コマンダンテ [2008年 レビュー]
コマンダンテとはスペイン語で司令官の意。ただし現在のキューバではフィデル・カストロの愛称として使われていると言う。
これはオリヴァー・ストーン自身がインタビュアーとなって3日間に渡り取材したカストロのインタビューフィルム。
もしも「13デイズ」や「JFK」、「グッド・シェパード」、「チェ2部作」など観たことがあれば、このドキュメンタリーはきっと面白い。今年、体調不良が伝えられ国家評議会議長の座を退いた今となっては、「キューバの歴史を語るカストロ自身の貴重な証言」が収められたフィルムであるからだ。
ケネディ暗殺に関する考察や、チェ・ゲバラを語る箇所など興味深い点は多いが、中でも僕が最も興味を寄せたのは、やはり「キューバ危機」に関する回想だ。
アメリカの歴史家たちが書く、「カストロはフルシチョフへの手紙の中でアメリカを核攻撃するよう迫った」と言う点について、カストロは「私は攻撃を要請していない」と真っ向から反論してみせた。北半球の歴史を大きく書き換え兼ねないこの問題についてカストロは、フルシチョフへのメッセージを託した駐ロシア大使のスペイン語が完全でなかったことと、ロシア語の通訳もないかったことが原因、と本編で話している。
しかし、具体的な事実関係についてはカストロの話す内容が曖昧だったか、それとも本作の字幕翻訳が下手だったのか分からないが、正しい事実関係が判明しない。この点については誠に残念である。
キューバ危機についてはさらにもうひとつ、カストロの重要な発言があった。
「(アメリカとソ連によって)我々は大変な危機にさらされ、この国の滅亡すら覚悟した。まず滅びるのは我々だ」
僕はこの言葉を聞いて、カストロがソ連に核攻撃を迫ったのはアメリカの歴史家による捏造だと確信した。キューバ危機が最悪のシナリオになっていたら…。何がどうしたってキューバは核によって滅びる可能性が極めて高かったのだ。
「自国を滅ぼしてまでアメリカに一矢報いたい」
そんなことを望む国家元首がはたしているのだろうか?
さらに、僕は本作でもう一つ確信したことがある。
それは、キューバ危機の遠因を作ったのは、アイゼンハワーとニクソンであるということだ。
キューバ革命後。援助を求めてアメリカを公式訪問したカストロ。その会談をアイゼンハワー大統領はゴルフのために欠席し、代わってカストロと会談した“小物”のニクソン副大統領は、カストロを「共産主義者」とアイゼンハワーに報告。これががすべての始まりだった。
カストロは語る。
「農地改革を語るだけで共産主義者扱いだ」
アメリカがキューバと言う国を、何よりカストロを軽く見ていた証である。時の大統領と副大統領が「共存」という単語を知っていれば、事情は大きく変わっていたかも知れないのだ。
カストロはニクソンのことを続けてこう語った。
「最初から彼は偽善的な政治屋で、虚栄心の強い男という印象を受けた」
カストロはキューバで絶大な人気を誇っている。ここが同じ社会主義国でも北朝鮮の金正日と大きく違うところだ。特に印象的だったのはカストロが大学を訪問したシーン。まるで韓国人スターに群がる日本人のおばちゃんのようにカストロを迎える学生たち。その中にアメリカ人留学生もいた。カストロは言う「外国人の学費は無料だ」。そういえば「シッコ」によるとキューバは医療費も無料だった。
そんなカストロに「あなたは独裁者ではないのか?」とオリヴァーが聞く。返したカストロの言葉も印象的だった。
「私は自分自身の独裁者であり、国民の奴隷だ」
今はともかく。
将来的には大きな意味を持つことになるだろう、歴史的価値の高いドキュメンタリー。
バイオハザード Ⅲ [2008年 レビュー]
こんな映画がゼッタイ面白いワケがない、と頭では分かっていながら結局シリーズ3本目も観てしまったのは、原作ゲームソフトの見事な出来栄えが未だ記憶に鮮明だからだ。
と、もうひとつ。ミラ・ジョヴォヴィッチだけは“造形”として見応えがあるというスケベな理由による。
ちなみにシリーズ1作、2作と観たのが今から3年以上も前なので、その内容は記憶に薄いが、ゲームの特徴のひとつだった「ドアを開けた先には一体何が?」というドキドキ感はこの「Ⅲ」に一番多く取り入れられていたように思う。
ただなぜこのシリーズがゲームほど面白くないかと言うと、映画の見どころをアクションに寄せ過ぎていて、ゲームのストーリーを牽引した「謎解き」の要素はほとんど取り入れられていないからだ。
映画が謎解きを排除した理由は分からない。しかしこれまでのシリーズを清算し、謎解き要素を強調したオリジナルの脚本を起こせば、「バイオハザード」は新たな作品として生まれ変われるだろう。
「バットマン」が「ビギンズ」で新たな世界観を構築し、「ダークナイト」でアメコミ映画を脱却したように、「バイオハザード」も新たな作品に“変態”出来る底力が充分あると思うのだが、誰が何とかしてもらえないだろうか?
そういう意味も含め、今回日本人が作ったフルCGの長編作品「バイオハザード ディジェネレーション」には興味がある。
CGだから何でも出来る、と言わんばかりにスケールを大きくしてしまっていたら、まったく意味がないのだけれど。
ところでミラ。相変わらずカッコイイです。願わくばもう少し露出があると嬉しかった(笑)。
さらにシリーズ4作目、作る気マンマンで終わってます。
「バイオハザード」シリーズ最大の謎は、「誰が金出して、誰が観てるんだ?」ってことだな。
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ブレス [2008年 レビュー]
キム・ギドク14作目。
刑務所の中で何度も自殺を図る死刑囚と、夫の浮気で精神のバランスを崩しつつあった平凡な主婦が、刑務所での面会を重ねて行くドラマ。
残念がらこの作品は、「少々クオリティが低い」と言わざるを得ない。
僕がギドク作品に期待するのは、「思いもつかない、けれど本当にあったら怖い」という設定だ。
たとえば、留守宅に侵入を繰り返し生活をする「うつせみ」。
親友が援交で稼いだ金を客に返して歩く「サマリア」。
結婚を約束した老人と少女が漁船で暮らす「弓」。
そして整形をしてまで恋人の気持を繋ぎ止めようとする「絶対の愛」。
いずれも僕はドラマの展開以前に、設定の全貌が明らかになっただけで驚き、またその結末に圧倒されて来た。しかし「ブレス」に限っては、そのギドクらしい面白みに欠けているのだ。
個人的に残念に思う点はもうひとつ。同じ韓国映画で似た設定の「私たちの幸せな時間」という作品が存在していること。
「ブレス」の1年前にリリースされ、現在の法体系ではあり得ない設定ながらも「死刑制度の是非」にフォーカスした佳作で、実は設定もドラマもこちらの方がよく出来ていた。
ギドクの「死刑が怖くて自殺を図る男」という設定も面白いのだが、縁者でもない主婦が死刑囚との面会を赦される段階で完全にリアリティを失っており、「思いつくけど、実際にはあり得ないハナシ」に成り下がっている点が最大の失点だ。
死刑囚チャン・ジンはどんな罪を犯して死刑囚になったのか。僕はそれが明らかになったとき、ドラマが大きく進展すると思った。夫に浮気をされたヨンの行動が引き金になって夫がヨンと娘を殺し、夫が死刑囚になるのではないかと、勝手に思った。勝手に思いついた割には面白い展開だと自負した。けれど映画はそれを超えてこなかった。
極めて残念。でも次回作に期待する。
主演はオダギリジョーとイ・ナヨン(私たちの幸せな時間)である。
K-20 怪人二十面相・伝 [2008年 レビュー]
映画の話を聞いたとき、「なんで今、怪人二十面相?」と思ったのは僕だけか。
ところが観てみて驚いた。フツーに面白い。年末年始に家族やカップルで観るには持って来いの娯楽作品だ。ただ先に断っておくと、「フツーに面白い」という評価は「高得点」という意味ではなく、「減点が少なかった」という意味である。
なにより設定がいい。
舞台は第二次世界大戦が回避された帝都。すでに大いなるフィクションである。こんな作品にリアリティを求めるのは野暮というもの。僕もオープニングで帝都の俯瞰ショットを見た瞬間に肩の力が抜けた。「あ、深く考えずに観て楽しめばいいのね」と。
続く主人公・遠藤平吉(金城武)の登場シーンに至っては、仮面ライダーも真っ青な身体能力が明らかにされる。その「ありえなさ」が完全に限度を超えていて、突っ込む気力を失わせる。
確かに「怪人二十面相」は子どものための読み物だった。その感覚で観なければこの映画は全く楽しめないだろう。逆に言えば「子どもの気持ちに戻れば十分楽しい」ということだ。
ある事件が元で二十面相と疑われ、身の潔白を晴らすためにホンモノの二十面相を追うことになる遠藤平吉。彼は異星人でもなければ超能力者でもない生身の人間である。そんな彼がちょっとした特殊装置によって、超人的な身体能力を手に入れることになる…。
モチーフは完全に「バットマン」からの拝借である。アクションは「スパイダーマン」や「007」も参考にしている。しかし、これが楽しい。なぜか。実はこの手の作品が意外と日本では作られていなかったからだ。
「怪人二十面相」に限らず、日本には優れた原作がたくさんある。
しかし、日本人監督は純粋な娯楽作品を作ることに抵抗があるのか、奇妙な世界観を導入し無駄なオリジナリティを打ち出して失敗を繰り返してきた。例えば「仮面ライダー THE FIRST」、「デビルマン」、「CASSHERN」。優れた原作に誰も求めていないアレンジを施すことで、結果興行的には大失敗をし、後に続く者たちの道を絶って来た。
翻って「K-20」を観ると、何より「嫌われない作品」である点が大きい。
残酷な暴力表現もなく、際どい性描写もなく、難解な展開もない。本気で「お正月映画」を作ろうとした姿勢が見て取れる。そして僕が一番感心したのは、ハリウッド流アクション映画に日本映画独自の「人情」を盛り込んだ脚本だ。
人は決して一人では生きて行けない。
それを語るために「寅さん映画」のような、ベタなシークエンスを作った。僕は素晴らしいアイディアだったと思う。オリジナリティとはこういうことでいいのだ。
キャスティングもいい。
金城武は身体を張ってるから好感が持てるし、松たか子は安定感があってしかも可愛いし、仲村トオルは明智小五郎というクールな役どころながら、ストーリーの関係でとぼけた芝居も一ヶ所披露するのだが、意外やここが面白かった。でも僕が一番気に入ったのは國村隼さん。おそよ娯楽作品には似合わないこの人がいるおかげで画面がぎゅっと締まるのだ。國村さんが出続けるなら「K-20」の続編はあってもいい。実を言うと僕は、最後にちょっとウルっとしてしまったのだ(笑)。
映画が楽しかった時代の、懐かしい匂いのする娯楽作品。
チェ 39歳別れの手紙 [2008年 レビュー]
冒頭、ロールテロップによりチェがキューバを離れたいきさつが紹介される。
おそらくPART2から観ることになった客に対する配慮だろう。
明けると、カストロが共産党中央委員会の場でチェの手紙を読み上げるシーンに繋がる。
観易いと思う。
チェの意思と目指すところは、ここまでのわずかな時間ですべてが伝わるからだ。
しかし、僕は途中でまたしても睡魔に襲われた。
誰が味方で、誰が敵なのか。チェは一体誰と戦っているのか。何もかもが分からなくなった。
「PART1に比べたら断然分かり易い」と安心した矢先、僕は結局一夜漬けでしかない知識を呪う羽目になった。
そうは言っても僕が最も期待をしていた「人間 チェ・ゲバラ」の部分は薄かった。
革命家であると同時に、働き者で、勉強家で、芸術を理解した“旅人”の素顔はなかなか見ることが出来なかった。唯一「お父さんの友人」と偽って子供たちと過ごした最後の1日と、ボリビアの子供たちにカメラを教えるほんのわずかなシーンにのみ、彼の暖かさが見られた程度だ。
映画会社からもらった資料の中に、チェが書いた手紙の文面があった。
チェはキューバを離れる際に3通の「別れの手紙」を書いた。
一通は本編の冒頭で読み上げたカストロあて。
もう一通は妻にあてた手紙。
そしてもう一通は「子供たちへの最後の手紙」だ。
この手紙を読まねばならないとき、
お父さんはそばにいられないでしょう。
世界のどこかで誰かが不正な目にあっているとき、
いたみを感じることができるようになりなさい。
これが革命家において、最も美しい資質です。
子供たちよ、いつまでもお前たちに会いたいと思っている。
だが今は、大きなキスを送り、抱きしめよう。
お父さんより。
心動かされない人はいないと思う。
僕はこんなチェの側面をもう少し観たかったなと思った。
それにしても。
驚くべきはベネチオ・デル・トロである。似ているとか似ていないの次元じゃない。ベネチオはチェの掲げた理想に共鳴することで、迷いのない演技を引き出している。まるでその肉体をチェに委ねるかのように。もしやここでのベネチオは伝道師なのかも知れない。
PART1もPART2も高い理解力を求められる作品である。製作者の意図を掴むためには周到な準備を要する。
間違っても娯楽作品ではない。しかし偏屈な教育映画でもない。
少なくとも今の時代にこんな人間がいたら、世界はずいぶん違っていたかも知れない、というメッセージはきっと多くの日本人にも伝わるだろう。
時代はヒーローを求めている。
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チェ 28歳の革命 [2008年 レビュー]
ソダーバーグの新作というよりも、これは主演のベネチオ・デル・トロがプロデューサーを務めた映画、と紹介する方が正しいようだ。チェの映画化に熱心だったのはベネチオ自身であり、このプロジェクトにソダーバーグが登場するのは随分後になってから、と資料で読んだ。
カストロと共にキューバ革命を成立させたアルゼンチン出身の革命家。
僕は以前に「モーターサイクル・ダイアリーズ」を観ていなければ、こんな知識すら持ち合わせなかったと思う。僕はとくにカストロにもチェ・ゲバラにもキューバにも興味はない。僕が今回興味を持ったのは①ソダーバーグが、②ベネチオ・デル・トロを主演に、③今さらチェ・ゲバラという人物を、④2部作として撮った、という事実だけだ。
中でも僕は「2部作」である点に強い関心を持っていた。
それは1本の映画としてはほぼ限界に近い180分程度にもまとめられない壮大なストーリーになっている、ということであるからだ。PART1は132分。PART2は133分。計4時間25分。
予習が必要なことは間違いない。
僕はチェ・ゲバラのプロフィールをWikipediaで確認し、試写に臨んだ。
さて本題である。
僕は前日19時間労働をし、睡眠時間は4時間だった。そして本編中、激しい睡魔に襲われる。
映画を観る前。
よほど面白ければ「眠くなるかと思ったが全くの杞憂だった」と書くつもりでいた。
無理だった。
本編は、チェがアメリカ人ジャーナリストのインタビューを受けるシーンから始まる。これは途中何度かインサートされる重要なシーン。この構成自体は巧いと思った。これなら演出技法のひとつである主人公のナレーションを合法的に使うことが出来るからだ。もしも何のエクスキューズもなく、ただチェ(ベネチオ・デル・トロ)一人称のナレーションが入っていたら、それは間違いなくフィクションであり、作品のタッチを大きく変えたことだろう。
とまれ僕は試写室で意識を失いかけていた。
僕はチェの生涯を順を追って確認しただけなので、時系列が入れ替えられていることに気付いた瞬間、混乱した。それは九九を丸暗記したばかりの小学生と同じ。いきなり8の段。それも「8×9は?」と聞かれて答えに窮する。「じゃあ8×8はなんだっけ?」そんな気分だった。
この映画を観るために予習は必要だ。しかしだからこそ、期待外れな点もあった。
それは「キューバ危機」のシークエンスがなかったことだ。
チェ・ゲバラはこのとき、キューバを蔑ろにしたソ連とアメリカのやりかたを見ながら、やがてカストロと袂を分かつ重大な決意をする。それが「別れの手紙」に繋がるのだが、この一連がなかったのは本当に残念だった。
PART1はキューバ革命成立までの物語である。
時系列をシャッフルされて混乱した僕は、チェの立ち位置が途中分からなくなって困った。
映画会社からもらった資料には「キューバ上陸から、キューバ革命成立までのチェ・ゲバラ軍の行程」という地図が掲載されていた。これは分かり易い。同様の地図が本編にもあるとより理解出来たのに。惜しい。
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トリスタンとイゾルテ [2008年 レビュー]
トリスタンとはイングランドの若き騎士。イゾルデとは敵対するアイルランド王の娘。
知りませんでしたが、これは中世の宮廷詩人たちが語り継ぎ、12世紀のフランスで物語としてまとめられ、シェイクスピアが「ロミオとジュリエット」を書くきっかけとなった物語だそうです。
…ま、そんな背景を持つ映画ですから、これ以上の説明は不要でしょう?(笑)
あ、一応「グラディエーター」のリドリー・スコットが製作総指揮を務めてます。
主人公のトリスタンを演じるのは、「スパイダーマン」でピーターの親友ハリー役を演じていたジェームス・フランコ。
皆さんご存知だと思いますが、かなりの男前です。クリクリパーマヘアが時にものすごく可愛らしく見えたりして、まるで小椋冬美のマンガに出てくる男の子のよう。ただしストーリーは少女マンガみたいにオブラートに包まれてません。どちらかというと東海テレビの昼ドラ的展開をします(笑)。この辺りがなんとも「安い」カンジがするんですよねえ。
安くカンジさせてしまうのはイゾルデがイングランドにやってきてからのエピソードとその描き方。
2人の秘密を周囲が知る辺りは特に演出がベタ過ぎて、それが「毎回分かりやすくあおって終わらせろ!」と言った昼ドラ演出に見えるんですね。
ただ実際にはそれだけじゃなく、僕はジェームス・フランコにも問題があると思います。
彼は一瞬にして悪人顔にもなれる人で(だから「スパイダーマン」の悪役にも起用されたんだと思うんだけど)、悪い意味で裏表のある人間に見えちゃうんです。すると観客は「もしかして良からぬこと考えてるんじゃないか?」と疑心暗鬼になっちゃって、100%応援してあげる気になれない。アナキン・スカイウォーカー役ならそれでもいいけど(笑)、本作では完全に逆効果。冗談抜きでトビー・マグワイアなら巧く演じられただろなと思います。騎士役には向いてないけど。
イゾルデを演じたのは無名のソフィア・マイルズ。
いや悪くないんですけどね、でもこの娘がもう少し可愛けりゃ男衆はグッと来たと思います。イゾルデがいい女であればあるほど、トリスタンに感情移入が出来たはず。だって本当に不遇だもん。「好きでもない男に抱かれる女」って、男衆にはたまならない設定なんですよ。やっぱりキャスティングこそ最大の演出だなと再確認した次第です。
さてどこで撮影が行われたのか知りませんが、アイルランドとして映し出された風景が特に美しかった。騙されたつもりで一度行ってみたいなと思いました。今なら死ぬほど寒いだろうけどね。
ギター弾きの恋 [2008年 レビュー]
ドキュメンタリータッチながら、実は完全なフィクションというウディ・アレンの遊び心溢れる小品。
ジャンゴ・ラインハルトに次いで世界で2番目の天才ギタリストと自称するエメット・レイ(ショーン・ペン)は音楽的才能に恵まれながら、ミュージシャンとしては遅刻、泥酔、ドタキャンを繰り返すトラブルメーカー。ある日エメットは友人とナンパに出かけ、小柄で口のきけない女性ハッティ(サマンサ・モートン)と出会う。彼女はエメットが聴かせてくれたギターの音色に心動かされ、エメットと行動を共にするようになるが…。
ショーン・ペンのギターの当て振りだけ目をつぶれれば、映画としては気持ち良くまとめられたいい作品だと思います。ペンのプレイを誰が吹き替えたか知りませんがすごくいい音だし、彼の自堕落な演技も素晴らしくいい。なによりハッティを演じたサマンサ・モートンが最高にキュートです。
彼女の表情に見とれていたら、これはウディ・アレン自身の反省の念から生まれた作品じゃないかと思いました。というのもサマンサが分かりし頃のミア・ファローにそっくりだったから。
もちろんこれがウディ・アレンの物語であろうとなかろうと、世界中の男たちはエメットに自身を投影し、やり直しのきかない人生を呪うのです。
「あのとき彼女と別れなかったら、自分の人生はどうなっていたのだろう?」
2人の再会のシーンは絶品。特にエメットの台詞がいい。こういうシーンを書かせたらやっぱりウディ・アレンは上手いなあと思わず溜息が漏れました。
実にシンプルな映画です。
徹底して描かれているのは男のバカさ加減。いくつになっても1年前の自分を叱り付けたくなる人には持って来い。人のフリ見て我フリ直しましょう(笑)。
遭難フリーター [2008年 レビュー]
「遭難フリーター」(2007年・日本) 監督・主演:岩淵弘樹
サブプライムローン問題に端を発した世界的不況の中、「派遣切り」という物騒なワードを聞かない日はない。
2009年2月に公開予定の本作は、派遣労働者である当時23歳の若者が自身の生活をカメラに収めることで「ハケンの実体」の一部を晒したドキュメンタリーである。しかし彼がビデオカメラを回していた2006年。世間は「ネットカフェ難民」という言葉すら知らなかった。
何とも独り善がりなビデオだ。まず映し出される映像はデジタルカメラのぶん回しでしかないので余りにも不安定。見ていて気分が悪くなる。これひとつとっても既に独り善がり。
で、その内容。
自身が派遣労働者として働くことになったいきさつ(出版社の内定が取れていたが単位が足りずに留年。職を失う)は一切明かさず、「我が身の不幸は誰のせいだ?」という“ボール”を一方的に観客に投げつける。知るか。それを不可抗力と言うなら、我が身に起きた不運の連鎖を語れ。その方がまだ見世物として面白い。
僕がこのビデオに憤るのは、僕自身上京した18歳から30歳まで恐ろしくビンボーだったからだ。
家賃が払えなくなってアパートを追い出されたこと2回。キャッシングの返済が滞りクレジットカードはすべて使えなくなり、消費者金融での借金も当然。友人、知人、金を貸してくれる人がいればすべての人から借り、ほとんどを借金の返済に充てた。そしていよいよ困ったとき、愛用していたCANONのEOSを質に入れようとしたら、「それだけは止めたほうがいい」と当時勤めていた会社の先輩が1万円貸してくれて泣いたこともある。でも僕は立ち直った。極貧の20代を経て30代でようやくまともな生活を送れるようになり今に至っている。
当時は僕も搾取される側の人間として、搾取する側を激しく妬んだ。しかしそれが社会の仕組みなのだ。搾取されたくなかったら、搾取されない人間になるしかないのだ。自分の置かれた環境を声高に「酷い」と訴えたところで、それが何になる。
主人公はビデオの中で「デモに参加しても何も変わらない」と気が付いている。そこに気付いていながら、何故こんなビデオで一方的に“ボール”を投げつけるのか?
少なくとも僕は、このビデオから何のメッセージも受け取れなかった。
そう言いながら、主人公をフォローしておく。
岩淵弘樹は“担がれた”と思う。
担いだのは本作のプロデューサーとアドバイザー。おそらくこの2人が映像のリアルさに感心して、いろんなアドバイスを与え、ビデオ作品として完成させるよう導いたのだろう。その頃には「ネットカフェ難民」という言葉は世に出ていたはず。社会にたてつくには格好の素材と、プロデューサーとアドバイザーは確信したに違いない。
唯一言えることは、地上波で放送できる内容じゃないということ。一部許諾の取れていないシーンが含まれた試写だったので、上映時にどう変わっているやら。
サイドカーに犬 [2008年 レビュー]
小学生の女の子が「母親」でも「教師」でもない大人の女性と触れ合うことで、子供なりの視野を広げていく行くという物語。
僕は登場人物で言うと主人公の弟。姉がふらりといなくなっても、目の前にあるガンプラを黙々と作り続けるバカ小学生。僕はこれを「女同士の物語だから」と早々にあきらめて誰にも感情移入せず、最後までボケッと観てしまいました。根岸吉太郎がなぜこれを撮ったのか、その理由すら見つけられなかった。
ただし女と男の兄弟の「子供の頃の記憶の違い」は楽しみました。きっと異性の兄弟を持つ人なら誰にも同じ経験があると思う。子どもの頃の記憶を大人になった兄弟が確認し合うという物語は映画として「あると思います!」。
僕の場合。
僕の父は2度結婚をしていて、僕は2度目の結婚で生まれた長男。父にとっては3人目の子。
そんな事実を知ったのは僕が34歳のとき(笑)。けれど僕と2歳違いの妹は「え?子どもの頃、前の奥さんが家を訪ねて来たことあったじゃん」と言う。前の奥さんが今の家を訪ねて来るってこと自体どエライことだけど、それを覚えていないってのが「やっぱ男ってバカだなあ」と我ながら呆れ返ったのであります。あれ?俺のハナシを映画にした方が面白くないか?(笑)。
僕がこの映画に入り込めなかったもうひとつの理由は、僕が理想とする竹内結子じゃなかったってのもある。僕は彼女の男っぽい役なんて期待してないのだ。一方でミムラは可愛かった。最近この娘の良さが分かって来た気がする。「落語娘」も観たかったな。
それよりもこの映画で一番印象を残すのは樹木希林さん。干物屋のばばあとして途中登場しますが、こんな役をやらせてこの人の右に出る人はいません。感動するほど笑えます。
弟のいる女子にはオススメ。