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キャプテンハーロック(2013年・日本) [2015年 レビュー]

監督:荒牧伸志
脚本:福井晴敏、竹内清人

 呆れてものも言えない。
 日本の映画製作者たちはオリジナル作品をブラッシュアップする能力が無いらしい。
 それだけではない。『デビルマン』『キャシャーン』『仮面ライダー』といった先人たちの優れたコンテンツを、のちの商業映画人たちが台無しにしてきた過去から何も学習していないようだ。
 この手の作品を観て失望すると必ず言って来たことだが、ここでも声を大にして言う。
 「いまこの作品を一体何のために映画化するのか。その意図を聞かせて欲しい」
 調べてみたら公式サイトに次のようなメッセージがあった。

 「『キャプテンハーロック』は単なるリメイクではない。『バットマン』(1989)が『ダークナイト』(2008)に生まれ変わったように、松本世界の魂を大切に保ちながら、より壮大に、より斬新にリブート(再誕)させた作品なのだ」

 東映アニメーションの諸君。恥ずかしいから『ダークナイト』と比肩して語るなんてやめてくれたまえ。君たちにそんな資格は欠片も無い。
 確かに『ダークナイト』は『バットマン』から大きく様変わりした。しかしブルース・ウェインというキャラクター設定は何も変わっていないし、むしろ主人公が背負い続けている“心の闇”という重苦しいテーマにフォーカスすることで単なるアメコミ映画からの脱却を果たし、激しいトラウマを背負ってしまった1人の人間のドラマに昇華されたのだ。それは監督のクリストファー・ノーランがバットマンの世界観を深く考察し、現代に置き換える意味、つまりは改めていま作品をリリースする意味を見いだし、時代にマッチした翻訳作業に腐心し、観客の期待に応え、あるいは良い意味で裏切ったからこそである。
 かたや『キャプテンハーロック』は原作のテーマをまったく踏襲していない。
 腐り切った地球の人間たちに失望し宇宙へ出たはずのハーロックが、なぜ地球を襲う異星人との戦いに乗り出すのか。そもそもハーロックはなぜ地球人に失望をしたのか。親友トチロー、若き日のハーロックとトチローを知る異星人のミーメ、トチローの恋人だったエメラルダス、副長ヤッタラン、そして敵の女王ラフレシア。描くべき人もエピソードも十分すぎるほどあるにもかかわらず、そのすべてをゴミ箱にぶち込み、地球人同士の内戦という視野の狭いドラマを起こし、見た目のインパクトで内容を棚に上げられるフルCGアニメに仕立てたのである。こんな作品のどこに『ダークナイト』と並べて語る資格があるというのか。

 原作は未完のままである。だからこそ原作者の了解を得て映画化する価値はある。現に1978年放送のテレビアニメ版はオリジナル脚本で完結させ、原作に対する不満を少なからず解消してくれた。それと同じ仕事をフルCGアニメで、かつ更に完成度を高めた脚本でやってくれればそれで良いのだ。
 旧い原作に手を出す理由は何なのか。それを成功させるためには何をすべきなのか。
 この手の作品をリブートするときにはもっと熟考してからにして欲しい。これ以上ガッカリするのはゴメンだ。


キャプテンハーロック DVD通常版

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ハワイの若大将(1963年・日本) [2015年 レビュー]

監督:福田純
脚本:笠原良三、田波靖男

 僕にとってのハワイは近いようで遠い。
 初めてのハワイは多分21歳のとき。正月に社員旅行で行った。初めての海外旅行。チェックイン後オーシャンフロントの部屋から見たワイキキビーチの青さに心が震えた記憶がある。
 2度目は多分32歳くらいのとき。これも社員旅行(会社は違う)。ハイアットのそこそこの階に泊まって、まずまずの思いはしたと思うけれど、あまり印象に残っていない。ああ、2度ゴルフしたか。オアフ島はこの2回しか行っていないはず。
 3度目のハワイは新婚旅行のハワイ島。…とハワイは多分これっきりなのだ。その理由は、のちにグアム、サイパン、沖縄の方が海は何倍も綺麗だってことを知り、「ハワイに行く意味」を見い出せなかったことが一番。それと日本人向けのショップやレストランがわんさかあって、ハワイは外国に来た気がしない、というのも大きかった。そうか。だから僕は開発が進んでいない南の島然としたハワイの映像に惹かれるのだな。いいことに気が付いた。本作「ハワイの若大将」を観ようと思ったのも結局はそういうことなのだ。

 若大将シリーズそのものが初見。
 加山さん、若い!細い!歌うまい!セリフ棒読み!(笑)。でも加山さんの棒読みセリフこそが本作最大の“味わい”である。セリフが棒読みであるが故に若大将は「うすらバカ」にしか見えないのだが、うすらバカだからこそ、澄ちゃん(星由里子)にヨットを破壊されても修理代を請求せず、青大将(田中邦衛)に頼まれるがままカンニングをさせて共々停学処分となり、ハワイでは現金やパスポートの入ったバックを紛失し、やはり頼まれるままに青大将の恋心を澄ちゃんに伝えて話がややこしくなるのである。
 つまり、こんなドラマが展開できるのも、そしてそれが許されるのも、若大将がうすらバカに見えるからであって、それはひとえに加山さんの棒読みセリフあってこそ、というワケなのだ。
 個人的には芝居の“間”がないところも気に入った。それはまるでB級カンフー映画で繰り広げられる演武のような対決に等しい。そのため加山さんと“組手”をする相手の役者も、間を排除した芝居を強要されるところが可笑しくて仕方なかった。唯一その間に惑われていないのが田中邦衛さんだ。だから2人の芝居は噛み合っているようで実は噛み合ってなく、若大将と青大将の微妙な関係性を表現するのに役立っているように見えた。

 それにしても、今は見る影もないハワイのロケーションは見ものである。聞けばサイパンでロケをした「南太平洋の若大将」という作品もあるらしい。サイパンには少なからず思い入れがあるので機会があれば観てみたい。

ハワイの若大将 [東宝DVDシネマファンクラブ]

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スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号(2015年・日本) [2015年 レビュー]

監督:柴崎貴行
脚本:米村正二

 昭和38年生まれなのでゴリゴリの仮面ライダー世代なのですが、まさか4歳のムスメにこの映画を誘われるとは。人生ってとっても不思議で相当おもしろい。

 なぜムスメが父を誘ったかというと、そもそも「仮面ライダードライブ」が好きで観ていて、特に仮面ライダーマッハが大好き。「わたし、マッハとけっこんする」と言ってますから。で、劇場版のCMを観て「観に行きたい!」となった。最初はお母さんを誘ったんだけど、さすがにお母さんはライダーに興味がなくて「お父さんと行ったら?」という話になって誘われたと。
 しかしこのシリーズ、昭和ライダー世代として許せたのはアギトまで。龍騎からはどうしても受け入れられなくて(受け入れる必要もないんだけど)最近のライダーは完無視。だからムスメに誘われても「よし、行こう!」とはならなかった。特にドライブは「ライダーなのに車に乗るってなんだよ!」と。しかも最近の仮面ライダーは所詮「代理店(ADK)の犬」で、ライダーのミッションは悪を倒すことではなく、子供におもちゃを買わせる(正確には「親に買わせる」だ)ことだろ、と軽蔑の眼差しだったわけ。ところが…ある日、ライダー3号に起用された及川光博さんのインタビューを観てしまった。
 「ライダーごっこをしていた頃の夢が叶った」
 この一言はデカかった。最近の若い俳優はライダーに起用されてもこんなこと言えませんからね。この瞬間、僕自身もタイムスリップしてしまった。確かに自分もそう。変身できるものならしたかった。よしミッチー、オレの代わりにオレの想いを乗せて変身してくれ!と(笑)。それで「ミッチーの晴れ姿を観に行くか」となったわけです。

 1973年、仮面ライダー1号2号の活躍によってショッカーは全滅したと思われていたが、そこへショッカーが開発した3号が登場し、二人を抹殺してしまった。その後はショッカーが支配する世界になっていた。…という設定が面白かった。
 昭和ライダー世代にとって3号ライダーとは、V3のことですから。V3を蔑ろにする設定だったら、いくらミッチーを観に来たといっても「ざけんなよ!」ってことになったと思います。
 あと歴代ライダーがショッカーの手先になっちゃってて、結局ライダー同士が戦うことになるって設定もいい。仮面ライダーバトルロイヤルが観られるわけですから絵が派手。ただねえ、アクションがモリモリで爆発音が多すぎ。はっきり言って耳が疲れた。ムスメもなんだか途中からぐったりしてたので「うるさくて単調で飽きちゃったんだろうなあ」と。
 ミッチーはお子様向けの演技をされていましたね。とにかく分かりやすく、だからクサくなっちゃうんだけど、まあそれもミッチーだからいいかってカンジ。あ、劇場にはミッチー目当てと思われるアラサー女子同士のお客さんもいましたね。
 3号の造形は「仮面ライダー THE FIRST」の造形を踏襲したもの。ただしスーツがもっさりしててカッコよくなかったなあ。ここが一番ガッカリしたところ。もっとスマートにできなかったのかしらん。

 映画が終わって、ムスメにどうだった?と聞いたら「面白かった!」と一言。え?じゃあなんでグッタリしてたの。「眠かったの」。それって面白くなかったからじゃないのか。よく分かりません。ただお父さんは面白くありませんでした。次回作「仮面ライダー4号」もあるそうで、ムスメに「また行こうね」と誘われましたが、次はやんわり断るつもりです(笑)。

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さびしんぼう(1985年・日本) [2015年 レビュー]

監督:大林宣彦
原作:山中恒『なんだかへんて子』
脚本:剣持亘、内藤忠司、大林宣彦

 言わずと知れた「尾道三部作」の三作目である。
 いや、もはや「言っても知らない」時代か。振り返れば公開されて今年ですでに30年である。30年だが個人的には一度も観たことがなかった。「転校生」(1982)も「時をかける少女」(1983)も大好きな作品だったが、この「さびしんぼう」だけ観ていなかったのは、顔を真っ白に塗った富田靖子の“意味”が分からなかったからである。僕にとってそれは“ピエロ”にしか見えず、ピエロが主人公となるとどうしても「物悲しい映画」としか思えなかったことが一番の理由だった。しかし今回、それとは違う別の理由があって「さびしんぼう」は観ていなかったのだ、と改めて気付いたのだが、その理由は後にしよう。公開当時観ていたらどんな感想を持っただろう、と想像しつつも、30年後に観たからこその感動は少なからずあった。

 寺の住職の一人息子ヒロキ(尾美としのり)は放課後、カメラの望遠レンズで隣の女子校を覗くのが日課。音楽室でショパンの『別れの曲』を弾く少女に恋心を抱いていたからだ。ヒロキはその少女を勝手に“さびしんぼう”と呼んでいた。そんなヒロキの前に、ある日ピエロのような格好をした謎の女の子が現れる。その子の名前は“さびしんぼう”だという…。

 観てみれば、どストレートな初恋ドラマである。
 ただし原作にある「小学4年生のヒロキと小学4年生時代の母親が邂逅する」という不思議な設定(のアレンジ)が重要な味付けになっている。振り返れば「転校生」も「時をかける少女」も、青春時代のちょっと不思議なできごとを描いた作品だった。なるほど尾道三部作とは初恋を主題にしたファンタジー映画シリーズだったのだ。
 しかし三部作の中では本作が一番、監督の「私的」な部分が色濃く出た作品だったと思う。
 顕著なのは序盤、ヒロキの「性格」「恋心」そして「母親との関係性」を、友人二人とのやりとりで説明をする件。設定もセリフもリアリティとはほど遠く、監督の理想とする健全な青少年の、健全な友情、健全ないたずら、そして健全なる悪態と、それに付き合うオトナたちでしかないのだ。これはたとえ30年前でも観ていられなかったと思う。これから観ようという方には「これは大林宣彦風味」と諦めていただくほかない。が、ここさえ我慢すれば、そのあとに大きなお楽しみが待っている。なんと樹木希林と小林聡美が親子役で登場するのだ。この二人を親子にしつらえたキャスティングの破壊力たるや(もちろん30年後に観たからだが)、マーロン・ブランドとアル・パチーノの比ではない。小林聡美と尾美としのりによる「転校生」オマージュのやりとりもあって、このシークエンスだけでも十分に観る価値があると言っておこう。

 さて30年目にして初めて観た「さびしんぼう」は、今だからこそ大切なことを教えてもらった。
 それは「実らない恋ほど人を成長させるものはない」ということ。
 二役を演じた富田靖子の芝居は、それを受け止めた尾美としのりによって完成し、今もって見ごたえのある美しいシーンに仕上がっている。それはあまりにも純真で、僕自身は子どもを持った今だからこそ、改めて素直に受け止められたのではないかと思う。
 30年前僕は22歳だった。「転校生」のときは19歳、「時をかける少女」のときは20歳。しかし22歳のときはもはや学生ではなかった。東京という街で生き馬の目も抜くようなテレビ業界の荒波に揉まれ、すでに何度かの修羅場(シャレにならないので書けない)もかいくぐっていた時分に、我が心と身体は純真無垢な大林映画を求めていなかったのだ。
 記憶に残る未見の映画を観るという行為は、意外と面白いかもしれない。


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ゴジラ(1954年・日本) [2014年 レビュー]

監督:本多猪四郎
特撮監督:円谷英二
脚本:村田武雄、本多猪四郎

 16年ぶりの新作でありながら、いささか食傷気味だったハリウッド版「ゴジラ」。
 では、原点はどうだったのか。
 やはり、今から60年前に作られた作品であることが最大の驚きで、先人たちの勇気と創意にただただ敬服するばかりである。

 本題に入る前に時代背景をおさらいしておく。
 日本映画史における戦後のターニングポイントは1952年である。この年の4月28日に日本はGHQの占領から解放され、検閲を受けることなく自由に映画を作ることが出来るようになった。おかげで翌年から日本映画の公開本数が増加。1952年は34本だったが、1953年49本、1954年51本、そして1955年には81本と着実にその数を増やすのである。
 ちなみに「ゴジラ」が公開された1954年には「七人の侍」と「二十四の瞳」が公開されている。

 南太平洋で行われた水爆実験によって、海底に潜んでいたジュラ紀の怪物が出現。最初に上陸した島の伝説から「ゴジラ」と名付けられる。
 国会では国際情勢を鑑みて公表すべきでないとする一派と、一刻も早く公表すべきとする一派が対立。いずれにしても政府は放射能を帯びた怪獣は抹殺するしかないと検討を始めるが、古生物学者という立場から山根(志村喬)はその決定に心を痛める。しかしゴジラは人間の手におえるものではなかった。
 山根の娘・恵美子(河内桃子)は、水中の酸素を一瞬にして破壊する「オキシジェン・デストロイヤー」を、旧知の科学者芹沢(平田昭彦)が開発したことを知る。この秘密兵器ならゴジラを抹殺できるかも知れなかった。しかし芹沢は「水爆の二の舞にしたくない」と、頑なに拒否するのであった…。

 劇中の時代設定は明確にされていないが、電車内の会話からオンタイムであることが分かる。
 「嫌ねぇ、原子マグロだ、放射能雨だ、その上今度はゴジラと来たわ」
 原子マグロとは、1954年にアメリカがビキニ環礁で行った水爆実験によって被ばくしたマグロのこと。放射能雨とは、同じ実験によって大量にまき散らされた放射性物質が雨となって降ったこと。1945年に2発の原子爆弾を投下された日本は、そのわずか9年後に三度目の被ばくをしていたのである(その様子は新藤兼人監督の名作「第五福竜丸」に詳しい)。
 そんな中、当時961万人が劇場に足を運んだと聞く。
 円谷英二をはじめとする特撮チームの素晴らしい仕事が、ヒットの一因であることは疑いようもない。しかし、エンドマークを見届けた瞬間、これがGHQの占領から解放されて、ようやく声を大にして叫ぶことが出来るようになった反米、反戦、反核映画だったことに当時の人たちは気付いたことだろう。
 とすれば、ゴジラは単なる怪獣などではなく、目に見えない「放射能」を可視化することで明らかになった、「人間にはコントロールできない悪魔」だったことに気付いたに違いない。

 改めて観てみると、当時の日本人は反骨精神に満ちていたことがよく分かる。アメリカからの独立を果たそうとする気概も伝わってくる。そう思うと今年のハリウッド版「Godzilla」に期待した自分はまったくのお門違いだった。「ゴジラ」を作れるのは日本人だけなのだ。そして今こそ日本人の手でリブートしなければならない映画だったのだ。
 ただし、今の日本人(映画会社)にその気概があるかどうか。もしかしたらゴジラに試されているのかも知れない。

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GODZILLA ゴジラ(2014年・アメリカ) [2014年 レビュー]

原題:Godzilla
監督:ギャレス・エドワーズ 
脚本:マックス・ボレンスタイン

 ハリウッド産としては16年ぶりのゴジラである。
 トレーラーの出来栄えが良かったのでそれなりに期待をして行ったのだけれど、よくよく考えたら出来が良かったのは“チラリズム”で作られたトレーラーと、ゴジラの造形であって、テーマではなかった。そう気が付いたのはエンドクレジットを眺めているときだった。

 1999年フィリピンで謎の巨大生物の化石が発見される。化石の一部は卵のようで、しかも孵化して海に出た痕跡があった。
 同じころ、日本の原子力発電所が原因不明の事故に見舞われ、メルトダウンを引き起こす。発電所周辺は放射能による汚染が進み、立入禁止区域となるが、その15年後に驚くべき事実が明らかになる。放射能汚染が消えていたのだ。その理由は放射能をエネルギー源とする謎の生物の存在だった…。

 本作の評価は「ゴジラに何を期待するか」で変わると思う。
 僕が今回のゴジラに期待したのは、第一作のreboot(リブート/再起動/白紙からやり直す)である。
 ゴジラ映画は2004年の「ゴジラ FINAL WARS」が最後になっていた。その後、ゴジラを生んだ国で史上最悪の原発事故が発生したのだ。このタイミングで新作を制作するなら、しかもハリウッドが制作するなら、ゴジラは今こそ「人間が産み落とした恐怖の象徴」として描かれるべきだった。
 しかし期待した新作は「怪獣同士の戦い」をクライマックスに据えた映画だった。怪獣同士の戦いはオリジナルでも2作目以降のフォーマットである。正直いってガッカリした。僕は途中から、出来のいいB級映画を観ている気分だった。ゴジラの造形はいい。動きもいい。表情もいい。それでもただの怪獣映画で終わったのが本当に残念だ。

 ただの怪獣映画だとしても、腑に落ちないことがいくつかあった。
 一番は芹沢猪四郎(渡辺謙)の立ち位置である。この人は一体何の専門家で、何をするためにあちこちの現場でさも当たり前のようにいたのか。実はこの人の“目的”が明確でないために、観客も「何を見せられているのか」が分かり難かったのではないだろうか。
 もうひとつドラマとして不満だったのが、核攻撃という重大なシークエンスがありながら、政府も大統領も登場しなかったことである。個人的にはこの大統領不在がリアリティを希薄にした一番の理由かもしれない。

 繰り返しになるけれど、ゴジラの造形は素晴らしかった。怪獣映画としてのカメラワークも良かった。
 現代の技術でオリジナル版をリブートしてくれたら、間違いなく面白かったはずなのに。もったいない。

GODZILLA ゴジラ[2014] DVD2枚組

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たからさがし(2011年・日本) [2014年 レビュー]

原作:中川季枝子、大村百合子
企画・構成:宮崎駿

 2014年3月9日(日)
 今日は3歳と7ヶ月になろうとするムスメの映画館デビューの日となりました。
 2歳からディズニー映画やジブリ映画を見せてきて、比較的長時間の鑑賞も出来るようになったころから、何度か「映画館に行ってみない?」と話していたのですが、大抵「暗いのコワイもん」と尻込みしていました。ムスメは暗いところが大の苦手。ディズニーランドの「イッツ・ア・スモールワールド」ですら怖がって二度と行きたくないと言うくらいです。
 ところが、ひょんなことから行くことになった三鷹の森ジブリ美術館。
 ムスメもご多分に洩れずトトロが大好きで、最初にねこバスで遊んだあとしばらくして「えいがみにいこう」と誘ったら、特に警戒する様子もなく劇場に足を向けてくれました。
 ジブリ美術館の劇場はベンチシートになっていて、子どもへの配慮が伺えます。でも一番感心したのは、窓が付いていたこと。上映が始まるまでは外光が入る作りになっていて、劇場内は他の展示室となんら変わらない印象です。母親の膝に座ったムスメは中の様子をうかがいながら「暗くなる?」と心配そう。僕は作り付けの窓を見上げて「窓がついてるし、暗くならないんじゃない?」と本気で思ってそう言いました。
 ところが、開演ブザーとともに窓は自動で塞がり、館内は一気に暗くなりました。でも、間髪入れずにフィルムは回り始め、大きなスクリーンが一気に明るくなります。ムスメの目は好奇心に満ちていました。

 上映作品は絵本を原作とした8分40秒の作品です。
 僕は始まって3分もしないうちに涙が出ていました。のっけに感動したのは、小さな子どもに見せるための映画を、たくさんの大人たちが一生懸命作っているんだという事実。そして暗闇を怖がる3歳のムスメを夢中にさせた劇場の存在。その2つに感謝です。
 映画そのものも素晴らしかった。
 雨上がりを待って外に遊びに出た「ゆうじ」が一本の杖を見つけたら、もう1人の男の子「キック」も同時にそれを見つけて引っ張りっこをします。キックがウサギだったのも僕には響きました。大人から見ればキックは人種差別や偏見を超越した存在だからです。
 一本の杖を巡ってかけっこをして、相撲をとって、それでも決着がつかないので、ゆうじとキックは近くに住むおばあちゃんにどうすればいいか聞きにいきます。
 爽快で純真で無垢。
 僕には薄汚れたオトナが今際の際に見るフラッシュバックのように思えて、結局涙は乾くことなくエンドマークを見ることになってしまいました。
 上映中、ムスメの横顔をちらりと観ると、まばたきを忘れているかのような熱中ぶり。上映後に「暗くて怖かった?」と聞くと「だいじょうぶ」と一言。
 いい劇場デビューをはたせた気がします。ジブリに感謝。

たからさがし(こどものとも絵本)

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  • 作者: 中川 李枝子
  • 出版社/メーカー: 福音館書店
  • 発売日: 1994/03/10
  • メディア: 単行本

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永遠の0 (2013年・日本) [2014年 レビュー]

監督・脚本・VFX:山崎貴
脚本:林民夫

 ご無沙汰いたしました。約10ヶ月ぶりの更新になります。
 どうしてこんなに映画を観なくなったのか。本題に入る前にちょっとした私事を。
 
 確かに以前に比べたら忙しいです。
 3歳になったムスメの相手もしたいし、仕事のベクトルが大きく変わって結構な数の本も読むようになったし、本業じゃないのに書き物までするようになった。それでも昔は睡眠時間を削ってでも映画を観ていたのです。「じゃあ一体なぜ?」そんなことを思いながら久しぶりにブログを開いたら、トップページで理由が分かりました。
 僕は「クラウドアトラス」のレビューで燃え尽きていました(笑)。
 読み返して驚いたんですけど、「“面白い”の定義」なんて書いちゃったら、もう他に書くことなんてありません。あの記事が僕にとっては「ナニミル?」での最後の試合だったのだと思います。そして自分でも気付かないうちに真っ白な灰になり、2度とリングへは戻って来れなかった。これが映画から離れた理由のように思います。
 それでも最近になってまた「映画が観たい」と思うようになって来ました。この気持ちが再びリングに上がる闘争本能なのかどうかは分かりません。でも、とりあえずは帰って来ました。
 復帰第一作は「永遠の0」です。

 原作を読んだとき、終盤で大泣きしました。
 自宅で半身浴しながら読み切ったんですけど、汗なんだか涙なんだか鼻水なんだか区別のつかないものが僕の顔面をダラダラと流れていました。一番のポイントは主人公2人、健太郎と慶子の祖父・賢一郎の過去が明らかになる場面です。
 泣きながら、でもフィクションですから「百田さん、巧いなあ」と思いながら読んでいました。構成も伏線もネタバラシも緻密な計算がされていて、「作り物」として非常に優れた作品だと思いました。
 原作売り上げは結局376万部(歴代売り上げ1位)を突破したそうですが、これもフィクションだったからだと思います。たしかに宮部久蔵の物語は心を掻きむしりたくなるほど哀しい。けれどこれは事実じゃないという現実が、読者の涙を感嘆に変え、そして人に勧めたくなる。この連鎖が過去最高のヒットに繋がったような気がします。
 思い出すのは「猟奇的な彼女」です。共通するのは劇的なフリ戻し。どんでん返しにしたテクニックですが、実はどんでん返しの何倍も難しいワザです。序盤の、いずれ戻すことになるシークエンスを、観客の印象にどこまで残せるかがポイントで、下手に印象づけをキツくするとネタバレの可能性がありますし、印象づけが薄いと繋がらないというリスクがあるからです。
 フリ戻しを知っている以上、映画そのものに期待することは特にありません。だから(ほとんど)不満もなく観ていられました。144分という長尺もまったく感じません。岡田准一くんカッコいいなあ、とか、井上真央ちゃん可愛いなあ、と思いながら観ていて、順当に泣きました。原作のときほどじゃありませんでしたが、井上真央さんの芝居のシーンが特に泣けました。こんなに可愛い女性がひどい苦労をして…(笑)。

 この映画のことを一部の人たちが批判しています。
 一部の人たちの多くの意見は「特攻隊を美化している」らしいのですが、このドラマのどこが特攻隊の美化なのか分かりません。仮にそうだったとしても僕はこれで良いと思っています。なぜなら「戦争を知らない世代のために、戦争映画は作り続けなければならない」と思っているからです。
 でもそのためには「観てもらえる戦争映画」を作らなければなりません。そういう意味でも「永遠の0」はいい原作だったと思います。戦争を題材にした1級のエンタテインメントが世に出たわけですから。

 終盤、原作にはないシーンがありました。
 健太郎(三浦春馬)の目の前を、宮部久蔵(岡田准一)がゼロ戦で飛ぶシーン。
 これ、アイディアとしては良かったんですけど、どうせならもっと現代の東京らしい場所で飛ばして欲しかった。そうすれば「彼らがいてこそ、今の私たちがいる」というメッセージがより伝わったように思います。…と、大きな不満はこれくらいです(笑)。
 白組のCGも見事で、大きなスクリーンで観る価値がありました。

 

永遠の0 DVD通常版

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  • メディア: DVD
永遠の0 (講談社文庫)

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クラウド アトラス(2012年・アメリカ) [2013年 レビュー]

原題:CLOUD ATLAS
監督・脚本:ラナ・ウォシャウスキー、トム・ティクヴァ、アンディ・ウォシャウスキー

 久しぶりに劇場に足を運びました。
 172分の大作ですがまったく飽きることなく観られた面白い映画でした。でも「どう面白かったのか」を伝えるのとても難しい映画だったので、今日はまず「面白い」の定義についてお話しします

 そもそも面白い」と「面白くない」の分岐点はどこにるのでしょうか。
 思うに
それは「観客が作り手の意図を理解できたか否か」にあると思います。
 作り手は当然「自分たちなりに面白いもの」を作ろうとします。それが古典的であろうと革新的であろうと、自分の感性と価値観と先見性を信じて、ものづくりに励みます。

 たとえば「ダンディなスパイが次々と難局を乗り越え、祖国の危機を救う」という映画があったら面白いんじゃないか、と思ったプロデューサーがいます。彼はその着想を別の作り手と共有し、1本の映画に仕上げ、世に送り出しました。映画はプロデューサーの想像を超え大ヒットとなるのですが、これは多くの観客が「プロデューサーの意図に共鳴し、面白さを理解した」からだと思うのです。
 つまり「面白い」と「理解」はイコールで、逆にヒットしない映画は「観客の理解を得られない、ちょっと分かり難い映画」だからではないでしょうか。
 ただ「理解」のスピード作品によって異なります。
分かり易い映画は瞬時に理解出来ますから、伝播のスピードも速く、瞬く間にヒットします。一方テーマが精神世界に及んでいたり、表現や設定がトリッキーだったりすると観客は戸惑い、理解に時間がかかります。
 それでも何日か後ふとした瞬間すとん理解の塊”が降って来るときがあります。まるで中年の筋肉痛のようなタイムラグは、作品に籠められたメッセージが深ければこそですそうして誰かが気付いた「映画の見方」が口コミで広がると、ゆるやかにヒットするというケースあります。残念ながらそれがDVDリリースのタイミングになるときもあるのですが…。
 
「クラウド アトラス」もそんな作品です。
 僕は「興行成績は芳しくないだろうな」と思いながら観ていました。映画の構造以上にテーマ偏差値が高く、一度観たくらいではなかなか理解し難い作品だったからですではウォシャウスキーたちはなぜこんな作品を作ったのでしょうか
 
れは
作り手のある想い”が関係しています。

 作り手は皆、自分の中に「表現したい何か」を持っています。
 
言い換えれば自分の感性と価値観と先見性をカタチにして、身体の外に放出したい」という欲求です。ただしこれは作り手目指すときの動機に過ぎません。実際に作り手側に回ってみると欲求の放出」はマスターベーションに過ぎないことに気付きます。
 ものづくりを自己満足で終わらせないためには、金と名誉を手にする必要があります。商業映画の場合は興行的な成功以外に目指すべきゴールはありません。ところがそのゴールテープを何度も切ってしまった一握りの作り手たちは、さらなる高みを見ようとしますその頂きにあるのは何か。「永遠の命」です。

 
人はいずれ死にます。しかし評価された芸術は死にません。ダヴィンチは死んでもモナリザは生き続け、モネは死んでも睡蓮は咲き続けています。アーティストの村上隆は自著「想像力なき日本」でこう言いました。
 「“時のふるい”にかけられたときに、残ることができるか、できないか。ある意味でぼくは、死後に備えて作品をつくり続けているとも言えるのです。それは『死んでからが勝負』という発想です」
 ウォシャウスキーたちの“ある想い”とはいずれ肉体朽ち果てようとも、が魂は遺したい」つまり「永遠の命を持った映画を作りたい」いうことです
 では「永遠の命を持つ映画」とはどんな作品なのでしょうか。
 
それはきっと「一度観れば充分」という単純な映画ではないはずです。僕ならば「人々の記憶にこびりついて離れず、何度も観たいと思わせる映画を作りたい」と考えますとなると目指すべき道は自ずと見えて来るでしょう
 それは「普遍的であること」。
 
チョイスしたテーマは、「人類永遠の謎」でした

 本編は時代も場所も異なる6つのエピソードが交錯します。
 【1849年、南太平洋波乱に満ちた航海の物語
 【
1936年、スコットランド幻の名曲の誕生秘話】
 1973年、サンフランシスコ巨大企業の陰謀を暴く人々
 2012年、イングランドある編集者の大脱走】
 2144年、ネオソウル伝説のクローン少女と革命兵士】
 そして遥か未来崩壊した地球での戦い
 さて。
 僕が「面白かったけれど、面白さを伝えるの難しい映画だな」と感じたのはこの部分です。
 一口に「人類永遠の謎」と言っても、イメージするものは人それぞれだと思います。たとえば「人間何を成すために生まれて来たのか」と「人は何処から来て何処へ行くのか」ではまったく意味が異なります。しかしどちらも「人類永遠の謎」と言えるでしょう。
 つまりこの作品は「自分にとっての『人類永遠の謎』と向き合い、その答えを自分なりに見出す映画」なのです。
 ウォシャウスキー姉弟とティクヴァは、いい映画を作ったと思います。観客は観るタイミングによって受け止め方を変えるでしょうし、観れば観るほど自分のにある「人類永遠の謎」への理解を深めることでしょう。

 原作未読を先に断っておきますが、一人の役者が時代を超えて異なる人物を演じる、というアイディアは実に映画的だったと思います。本作は「ソウルメイト」もモチーフのひとつですが、分かり易さという点においては確実に原作を上回っているはずです。俳優の特殊メイク単なる“見世物”と見えなくもないのですが、本作の正しい見方さえ心得れば、余計な雑念は消えることでしょう。
 個人的には、僕にとっての永遠のアイドル、ペ・ドゥナ観たさで劇場へ行ったようなものなので、ネオソウルを舞台にしたエピソードが一番愉しめました。
 彼女は空気人形」に続いて、血の通わないアンドロイドを演じたわけですが、無表情の中に見せる喜怒哀楽がここでも素晴らしかった。このエピソードを見るためだけに1800円払う価値がありました。

 最後に本作を愉しむためのアドバイス。
 「物語を俯瞰して下さい
 僕は「人間の身体は所詮乗り物でしかない」という思いを新たにしました。それは人が生まれて来た意味は一代では出せないのだ」と言うこと。
 この映画に救われる人がきっといると思います。


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イップ・マン 誕生(2010年・香港) [2013年 レビュー]

原題:葉問前傳/THE LEGEND IS BORN - IP MAN
監督:ハーマン・ヤオ
脚本:エリカ・リー、リー・シン

 ヒット作の続編でいわゆる前日譚にあたるものは、およそ駄作が多いと警戒している。
 今までで一番痛い目に遭ったのが「新・明日に向って撃て」であることは、ここ何度も書いて来た。はたしてイップ・マンの場合はどうだろう。

 「誕生」編は、6歳で詠春拳を学び始め、やがて成人して家庭を持つまでが描かれている
 敵役に日本人が配置されているのは過去2作と同じ。ここに幼なじみとの三角関係という要素加味されて、文字通りイップ・マンの「青春時代」を描いたストーリーだが、物語としてはあまりにも平凡だ。
 日本人の設定(悪徳貿易商人)も使い方(裏金を受け取らない中国人をシメパンチに欠けるしそもそも演じる澤田拳也がイマイチで(髪型なんてコシノジュンコだし我々が日本人であることを忘れてもカタルシスを感じるに至らず、なんともお粗末な復讐劇となっている。
 初恋のシークエンスは、相手役のチャン・ウィンセンがまずまず可愛かったので百歩るとして、さて一番肝心なのはカンフーシーンである。
 

 イップ・マンを演じるのはもちろんドニー・イェンではない。
 ドニー・イェンに似たデニス・トーという無名の俳優である。実際に6歳の頃から武術を習い始め、18歳のとき史上最年少で「世界武術選手権大会」(知らないけど)で優勝したことがあるらしい。確かに(ドニーほどではないけれど技は悪くない、しかしカンフーシーンの大半はフィルム早回しされていて、これには興ざめしてしまった。
 
序章」との最大の見どころは間違いなくドニー・イェンカンフーだった。 
 流れる水のような、無駄の一切無い、美しくも激しいカンフー
 それが今回は「完全に作られたもの」に見えてしまったのが残念役者がどう頑張っても動きが遅く見えるのなら、その先の工夫は監督が行うべきである
 
カット割りを熟考して撮影し、編集で劇的に見せる方法はきっとあったと思う。

 無名の俳優を使う保険として、懐かしい人たちが担ぎ出されている。
 サモ・ハン・キンポーとユン・ピョウ「燃えよドラゴン」にエキストラ出演していた2人が、ブルース・リーの師匠の映画に出て来るのだ。まだ幼いイップ・マンの前で手を合わせ2人のシーンは、長年カンフー映画を観て来た者には実に感慨深い。個人的にこのシーンだけは観る価値があった願わくばジャッキー交え3人の新作映画を観てみたいと思う。

 イップ・マンの実の息子、という人も出て来る。スタッフの顔色を伺いながらセリフを棒読みする老人がいて、何者かと思ったらこれがイップ・チュンだった。スタントマンを使ってはいるが、この人とデニス・トーの組み手も見物。

 しかし主軸のストーリーどうにも貧弱で、やはり「前日譚」に佳作無しの証明になってしまった。
 残念。

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