SSブログ

アイルトン・セナ ~音速の彼方へ [2010年 レビュー]

アイルトン・セナ ~音速の彼方へ」(2010年・イギリス) 監督:アシフ・カパディア

 観ていてこんなに辛いドキュメンタリーもなかった。
 セナがどんなに素晴らしい走りをして見せても、待ち受けているゴールは「死」である。
 なじみ深いマールボロカラーのレーシングスーツを着ている時代はまだいい。しかし1994年に袖を通したロスマンズブルーのレーシングスーツ姿は、もやは死に装束にしか見えなかった。

 セナの活躍をオンタイムで観ていた世代に、目新しい映像はほとんど無いと思う。
 特にセナファンには見覚えのある映像ばかりだ。けれど僕はこのドキュメンタリーを観て、今さらながらとても重要なことに気が付いた。詳しくは後述するが僕の推理が間違っていなければ、こう断言できる。

 「日本にF1ブームは2度と来ない」

1991usa-sanna03-45.jpg

 これは僕が91年のフェニックスで撮った予選中のセナ。
 確か予選初日に暫定トップタイムを叩き出したあとクルマを降りて、プロスト(フェラーリ)のラップタイムを見ているときの表情だったと思う。
 とにかく絵になる人だった。
 僕はこのドキュメンタリーを観るまで、日本におけるF1ブームの立役者はセナだと思っていた。
 けれど実際は違った。
 日本にF1グランプリを定着させたのは
アラン・プロストである。
 それは冷静に考えれば分かるドラマの常識だった。
 「悪役がいなけれればヒーローもただの人」
 しかもプロストの背後にはさらに大物の悪役がいた。当時のFIA会長ジャン・マリー=バレストル。ギャングのボスと言っても誰も疑わないだろう風体のフランス人。彼は同じフランス人のプロストを寵愛していた。
 
 確かに1988年から1990年まで続いた「セナ・プロ対決」は昼メロ並みの泥臭さだった。昼メロも悪役が憎たらしければ憎たらしいほど、視聴者は不遇の主人公に感情移入し、ドラマに没入して行く。
 本作はこの「セナ・プロ対決」の一部始終をおさらいするものである。プロストはいかにして悪役になり、セナはいかにしてその恨みを晴らしたか。
 僕は本作を観ながら
「セナ・プロ対決」はなぜここまでの泥試合になってしまったのか、今さらながら考えてしまった。個人的にはマクラーレン時代にチーム・オーダーがなかったことが最大の原因だったと思う。
 そもそも、ひとつのチームが2台のマシンをエントリーする理由は、「コンストラクター(車体製造者)には2台までポイントが与えられる」というルールがあるからだ。
 F1グランプリはとかく個人競争のように見られるが、実はチーム戦である。僕に言わせれば、ドライバーはチームのクルマを速くゴールさせるために雇われた技術者の一人に過ぎない。優先されるべきはコンストラクターズ・ワールド・チャンピオンの獲得であって、ドライバーズ・ワールド・チャンピオンは副賞に等しい。とすれば「チーム・オーダーは必要不可欠」というのが僕個人の見解である。
 ところがマクラーレンのロン・デニスはそれをしなかった。セナ・プロ対決の一因は、チーム内にあるべきルールを敷かなかった彼にあると僕は思っている。
 映画と外れたハナシになってしまった。

 プロストとバレストルという悪役コンビのおかげで、ドラマ
「セナ・プロ対決」は“判官贔屓”の日本人が最も好むストーリーに仕上がった。そして日本にF1ブームが巻き起こった。
 ここまで舞台が整い、これほどの役者が揃うなんて、この先2度とないと思う。それは「ローマの休日」や「風と共に去りぬ」と同じ一種の奇跡である。だから僕は「日本にF1ブームは2度と来ない」と断言するのだ。
 セナ亡き後、F1を見なくなったという人は多い。けれどレースがつまらなくなったわけじゃない。役者もいなかったわけじゃない。けれど役者が足りなかった。セナもプロストもいなくなった舞台に、ミハエル・シューマッハというセナ以上の天才ドライバーが立ったにも関わらず、その相手役がいないのだ。だからシューマッハはヒーローにも悪役にもなれなかった。
 役者が揃わなければドラマは成り立たない。繰り返すが圧倒的な悪役の存在無しにドラマは成立しないのだ。
 けれど僕は。
 再びスクリーンに意識を戻してみる。
 「今となっては掘り起こす必要のないドラマだ」とも思いながら観ていた。セナの生涯を描いたドキュメンタリーとは言え、完全に“ヒール”として描かれるプロストは今も健在なのだ。
 僕はプロストのことを思った。あの時代の自分を恥じているだろうかと。その答えはこの作品のエンドクレジットにあったかも知れない。セナ財団の管財人をプロストが務めている事実。

 1994年5月1日。運命の日。
 前日の予選でラッツェンバーガーが死亡。グランプリ中の死亡事故は12年ぶりのことだった。事故現場を見たセナの表情が痛々しい。明らかに動揺しているのが見てとれる。そんなセナを見てF1ドクターのシド・ワトキンスはこう声をかけたのだと言う。
 「今日限りでレースをやめたらどうだ」
 セナは答える。
 「それは出来ないんだよ。シド」
 観ている僕は死神の気分だった。そしてセナは天に召された。

 91年の開幕戦をアリゾナ州のフェニックスまで観に行ったのが懐かしい。
 初めて観たF1グランプリレースででセナの優勝を観ることが出来たのは本当に幸運だった。
 決勝の朝。サーキット入りするセナを待ち受け、登場した彼の横にピタリと寄り添いながら、左利きのセナの右側に張り付いたためにサインをもらえなかったのもいい思い出だ。

 ガラガラのスタンドの最前線に大挙していた日本人ファン(僕も含む)に手を振るセナ。

1991usa-senna02-45.jpg


 最終コーナーを立ち上がって行くマクラーレンMP4/6

1991usa-senna01-45.jpg

 セナ以上のF1ドライバーはもう2度と現われないと思う。
 彼の記録はことごとくシューマッハに塗り替えられたけれど、彼の記憶は誰にも上書き出来ない。

 セナを愛したすべての人に。


nice!(4)  コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 4

コメント 10

Sho

F1のシステムを知らなかったので、大変興味深く読ませていただきました。アイルトン・セナという人は、本当に見る人を惹きつける強烈なものを持っていましたね。
by Sho (2010-12-03 05:13) 

ken

このドキュメンタリーを観ると、なぜ日本人がセナに惹きつけられたのかが
良く分かります。その意味では観て良かったと思いました。
nice!ありがとうございます。
by ken (2010-12-04 12:31) 

うろごつはくば

88年雨のヨーロッパグランプリ、
オープニングラップでアウトから猛追したシーンが一番好きです。
by うろごつはくば (2010-12-04 21:36) 

ken

雨での強さは尋常じゃありませんでしたよね。
by ken (2010-12-05 01:07) 

fizz♪

初めまして。
fizz♪と申します。よろしくお願いします。
鈴鹿でのプロストとの攻防もドラマでしたね。
94年5月1日は自宅でTVの生放送をいつもの様に見てましたが
この日私のF1も終わりました。
セナとドクターとのそんな会話があったとは知りませんでした。
kenさん、記事を書いてくださってありがとうございます。
by fizz♪ (2010-12-05 01:50) 

ken

fizz♪さん、はじめまして。
あの日で終わった人、多いですよね。
そしてこのドキュメンタリーの中に、あの日の生放送の映像が使われています。
今宮純、川井一仁、三宅アナの3ショット。今見ても泣けてきます。
by ken (2010-12-05 03:44) 

silvercopen

これは観ていて辛いドキュメンタリー映画でしたが、非常に良かったです。
セナ以降、F1でドライバーが亡くなっていない事実に救われた気がしました。
by silvercopen (2010-12-05 17:03) 

ken

ラッツェンバーガーとセナが亡くなった後、
コクピットの形状が大きく変わったんですよね。
彼らの死は遺されたドライバーにとって決して無駄じゃなかったということです。
nice!ありがとうございます。
by ken (2010-12-05 22:01) 

snorita

いやもう、こんな文章読むだけで、泣けてくる。翌日、泣きながら運転してた自分を思い出すよ。雨のドニントン、名勝負も沢山ありましたね。ふう。
by snorita (2010-12-16 20:50) 

ken

僕は92年のモナコが忘れられません。
非力なマシンでマンセルを抑え込んだセナの脅威のドライビングと心臓。
あれも判官贔屓の日本人が好むストーリーだったと思います。
by ken (2010-12-17 13:28) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

点と線チェイサー ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。