マイ・ボディガード [2007年 レビュー]
「マイ・ボディガード」(2004年・米/メキシコ) 監督:トニー・スコット 脚本:ブライアン・ヘルゲランド
まだ僕が青物横丁のGEOに通っていた頃、この作品はすでに1週間レンタルの分類に入っていた。それでも妙に人気のある作品で、確かそこには5枚ほどのストックがあったにもかかわらず、気が付くとすべてが貸し出し中だったりした。だから僕は「いつか観よう」と思っていたのだけど、GEOで何度か手にとっては悩み、また棚に戻すという作業を繰り返し、結局今日まで観ることはなかった。
「どうしてだろう?」と僕はずっと思っていたのだけど、映画を観たらその答えが分かった。
この邦題が悪いのだ。
「マイ・ボディガード」の「MY」はダコタ・ファニング演じる少女の所有格である。だから僕はダコタ目線で展開する映画なのだと思っていた。
実際には違う。
原題は「MAN ON FIRE/燃える男」である。これはデンゼル・ワシントンが主役のハードボイルド映画だった。
正直言って、かなり面白い映画だと思う。GEOでの人気も合点がいった。
またストーリーもさることながら、この映画にはハリウッド映画の功罪が詰まっていて面白い。
この先ではその分析をする。あくまで個人的な覚書(イコール、ネタバレ)なので、未見の人は立ち入らないで欲しい。
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悪いところから挙げてみる。
ハリウッド最大の「悪」は、スタジオが力を持ち過ぎているところだ。
編集。
あまりにもアーティスティック過ぎる。トニー・スコットはもともとアートを専攻していた人だけに気持ちは分からなくもない。スタジオのお偉方にも(なんだかワケが分からなくて批判のしようがなく)ウケるかも知れないが、これをロバート・レッドフォードやクリント・イーストウッド、あるいはアジアの監督が撮っていたら過剰な加工はしないで、もっと人間心理を追求した編集になったんじゃないかと思う。
莫大な製作費を回収するために地味な作品にはしたくなかったスタジオの思惑が見て取れる。
本編ラストのテロップ。
何ゆえ“VOICE”の行く末を伝える必要があったのか。ノンフィクションじゃあるまいし。
これは一般試写のアンケートで「最後に首謀者がどうなったのか分からない」という声が多数あったのだろう。その反応を受けてスタジオが注文したエンディングだったに違いない。だったら新たなエンディングを撮り直せばいいものを、スタジオはその資金は出さなかったのだろう。酷いハナシだ。
キャスティング。
クリストファー・ウォーケンとミッキー・ロークは完全に客寄せのためにキャスティングされたと推測する。
出てくるスターがデンゼルとダコタのみであとはメキシコ人なんてことにしたくなかったんだろう。「それじゃ売れない」と誰かが言ったに違いない。
しかしストーリーの展開からみてもミッキー・ロークは完全にミスキャスト。コイツが善人なワケがない(笑)。複雑なストーリーをキャスティングで分かり易くしようとしたのかもしれないが、これは完全に失策。
良いところを挙げてみよう。
なんと言っても、ダコタ・ファニングの扱いが最高に巧い。
まず当たり前の話だが、タイトルロールの俳優(ここではデンゼル・ワシントン)が本編の途中で死ぬことはあり得ない。準主役も複数いる場合はこの限りではないが(思いつくところでは「アンタッチャブル」のショーン・コネリー)、本作のようにダコタ1人となるとまずそれは考えにくい。だから「誘拐されて殺される」という設定でダコタの出番が無くなっても、“映画のセオリー”を知る観客は「ゼッタイに生きてる」と信じている。それがストーリーにのめり込んだ観客心理なら作り手としてはしめたものだが、実際ほとんどの観客は「予定調和」としか思っていない。
「どうせダコタは生きてるんでしょ?」
こう思われたら映画としてはアウトだ。作り手は誰しもこの予定調和を嫌う。そして予定調和の排除に頭を悩ませる。
さらに。
「本当にダコタの出番はこれで終わったのか?」
こんな心配を観客がしてしまってもアウトだ。この思いが長く続くと客はストーリーに乗り遅れてしまい、結果的には「なんだか付いて行けなかった」という曖昧で最悪な感想を抱いてしまうのだ。
本作が優れていたは、「この先、ダコタは出てこない」と観客に信じ込ませたところだ。特に僕は「マイ・ボディガード」という邦題にダマされているから、「一連はすべて予定調和だ」と思っていた。そして「あの子を返してあげる」というメキシコ人女性のセリフで「ほらみろ」と思うのだが、実際に顔を見せるのはまったく別の少女だった…。
このシークエンスは効いた。
瞬間、僕は「ああ、ピタは本当に殺されたんだな」と理解し、クリーシーの怒りに共感した上で復讐のカタルシスを堪能するのだ。
しかし、これがもうワンランク上の巧い脚本だと、死んだはずのピタを再び登場させることが出来る。そのためには誰もが納得する理由が必要になるが、それが出来ると「破ったカードを元に戻すマジック」のように客を唖然とさせられる。
トニー・スコットとブライアン・ヘルゲランドは見事なマジックを披露した。忘れていた頃にダコタが登場するのだ。これは見事だった。
「マイ・ボディガード」は予定調和に打ち勝った久々に見応えのある作品だった。
なんとか邦題を代えられないものかと思うほどに。
すごく観たくなる記事なのですが
>未見の人は立ち入らないで欲しい。
と、厳かに言われると「はい」とうなずかざるを得ません(笑)近いうちみたいです。
by Sho (2007-04-30 17:32)
観たら「なるほど」と思える記事を書いておきました(笑)。
いずれ改めてお越し下さい。
by ken (2007-04-30 18:40)
こんばんは。
この映画はすごくおもしろいと思いました。
デンゼル・ワシントンがめちゃくちゃかっこよかったです。
邦題がよくないというのも、納得です。
タイトルって大事ですね。
by coco030705 (2007-05-01 23:19)
意外と観ているようで観てない1本じゃないですかね。皆さん。
僕もすごく面白かったです。
nice!ありがとうございます。
by ken (2007-05-05 12:23)
観たあとに読むとほんとに納得のレビューです。
が・・・私はダコタちゃんは生きてて、
デンゼツワシントンは死ぬという方程式を
最後まで崩せなかったので、あまり深い感動はありませんでした。
残念・・・
by green (2008-02-05 20:54)
greenさんの場合は、ヘタな先入観を持っちゃうと映画は楽しめない
という好例ですね。本当に残念でした。
nice!ありがとうございます。
by ken (2008-02-05 23:54)