パルプ・フィクション [2008年 レビュー]
「パルプ・フィクション」(1994年・アメリカ) 監督・脚本:クエンティン・タランティーノ
僕も妻も以前に観ていた。
けれどwowowのラインナップを確認しているときに「どんな映画だったっけ?」となった。
「トラヴォルタが出てて、ブルース・ウィリスも出てて、ユマ・サーマンも出てたけど、はてな?」
僕は一体何年ぶりに観るのかも記憶に無い。
驚くなかれ本作は1994年のアカデミー賞で脚本賞を受賞している。
確かによく出来た、極めて映画的な脚本ではある。が、所詮クライムアクション映画だ。保守的なアカデミー会員が投票用紙の「クエンティン・タランティーノ/パルプ・フィクション」にチェックを入れた理由はなんだ?と思って候補作を見たら、思わず納得のラインナップだった。
「ブロード・ウェイと銃弾」はニューヨーカー、ウディ・アレンの舞台劇。
「フォー・ウェディング」はイギリス映画。
「乙女の祈り」は後に「ロード・オブ・ザ・リング」を撮るピーター・ジャクソンのニュージーランド映画。
「トリコロール/赤の愛」はフランス・ポーランド合作映画。
消去法で選ばれたんじゃないか、と僕は思う。
しかもこの年の作品賞と脚色賞は「フォレスト・ガンプ」という事実。アカデミー会員の良心はここに示され、「脚本賞は笑わせてくれた若造にやろう」という意識があったか。
それよりも驚くのは、作品賞、監督賞、主演男優賞(ジョン・トラヴォルタ)、助演男優賞(サミュエル・L・ジャクソン)、主演女優賞(ユマ・サーマン)、編集賞までノミネートされていたことだ。いずれも受賞には至っていないが、この1本がハリウッドでどれほど大きな話題を呼んだかが良く分かる。
さてタランティーノの脚本はもとより、僕は彼の監督としての才能をこの映画に見つけた。
クライムアクションは、どこかで犯罪を肯定しなければ笑えない映画だ。
そのためには「このオハナシは完全に作り話なんですよ~」というアピールが必要で、そのアピールが序盤で観客に伝わらなければ映画としては失敗する可能性がある。
本作はダイナーで強盗の相談をするカップルの会話から始まる。
カメラは横からのカップルのツーショットと、正面からの各ワンショットを繋いで進むが、僕はワンショットの際の「カメラ位置の意味」が分からなかった。カメラ位置はそれぞれ男と女が座っているシート上なのに、どちらも決してカメラ目線にならないのだ。これ以降も基本的には、カメラが「誰かの目」になることはなく、あくまでも客観描写に徹して進んで行く。僕はこれにどんな意味があるのか最初は計りかねた。
しかし、ビンセント(ジョン・トラヴォルタ)がクルマの中で銃を暴発させ人を殺してしまうシーンに笑ったときに、はたと気が付いた。
タランティーノの客観描写は「登場人物の誰にも感情移入させないための演出」だ、と。
誰が撃っても、誰が死んでも、観ている客の期待をゼッタイに裏切らない最大の演出。もちろんビンセントがマヌケな死に顔をさらしたときは驚いたが、時系列を飛び越えた脚本がその不満すら抱かせない。
巧すぎる。
と、冷静に考えたら脚本賞はあながち消去法じゃなかったのかも知れない。
では、この映画はどんな筋なのか。
一種の群像劇である。
しかも、誰にも感情移入させないようにするため、登場人物の誰も“同情の余地のない”設定になっているところが笑える。これは、世界のどこかで今日も起きているかもしれない、バカな連中のついてない一日の物語だった。
タランティーノの才能が凝縮された佳作。
thanks! 930,000prv
僕も妻も以前に観ていた。
けれどwowowのラインナップを確認しているときに「どんな映画だったっけ?」となった。
「トラヴォルタが出てて、ブルース・ウィリスも出てて、ユマ・サーマンも出てたけど、はてな?」
僕は一体何年ぶりに観るのかも記憶に無い。
驚くなかれ本作は1994年のアカデミー賞で脚本賞を受賞している。
確かによく出来た、極めて映画的な脚本ではある。が、所詮クライムアクション映画だ。保守的なアカデミー会員が投票用紙の「クエンティン・タランティーノ/パルプ・フィクション」にチェックを入れた理由はなんだ?と思って候補作を見たら、思わず納得のラインナップだった。
「ブロード・ウェイと銃弾」はニューヨーカー、ウディ・アレンの舞台劇。
「フォー・ウェディング」はイギリス映画。
「乙女の祈り」は後に「ロード・オブ・ザ・リング」を撮るピーター・ジャクソンのニュージーランド映画。
「トリコロール/赤の愛」はフランス・ポーランド合作映画。
消去法で選ばれたんじゃないか、と僕は思う。
しかもこの年の作品賞と脚色賞は「フォレスト・ガンプ」という事実。アカデミー会員の良心はここに示され、「脚本賞は笑わせてくれた若造にやろう」という意識があったか。
それよりも驚くのは、作品賞、監督賞、主演男優賞(ジョン・トラヴォルタ)、助演男優賞(サミュエル・L・ジャクソン)、主演女優賞(ユマ・サーマン)、編集賞までノミネートされていたことだ。いずれも受賞には至っていないが、この1本がハリウッドでどれほど大きな話題を呼んだかが良く分かる。
さてタランティーノの脚本はもとより、僕は彼の監督としての才能をこの映画に見つけた。
クライムアクションは、どこかで犯罪を肯定しなければ笑えない映画だ。
そのためには「このオハナシは完全に作り話なんですよ~」というアピールが必要で、そのアピールが序盤で観客に伝わらなければ映画としては失敗する可能性がある。
本作はダイナーで強盗の相談をするカップルの会話から始まる。
カメラは横からのカップルのツーショットと、正面からの各ワンショットを繋いで進むが、僕はワンショットの際の「カメラ位置の意味」が分からなかった。カメラ位置はそれぞれ男と女が座っているシート上なのに、どちらも決してカメラ目線にならないのだ。これ以降も基本的には、カメラが「誰かの目」になることはなく、あくまでも客観描写に徹して進んで行く。僕はこれにどんな意味があるのか最初は計りかねた。
しかし、ビンセント(ジョン・トラヴォルタ)がクルマの中で銃を暴発させ人を殺してしまうシーンに笑ったときに、はたと気が付いた。
タランティーノの客観描写は「登場人物の誰にも感情移入させないための演出」だ、と。
誰が撃っても、誰が死んでも、観ている客の期待をゼッタイに裏切らない最大の演出。もちろんビンセントがマヌケな死に顔をさらしたときは驚いたが、時系列を飛び越えた脚本がその不満すら抱かせない。
巧すぎる。
と、冷静に考えたら脚本賞はあながち消去法じゃなかったのかも知れない。
では、この映画はどんな筋なのか。
一種の群像劇である。
しかも、誰にも感情移入させないようにするため、登場人物の誰も“同情の余地のない”設定になっているところが笑える。これは、世界のどこかで今日も起きているかもしれない、バカな連中のついてない一日の物語だった。
タランティーノの才能が凝縮された佳作。
thanks! 930,000prv
前々からすごく気になっていました。
kenさんのレヴュー、とても興味深いです。
”プロ目線”というか、「ああ、絶対自分には出来ない」という視点で。
この映画は暴力満載かと思ったら、意外に”笑っちゃう”ところがありそうですね。見たいです。
by Sho (2008-08-18 06:29)
タランティーノを語る上で外せない1本であることはもちろん、
もしかしたら、これがピークだったかも知れないという点で
大事な1本ですw
nice!ありがとうございます。
by ken (2008-08-18 12:25)
>タランティーノの客観描写は「登場人物の誰にも感情移入させないための演出」だ、と。
という指摘を読んで、自分が何でこの映画が好きなのか分かったような気がしました。
というのも、観るたびに、毎回、違う登場人物に注目してて、その度に違う印象を受けてて、そこが凄く好きなんですけど、結局のところ、誰にも感情移入させない演出だったから観るたびに受ける印象が違ってたんだなぁ〜・・・と。
凄く参考になりました!
by u_yasu (2008-08-19 01:19)
今回の僕はハーヴェイ・カイテルにそそられましたw
次、観たときはどうなるんだろう???
nice!ありがとうございます。
by ken (2008-08-19 01:24)
kenさんのご指摘にnice! でございます。その登場人物との距離感がまさにパルプフィクションを読んでる感覚でした。
この当時タランティーノってすごい人気でしたね。この映画のパロディもあちこちで見ました。ちょうどそのタイミングでアカデミー賞の授賞式があってユマ・サーマンやトラボルタがものすごく目立ってたのを覚えています。
by satoco (2008-08-19 10:14)
個人的なハナシですが、90年代はまったく映画と関わらない生活だったので
当時のことは全然知らないんです。タランティーノの人気も知らなかったなあ。
nice!ありがとうございます。
by ken (2008-08-19 11:22)
kenさんには何度も言ってるかもしれませんが
ボクもコノ作品が監督のベストだと思っております
本当に何度見ても飽きません
ソノ理由が、今回判明しました(笑)
ボキャブラリーの少なさに反省です・・・・・
いつも光を照らしていただきアリガトウございます
by 魚河岸おじさん (2008-08-19 16:41)
ホント、これ以上のタランティーノ作品って何?って感じですねw
nice!ありがとうございます。
by ken (2008-08-19 17:53)
この作品の前に『ナチュラル・ボーン・キラーズ』というタランティーノ脚本作品を偶然映画館で見てしまって、とんでもないものを見てしまったと私は思いました。
それまでにない稀有な才能。それがオリバーストーンのものじゃないことを
私はすぐに感じました。
いわゆる漫画。実写の漫画なんですね。
タランティーノの出現によって映画は娯楽であるって(特に戦後の日本では、映画が世の中を明るくしてくれた。)現してくれたって思うんですよ。
by spika (2008-09-14 12:24)
タランティーノは日本文化の影響を受けていますよね。
だからマンガなんだと思います。
ウォシャウスキー兄弟もそうですよね。
by ken (2008-09-14 21:49)
kenさんが『パルプ・フィクション』を観ていたか、またどんなどんな感想を書いているか確認する為に来ました。
あたし、ナチュリ・ボーンの脚本がタランティーノって書いてますね。
ごめんなさいね。
脚本がタランティーノなわけないですよね
by spika (2011-07-29 10:51)
わざわざありがとうございます。
「ナチュラル…」はタランティーノ脚本ではありませんでしたが、
タランティーノの匂いは十分にしましたよ。
by ken (2011-07-29 13:14)