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博士の愛した数式 [2006年 レビュー]

博士の愛した数式」(2006年・日本) 監督・脚本:小泉尭史 原作:小川洋子

 第1回本屋大賞に輝いた小川洋子氏の原作は、数学の魅力を文学に変換した稀代の小説である。
 例えばアカデミー作品賞を受賞した「ビューティフル・マインド」(2001)のように数学者の生き様を描いた作品は数あれど、人の思いを言葉(文字)でなく数式で表現した作品はおそらく「博士の愛した数式」意外に存在しないだろう。

 あまりの面白さに僕はこれを「理数系文学」と勝手に呼び、知人に宣伝して回ったが、まさか映画化は難しかろうと思っていた。
 数式とは文字や数を演算記号で結びつけて表したものである。つまり言葉で聞くよりも目で見るべきものであって、だからこそ活字媒体には適していたが、映像媒体には不向きな素材だと思ったからだ。
 ところがこれを
雨あがる」「阿弥陀堂だより」の小泉尭史監督が撮ると聞いて僕の期待は膨らんだ。小泉監督ならなんとかしてくれるかもしれない。僕は素直にそう思った。

 原作モノの映画について僕は、「原作を読まずとも理解できる作品であることが大事」と事あるごとに書いてきた。だからここでも一旦原作を忘れることにする。
 
 冒頭“ルート”と呼ばれる若い数学教師(吉岡秀隆)が新学期を向かえた高校生を前にして“博士”と呼ぶ人の話を始める。
 なぜ?
 この理由がまったく明らかじゃない。“ルート”の台詞で「僕が数学の教師になったワケ」と断りはあるが、展開はあまりに唐突で仮に僕がその教室にいたら「なんで今そんなハナシをするんだ?」と間違いなく思う。
 しかし、数学に関する考察をドラマの中に取り入れるためには、「教員が黒板に書いて説明してみせる」という設定が一番素直な見せ方であるのも事実。
 以降“ルート”は本編のストーリーテラー的な役割を果たすのだが、個人的にはこのシーンの吉岡秀隆と高校生たちの芝居がどうにもわざとらしくて好きになれず、このシーンが挿入される度にゲンナリした。吉岡秀隆は“悩みを持たない青年”を演じるのは無理なのだ。“ルート”は妻夫木聡あたりにやってもらうのが良かったと思う。やらないと思うけど。

 博士(寺尾聰)の上着についた白い紙切れの説明もなかった。
 ドラマが進むうちにその意味は分かるようになるが、家政婦(深津絵里)との初対面のシーンで、見た目あきらかにおかしいその姿に触れないのはリアリティを欠いた描写じゃないだろうか。

 そして一番肝心なポイントは、
ドラマとしての“感動のしどころ”ははたしてどこだったのか?ということだ。
 80分しか記憶がもたない初老の数学者を憐れむのか。
 家政婦とその息子の優しい心に触れて癒やされるのか。
 許されない愛を秘めた2人に涙するのか。

 原作と映画の最大の違いは、博士と義姉(浅丘ルリ子)の関係のウエイトだ。
 この2人の関係を原作以上に厚くした理由は「ここを掘り下げなければドラマとしての成立は難しい」と小泉監督が判断したからだろう。
 確かに初老の天才数学者と、彼を見守る家政婦とその息子の交流だけでは波風の立てようがない。と言いながら実際原作が面白いのは、ところどころ数式をまぶして見せた3人の日常なのだが、ここが小説と映画の“果たすべき責任の差”(あるいは“求められる物の差”)だ。
 映画は2時間と言う限られた時間の中で、膨大な情報量を持つ原作を再構築し起承転結を組み立て、それをすべて映像にしなければならない。当然カットするエピソードは膨大で、なのに原作にないエピソードを無理やり作って挿入することもあるのだ。すべては“おもしろい映画”を作るために。
 小泉監督はドラマの完成度を高めるために義理姉弟の関係を厚く描くことにした。判りやすくするために原作にないエピソードも作り挿入した。おかげでドラマとしての深みは出たのかも知れないが、結果的には原作ファンと若年層の理解を得られない作品になってしまった。これは大いなる誤算だったことだろう。
 ベストセラーの映画化とはかくも多大なリスクを負う仕事なのである。
 
 最後に原作目線で気がついたことを2つ。
 “
日本一可愛いおじぎをする女優”深津絵里が家政婦の役に合っていたかどうかはちょっと疑問。
 結婚できない男を愛し、その男の子供を産み、たった1人で息子を育ててきた女が、一点の曇りも影もない笑顔を見せる深津絵里で良かったとは思わない。これが池脇千鶴だったり、山口智子だったり、松たか子だったりしたら、ずいぶんと作品の雰囲気も変わっただろう。
 もうひとつ。
 原作者の小川洋子さんが薪能のシーンでエキストラ出演しています。以上(笑)。

博士の愛した数式

博士の愛した数式

  • 出版社/メーカー: 角川エンタテインメント
  • 発売日: 2006/07/07
  • メディア: DVD

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コメント 14

Naka

こんばんは。私もこの原作にはとても感動しました。
映画は原作とはかなり違ってましたが、
数学における真理と同じく、人間の愛も見えないけど確かなものだと、
人生の価値を説いている点では、原作の精神は映画で可能な限りは
表現されいてるのかなと思いました。
あと個人的に、吉岡くんの甘ったるい声は苦手です(笑)。

kenさんの映画評をいつも楽しく拝読していますが、
目のほうもお気をつけ下さいね(^^。
by Naka (2006-08-06 01:03) 

ken

原作の精神ですか。なるほどそうかも知れませんね。
でも伝わり難い気がしました。
吉岡秀隆はシャープのCM、「ネコです…」に聞こえてしょうがない(笑)
目は大事にしています。nice!ありがとうございます。
by ken (2006-08-06 03:20) 

へちま38

博士と義姉のプラトニックな香り&現在の関係が
本の中で面白いなぁと思った大きなポイントだったので
そこを動かされてしまって どうしてよいかわからなくなってしまいました。
寺尾氏も浅丘氏も見た目はイメージ通りだっただけに自分としては残念。
ルートも{活発で利口」には見えなくて残念。
桜や土手の景色は美しくて素敵でした。
「ネコです・・・」は大好き(笑)
ブラウンのアメショ・飼いたくなります。
by へちま38 (2006-08-07 18:50) 

ken

子役のルートは明らかに吉岡秀隆の子供時代、すなわち「北の国から」の
純くんを探した感じでしたね。あれは失敗だったと思います。
by ken (2006-08-07 19:40) 

banana

kenさん、こんにちは~^^

原作読んでないのでほんとはあんまりどうこう言っちゃいけないのかもしれないけど・・・・

>一点の曇りも影もない笑顔を見せる深津絵里

あうーー!!まさに!!わたしもひっかかってました、そこ。
深津絵里は好きですが、あの設定であの屈託の無さはちょっと空々しくて鼻についたかも・・・

あと

>吉岡秀隆と高校生たちの芝居がどうにもわざとらしくて好きになれず、

うー・・・そうでした。なんか周りの高校生が妙に明るく爽やかで素直で
「この先生の話を素直に聞けないキミは人間としてひねくれてるよ」という押し付けがましさを感じてしまった・・・(考えすぎ?)

でも寺尾彰の演じる博士の人柄は好きだったし、わたしは数学はぜんぜんダメですが、あの数式のお話は美しいと思っちゃいました。
やっぱり原作読んだほうがいいですよね、これ。
by banana (2006-08-09 11:05) 

ken

この原作は読んだほうがいいです。
とても優しい文章なのですらすら読めると思いますよ。
あら?英語小説みたいな言い方になっちゃいましたね(笑)
nice!ありがとうございます。
by ken (2006-08-09 14:32) 

keiko-nari

原作は読んでみたいと思います。
はじめ、予告をどっかで見たときに、あ~みたいね~と思ったのですが、
実際に見始めると、どうにも集中できず最後まで見てません。
ざんねんまる。
by keiko-nari (2006-08-13 23:44) 

ken

はい。ぜひ読んでくださいませね。
しかしなんで映画には集中できなかったのでしょうか?
by ken (2006-08-14 00:18) 

tomoart

コメント&トラックバックどうもでした。
kenさんとは少々、感じ方が違っていたようですね。まぁ、感想なんて人それぞれなのが楽しいのでw
もしかしたらkenさんとの一番の違いは、私が映画から観て原作を後から読んだ事にあるのかもしれません。だから、例えば博士と義姉の関係は始めから男女の関係だった訳で。

どちらと言えば、私は原作より映画の方が好きですね。
by tomoart (2006-12-27 01:07) 

ken

読んでから観るか、観てから読むか…って昔の角川映画のコピーみたいな
そういうことですね(笑)。
確かにどっちが先かによって受け止め方は変わりますもんね。
by ken (2006-12-27 01:28) 

satoco

私は原作を読んでいないのでなぜ教師が語る形式なのか?と疑問でしたが、おかげで理解できました。

> そして一番肝心なポイントは、ドラマとしての“感動のしどころ”ははたしてどこだったのか?ということだ。

全く同感です。

原作は相当面白いと聞いていますので今度読んでみます。

それから深津絵里が日本一可愛いおじぎというのが、うまい!です。

後日TBさせてください。
by satoco (2007-09-16 21:49) 

ken

自分でも久しぶりにこの記事を読みました。
「原作モノ」は原作を読まずとも面白い映画であるべき、と言う割りに
かなり原作に肩入れしたレビューになってましたね。
いい加減な男だな、僕も(笑)。
原作、お楽しみ下さい。
深津絵里。今でも日本一お辞儀がうまいと思います(笑)。
nice!ありがとうございます。
by ken (2007-09-17 01:58) 

midori

私は先に本を読んでいて感動し、映画化されたというので興奮して、
公開前に上映された東京国際映画祭のチケットを買い、
会社を休んで観に行き、ガッカリした思い出があります。
すべてが空々しくて、音楽も大げさで、嫌になってしまいました。
これが例えば、アメリカとかイギリスとかで英語で作られて、
西洋人の俳優が演じて、我々が日本語の字幕を読まされたのだったら、
そう、活字を読むのだったら、感動できた気がするんですよねぇ。
実に残念です。リメイクの話ないかしら?
by midori (2007-10-07 22:25) 

ken

わざわざ会社を休んでまで行かれたのですね。
それはご愁傷様でした(笑)。
字幕だったら感動できたかも?というのは画期的な意見ですね。
リメイク、されないと思います。どう考えても。
by ken (2007-10-08 00:25) 

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