レイジング・ブル [2008年 レビュー]
「レイジング・ブル」(1980年・アメリカ) 監督:マーティン・スコセッシ 脚本:ポール・シュレイダー他
確か高校3年生のときに劇場で観たと思う。
実在のボクサー、ジェイク・ラモッタを演じたデ・ニーロが衝撃的で、その印象があまりにも強く、内容はほとんど記憶していないことに最近気が付いた。
覚えていたのは「モノクロ映画である」ことと、「決して楽しい映画じゃない」ってことくらいだ。
プロボクサーの現役時代からリタイア後までを描いている関係で、デ・ニーロは体重を25キロも増減させている。その腹の締まり具合と出具合は一見の価値アリ。
ただ問題なのは、デ・ニーロの腹以上に観る価値のあるドラマだったかどうか、である。
アカデミー賞では作品賞、監督賞を含む8部門でノミネートされながら、受賞をしたのは主演男優賞と編集賞のみ。
なぜか?
28年ぶりに観たのはそれを確認するためだ。
一口に「ボクシング映画」と言っても、パターンは大きく二つに分類される。
分けるポイントは、試合そのものがクライマックスになっているか否か、である。
「ロッキー」は試合をクライマックスに持ってきたボクシング映画で、「ミリオンダラー・ベイビー」はそれに該当しないボクシング映画ということになる。
「レイジング・ブル」も後者に属する。
ここで描かれているのは、ジェイク・ラモッタという猜疑心と独占欲の強い男の、凋落しそうでしない人生の断片である。
僕はこの映画をどう観ればいいのか、途中で迷った。
リング外のジェイク・ラモッタはとにかく嫌な男だ。妻ベッキー(キャシー・モリアーティ)も、弟ジョーイ(ジョー・ペシ)も、よく付き合っていられるな、と思う。その理由が明かされれば納得感もあるが、それもない。
やがて観客は「負ければいい」と思うようになる。
チャレンジャーだから許し、チャンピオンだから大目に見てきたジェイクの素行が許せなくなると、主人公には堕ちてもらうしかない。しかし、観客はその期待すら裏切られる。
「ジェイク・ラモッタは敗者にあらず」
特にラストシーンにはスコセッシのそんなメッセージが折り込まれている。
エンドロール前。
ヨハネによる福音書の一部(第9章24-26より)がスーパーされる。
そこでパリサイ人たちは、目が見えない人をもう一度呼んで言った。
“神に栄光を帰するがよい。あの人が罪人であることは、私たちには分かっている”
すると彼は言った。
“あの方が罪人であるかどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。
私は目が見えなかったのが、今は見えるということです”
誰がなんと言おうと、彼は記憶に残る人間だった、ということだろうか。
だからこそ、ジェイク・ラモッタを知らないまま観る意味は無いように思う。少なくとも彼の経歴くらいは確認してから観た方がいい。
例えばジェイクが世界チャンピオンになったときの対戦相手は、「エディット・ピアフ~愛の賛歌~」にも登場するピアフの恋人だったマルセル・セルダンだった、というトリビアネタも含めて。そうすると楽しみ方は随分と違ってくるだろう。
「レイジング・ブル」はボクシング映画としての爽快感も、ボクサーという特殊な人間のドラマの感動も、どちらも希薄な映画だった。だから作品賞は獲れなかった。
主演男優賞は当然。「ゴッドファーザーPARTⅡ」とも「ディア・ハンター」とも違う、また新しい引き出しを開いて見せたデ・ニーロの才能には驚くばかり。編集賞の意味はよく分からなかったけれど。
確か高校3年生のときに劇場で観たと思う。
実在のボクサー、ジェイク・ラモッタを演じたデ・ニーロが衝撃的で、その印象があまりにも強く、内容はほとんど記憶していないことに最近気が付いた。
覚えていたのは「モノクロ映画である」ことと、「決して楽しい映画じゃない」ってことくらいだ。
プロボクサーの現役時代からリタイア後までを描いている関係で、デ・ニーロは体重を25キロも増減させている。その腹の締まり具合と出具合は一見の価値アリ。
ただ問題なのは、デ・ニーロの腹以上に観る価値のあるドラマだったかどうか、である。
アカデミー賞では作品賞、監督賞を含む8部門でノミネートされながら、受賞をしたのは主演男優賞と編集賞のみ。
なぜか?
28年ぶりに観たのはそれを確認するためだ。
一口に「ボクシング映画」と言っても、パターンは大きく二つに分類される。
分けるポイントは、試合そのものがクライマックスになっているか否か、である。
「ロッキー」は試合をクライマックスに持ってきたボクシング映画で、「ミリオンダラー・ベイビー」はそれに該当しないボクシング映画ということになる。
「レイジング・ブル」も後者に属する。
ここで描かれているのは、ジェイク・ラモッタという猜疑心と独占欲の強い男の、凋落しそうでしない人生の断片である。
僕はこの映画をどう観ればいいのか、途中で迷った。
リング外のジェイク・ラモッタはとにかく嫌な男だ。妻ベッキー(キャシー・モリアーティ)も、弟ジョーイ(ジョー・ペシ)も、よく付き合っていられるな、と思う。その理由が明かされれば納得感もあるが、それもない。
やがて観客は「負ければいい」と思うようになる。
チャレンジャーだから許し、チャンピオンだから大目に見てきたジェイクの素行が許せなくなると、主人公には堕ちてもらうしかない。しかし、観客はその期待すら裏切られる。
「ジェイク・ラモッタは敗者にあらず」
特にラストシーンにはスコセッシのそんなメッセージが折り込まれている。
エンドロール前。
ヨハネによる福音書の一部(第9章24-26より)がスーパーされる。
そこでパリサイ人たちは、目が見えない人をもう一度呼んで言った。
“神に栄光を帰するがよい。あの人が罪人であることは、私たちには分かっている”
すると彼は言った。
“あの方が罪人であるかどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。
私は目が見えなかったのが、今は見えるということです”
誰がなんと言おうと、彼は記憶に残る人間だった、ということだろうか。
だからこそ、ジェイク・ラモッタを知らないまま観る意味は無いように思う。少なくとも彼の経歴くらいは確認してから観た方がいい。
例えばジェイクが世界チャンピオンになったときの対戦相手は、「エディット・ピアフ~愛の賛歌~」にも登場するピアフの恋人だったマルセル・セルダンだった、というトリビアネタも含めて。そうすると楽しみ方は随分と違ってくるだろう。
「レイジング・ブル」はボクシング映画としての爽快感も、ボクサーという特殊な人間のドラマの感動も、どちらも希薄な映画だった。だから作品賞は獲れなかった。
主演男優賞は当然。「ゴッドファーザーPARTⅡ」とも「ディア・ハンター」とも違う、また新しい引き出しを開いて見せたデ・ニーロの才能には驚くばかり。編集賞の意味はよく分からなかったけれど。
これはいろんな意味で、よく取り上げられる映画ですよね。
出たりひっこんだりするお腹以上に、デニーロの何かが見られそうですね。
見たいです。
by Sho (2008-07-05 13:51)
いや。やっぱり一番はデ・ニーロの腹だと思いますけどw
nice!ありがとうございます。
by ken (2008-07-05 23:23)
随分前にスコセッシの映画にハマッている時に観ました。
私はこの映画は好きですねぇ~。
>例えばジェイクが世界チャンピオンになったときの対戦相手は、
>「エディット・ピアフ~愛の賛歌~」にも登場するピアフの恋人だった
>マルセル・セルダンだった、というトリビアネタも含めて。
これにはビックリ!でした^^!
何度も観た映画だけれども、もう一度、見たくなっちゃいました^^!
by ミック (2008-07-06 15:45)
「エディット・ピアフ」、ゆる会で観た映画でしたしね。
なんだかピアフとジェイクが繋がったようで、不思議な感覚がありました。
nice!ありがとうございます。
by ken (2008-07-06 19:04)
スコセッシとデ・ニーロということで大好き。
思い出させてもらえて嬉しいです。
by ばくはつごろう (2008-07-06 19:34)
私も随分前に観て、記憶にあることとゆったらロバート・デ・ニーロの役作りの凄さぐらいなんで、今度観直してみたくなりました!
by u_yasu (2008-07-06 22:34)
>ばくはつごろうさん
あえてモノクロで撮ったスコセッシの美的感覚は素晴らしいと思います。
nice!ありがとうございます。
>u_sakuさん
どうしてもその印象が強くなっちゃいますよねえ。
腹に見とれてたらうっかりストーリーに乗り遅れる感じw
nice!ありがとうございます。
by ken (2008-07-07 00:38)