OPEN HOUSE [2007年 レビュー]
「OPEN HOUSE」(1997年・日本) 監督:行定勲 原作:辻仁成
ワケあって今日から行定勲特集です。
まずは製作(1997年)から公開(2003年)まで6年も眠っていた長編デビュー作。
もうね、コレは僕の理解の範疇を超えてます。いや理解の範疇に“届いてない”のかも知れない。そう思いたくなるくらい観念的です。だから説明もし難い。
働く気も行く当てもない男。
その男と偶然出会い共同生活するようになる売れないモデルの女。
そのモデルの隣に住む、離婚によってアレルギーが発症した映画館のモギリの女。
主要キャストはこの3人です。これに吠えない犬が一匹絡む。
まあ興味があったら観て下さい。
行定作品を好きだと言う人はきっと観てるんだろうけど。
僕は「GO」と「きょうのできごと」と「北の零年」と「世界の中心で、愛をさけぶ」と「遠くの空に消えた」は観たけれど、この監督の映画を「好きだ」という人の気持ちが未だに分かりません。僕の場合どちらかというと「好きじゃない」部類に入っちゃう。だから今回ワケあって「ひとり行定特集」を組んでみたんだけど。
僕がこの映画を「観念的」と先に書いたのは、行定監督が自分で見た「夢」を映画にしたのかと思うくらい、ワケが分からなかったからです。
寝ているときに見る夢は、自分が自分のために映画を作って上映するようなもので、内容が突飛なほどその意味を知りたがりますよね。なぜなら夢は自らの深層心理から湧き出たもので、「そこには何かしら意味があるんだろう」と誰もが考えるからです。
けれどその夢物語を共有できるのは、夢を見た本人と、わずかに近しい人でしかありません。
他人の夢の話など聞いたところで(その人そのものに興味が無ければ)何も面白くない。
例えば本作の劇中、フォークダンスのシーンがある。
その輪を見ていた主人公は、促されるままその輪に入っていく。
踊りたいわけじゃなかった。けれど輪に入ってみると楽しくなった。
ところが、ふとした瞬間にパートナーを見失い、その輪の中で独りぼっちになってしまう。
ここで描かれているのは“喪失感”なのか、それとも“孤独感”なのか。僕は一瞬考えました。
でもどっちでもいいんです。僕にとっては本当にどっちでもいい。
僕は行定監督の映画には興味があるけれど、行定勲という人にはまったく興味が無いから。
この手の観念的な作品を観ると、僕はいつも「映画ってなに?」と思います。
僕の「映画ってなに?」の個人的見解はこうです。
「金と時間を費やした観客が、それに見合うだけの満足を得て然るべきもの」
1人のパトロンのために描く絵画じゃないんだからこんなの当たり前です。
自分で良いと思うものが観客に受け入れられるかどうか試してみるのは監督の自由だけど、そんなこと続けられるワケないんですよ。僕はプロデューサーだからなおさらそう思う。ただ監督の作家性に賭けてみたくなるときはある。
デヴィッド・リンチみたいな人だったら(笑)。
新作の「インランド・エンパイア」もスゴイらしいです。僕もちらりと観ましたけど、笑っちゃうくらいワケが分かりません(笑)。それを米Premiere誌は苦しまぎれにこう評価していました。
「内容が分からなかったって?それが、リンチを理解したってことなんだぜ」
素晴らしいコピーです(笑)。リンチのことをこんなにうまく表現した記者はいなかったと思う。
それはともかく、じゃあどうしてリンチならいいかというと、これまでの作品の大半は「殺人」や「差別」といったドラマとして分かり易い要素を縦軸にして、横軸でワケの分からないことをする人だからです。「ストレイト・ストーリー」という彼の良心(?)が前面に出た暖かい作品があったのも大きい。
そんな作品が行定監督のこれまでの作品にあれば、また僕の見方も変わると思います。だから「ひとり行定特集」なんです。くどいですけど(笑)。
行定監督は過去のインタビューで興味深いことを言っていました。
「ドラマチックな日常をそのまま映画にしてしまうと、ドラマチックすぎて不健康だし、何か出来すぎてるんじゃないのかって気持ちになる」
この気持ちはすごく良く分かる。
続きは「ロックンロールミシン」を観たあとで。
thanks! 490,000prv
ワケあって今日から行定勲特集です。
まずは製作(1997年)から公開(2003年)まで6年も眠っていた長編デビュー作。
もうね、コレは僕の理解の範疇を超えてます。いや理解の範疇に“届いてない”のかも知れない。そう思いたくなるくらい観念的です。だから説明もし難い。
働く気も行く当てもない男。
その男と偶然出会い共同生活するようになる売れないモデルの女。
そのモデルの隣に住む、離婚によってアレルギーが発症した映画館のモギリの女。
主要キャストはこの3人です。これに吠えない犬が一匹絡む。
まあ興味があったら観て下さい。
行定作品を好きだと言う人はきっと観てるんだろうけど。
僕は「GO」と「きょうのできごと」と「北の零年」と「世界の中心で、愛をさけぶ」と「遠くの空に消えた」は観たけれど、この監督の映画を「好きだ」という人の気持ちが未だに分かりません。僕の場合どちらかというと「好きじゃない」部類に入っちゃう。だから今回ワケあって「ひとり行定特集」を組んでみたんだけど。
僕がこの映画を「観念的」と先に書いたのは、行定監督が自分で見た「夢」を映画にしたのかと思うくらい、ワケが分からなかったからです。
寝ているときに見る夢は、自分が自分のために映画を作って上映するようなもので、内容が突飛なほどその意味を知りたがりますよね。なぜなら夢は自らの深層心理から湧き出たもので、「そこには何かしら意味があるんだろう」と誰もが考えるからです。
けれどその夢物語を共有できるのは、夢を見た本人と、わずかに近しい人でしかありません。
他人の夢の話など聞いたところで(その人そのものに興味が無ければ)何も面白くない。
例えば本作の劇中、フォークダンスのシーンがある。
その輪を見ていた主人公は、促されるままその輪に入っていく。
踊りたいわけじゃなかった。けれど輪に入ってみると楽しくなった。
ところが、ふとした瞬間にパートナーを見失い、その輪の中で独りぼっちになってしまう。
ここで描かれているのは“喪失感”なのか、それとも“孤独感”なのか。僕は一瞬考えました。
でもどっちでもいいんです。僕にとっては本当にどっちでもいい。
僕は行定監督の映画には興味があるけれど、行定勲という人にはまったく興味が無いから。
この手の観念的な作品を観ると、僕はいつも「映画ってなに?」と思います。
僕の「映画ってなに?」の個人的見解はこうです。
「金と時間を費やした観客が、それに見合うだけの満足を得て然るべきもの」
1人のパトロンのために描く絵画じゃないんだからこんなの当たり前です。
自分で良いと思うものが観客に受け入れられるかどうか試してみるのは監督の自由だけど、そんなこと続けられるワケないんですよ。僕はプロデューサーだからなおさらそう思う。ただ監督の作家性に賭けてみたくなるときはある。
デヴィッド・リンチみたいな人だったら(笑)。
新作の「インランド・エンパイア」もスゴイらしいです。僕もちらりと観ましたけど、笑っちゃうくらいワケが分かりません(笑)。それを米Premiere誌は苦しまぎれにこう評価していました。
「内容が分からなかったって?それが、リンチを理解したってことなんだぜ」
素晴らしいコピーです(笑)。リンチのことをこんなにうまく表現した記者はいなかったと思う。
それはともかく、じゃあどうしてリンチならいいかというと、これまでの作品の大半は「殺人」や「差別」といったドラマとして分かり易い要素を縦軸にして、横軸でワケの分からないことをする人だからです。「ストレイト・ストーリー」という彼の良心(?)が前面に出た暖かい作品があったのも大きい。
そんな作品が行定監督のこれまでの作品にあれば、また僕の見方も変わると思います。だから「ひとり行定特集」なんです。くどいですけど(笑)。
行定監督は過去のインタビューで興味深いことを言っていました。
「ドラマチックな日常をそのまま映画にしてしまうと、ドラマチックすぎて不健康だし、何か出来すぎてるんじゃないのかって気持ちになる」
この気持ちはすごく良く分かる。
続きは「ロックンロールミシン」を観たあとで。
thanks! 490,000prv
nice!を送りたいのですが、後ほど送ります。
「ドラマチックな日常をそのまま映画にしまうと、ドラマチックすぎて不健康だし、何か出来すぎてるんじゃないのかって気持ちになる」
という人の感性が私は好きです。
「遠くの空に消えた」をまずは見に行かねば。
あのキャッチフレーズは、今の私のとりこ~。
by keiko_keiko (2007-08-02 14:51)
そうなんですよ。
実はこの一言があるから、行定監督のすべてを観てみたくなったのです。
他の作品はそれなりに楽しみ~。
by ken (2007-08-02 19:32)