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戦艦大和 [2009年 レビュー]

戦艦大和」(1953年・日本) 監督:阿部豊 脚本:八住利雄 原作:吉田満

 64回目の終戦記念日に、旧い戦争映画を観る。
 それにしても、こんなにストレートなタイトルを付けた映画があったとは、僕もwowowで放送されるまで全く知らなかった。数えてみれば公開は終戦からわずか8年後。当時の人々はどういう気持ちでこの映画を観ていたのか。どこかにそんなレビューがないものだろうか。

 これは戦艦大和に海上特攻命令が下され、鹿児島沖で撃沈するまでの乗組員の様子に焦点を当てた作品である。
 気になって調べてみたら、原作「戦艦大和ノ最期」を書いた吉田満は副電測士として大和に乗艦していたらしい(ただしドキュメントではない)。疎開先で吉川英治に勧められ執筆したという吉田は終戦時22歳。ちなみに監督の阿部豊と脚本の八住利雄は50歳と42歳で終戦を迎えている。
 何故僕が年齢を気にしたかと言うと、当時彼らがどういう思いでこの作品を書いたり作ったりしたのかをイメージしたかったからだ。映画人は戦争をどう捉えていたのか?その答えは当然映画の中にあるはずだ。

 大和に出撃命令が下った夜。下士官以下の乗組員たち数人が艦内の食堂で、作戦の意義を議論する。その中で大和が片道分の燃料しか積まずに出撃すること、また戦艦同士の交戦ならいざ知らず、航空機相手では苦戦を強いられること、などを極めて冷静に話し合っているところが興味深い。しかし、いずれにせよ特攻であることに変わりはなく、無意味な議論にしびれをきらしたある兵が、「国のために戦って死ぬ。それでいいじゃないか」と発したところから様子が変わって行く。

 
「国のために死ぬ。それはどういうことにつながっているんだ。俺の死、貴様たちの死、日本人全体の死」
 「俺は一体何のために生まれてきたんだ。俺と言う人間が生まれてきて、ただこのまま死ぬということは一体どういうワケがあるんだ。俺はその意味がはっきり知りたい。そして納得して死にたいんだ」

 これらを聞いた甲板長は「貴様らの性根を叩き直してやる」と拳を振り上げ烈火の如く怒るが、騒ぎを聞きつけた上官が割って入り皆をたしなめる。ここでの上官の台詞が、実は一番重要なメッセージじゃなかったかと思う。

 「今さらここで生死を論じたって始まらんじゃないか。すでに命令は下ったんだ。その命令従ってオレたちは甘んじて捨石になろうじゃないか。こんな大きな意義はないぞ。そして生き残った人々がオレたちの死を乗り越えて、新しい力になってくれることを信じようじゃないか」

 生き残った人々とは我々の父母や、祖父母のことである。新しい力とは我々のことでもある。
 少なくとも僕は「彼らのおかげで今、自分は生かされているのだ」と改めて思った。
 終戦後8年目に公開された本作は、のちに多数排出される「反戦映画」ではなく、大和と共に沈んだ英霊に思いを馳せる「鎮魂映画」だった。

 テクニカルな話を少しだけ。
 劇中登場する大和は当然ミニチュアである。その技術は目を覆いたくなるほど非力だが、マットペイントを使ったシーンのいくつかは(モノクロのおかげもあって)まずまずの見栄えがする。特に大和の甲板上に総員を整列させたカットはなかなかのものだった。そう思うと2005年に公開された「男たちの大和/YAMATO」ではどれほどの大和が観られたのか、少々気になるところだ。また1953年と2005年とでドラマの視点はどう違うのかも確認してみたくなった。

戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)

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  • 作者: 吉田 満
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1994/08
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戦艦大和 [DVD]

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コメント 7

Sho

kenさんのレビューを拝読し、自分が何にもしらないことを恥じました。
先ず「戦艦大和」が特攻だったこと。片道分の燃料しか積んでいなかったこと。 戦争を描いた映画には、戦争の美化だけはやめて欲しいと思います。
戦後8年で作られたこの映画に興味が湧きました。
by Sho (2009-08-17 21:40) 

ecco

新卒で入った会社で
特攻の生き残りの人とか普通にいて
めちゃくちゃ優しかったり。
紫電改って育毛剤が
実は魚雷の名前だったり。。。

なんか思い出してしまいました。


by ecco (2009-08-17 21:56) 

ken

>Shoさん
 僕たちの世代が大和に詳しいのは、確実に「宇宙戦艦ヤマト」の影響です。
 僕もあのアニメがなかったら、大和のことを詳しく知ることはなかったでしょう。
 nice!ありがとうございます。

>eccoさん
 そうですか。そんな環境にいられたのは幸せですね。
 あと何年もすると戦争体験者は確実にゼロになりますからね。
 ちなみに紫電改は戦闘機の名称でした。
 育毛剤の名前になったときは、どうかと思いましたけどねw
 nice!ありがとうございます。
by ken (2009-08-18 00:37) 

カオリ

祖父が戦時中、電気工として戦艦大和や武蔵の工事をしたと生前よく話してくれました。とてもとても大きな戦艦で、甲板の上で自転車に乗っていた、とか。
こうして戦争の話を直接聞くことができない今の子供達世代にどうやってこれから語り継いでいくのか・・・、こういう映画を大切にしていくこともひとつの方法なのかもしれません。
by カオリ (2009-08-18 10:15) 

ken

カオリさんのご祖父さまは呉にいらしたんですね。
戦争を語り継がなければならない責任を負う我々は、そろそろ真剣に
どう語り継ぐべきかを考えないといけない時期に来ていると思います。
by ken (2009-08-18 10:39) 

江戸うっどスキー

先日『ひめゆり』というドキュメンタリー映画を観てきて、同じように感じました。昔はあえて避けていた戦争映画ですが、同じ過ちを繰り返さない為に、何か出来る事は無いものか、考えるようになりました。この映画も観てみます。
by 江戸うっどスキー (2009-08-25 00:26) 

ken

いよいよ私たちに、「いろんなバトン」が回ってくる年代になったんですね。
そのためにも、先人たちが遺してくれた戦争映画は貴重な資料だと思います。
nice!ありがとうございます。
by ken (2009-08-25 02:45) 

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