ゼラチンシルバーLOVE [2008年 レビュー]
「ゼラチンシルバーLOVE」(2008年・日本) 原案・監督・撮影:繰上和美 脚本:具光然
キャスティングが凄い。
永瀬正敏、宮沢りえ、役所広司、天海祐希。
「この4人のスケジュールが1か月空いてるんだけど、いい脚本ないかな?」
なんて話があったら、日本中の映画人はその瞬間から死に物狂いで脚本を書くことだろう。けれどそんなに美味しい話はまず転がっていない。
大抵は「A氏が映画を撮るらしい。脚本(ホン)はまだ上がってないけど、内々に出演の打診がある。どうだろう?」という話が、とある筋からマネージャーもしくは役者本人に伝わり、出演のメリット、デメリットを周到に探りながら、結果「脚本を読む前にでやらせてもらうことにした」的なことはままある。
世に溢れる駄作(あるいは商業的失敗作)は、このような形で進行したプロジェクトが多い。
最初から最後まで一人の手で作られる“商品”ならまだしも、大勢の人間が製作に関わる“商品”を、設計図ナシに作ることは不可能である。
役者にも非がある。
脚本を読む前に(ましてや脱稿前に)出演を決めるということがいかにリスキーであるかは、ほとんどの役者が知っているはずだ。なのに、映画を愛する彼らは、そのリスクをものともせず現場に飛び込んで行く。
そんな“役者の性”を僕は否定しないが、少なくとも「観客」は蔑にされたに等しい。「あの俳優が出ている映画なら面白いはず」という観客の“保険”はまったく効いていないし、どんな駄作であっても俳優がその責任を取らされることは無いからだ。
本作の監督である写真家の繰上和美氏は、いつか映画を撮りたいと思いつつ、しかし「1枚の写真すら満足に撮れない人間にムービーは無理」と永らく自身と周囲に言い聞かせて来たらしい。やがて齢70を過ぎてようやくそのタイミングが来たらしく、今回初監督作品をリリースするわけだが、20年以上親交のある宮沢りえも「繰上さんが映画を撮るなら是非出たい」と心に決めていたという。
宮沢りえが演じるのは殺し屋である。永瀬正敏は殺し屋の住まいを24時間監視する男。永瀬は役所広司にその仕事を依頼されていた。天海祐希は永瀬が通うバーのママ。
いまどき「殺し屋」という設定にも驚いたが、台詞が極端に少なく、情報量が圧倒的に足りない脚本には閉口した。「写真家の撮った映画」には興味津津だったが、これは商業映画とは呼べない。だから映画ファンには勧めない。
僕に言わせればこれは「ビデオアート」だ。
最近コンテンポラリーアートの世界で増えつつある「ビデオアート」。
僕はこの良さをまだ理解できていないのだけれど、アートは気に入った人が買い「所有」するものである。しかし映画はアートではない。アート的な映画はあっても、映画とは原則多くの人が観て「共有」するものである。
「ゼラチンシルバーLOVE」は繰上和美という写真家を知らない人間に理解できる映画ではない。これは繰上作品のコレクターが所有すれば良いアートである。
キャスティングが凄い。
永瀬正敏、宮沢りえ、役所広司、天海祐希。
「この4人のスケジュールが1か月空いてるんだけど、いい脚本ないかな?」
なんて話があったら、日本中の映画人はその瞬間から死に物狂いで脚本を書くことだろう。けれどそんなに美味しい話はまず転がっていない。
大抵は「A氏が映画を撮るらしい。脚本(ホン)はまだ上がってないけど、内々に出演の打診がある。どうだろう?」という話が、とある筋からマネージャーもしくは役者本人に伝わり、出演のメリット、デメリットを周到に探りながら、結果「脚本を読む前にでやらせてもらうことにした」的なことはままある。
世に溢れる駄作(あるいは商業的失敗作)は、このような形で進行したプロジェクトが多い。
最初から最後まで一人の手で作られる“商品”ならまだしも、大勢の人間が製作に関わる“商品”を、設計図ナシに作ることは不可能である。
役者にも非がある。
脚本を読む前に(ましてや脱稿前に)出演を決めるということがいかにリスキーであるかは、ほとんどの役者が知っているはずだ。なのに、映画を愛する彼らは、そのリスクをものともせず現場に飛び込んで行く。
そんな“役者の性”を僕は否定しないが、少なくとも「観客」は蔑にされたに等しい。「あの俳優が出ている映画なら面白いはず」という観客の“保険”はまったく効いていないし、どんな駄作であっても俳優がその責任を取らされることは無いからだ。
本作の監督である写真家の繰上和美氏は、いつか映画を撮りたいと思いつつ、しかし「1枚の写真すら満足に撮れない人間にムービーは無理」と永らく自身と周囲に言い聞かせて来たらしい。やがて齢70を過ぎてようやくそのタイミングが来たらしく、今回初監督作品をリリースするわけだが、20年以上親交のある宮沢りえも「繰上さんが映画を撮るなら是非出たい」と心に決めていたという。
宮沢りえが演じるのは殺し屋である。永瀬正敏は殺し屋の住まいを24時間監視する男。永瀬は役所広司にその仕事を依頼されていた。天海祐希は永瀬が通うバーのママ。
いまどき「殺し屋」という設定にも驚いたが、台詞が極端に少なく、情報量が圧倒的に足りない脚本には閉口した。「写真家の撮った映画」には興味津津だったが、これは商業映画とは呼べない。だから映画ファンには勧めない。
僕に言わせればこれは「ビデオアート」だ。
最近コンテンポラリーアートの世界で増えつつある「ビデオアート」。
僕はこの良さをまだ理解できていないのだけれど、アートは気に入った人が買い「所有」するものである。しかし映画はアートではない。アート的な映画はあっても、映画とは原則多くの人が観て「共有」するものである。
「ゼラチンシルバーLOVE」は繰上和美という写真家を知らない人間に理解できる映画ではない。これは繰上作品のコレクターが所有すれば良いアートである。
もちろんよぉーく存じ上げているので当然観ます。
そして期待は殺しの前にゆで卵を食べるシーンだわ。
by ばくはつごろう (2008-11-19 17:38)
すんません、無知識なのですが、この題名は何?
by snorita (2008-11-19 18:02)
>ばくはつごろうさん
ゆで卵のシーンね。りえちゃんも家で練習したと言う割には…でしたけどw
nice!ありがとうございます。
>snoritaさん
フイルム面に塗布された乳剤内のハロゲン化銀(AgX)。
銀塩写真のことですね。
by ken (2008-11-19 19:08)
論点、ほぼ同意。
フォトグラファーとしての繰上氏を知っている者には、<彼の世界>感は概ね展開出来ているのでは・・・と思われる。長い期間第一線の写真(主に広告)
家として過ごして来た“褒美”としての作品と解せば、どうのこうの・・は野暮とも言える。肉屋に行って野菜にうんちくを述べるようなもので、繰上和美が撮れば、こうなるだろう・・と予測させられる出来ばえは、正直とも言えるし、(彼ののファン以外は)つまらんとも言える。
それと「ヒロインは美しいことが絶対条件」と監督は述べているが、この人の撮る女像はおしなべて美しいと言うより怖い(過去の作品から)。表面的な美しさではなく、根底を映し出すから・・とポジティブな評価もあるだろうが、私など時折り目を背けたくなる。まぁ、これも個人的嗜好、論じても仕方ないか・・・。
by デラシネ (2009-03-08 14:13)
好き勝手に好きな映画を撮れる様になったのは、それまでの褒美なんですね。
by ken (2009-03-08 20:54)
先日借りた「接吻」のDVDに、この予告編が付いていました。
「なんかわっかりにくい映画だなあ・・」と思ったのですが、ワイルドな役所さんはセクシーでした。
でも一番ショックだったのは、卵を食べる宮沢りえの口元の「縦じわ」。
女の人はここに縦じわがよると、ほんとに老けて見えるんですよねえ。
by Sho (2009-03-08 21:04)
あえて書きませんでしたけど、あれって男性ファンにもショックでした。
by ken (2009-03-08 21:10)
創り手が我を一方的に投げつけて来る作品は
観る側には本当にきついですね。
アートならアートとして完全に開き直ってくれれば
こちらもそのつもりで体勢を整えられるんですが。
by CORO (2009-09-28 00:46)
観かたを教えてくれない映画は体感時間も長くて疲れます。
ま、繰上某と聞いて分からない人間は、観ちゃいかんってことでしょうか。
nice!ありがとうございます。
by ken (2009-09-28 01:44)