第五福竜丸 [2010年 ベスト20]
「第五福竜丸」(1959年・日本) 監督:新藤兼人 脚本:八木保太郎、新藤兼人
2010年8月6日(金)広島、65回目の原爆の日。
今年の平和記念式典にはオバマ大統領の命を受けた駐日アメリカ大使がはじめて出席をした。ルース大使は献花もコメントもしなかったけれど、これは大きな前進だったと思う。オバマ大統領の次なる決断に期待をしたい。
そして歴代国連事務総長として、こちらもはじめて式典に出席した潘基文(バンギムン)氏。僕はこの人の演説に心打たれた。多くのメディアが取り上げたところとは違う次の文言である。
「皆さん。65年前、この地には地獄の炎が降り注ぎました。
今日、ここ平和記念公園には、一つのともしびが灯っています。
それは平和の灯、すなわち、核兵器が一つ残らずなくなるまで消えることのない炎です。
私たちはともに、自分たちが生きている間、そして被爆者の方々が生きている間に、
その日を実現できるよう努めようではありませんか」
世界が目指すべきは核軍縮ではなく核廃絶である。事務総長は「核兵器なき世界」実現のために制限時間を設けようと訴えたのだ。そのタイムリミットは「被爆者の方々が生きている間」だと。
言われてはじめて気が付いた。核兵器廃絶は全人類のためだと思っていたけれど、一番は被爆者の方々のために行われるべきなのだ。そして世界は一人でも多くの被爆者の方々がご存命の間に「核兵器ゼロ実現」のニュースを伝えなければならない。
すでに世界共通語になりつつある「ヒバクシャ」。その中にはヒロシマ・ナガサキ以外の方々もいることを改めて思い知らされるニュースが今月あった。
遡ること5日前(8月1日)。
ユネスコがビキニ環礁を世界遺産に登録したというニュースが配信され、あるテレビ局が一人のご老人のコメントを流していた。その人は第五福竜丸の元乗組員の男性だった。
1954年3月、アメリカの水爆実験で被爆した日本のマグロ漁船、第五福竜丸。その男性は「事件を風化させないためにも、(世界遺産登録は)いいこと」と話されていた。
風化していると思った。
少なくとも僕たち以降の世代に第五福竜丸の被爆事故は詳しく伝えられていない。僕はコメントしているご老人の顔を見ながら、この全貌が知りたいと思った。
ありがたいことに事故から5年後の1959年に新藤兼人監督が映画を撮っていた。なんて人だ。頭が下がる。
映画は被爆前と被爆後が4:6の割合で描かれている。
被爆前はマグロ漁船乗組員たちの何気ない日常に終始しつつ、“最悪の偶然”へ辿り着いてしまったいきさつが描かれている。
ヒロシマ、ナガサキ、そして第五福竜丸に共通しているのは、「被爆者には何の罪もない」という事実である。序盤、新藤兼人監督はこのテーマに沿って、あらゆるものを描写していたと思う。中でも家族たちに見送られ第五福竜丸が出航するシーンは、風に流される紙テープも美しく、このあとに待ち構える哀しい運命を微塵も感じさせない演出が心に痛かった。
一転、被爆後は“混乱”である。
当の本人たちはやけどによって顔面が黒くなる以外はさしたる自覚症状も無く、しかし人体から検出される放射線量が尋常ではないと焼津から東京の病院へ全員送られることになるのだが、では働き手を失った家族の面倒は誰が見るのか、といった保障に関するいうやりとりもある。が、ここで救われるのは唯一の被爆国である経験から「原爆症」という認知と、保障についての自治体の決断が思いのほか早かった点だ。
また多くの国民が乗組員たちの病状を気にかけていたような描写もあり、第五福竜丸の被爆は当時ただならぬ事故として国民に受け止められていたことが分かる。
威勢のいい乗組員を被爆前も被爆後もまとめていたのは、第五福竜丸の無線長、久保山愛吉(宇野重吉)だった。ドラマの後半は彼の闘病の様子に重点が置かれている。史料によると亡くなったのは被爆から半年後の9月23日。彼は「原水爆の被害者は、私で最後にして欲しい」と遺言を残したと言う。
重い言葉だ。そして、核兵器による被害者をこれ以上出さないためにも、一刻も早く核兵器なき世界を実現しなければならないと思う。一人でも多くの被爆者の方々が生きている間に。
2010年8月6日(金)広島、65回目の原爆の日。
今年の平和記念式典にはオバマ大統領の命を受けた駐日アメリカ大使がはじめて出席をした。ルース大使は献花もコメントもしなかったけれど、これは大きな前進だったと思う。オバマ大統領の次なる決断に期待をしたい。
そして歴代国連事務総長として、こちらもはじめて式典に出席した潘基文(バンギムン)氏。僕はこの人の演説に心打たれた。多くのメディアが取り上げたところとは違う次の文言である。
「皆さん。65年前、この地には地獄の炎が降り注ぎました。
今日、ここ平和記念公園には、一つのともしびが灯っています。
それは平和の灯、すなわち、核兵器が一つ残らずなくなるまで消えることのない炎です。
私たちはともに、自分たちが生きている間、そして被爆者の方々が生きている間に、
その日を実現できるよう努めようではありませんか」
世界が目指すべきは核軍縮ではなく核廃絶である。事務総長は「核兵器なき世界」実現のために制限時間を設けようと訴えたのだ。そのタイムリミットは「被爆者の方々が生きている間」だと。
言われてはじめて気が付いた。核兵器廃絶は全人類のためだと思っていたけれど、一番は被爆者の方々のために行われるべきなのだ。そして世界は一人でも多くの被爆者の方々がご存命の間に「核兵器ゼロ実現」のニュースを伝えなければならない。
すでに世界共通語になりつつある「ヒバクシャ」。その中にはヒロシマ・ナガサキ以外の方々もいることを改めて思い知らされるニュースが今月あった。
遡ること5日前(8月1日)。
ユネスコがビキニ環礁を世界遺産に登録したというニュースが配信され、あるテレビ局が一人のご老人のコメントを流していた。その人は第五福竜丸の元乗組員の男性だった。
1954年3月、アメリカの水爆実験で被爆した日本のマグロ漁船、第五福竜丸。その男性は「事件を風化させないためにも、(世界遺産登録は)いいこと」と話されていた。
風化していると思った。
少なくとも僕たち以降の世代に第五福竜丸の被爆事故は詳しく伝えられていない。僕はコメントしているご老人の顔を見ながら、この全貌が知りたいと思った。
ありがたいことに事故から5年後の1959年に新藤兼人監督が映画を撮っていた。なんて人だ。頭が下がる。
映画は被爆前と被爆後が4:6の割合で描かれている。
被爆前はマグロ漁船乗組員たちの何気ない日常に終始しつつ、“最悪の偶然”へ辿り着いてしまったいきさつが描かれている。
ヒロシマ、ナガサキ、そして第五福竜丸に共通しているのは、「被爆者には何の罪もない」という事実である。序盤、新藤兼人監督はこのテーマに沿って、あらゆるものを描写していたと思う。中でも家族たちに見送られ第五福竜丸が出航するシーンは、風に流される紙テープも美しく、このあとに待ち構える哀しい運命を微塵も感じさせない演出が心に痛かった。
一転、被爆後は“混乱”である。
当の本人たちはやけどによって顔面が黒くなる以外はさしたる自覚症状も無く、しかし人体から検出される放射線量が尋常ではないと焼津から東京の病院へ全員送られることになるのだが、では働き手を失った家族の面倒は誰が見るのか、といった保障に関するいうやりとりもある。が、ここで救われるのは唯一の被爆国である経験から「原爆症」という認知と、保障についての自治体の決断が思いのほか早かった点だ。
また多くの国民が乗組員たちの病状を気にかけていたような描写もあり、第五福竜丸の被爆は当時ただならぬ事故として国民に受け止められていたことが分かる。
威勢のいい乗組員を被爆前も被爆後もまとめていたのは、第五福竜丸の無線長、久保山愛吉(宇野重吉)だった。ドラマの後半は彼の闘病の様子に重点が置かれている。史料によると亡くなったのは被爆から半年後の9月23日。彼は「原水爆の被害者は、私で最後にして欲しい」と遺言を残したと言う。
重い言葉だ。そして、核兵器による被害者をこれ以上出さないためにも、一刻も早く核兵器なき世界を実現しなければならないと思う。一人でも多くの被爆者の方々が生きている間に。
確かに、タイムリミットは設けられて然るべきですね。
そしてそれが、被爆者の方々が生きておられるうちに、というのは
本当にそのとおりだと思いました。
被爆国の人間でありながら、その視点に気づかなかったことに
私は恥ずかしくなりました。
kenさんのこの記事で、その言葉を知りました。
ありがとうございました。
by Sho (2010-08-08 07:22)
もちろん僕も事務総長の言葉を聞くまで気付きませんでした。
そして後頭部をバットで殴られたような衝撃の一言でした。
nice!ありがとうございます。
by ken (2010-08-08 17:00)
ほんとに、1人でも多くの被爆者の方が生きている間に、
核廃絶のニュースが届けられたらいいですね。
by kotori (2010-08-09 22:55)
その通りです。ああヒロシマ、行きたい…。
nice!ありがとうございます。
by ken (2010-08-10 01:19)