ひまわり [2007年 レビュー]
「ひまわり」(2000年・日本) 監督:行定勲 脚本:佐藤信介、行定勲
行定勲32歳のときの長編2作目で初恋をテーマにした青春群像劇。
小学校時代の初恋の相手が海難事故で亡くなったと知り、輝明(袴田吉彦)は東京で暮らすかつての同級生たちを誘って、実家の沼津で行われるお葬式に出席する。そこには朋美(麻生久美子)と縁のあった男たちもやって来て、やがて明らかになっていく朋美の近況。そんな話を聞きながら輝明は初恋の苦い記憶を取り戻していく。
葬式の出席者によって主人公の人間性が明らかになっていくという手法は目新しくないが、改めてみるとこの設定は脚本が書き易いのだな、と気が付いた。というのも、亡くなった人間を軸(あるいは比較対象)にして他の人物を描けるから、人物設定がぶれないのだ。これは東京タワーを写真に撮るのと一緒で、その写真を見ればカメラマンの立ち位置が何処だったかが一目で分かるのと同じ論理だろう。
しかし本作の大いなる失策は、その軸となる“東京タワー”の立ち位置がときどき不明になってしまうところだ。
小学生時代の真鍋朋美はクラスメイトに馴染めない孤独な少女だった。そんな少女が大人になってどんな恋愛をし、どんな日常生活を送っていたかは観客の数だけイメージされるだろうが、それらのイメージは「朋美の男遍歴」が明らかになることですべてが覆される。これが真鍋朋美の人間性を掘り下げるドラマなら、付き合った男の数だけエピソードを紡ぎだせるという理由において観客も納得するだろうが、少なくとも小学生時代の一途な初恋を扱った作品で、この展開は無しだろう。
また、個人的に行定作品にはどうしても「嫌い」になってしまうシーンが必ずひとつはあって、とにかく「そんなことあるわけねーだろ」か「そこんとこどーなってんだよ」と毎回突っ込んできた(すべてを記事にはしていないけど)。そんなシーンが本作にもあってかなりガッカリした。観た人にだけ分かるように書くと「軽自動車に積まれた等身大ポップアップ」の件だ。行きはいい。帰りは雨の中どうしたのだ?
もうひとつ。タクシーに乗るときわざわざ右側のドアを開けて乗ることなんかそうそうないだろう。
こういう細かい「非現実」が僕は大嫌いだ。
この作品を観た岩井俊二は「あそこにいる麻生久美子以外の人物は全部行定だ」と本人に言ったらしい。
ちょっと斜めに観ることになってしまうけれど、映画製作に興味がある人はこれを念頭に置いて観てみるのもいいかも知れない。「映画とは監督の人間性が反映されるもの」と言われる理由がよく分かるだろう。
「ロックンロールミシン」の項で書いた「行定監督が描く世代に、僕自身積み残してきたものが何もない」について。
不思議と僕は行定作品に共感するところが少なくて、それがどうしてなんだろうとしばらく考えていたら、僕は少なくとも「20代でやり残したこと、つまづいて後悔していることが何も無い」ということに気が付いた。もちろん全く無かったわけじゃないんだけど、それらは30代で片付けてきたような気がしている。仕事も恋愛も。
だから行定映画の登場人物たちに対して、「てめーら、なに悩んじゃってんだよ、コラ」という気分なんだろう。やはり「青春映画はもはや観るべきものじゃない」ということか。
しかし本作で描かれた小学生時代には感じるものがあった。自分の力では何も出来なかったこの時代には、積み残したものがあるということかも知れない。
ここでも最後にもうひとつ。
袴田吉彦の芝居が巧くてかなりビックリした。彼はもっともっと映画に出るべきだ。
行定勲32歳のときの長編2作目で初恋をテーマにした青春群像劇。
小学校時代の初恋の相手が海難事故で亡くなったと知り、輝明(袴田吉彦)は東京で暮らすかつての同級生たちを誘って、実家の沼津で行われるお葬式に出席する。そこには朋美(麻生久美子)と縁のあった男たちもやって来て、やがて明らかになっていく朋美の近況。そんな話を聞きながら輝明は初恋の苦い記憶を取り戻していく。
葬式の出席者によって主人公の人間性が明らかになっていくという手法は目新しくないが、改めてみるとこの設定は脚本が書き易いのだな、と気が付いた。というのも、亡くなった人間を軸(あるいは比較対象)にして他の人物を描けるから、人物設定がぶれないのだ。これは東京タワーを写真に撮るのと一緒で、その写真を見ればカメラマンの立ち位置が何処だったかが一目で分かるのと同じ論理だろう。
しかし本作の大いなる失策は、その軸となる“東京タワー”の立ち位置がときどき不明になってしまうところだ。
小学生時代の真鍋朋美はクラスメイトに馴染めない孤独な少女だった。そんな少女が大人になってどんな恋愛をし、どんな日常生活を送っていたかは観客の数だけイメージされるだろうが、それらのイメージは「朋美の男遍歴」が明らかになることですべてが覆される。これが真鍋朋美の人間性を掘り下げるドラマなら、付き合った男の数だけエピソードを紡ぎだせるという理由において観客も納得するだろうが、少なくとも小学生時代の一途な初恋を扱った作品で、この展開は無しだろう。
また、個人的に行定作品にはどうしても「嫌い」になってしまうシーンが必ずひとつはあって、とにかく「そんなことあるわけねーだろ」か「そこんとこどーなってんだよ」と毎回突っ込んできた(すべてを記事にはしていないけど)。そんなシーンが本作にもあってかなりガッカリした。観た人にだけ分かるように書くと「軽自動車に積まれた等身大ポップアップ」の件だ。行きはいい。帰りは雨の中どうしたのだ?
もうひとつ。タクシーに乗るときわざわざ右側のドアを開けて乗ることなんかそうそうないだろう。
こういう細かい「非現実」が僕は大嫌いだ。
この作品を観た岩井俊二は「あそこにいる麻生久美子以外の人物は全部行定だ」と本人に言ったらしい。
ちょっと斜めに観ることになってしまうけれど、映画製作に興味がある人はこれを念頭に置いて観てみるのもいいかも知れない。「映画とは監督の人間性が反映されるもの」と言われる理由がよく分かるだろう。
「ロックンロールミシン」の項で書いた「行定監督が描く世代に、僕自身積み残してきたものが何もない」について。
不思議と僕は行定作品に共感するところが少なくて、それがどうしてなんだろうとしばらく考えていたら、僕は少なくとも「20代でやり残したこと、つまづいて後悔していることが何も無い」ということに気が付いた。もちろん全く無かったわけじゃないんだけど、それらは30代で片付けてきたような気がしている。仕事も恋愛も。
だから行定映画の登場人物たちに対して、「てめーら、なに悩んじゃってんだよ、コラ」という気分なんだろう。やはり「青春映画はもはや観るべきものじゃない」ということか。
しかし本作で描かれた小学生時代には感じるものがあった。自分の力では何も出来なかったこの時代には、積み残したものがあるということかも知れない。
ここでも最後にもうひとつ。
袴田吉彦の芝居が巧くてかなりビックリした。彼はもっともっと映画に出るべきだ。
しかし本当に。監督:行定勲。月間だねえ。
すばらしい。
有言実行。
by **feeling** (2007-08-06 21:12)
ええ、ええ。
やるったらやるんです。
やらないときは全くやりませんけどね。
nice!ありがとうございます。
by ken (2007-08-07 01:56)