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フラミンゴNo.13 [2010年 レビュー]

「フラミンゴNo.13」(2010年・イラン) 監督:ハミド・レザ・アリゴリアン

 第23回東京国際映画祭コンペティション作品。
 今回も時間の無い中、スケジュールをやりくりして何本か観る予定。観たいものは観られず、時間が合うから観るという作品もきっとあるだろう。
 この作品は「禁じられたフラミンゴ猟にとりつかれた男」という設定に惹かれて観ることにした。

 イラン山間部の小さな村。
 他所からこの村へ亡命してきたソレイマンは、禁じられたフラミンゴ狩りをする男として村では一目置かれていた。そんな彼は村の美しい未亡人タマイと通じ合いやがて結婚をするが、ある日フラミンゴ猟に出かけたまま戻らなくなってしまう。村人たちは「ソレイマンは死んだのだろう」と噂をし、新たに言い寄る男もいる中、タマイだけが「彼は生きている」と信じていた…。

 そもそもフラミンゴが猟の対象になるということすら僕は知らなかったけれど、こういったローカルルールはその土地を映す鏡であり、それが異形であればあるほど、観客の関心度は高まることを知った。想像の域を超えたルールの背景には、ルールが生まれるきっかけとなる“ストーリー”が必ず存在しているからだ。
 だから本作にもフラミンゴ猟が禁止されたストーリーがあって、それをきっかけに僕たち異邦人が知る由もないドラマが展開するものだと思っていた。
 しかし実際は違った。フラミンゴ猟は以前から禁止されていて、その理由も「村周辺にやって来る鳥が少ない中にあって、さらに美しい鳥であるから」というものだった。誰がどうやって決めたルールなのか、そんな説明は一切ないまま、それは当然のこととしてドラマは別の方向へ向かって行く。

 期待は外れたが興味深く観た。

 周囲を山脈に囲まれ、隔離された土地で暮らす人々の日常はどんなものなのか。究極に狭いコミニュティで暮らすことの不都合。恋愛にまつわる不具合。都会で見知らぬ人に囲まれて生きている僕たちには理解し難い世界。一方で環境がどう変わろうと、変わりようのないものも見せつけられる。それは、同じヒトでありながら、男と女は別の動物であるということ。広義に解釈すれば、これはDNAにまつわる物語である。

 極小のコミュニティで会話の無くなった村人たちの静寂を水タバコの音が埋める。
 イスラム圏の映画ならでは。そして映画祭ならではの愉しみ。


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