臍帯 [2010年 レビュー]
「臍帯」(2010年・日本) 監督・脚本:橋本直樹 脚本:いながききよたか
第23回東京国際映画祭、「日本映画・ある視点」出品作品。
生まれてまもなくゴミ集積場に捨てられ養護施設で育ったミカ(於保佐代子)は、成人したのち自分を捨てた母・直子(滝沢涼子)を探し当てる。そこで直子は漁港で働く夫と高校生の娘・綾乃と幸せな暮らしを送っていた。その様子を何日もうかがっていたミカは、ある日女子高生になりすまして綾乃に接近。そして拉致監禁する…。
劇場鑑賞のみを想定して作られた本作は、限りなく暗い映像と、限りなく少ないセリフで作られた実験的要素の強い作品である。すなわち「商業映画」の対極とも言うべき位置に立っていて、これをどう受け止めるかは個人の自由だが、僕は純粋にこの作品の“立ち位置”を愉しんだ。
それは映画のクオリティ云々ではなく、腐っても“国際”映画祭で上映された1本として、「およそ一般ウケしないだろう作品を、誰がどんな風に評価するのだろう」とか、「誰かが買い付けてどこかで上映するだろうか」といった“他人の評価”を想像をする愉しみである。
こんな愉しみ方をしたのは、僕がプレス用のID上映で観たせいもあると思う。そこには外国人の映画関係者が何人かいた。けれど監督の意図を汲みきれず途中退席した人たちもまた何人かいた。限られた時間の中で良質な作品を求めて劇場をハシゴする人々。そんな風景をスケッチするのも国際映画祭の愉しみ方のひとつだ。
これは実の母親に捨てられた娘の復讐のドラマである。
復讐を実行に移すまでは、ミカと母・直子の背景が淡々と描かれる。映像も音声も恐ろしく静か。やがて観客はミカの目的を理解し、それが行動に移されたとき、直子と対峙する瞬間をイメージする。つまり結末を予想するわけだが、監禁がはじまってからの描写がかなり特異であるため、観客は想像した結末をいったん白紙に戻し、書き換えを迫られる。それも何度も。
この「結末の予想」は映画や小説などストーリーを軸にしたエンタテインメントの最大の愉しみである。観客はそれぞれの展開に合わせていくつもの結末を想像しながらゴールへと向うのだが、まれに結末を想像しにくい作品もある。結末を想像できない作品は、「どこに向っているのか分からない映画」であることが多く、時に「監督の意図が汲み取れない映画」と評され、結果「面白くない映画」というレッテルを張られることがある。
映画の中で結末をイメージできない時間帯はあっていい。イメージできないからこそ観客は考えるわけで、これが映画中盤の愉しみのひとつとも言える。しかし、それが長いのは良くない。なぜなら観客は頭を使うことに疲れて、想像することを止めてしまうからだ。そうなると途端に「なんだか面白くない」というファジーな感情を抱いてしまう。商業映画にはこの時間帯が無かったり少ないものが多い。頭を使わせずに済めば、「面白くないことに気付く間もない」からである。
本作の場合、ミカが綾乃を監禁してからが“頭を使わせる”時間帯に当たるが、この時間が正直長かった。外国人客の多くはこの時間帯に席を立っていった。僕も大いに頭を使わされて少々疲れたけれど、「分かりやすさがすべての商業映画に対する皮肉」と受け止めれば、その志には拍手を送りたい。
ドラマの結末は僕の想像と違う方向へ転がっていった。意外な展開とまでは言わないが、娘の母親に対する純粋な思いが心に痛かった。そして世の中、金はなくとも愛さえあれば解決できることは沢山あるのに、とも思わずにいられなかった。
さてこの映画、どこかで公開されるのだろうか?僕は悪くないと思うけれど。
こんにちは。
気になっている作品です。
でも、観に行く勇気が出るか微妙です(^^ゞ
by non_0101 (2010-11-14 10:04)
non_0101さんのように、たくさん映画を観ている人にオススメの1本です。
nice!ありがとうございます。
by ken (2010-11-14 16:02)