わるいやつら [2010年 レビュー]
「わるいやつら」(1980年・日本) 監督:野村芳太郎 脚本:井出雅人
「松本清張を観る」第2弾。
原作は1960年から1年半に渡り「週刊新潮」に連載。女好きで知られる開業医の病院長が、愛人の夫を毒殺したことから始まる転落の人生を描いた長編小説である。
「やつら」とタイトルにある通り、病院長以外にも欲深い人間が何人も登場する。おかげでドラマの設定は面白いが、映画としてどうかは別問題だ。
スタート早々驚いたのは、映画音楽が恐ろしいほどチープだったこと。
音楽を担当したのは芥川也寸志。名作「砂の器」も芥川さんの手によるものだが、本作との大きな違いは恐らく「オーケストラ・サウンドであるか否か」だろう。映画「砂の器」の主人公は天才ピアニストにしてロマン派風の作曲家という設定であり、映画音楽も当然オーケストラ・サウンドが多様されていた。しかし本作は電子楽器を用いたポップス・サウンドが主体。
そういえば、この時代の映画音楽はどれもこんな音だったように思う。すぐに思い出したのが東映製作の松田優作作品、そして数々の角川映画。当時は何とも思わなかったけれど、今になるとどうにも薄っぺらい。これは70年代にシンセサイザーが登場し、安く効率的に音楽が作れるようになったことが一番の理由かと思う。また当時のディスコブームも無縁じゃないだろう。
「新しいものほど鮮度が短い」。その典型を見たような気がした。
松本清張が本作で書きたかったテーマは、「すべての人間が持ち合わせる“悪”という種」だったと思う。その種を開花させてしまった人間が罪を犯し、人の道を外れて行く。では“悪”を開花させる要素とは何か。それが本作の登場人物の背景と重なる。
知識を持つ者。権力を持つ者。弱みを握る者。虐げられた者…。
そんな彼らがここでは“悪”の種を開花させ、「わるいやつら」となって行くのだ。構造としては素晴らしく面白い。しかし、残念ながら脚本に無理があった。一番の難点はクライマックス。主人公信一(片岡孝夫)の悪事を暴く刑事(緒形拳)の推理が、どこから導き出されたものなのか、その説明が極めて希薄。確かに観客はその一部始終を目撃して来た。だからと言って、刑事が信一のシッポを掴む件が無くていいわけがない。なぜ信一の悪事は白日の下に晒されるのか、その説明が無ければ「なぜバレた?」という余計な疑問が邪魔をして、観客はストーリーから逸脱することになるのだ。
個人的に一番気に入らなかったのは、緒形拳が首に巻いたギプスに何の意味もなかったこと。もしや信一が急停車させたクルマの後ろにいたタクシーに乗り合わせていた、なんて展開になるのかと思いきや、本当に何の意味もないギプスだったのでガッカリしてしまった。
片岡孝夫(現・十五代目片岡仁左衛門)は良かった。彼自身の育ちの良さも手伝って、見栄っ張りの男の馬鹿さ加減は存分に出ていたと思う。ところが女たちのしたたかさは今一つ描ききれていない気がした。特にデザイナー槙村隆子(松坂慶子)と料亭の女将(梶芽衣子)のキャラがパンチに欠けていて残念。
それにしても「霧の旗」のような60年代の映画からは凄まじいパワーを感じるのだが、80年代に入ると途端に出力不足になるのは何故だろう。その謎を探る好例ではあるかも知れない。
「松本清張を観る」第2弾。
原作は1960年から1年半に渡り「週刊新潮」に連載。女好きで知られる開業医の病院長が、愛人の夫を毒殺したことから始まる転落の人生を描いた長編小説である。
「やつら」とタイトルにある通り、病院長以外にも欲深い人間が何人も登場する。おかげでドラマの設定は面白いが、映画としてどうかは別問題だ。
スタート早々驚いたのは、映画音楽が恐ろしいほどチープだったこと。
音楽を担当したのは芥川也寸志。名作「砂の器」も芥川さんの手によるものだが、本作との大きな違いは恐らく「オーケストラ・サウンドであるか否か」だろう。映画「砂の器」の主人公は天才ピアニストにしてロマン派風の作曲家という設定であり、映画音楽も当然オーケストラ・サウンドが多様されていた。しかし本作は電子楽器を用いたポップス・サウンドが主体。
そういえば、この時代の映画音楽はどれもこんな音だったように思う。すぐに思い出したのが東映製作の松田優作作品、そして数々の角川映画。当時は何とも思わなかったけれど、今になるとどうにも薄っぺらい。これは70年代にシンセサイザーが登場し、安く効率的に音楽が作れるようになったことが一番の理由かと思う。また当時のディスコブームも無縁じゃないだろう。
「新しいものほど鮮度が短い」。その典型を見たような気がした。
松本清張が本作で書きたかったテーマは、「すべての人間が持ち合わせる“悪”という種」だったと思う。その種を開花させてしまった人間が罪を犯し、人の道を外れて行く。では“悪”を開花させる要素とは何か。それが本作の登場人物の背景と重なる。
知識を持つ者。権力を持つ者。弱みを握る者。虐げられた者…。
そんな彼らがここでは“悪”の種を開花させ、「わるいやつら」となって行くのだ。構造としては素晴らしく面白い。しかし、残念ながら脚本に無理があった。一番の難点はクライマックス。主人公信一(片岡孝夫)の悪事を暴く刑事(緒形拳)の推理が、どこから導き出されたものなのか、その説明が極めて希薄。確かに観客はその一部始終を目撃して来た。だからと言って、刑事が信一のシッポを掴む件が無くていいわけがない。なぜ信一の悪事は白日の下に晒されるのか、その説明が無ければ「なぜバレた?」という余計な疑問が邪魔をして、観客はストーリーから逸脱することになるのだ。
個人的に一番気に入らなかったのは、緒形拳が首に巻いたギプスに何の意味もなかったこと。もしや信一が急停車させたクルマの後ろにいたタクシーに乗り合わせていた、なんて展開になるのかと思いきや、本当に何の意味もないギプスだったのでガッカリしてしまった。
片岡孝夫(現・十五代目片岡仁左衛門)は良かった。彼自身の育ちの良さも手伝って、見栄っ張りの男の馬鹿さ加減は存分に出ていたと思う。ところが女たちのしたたかさは今一つ描ききれていない気がした。特にデザイナー槙村隆子(松坂慶子)と料亭の女将(梶芽衣子)のキャラがパンチに欠けていて残念。
それにしても「霧の旗」のような60年代の映画からは凄まじいパワーを感じるのだが、80年代に入ると途端に出力不足になるのは何故だろう。その謎を探る好例ではあるかも知れない。
2010-01-04 15:49
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コメント(6)
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原作既読、映画未見です。
ビデオのパッケージの片岡孝夫を見たとき、「ああピッタリ」と思いました。
音楽はチープでしたか・・
緒形さんは、リアルで怪我をしてたんでしょうか?
この時期は、NHKでも和田勉さん演出で、松本清張シリーズをしていましたが、そちらは結構重厚でしたね。音楽も映像も。
80年代の松本清張映画だと、「天城越え」を思い出します。
これは監督さんが田中裕子に惚れこんだような映画でした。
by Sho (2010-01-04 23:11)
実は「天城越え」も観る予定にしています。
拳さんは、リアルむちうちだったかも?と一瞬思いましたが、
でも撮影のときだけ外すことだって出来るだろうに、と思い直しました。
原作にも無いんですね、そういう描写。なんだったんだろうw
nice!ありがとうございます。
by ken (2010-01-05 02:45)
明けまして、おめでとう御座います。
今年も宜しくで御座います。
現在、第3期15代仁左衛門萌え(第1期はこの作品で
片岡孝夫ファンになったのです)でございまして、
先日遠くのDVDレンタル屋まで行ったんですが、
他に浮気してしまいました
あんまり面白くないですかね?
また、きっかけがあれば是非見たい作品ですが・・
by spika (2010-01-05 18:38)
仁左衛門萌え~な方には悪くないと思いますよ。
若かりし仁左衛門を見て、また惚れ直すかも知れませんw
nice!ありがとうございます。今年もよろしくお願いします!
by ken (2010-01-06 01:43)
仁左様ラヴなワタシはDVDが発売された直後に、購入して観たのですが、作品そのものはまったく印象に残らなかったです。あんまり古い邦画を見慣れていないのでしっくりこなかったのか、とも思ったのですが、やはり作品として今イチだったんですね。デザイナーのキャラにパンチが欠けるに賛成です。レビューにもなってないつぶやきを当時書いていたのでTBします。ちなみに2005年のクリスマスイブにこの記事アップしているようなのですが・・・サビシイですねぇ。
by カオリ (2010-01-06 22:59)
5年前と今とではずいぶん環境が変わりましたねw
と、それはともかく。やっぱり作品としてイマイチなんですよ。
ただ旧い邦画も60~70年代ものには当たりが多いと思いますよ。
nice!ありがとうございます。
by ken (2010-01-06 23:19)