、ドラマに没入できないという悪い習性を持っているが、身の丈に合わない派手なことを嫌うイップ・マンの描写には役立ったように思う。
 それにしてもイップ・マン物件で見ごたえがあったのは「序章」だけだったかも。

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キャプテンハーロック(2013年・日本) [2015年 レビュー]

監督:荒牧伸志
脚本:福井晴敏、竹内清人

 呆れてものも言えない。
 日本の映画製作者たちはオリジナル作品をブラッシュアップする能力が無いらしい。
 それだけではない。『デビルマン』『キャシャーン』『仮面ライダー』といった先人たちの優れたコンテンツを、のちの商業映画人たちが台無しにしてきた過去から何も学習していないようだ。
 この手の作品を観て失望すると必ず言って来たことだが、ここでも声を大にして言う。
 「いまこの作品を一体何のために映画化するのか。その意図を聞かせて欲しい」
 調べてみたら公式サイトに次のようなメッセージがあった。

 「『キャプテンハーロック』は単なるリメイクではない。『バットマン』(1989)が『ダークナイト』(2008)に生まれ変わったように、松本世界の魂を大切に保ちながら、より壮大に、より斬新にリブート(再誕)させた作品なのだ」

 東映アニメーションの諸君。恥ずかしいから『ダークナイト』と比肩して語るなんてやめてくれたまえ。君たちにそんな資格は欠片も無い。
 確かに『ダークナイト』は『バットマン』から大きく様変わりした。しかしブルース・ウェインというキャラクター設定は何も変わっていないし、むしろ主人公が背負い続けている“心の闇”という重苦しいテーマにフォーカスすることで単なるアメコミ映画からの脱却を果たし、激しいトラウマを背負ってしまった1人の人間のドラマに昇華されたのだ。それは監督のクリストファー・ノーランがバットマンの世界観を深く考察し、現代に置き換える意味、つまりは改めていま作品をリリースする意味を見いだし、時代にマッチした翻訳作業に腐心し、観客の期待に応え、あるいは良い意味で裏切ったからこそである。
 かたや『キャプテンハーロック』は原作のテーマをまったく踏襲していない。
 腐り切った地球の人間たちに失望し宇宙へ出たはずのハーロックが、なぜ地球を襲う異星人との戦いに乗り出すのか。そもそもハーロックはなぜ地球人に失望をしたのか。親友トチロー、若き日のハーロックとトチローを知る異星人のミーメ、トチローの恋人だったエメラルダス、副長ヤッタラン、そして敵の女王ラフレシア。描くべき人もエピソードも十分すぎるほどあるにもかかわらず、そのすべてをゴミ箱にぶち込み、地球人同士の内戦という視野の狭いドラマを起こし、見た目のインパクトで内容を棚に上げられるフルCGアニメに仕立てたのである。こんな作品のどこに『ダークナイト』と並べて語る資格があるというのか。

 原作は未完のままである。だからこそ原作者の了解を得て映画化する価値はある。現に1978年放送のテレビアニメ版はオリジナル脚本で完結させ、原作に対する不満を少なからず解消してくれた。それと同じ仕事をフルCGアニメで、かつ更に完成度を高めた脚本でやってくれればそれで良いのだ。
 旧い原作に手を出す理由は何なのか。それを成功させるためには何をすべきなのか。
 この手の作品をリブートするときにはもっと熟考してからにして欲しい。これ以上ガッカリするのはゴメンだ。


キャプテンハーロック DVD通常版

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ハワイの若大将(1963年・日本) [2015年 レビュー]

監督:福田純
脚本:笠原良三、田波靖男

 僕にとってのハワイは近いようで遠い。
 初めてのハワイは多分21歳のとき。正月に社員旅行で行った。初めての海外旅行。チェックイン後オーシャンフロントの部屋から見たワイキキビーチの青さに心が震えた記憶がある。
 2度目は多分32歳くらいのとき。これも社員旅行(会社は違う)。ハイアットのそこそこの階に泊まって、まずまずの思いはしたと思うけれど、あまり印象に残っていない。ああ、2度ゴルフしたか。オアフ島はこの2回しか行っていないはず。
 3度目のハワイは新婚旅行のハワイ島。…とハワイは多分これっきりなのだ。その理由は、のちにグアム、サイパン、沖縄の方が海は何倍も綺麗だってことを知り、「ハワイに行く意味」を見い出せなかったことが一番。それと日本人向けのショップやレストランがわんさかあって、ハワイは外国に来た気がしない、というのも大きかった。そうか。だから僕は開発が進んでいない南の島然としたハワイの映像に惹かれるのだな。いいことに気が付いた。本作「ハワイの若大将」を観ようと思ったのも結局はそういうことなのだ。

 若大将シリーズそのものが初見。
 加山さん、若い!細い!歌うまい!セリフ棒読み!(笑)。でも加山さんの棒読みセリフこそが本作最大の“味わい”である。セリフが棒読みであるが故に若大将は「うすらバカ」にしか見えないのだが、うすらバカだからこそ、澄ちゃん(星由里子)にヨットを破壊されても修理代を請求せず、青大将(田中邦衛)に頼まれるがままカンニングをさせて共々停学処分となり、ハワイでは現金やパスポートの入ったバックを紛失し、やはり頼まれるままに青大将の恋心を澄ちゃんに伝えて話がややこしくなるのである。
 つまり、こんなドラマが展開できるのも、そしてそれが許されるのも、若大将がうすらバカに見えるからであって、それはひとえに加山さんの棒読みセリフあってこそ、というワケなのだ。
 個人的には芝居の“間”がないところも気に入った。それはまるでB級カンフー映画で繰り広げられる演武のような対決に等しい。そのため加山さんと“組手”をする相手の役者も、間を排除した芝居を強要されるところが可笑しくて仕方なかった。唯一その間に惑われていないのが田中邦衛さんだ。だから2人の芝居は噛み合っているようで実は噛み合ってなく、若大将と青大将の微妙な関係性を表現するのに役立っているように見えた。

 それにしても、今は見る影もないハワイのロケーションは見ものである。聞けばサイパンでロケをした「南太平洋の若大将」という作品もあるらしい。サイパンには少なからず思い入れがあるので機会があれば観てみたい。

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スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号(2015年・日本) [2015年 レビュー]

監督:柴崎貴行
脚本:米村正二

 昭和38年生まれなのでゴリゴリの仮面ライダー世代なのですが、まさか4歳のムスメにこの映画を誘われるとは。人生ってとっても不思議で相当おもしろい。

 なぜムスメが父を誘ったかというと、そもそも「仮面ライダードライブ」が好きで観ていて、特に仮面ライダーマッハが大好き。「わたし、マッハとけっこんする」と言ってますから。で、劇場版のCMを観て「観に行きたい!」となった。最初はお母さんを誘ったんだけど、さすがにお母さんはライダーに興味がなくて「お父さんと行ったら?」という話になって誘われたと。
 しかしこのシリーズ、昭和ライダー世代として許せたのはアギトまで。龍騎からはどうしても受け入れられなくて(受け入れる必要もないんだけど)最近のライダーは完無視。だからムスメに誘われても「よし、行こう!」とはならなかった。特にドライブは「ライダーなのに車に乗るってなんだよ!」と。しかも最近の仮面ライダーは所詮「代理店(ADK)の犬」で、ライダーのミッションは悪を倒すことではなく、子供におもちゃを買わせる(正確には「親に買わせる」だ)ことだろ、と軽蔑の眼差しだったわけ。ところが…ある日、ライダー3号に起用された及川光博さんのインタビューを観てしまった。
 「ライダーごっこをしていた頃の夢が叶った」
 この一言はデカかった。最近の若い俳優はライダーに起用されてもこんなこと言えませんからね。この瞬間、僕自身もタイムスリップしてしまった。確かに自分もそう。変身できるものならしたかった。よしミッチー、オレの代わりにオレの想いを乗せて変身してくれ!と(笑)。それで「ミッチーの晴れ姿を観に行くか」となったわけです。

 1973年、仮面ライダー1号2号の活躍によってショッカーは全滅したと思われていたが、そこへショッカーが開発した3号が登場し、二人を抹殺してしまった。その後はショッカーが支配する世界になっていた。…という設定が面白かった。
 昭和ライダー世代にとって3号ライダーとは、V3のことですから。V3を蔑ろにする設定だったら、いくらミッチーを観に来たといっても「ざけんなよ!」ってことになったと思います。
 あと歴代ライダーがショッカーの手先になっちゃってて、結局ライダー同士が戦うことになるって設定もいい。仮面ライダーバトルロイヤルが観られるわけですから絵が派手。ただねえ、アクションがモリモリで爆発音が多すぎ。はっきり言って耳が疲れた。ムスメもなんだか途中からぐったりしてたので「うるさくて単調で飽きちゃったんだろうなあ」と。
 ミッチーはお子様向けの演技をされていましたね。とにかく分かりやすく、だからクサくなっちゃうんだけど、まあそれもミッチーだからいいかってカンジ。あ、劇場にはミッチー目当てと思われるアラサー女子同士のお客さんもいましたね。
 3号の造形は「仮面ライダー THE FIRST」の造形を踏襲したもの。ただしスーツがもっさりしててカッコよくなかったなあ。ここが一番ガッカリしたところ。もっとスマートにできなかったのかしらん。

 映画が終わって、ムスメにどうだった?と聞いたら「面白かった!」と一言。え?じゃあなんでグッタリしてたの。「眠かったの」。それって面白くなかったからじゃないのか。よく分かりません。ただお父さんは面白くありませんでした。次回作「仮面ライダー4号」もあるそうで、ムスメに「また行こうね」と誘われましたが、次はやんわり断るつもりです(笑)。

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さびしんぼう(1985年・日本) [2015年 レビュー]

監督:大林宣彦
原作:山中恒『なんだかへんて子』
脚本:剣持亘、内藤忠司、大林宣彦

 言わずと知れた「尾道三部作」の三作目である。
 いや、もはや「言っても知らない」時代か。振り返れば公開されて今年ですでに30年である。30年だが個人的には一度も観たことがなかった。「転校生」(1982)も「時をかける少女」(1983)も大好きな作品だったが、この「さびしんぼう」だけ観ていなかったのは、顔を真っ白に塗った富田靖子の“意味”が分からなかったからである。僕にとってそれは“ピエロ”にしか見えず、ピエロが主人公となるとどうしても「物悲しい映画」としか思えなかったことが一番の理由だった。しかし今回、それとは違う別の理由があって「さびしんぼう」は観ていなかったのだ、と改めて気付いたのだが、その理由は後にしよう。公開当時観ていたらどんな感想を持っただろう、と想像しつつも、30年後に観たからこその感動は少なからずあった。

 寺の住職の一人息子ヒロキ(尾美としのり)は放課後、カメラの望遠レンズで隣の女子校を覗くのが日課。音楽室でショパンの『別れの曲』を弾く少女に恋心を抱いていたからだ。ヒロキはその少女を勝手に“さびしんぼう”と呼んでいた。そんなヒロキの前に、ある日ピエロのような格好をした謎の女の子が現れる。その子の名前は“さびしんぼう”だという…。

 観てみれば、どストレートな初恋ドラマである。
 ただし原作にある「小学4年生のヒロキと小学4年生時代の母親が邂逅する」という不思議な設定(のアレンジ)が重要な味付けになっている。振り返れば「転校生」も「時をかける少女」も、青春時代のちょっと不思議なできごとを描いた作品だった。なるほど尾道三部作とは初恋を主題にしたファンタジー映画シリーズだったのだ。
 しかし三部作の中では本作が一番、監督の「私的」な部分が色濃く出た作品だったと思う。
 顕著なのは序盤、ヒロキの「性格」「恋心」そして「母親との関係性」を、友人二人とのやりとりで説明をする件。設定もセリフもリアリティとはほど遠く、監督の理想とする健全な青少年の、健全な友情、健全ないたずら、そして健全なる悪態と、それに付き合うオトナたちでしかないのだ。これはたとえ30年前でも観ていられなかったと思う。これから観ようという方には「これは大林宣彦風味」と諦めていただくほかない。が、ここさえ我慢すれば、そのあとに大きなお楽しみが待っている。なんと樹木希林と小林聡美が親子役で登場するのだ。この二人を親子にしつらえたキャスティングの破壊力たるや(もちろん30年後に観たからだが)、マーロン・ブランドとアル・パチーノの比ではない。小林聡美と尾美としのりによる「転校生」オマージュのやりとりもあって、このシークエンスだけでも十分に観る価値があると言っておこう。

 さて30年目にして初めて観た「さびしんぼう」は、今だからこそ大切なことを教えてもらった。
 それは「実らない恋ほど人を成長させるものはない」ということ。
 二役を演じた富田靖子の芝居は、それを受け止めた尾美としのりによって完成し、今もって見ごたえのある美しいシーンに仕上がっている。それはあまりにも純真で、僕自身は子どもを持った今だからこそ、改めて素直に受け止められたのではないかと思う。
 30年前僕は22歳だった。「転校生」のときは19歳、「時をかける少女」のときは20歳。しかし22歳のときはもはや学生ではなかった。東京という街で生き馬の目も抜くようなテレビ業界の荒波に揉まれ、すでに何度かの修羅場(シャレにならないので書けない)もかいくぐっていた時分に、我が心と身体は純真無垢な大林映画を求めていなかったのだ。
 記憶に残る未見の映画を観るという行為は、意外と面白いかもしれない。


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