いま、ここにある風景 [2008年 レビュー]
「いま、ここにある風景」(2006年・カナダ) 監督:ジェニファー・バイチウォル
一時前「甘栗むいちゃいました」がヒットしたとき、僕の周りで「この栗は一体誰がむいているんだ?」と言う話になった。
言われてみればそうだ、と考えた傍から一人の友人が、「中国人がむいてんだよ。デカイ工場で一列に並んで、朝から晩までさ」と言う。
僕たちは「もし本当にそうなら見てみたいな」と前のめりになった。ところが「さすがにそこは取材できないらしい」と友人は話を閉めてしまった。その瞬間、「甘栗むいちゃいました」の製造工程は一種の都市伝説になった。
本当のことは僕には分からない。
これは環境問題を訴えているカナダ人写真家、エドワード・バーティンスキーのドキュメンタリー。
彼が被写体に選んだのは20世紀末から急速な発展を遂げた中国。
その“代償”の断片がここに記録されている。
ドキュメンタリーとしての構成であったり、編集のテクニックについて言うと、もっと効果的な演出があったと思うけれど、“絵”の強さは圧倒的。僕はまずオープニングから驚かされた。
中国のとある工場。その端から端までをカメラがレール移動していくのだけど、そのワンカットが実に8分間もあった。カメラは工場の生産ラインを舐めていくだけである。僕は「スター・ウォーズ」のオープニングで登場したスター・デストロイヤーを思い出した。
「一体どこまで続くんだ?」
その工場で作っているのはアイロンだった。圧倒的な数のアイロン。このシーンは後の重要な伏線になっている。
世界中に製品を送り出す中国に、世界中から産業廃棄物が集まる。
これは有名な話ではあるけれど、実際に映像で見ると言葉を失う。
例えば電子機器の部品からレアメタルを回収する作業は、気の遠くなるような人の手仕事による。
貧しい人々が低賃金で行った作業の果て。その後始末はもはや誰にも行えず、捨てられるだけとなった廃棄物からは有毒物質が流れ出て、土地に染み込み、地下水を汚染する。その先は想像もしたくない。
僕はこの子供の頃、悪さをして父親に怒られるとき、よくこんなことを言われた。
「言っても分からないから動物は叩いて教える。お前も言って分からないなら叩いて教える」
どうして人間は痛い目に遭わないと分からないのか。
父の言葉を思い出せば尚、人間はつくづく愚かな生き物だなと思う。
本編に「甘栗むいちゃいました」の工場は出て来ない。
けれどその工程を容易に想像出来るシーンはある。
人間の幸せってなんだろうと思った。
そして、産業の発展が実は人間を壊してやいまいか、とも。
2008年7月12日より、東京都写真美術館ホールにて。
この映画については全く知らないのですが.....
ふたむかし前の日本は、これと全く同じことしてたわけで、もし、中国がそれをやめても、またどこか別の国で、同じことが行われる、...ってことですね。
人の欲望はつきない、それがたとえ破滅に向かっていても、でしょうか。うう〜む。
by snorita (2008-05-29 11:40)
劇中、原油の採掘現場を撮ったシーンでこんなナレーションが入ります。
「まるで石油のパーティのようだ。
この黒い液体が人間に移動性と自由を与える。
僕はこう感じずにはいられない。
中国はこのパーティのラスト・ダンスを踊っている。
石油の頂点がどこかにあるとしたら、我々はもう到達目前。
どうあがいても、世界の需要を満たす量はない。
中国は遅れて参加したので、どれだけ踊り続けられるか疑問だ」
どこか別の国で行われるほど、余裕はないということでしょうね。
終わりは近いのだと。
by ken (2008-05-29 13:30)