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オーシャンズ [2009年 レビュー]

オーシャンズ」(2009年・フランス) 監督:ジャック・ペラン、ジャック・クルーゾ

 「僕たちは海の中で起きているドラマの1%も知らない」

 観ている最中、こんな言葉が浮かんできた。
 この作品は、ここ数年量産されているネイチャードキュメンタリーの一種と捉える人も多いだろうが、実際は「ジャック・ペランによるネイチャーモノの3作目」として観るのが正しい。
 1作目は昆虫の生態を擬人化したナレーションで見せた「ミクロ・コスモス」。
 昆虫嫌いには身の毛もよだつ映像のオンパレードだが、そうでない人はまさしく「一寸の虫にも五分の魂」を目撃することになる。どんなに小さな生き物にも「命」があって、その命に大きいも小さいも無いということを教えてくれる素晴らしい作品だった。
 2作目は渡り鳥の生態を鳥の目線で追いかけた「WATARIDORI」。
 鳥たちが飛ぶ姿を「併走」ならぬ「併飛」して撮った脅威の映像は、観た人すべての度肝を抜き、それを可能にしたカラクリに2度驚いた人も多かったことだろう。
 そして3作目が「オーシャンズ」だ。
 オープニング。海へと走る子供たちのショットが「WATARIDORI」のオープニングを彷彿とさせ、まさにジャック・ペランの映画であること印象付ける。その監督自身が“海のドラマ”を語るのだが(来年公開の日本版は宮沢りえがナレーションを担当)、その言葉は最小に抑えられ、観客は“想像力”という名の海に放り出される。
 「考えるな、感じろ」
 ブルース・リーの言葉が脳裏をよぎる。

 開始から55分は文句なく素晴らしい。全ての人が映像の力に圧倒されることだろう。
 本作はDVDリリースを待つのではなく、ゼッタイに劇場で観ることをオススメする。真っ暗な劇場は深海の闇にも似て、スクリーンを見上げるあなたは海中の生き物として、海での出来事を目撃することになるからだ。この浮遊感は小さなテレビでは味わえない。
 個人的には海底の生き物を「ミクロ・コスモス」的な視点で捉えた映像に圧倒された。見慣れない生き物のクローズアップは、まるで「スター・ウォーズ」に出て来るエイリアンと見間違う。本作のために開発された撮影機材も多いと聞いた。そうだろう。でなければ説明できない映像が多い。メイキングも楽しみだ。

 日本での公開は2010年の1月22日。
 現段階でこの作品を気に留めている人はきっと「ディープ・ブルー」とどう違うのか、を気にしていると思う。その答えになっているかどうか分からないが、少なくとも僕は「違う」と感じた。なぜなら。これまでのネイチャーもののほとんどが「動物の生態」という大きな括りで見せていたのに対し、本作に限っては
「懸命に生きようとする姿」を見せていたと思うからだ。
 野生動物にとって生きるとは「食べる」ことである。また「食べる」ということは「闘う」ということである。海の中では今日も人知れず激しい闘いが繰り広げられている。僕たちはその1%も知らない。けれど「オーシャンズ」はきっと、その1%になるだろう。

 ちなみに東京国際映画祭のオープニングで上映されたバージョンは暫定バージョンだそうだ。これからまだ幾らかの手直しが入る予定と聞いた。出来れば55分過ぎにやってくる強烈な中だるみを何とかしてもらえると嬉しい。完全版に期待したい。

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戦慄迷宮3D [2009年 レビュー]

戦慄迷宮3D」(2009年・日本) 監督:清水崇 脚本:保坂大輔

 いよいよ日本でも本格的な3D映画が作られる時代になって来たようだ。
 と、思って観たけれど、これは悲惨なことになっていた。なんたって貧弱な予算規模がそのまま絵に出ちゃってるのだ(ま、フツー出るけどね)。
 「THE GRUDGE」でハリウッドデビューした清水崇は、【そこそこ金も出すけどガンガン口出しするハリウッド式】と、【ほとんど金はないけど好きにやれる日本式】と、どっちがいいと思ったかなあ。…なんてことを思っちゃうくらい安い映画でホントにガッカリしてしまった。

 そもそも3Dとは立体感を再現するものだ。ということは奥行きのある映像を作らなければ3D効果は得られないのだが、予算の関係でセットは立てられないし、照明も作れないし、ホラーだからいいだろうってんで画面全体が暗くなっちゃってて、奥行きなんてあったもんじゃない。そんな中で最も3D効果が出ていたのは、ベタ明かりで撮られた警察の取り調べ室のシーン。人と人、人と窓、人と鏡、など細かな位置関係を立体的に把握できたのは、おそらくここだけだったと思う。これがホラー映画特有の薄暗いシーンになった途端、その効果は半減するのだから、観客は「なんだ、ホラーって3Dに向いてないじゃん」と全員が思ってしまったはずだ。結果、本作において「本格的3D映画」の宣伝文句は完全に“逆パブ”となり、このままでは「3D映画の失敗作」として記憶されてしまう可能性が高い。

 では3D映画として提供するべきソフトのジャンルはなにか。
 僕は「U23D」は成功の部類に入る作品だと思う。アーティストのパフォーマンスを肉眼で観ているような感覚は感動的だったし、なにより音の3D効果が抜群だった。きっとミュージカルや歌舞伎といったステージモノは基本3Dに向いているだろう。
 ドラマとしてはどうか。僕はまずスポーツドラマはアリだと思う。
 以前、NFLの3D中継を観たとき、ノーマルスピードでは「立体感を感じる間がない」ため向いていないと思ったが、スローモーション映像はかなりの迫力で驚いた。例えば「巨人の星」のような一球に魂を込める作品は、ボール一個分外れただの外れないだのというシーンで3Dが効力を発揮するような気がする。
 あとは何と言ってもSFだ。虚構の世界に入り込んだような錯覚をもたらす3Dは多くの観客を魅了するだろう。僕が一番期待するのは、もちろん「スター・ウォーズ 3D」である。きっとフォースの威力も格段にアップするに違いない。

 話がずいぶんそれてしまった。
 「戦慄迷宮」は3Dであることを忘れて観れば、脚本は悪くなかったと思う。
 「10年前、お化け屋敷で行方不明になった少女が突然帰って来た。その理由は?」
 この謎をひも解いて行く過程で、10年前と今とが時空を超えてリンクして行く様はなかなか面白かったし、3Dにこだわった撮影という“足枷”がなくなれば、もっと面白い2D映画になったんじゃないかと思う。過去に何度も書いてきたことだが、技術が人の心を震わせることなど無いのだ。今後も技術先行型の3D映画は間違いなく失敗するだろう。
 
 もうひとつ。とても気になったのが柳楽優弥のオーラが完全に消えていたこと。子役が成長する過程で通る道なのか知らないが、少なくともキラキラとした原石のような、観る者を期待させる雰囲気は完全に無くなったと言っていい。これから先、大丈夫なのか、他人事ながら心配になってしまった。
 個人的に残念だったのは、蓮佛美沙子が生きていなかったこと。彼女の容姿からしてこのキャスティングは「技アリ」だと思ったが、彼女にメリットがあったかというとそうではなかったように思う。ファンとしては残念。

 本作は世界配給もすでに決まっていると聞くが、この1本が清水崇のキャリアにどんな影響を及ぼすか、それを考えた方がよほど怖いと思うのは僕だけだろうか。

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座頭市物語 [2009年 レビュー]

座頭市物語」(1962年・日本) 監督:三隅研次 脚本:大塚稔

 綾瀬はるかの「ICHI」を観る前に、と思ってオリジナル第1作を観てみる。
 大映作品。主演はもちろん勝新太郎。
 生涯最大の当たり役となる「座頭市」を勝新太郎がはじめて演じたのはまだ31歳のときだった。
 とにかく若い。
 僕の世代には1976年から放送されたテレビシリーズの印象が強いため(テレビ版開始時の勝は45歳だった)、本編の座頭市はかなり新鮮だ。
 さらに注目すべきは、第1作からすでに座頭市のキャラクターが完成しているところ。設定にブレのない脚本を書いた大塚稔も評価に値するが、やはり勝新太郎の役に対する理解力と演技力が大きい。まず本編の見ものは勝新太郎自身と言っていいだろう。
 
 ストーリーは「用心棒」の大映版と言えば分かり易い。
 下総で対立する2つの組でそれぞれ用心棒として雇われた座頭市と平手造酒(天知茂)が、不思議な縁で友情を育みながらも結果的に対決を迫られる、というものだ。ほかに居酒屋の娘が市に惚れるというサイドストーリーはあるものの、筋立て自体は極めて単純。それを96分かけてじっくり見せている。昨今は何かと速いテンポで見せたがる映画が多い中、場面の背景や登場人物たちの人となりを丁寧に描く辺り、物足りないどころか作品を落ち着いて愉しむことが出来て、かなり好感が持てた。

 それにしても「座頭市」というソフトはつくづく日本人ウケのする作品だと思った。
 目が不自由でありながら、居合抜きの達人とは、判官贔屓の傾向が強い日本人には持って来いの設定だ。それを意識したのか本作では序盤、市の感情表現を抑えた演出が続く。それでいて三隅監督は市が
奥歯を噛む横顔や、背中を打ち震わせる後姿を挟むことも忘れず、観客は知らず知らずのうちに感情をコントロールされている、というわけだ。僕もまんまとハマってしまった。
 僕はこういった「観客の想像力引き出そうとする」映画の作り方が好きなのだけれど、これは意外とリスクを伴うものであることも分かった。観客の想像力が作り手の思いと違うところへ向うと、それは作品の評価を下げることになりかねないからだ。
 本作は先に引き合いに出した「用心棒」と比較すると、クライマックスに物足りなさを感じるだろう。特に終盤まで小馬鹿にされ続けた市が、その怒りを爆発させることなく、エンディングを迎えるからだ。この展開は「むやみに殺生をしない」市のポリシーが貫かれていて、極めてヒューマンな作りと評価出来るのだが、「いずれ派手に立ち回ってくれるだろう」と期待した観客には、「なんだよ。もうちょっと派手にやりゃあ、いいじゃないか」と不満を抱かせる。僕はこの1本に「映画づくりの難しさ」を見た気がした。

 黒澤明と比較すると、確かに三隅研次の演出は見劣りがする。しかし脚本は出色。北野武版「座頭市」が霞んでしまうほど、実に人間臭い優れたドラマだった。

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老人と海 [2009年 レビュー]

老人と海」(1958年・アメリカ) 監督:ジョン・スタージェス 脚本:ピーター・ヴィアテル

 ヘミングウェイの原作は未読。と、書くのも若干恥ずかしいくらい有名なタイトルを初めて観てみる。50年以上前の映画だけに何も期待はしていなかったけれど、基本ナレーション押しというオーソドックスな作りにまずは驚き、さらに原作未読に救われて後半の意外な展開に驚き、思いのほか愉しめた。

 知らない人は多分いないと思うけど、これはカジキに挑む年老いた漁師の物語だ。
 「挑む」と言えば聞こえはいいが、実際は一月以上もカジキを上げることが出来ず、老人は食事にも困るほど貧乏な暮らしをしている。その生活を微力ながら支えるのが、老人を慕う一人の少年。以前は老人と共に海に出ていたが、あまりに水揚げが少ないため、別の漁師を手伝うよう両親に言われ、今は老人を陰ながら応援している、という設定だ。

 本編は87分。うち約70分は海の上での描写に費やされていたように思う。
 「一月以上も釣れない漁師」という設定から、結果的には必ず「釣れる」のだろうと思って観ていた。そして案の定、老人はかなりの大物を仕留めるのだが、この先の展開が原作未読の僕には意外中の意外で、とても興味深かった。原作が評価されるのはこの展開だからこそだろう。
 50年前の作品にネタバレも何もないと思うので、「釣れたあと」を明かしてしまう。
 あまりの大物が釣れたばかりに老人はカジキを船に揚げることが出来ず、船に縛り付けて帰港することになるが、その途中で飢えたサメの大群に襲われてしまう。老人は懸命にサメを追い払うが、苦労の甲斐なく港に辿り着いたとき、巨大なカジキは頭と骨しか残していなかった。
 意外な展開はさらに続く。
 帰港した老人に労いの声をかける者はなく、唯一老人を慕う少年だけが「もう一度一緒に行こう」と励ますだけだけで、映画はまもなく「尻すぼみ」と言っても言い過ぎではない終わり方をする。フィルムの半分以上を費やした老人とカジキの対決も、見ていない村人には関係ない、と言わんばかり。具体的なメッセージがあるわけでなし、観客はヘミングウェイの投げたボールをどう受け止めるか、自分で決めなければならない。
 
 僕は老人に「人間の無力さ」を見た。
 異常に発達した大脳のおかげで、肉体の進化を止めてしまったヒトは、素手のままでは多くの動物に力で劣る。確かにカジキは仕留めることが出来た。しかしサメの前では無力だった。仮にヒトがヒトのまま生態系の中に放り込まれたら、一体どの位置にいるのかを垣間見たように思う。苦労をして獲物を捕らえても、さらなる強者にそれを奪われる弱者。そしてヒトは百獣の王に憧れるのだ。僕は老人の見るライオンの夢をそう解釈した。
 気になるのは原作の文体。ヘミングウェイはどんな言葉でこの物語を紡いだのか。原作を読むと解釈もまた微妙に変わるだろうか。

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ホノカアボーイ [2009年 レビュー]

ホノカアボーイ」(2008年・日本) 監督:真田敦 脚本:高崎卓馬

 久しぶりの更新。
 とにかくめっちゃ忙しいです。映画を観てる時間なんてありません。以前は睡眠時間を削っても映画を観ていた頃もありましたが、今は削る睡眠時間すら無い有り様。でもそんなときだからこそ、こういう映画が観たくなるんです。

 「ハワイ島の北、ホノカアという小さな街で働くことになった日本人の青年と、地元の人たちとの温かな交流を描いたハートフルムービー」

 この映画は大抵こうやって、温かく紹介されることでしょう。
 けれど僕に言わせれば、これはただの「かもめ食堂」
の二番煎じ。あのヒットがなければこの作品は生れなかったはず。個人的にはちょっとガッカリな映画でした。
 「かもめ食堂」と「ホノカアボーイ」二つの共通点は、主人公が日本を離れた理由は明かされないままドラマが進み、観客はそのやりとりを眺めるだけ、という構造にあります。映画の行く先(ゴール)も明らかじゃないので、登場人物の誰か、もしくはその土地に興味を持てないと確実に眠くなる。
 僕は昨年ハワイ島へ行って、偶然ホノカアも訪ねていたので、土地には興味があった。けれどレオ(岡田将生)には感情移入が出来ませんでした。なぜなら僕はいまさらレオにはなれないから。そもそも大学生じゃないし、特に理由もなく日本を離れて、ホノカアの映画館で働くなんてことは絶対に出来ない。けれどサチエにはなれるんです。僕もいつか仕事を整理して、ちょっとしたお金を持って、
日本じゃないどこかの国で飲食店をやる可能性は充分にある。だから僕はサチエの背景を想像しながら、自分の人生を想うことが出来た。この差が映画の面白さを分けたように思います。

 ただし視点を変えると「ホノカアボーイ」も観ていられます。
 この作品、実は「人は誰かと出会うために生きている。らしい。」というメッセージからスタートするのですが、こう言いつつ
描かれていたのは「孤独」です。
 「人間とはいかに孤独な生き物であるか」
 この目線で見たときの主人公はホノカアで独り暮らしをしているおばあちゃんのビー(倍賞千恵子)です。若い頃に夫を亡くし、以来独りで生きてきたビーは、レオに一人は寂しくないかと聞かれて、こう答えます。

 「人は皆ひとりです。だからくっつきたくなるんですけどね」

 ずしりと響いたセリフでした。
 このセリフが響けば響くほど、僕はレオの薄っぺらさが気になったりするんですけどね(笑)。

 冒頭出てくる蒼井優がなんとももったいない。ゼッタイ他に使い道があったはず。
 倍賞千恵子さんのヘアメイクと衣裳も気に入らない。ユニセックスなキャラクターにしたため、途中のカワイコぶりっ子が気味悪かった。もっと女性らしい設定でも良かったのに。唯一、ぽっちゃり体型を逆手に取った松坂慶子さんの食いしん坊キャラだけは二重丸。何かと笑えました。 
 それにしても、時間がない中で中途半端な映画を観て、ちょっとだけ損した気分。レビューを書くのにもずいぶんと時間がかかってしまった。

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悲夢 [2009年 レビュー]

悲夢」(2008年・韓国/日本) 監督・脚本:キム・ギドク

 キム・ギドク15作目。公開は今年2009年の2月。
 かねてから新作が発表されたら「キム・ギドク部」を正式に発足して、映画観賞オフ会を催すつもりだったんですけど、タイミングを逃してDVDでの鑑賞になってしまいました。
 主演はオダギリジョーとイ・ナヨン。通にはちょっぴり魅力的なカップリングで何やら期待させるものがありますが、これがまたギドクワールド炸裂の不思議な作品。
 これが僕にとってのキム・ギドクデビュー作品だったとしたら、「おのれ何がいいたいんじゃ、ボケ」と悪態をついた可能性があります(笑)。それくらい今回は難しかった。

 別れた恋人が忘れられない男、ジン(オダギリジョー)と、別れた恋人を思い出したくもない女、ラン(イ・ナヨン)。何の関係もない2人だったが、ジンの観る夢がランの行動に悪影響を及ぼしていることが分かる。相談をした精神科医は「2人が愛し合えば問題は解決するはず」と言うが、ジンには無理な相談だった…。

 夢の中でジンが殴られると、ランがケガをしているという世界観。
 なんだかナイト・シャラマンの「アンブレイガブル」を彷彿とさせる設定なのですが、実は似て非なる物語で、公式サイトによると、これは監督が観た夢が発想の原点だったようです。夢から醒めても、夢での出来事を現実で引きずってしまった経験が、やがて荘子の故事「胡蝶の夢」と重なる。
 なるほど、そういうことだったのね。納得。
 公式サイトに「胡蝶の夢」の分かり易い訳が載っていたので転載します。

 ある日、私は夢の中で一頭の蝶になっていた。
 ひらひらと空を舞う蝶。
 存分に花上を飛び、自分が荘周であることも忘れていた。
 ふと目覚めると、私は荘周以外の何者でもなかった。
 荘周が夢を見て蝶になったのだろうか。
 それとも、蝶が夢を見て荘周になったのだろうか。
 荘周と蝶は別物のはずだ。
 しかし、流転してやまない実在の世界において、
 夢は現実であり、現実もまた夢なのだ。

 人の夢と書いて「儚い(はかない)」と読みますが、「胡蝶の夢」はまさしく人の生の儚さを詠ったもの。これを知って観るか、知らずに観るかで、本作の面白さは大きく変わります。何の情報も持たずに映画を観るのが好きな僕も、こればかりは失敗でした。
 キム・ギドクは知らないけどオダジョーだから観る、という女性ファンの皆さんは、「胡蝶の夢」を理解した上で、さらに「うつせみ」辺りを観てから本作を手に取ると、きっとギドクワールドを堪能出来ると思います。もちろんイ・ナヨンファンの皆さんも同じ。時に炎のように熱く、時に氷のように涼しけな美しさを放つ彼女の目力はここでも健在。観ているだけで惚れ惚れします。

 ああ、それにしてもギドク部オフ会やれば良かった。

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山のあなた 徳市の恋 [2009年 レビュー]

山のあなた 徳市の恋」(2008年・日本) 監督:石井克人 脚本:清水宏

 清水宏の傑作「按摩と女」のリメイク版。
 脚本はほぼそのままなので、ますますリメイクする意味が分からなかっが、公式サイトによると石井監督発のプロジェクトらしい。
 2003年に「茶の味」を撮り終えた石井監督が、「これは清水宏の『』を参考にしたのか?」と先輩の監督から言われて初めて清水作品を観るようになり、中でも「按摩と女」を気に入った石井監督が「これをカヴァーしたい」と思ったことがすべての発端だという。それをよくフジテレビもジャニーズ事務所もOK出したもんだ。

 オリジナルと比べて驚くのはまずキャスティングか。
 草なぎ君はいいとして、相棒の福市に加瀬亮。恋仇となる大村に堤真一。温泉宿の主人に三浦友和、その番頭に津田寛治。他にも洞口依子、渡辺えり子、新井浩文、田中要次、尾野真千子と言った面々が意外な役で登場する。ここまではいい意味での驚きだが、オリジナルで高峰三枝子が演じた美千穂をモデル上がりのマイコなる女子がやったのは悪い意味での驚き。彼女の知名度の低さが興行成績の足も引っ張ったように思う。ここが少なからず著名な女優(例えば、竹内結子、壇れい、松たか子、中谷美紀など)だったら様子はずいぶん違っただろう。

 石井監督は「按摩と女」をカラーで観たい、と思ったそうだ。その気持ちは分からなくもない。清水宏が切り取った伊豆の風景は、映画を観たほとんどの人が「はたしてどんな色合いか」と想像せずにいられないほどフォトジェニックで情緒溢れる絵の連続だった。
 しかし不幸なことに今の日本で「按摩と女」の完全カヴァーは不可能だったようだ。公式サイトの製作秘話にこんな一文がある。
 「一番の課題だったのは『戦前の温泉街の再現』。これを克服するため日本各地の古い温泉街をリサーチするも、戦前の旅籠街をそのまま残す温泉街は存在しなかった」
 石井監督はこの段階でカヴァーを断念するべきだったと思う。というのも、伊豆の旅籠街は結局5分の1のミニチュアで再現され、CGによって役者と合成するという強引な技を使っているからだ。残念ながらこのシーンは観られたものではない。

 ただ、戦前の脚本をそのまま使って映画を撮り、オリジナルから70年後に再び公開されるという“ドラマ”は面白い。カヴァーはオリジナルを超えられないが、映画の新たな楽しみ方は充分にアピール出来たと思う。正しい見方はオリジナル、カヴァー、もう一度オリジナル、と3度観ることだろう。これで清水宏の再発見に繋がること間違いなし。よって本作は「ナイス・アシスト」の評価が相応しい。

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仮面ライダー THE NEXT [2009年 レビュー]

仮面ライダー THE NEXT」(2007年・日本) 監督:田崎竜太 脚本:井上敏樹

 前略、石ノ森章太郎先生。
 人間とはなんと愚かな生き物なのでしょう。
 3年前、「仮面ライダー THE FIRST」のときに先生が激しくお怒りになり、石森プロを出禁にしたはずの連中が、性懲りもなくまたしてもやらかしました。
 東映ビデオの石井、加藤、日達、東映の中曽根、白倉、武部、鈴木、吉田、東映チャンネルの古玉、金子、東映エージェンシーの福中、矢田、松田。なんと一名も漏れることなく前回と全員同じメンツです。しかも脚本まで同じ井上で、監督の首を代えただけ。私は怒りを通り越して完全に呆れてしまいました。
 連中は「権利はウチのもんじゃ、原作者がなんぼのもんじゃい、ボケ」てなことを言っているに違いありません。まったく没後22年を経ても未だ「裕次郎」の名前でメシを食っている石原軍団以下でございます。

 では先生、本題に入らせていただきます。
 前回、先生がご指摘された「コレは大人向けの仮面ライダーを作るつもりじゃなかったのか?」というコンセプトに関わる問題ですが、これは全く改善されておりません。今回のストーリーは平たく言うとただのタレント事務所内のゴタゴタ。笑っちゃうくらいどーでもいいハナシでした。先生、能無しなのは脚本の井上でしょうか。それとも東映の連中でしょうか。私にはまったく分かりません。
 そして今回はV3が登場いたしました。
 私事で恐縮ですが、V3はライダーマンに次いで私が愛して止まないキャラクターでございます。正直、かなり期待しておりました。いろんなことに。ところがです。本作のV3は対仮面ライダー用にショッカーが開発したライダーという設定でした。「はあ?」でございます。本作には(何の説明もなかったのですが)ショッカーライダーも登場します。ショッカーライダーこそ、先生が対仮面ライダー用に創造されたキャラクターでございました。なのに、なぜV3がショッカー発の仮面ライダーでなければならないのでしょう。まったく意味が分かりません。
 ですが先生、私は前回から堪えることを覚えました。ここはグッと堪えて「じゃあV3のダブルタイフーンはどう説明してくれるのか。説明できるものなら説明してみろ」という思いで観ておりました。1号、2号のダブルライダーに改造されたV3のダブルタイフーンは、1号ライダーの技と、2号ライダーの力を象徴したものでしたね。子どもながらに私は彼らの友情と師弟関係に胸を熱くしたものです。先生はさすがでした。先生は日本中のハナタレ小僧のハートを鷲づかみにする天才でございました。
 ところがです。本作の脚本にはダブルタイフーンの「ダ」の字もございません。
 まったく
往年のファンを馬鹿にするのもいい加減にしろ、でございます。
 
 それよりも先生。今回私が一番驚いたのは、プロデューサー陣のプライドの無さです。
 ほとほと呆れ返って見送ったエンドクレジットの最後に、これまた、とてつもないシーンが挿入されておりました。なんとスポンサーであるパチンコメーカー京楽産業の「CRぱちんこ仮面ライダー」のタイアップカットが露骨に挿入されていたのでございます。
 本来、この手のタイアップカットはさりげなく本編中に盛り込むもの。それがどういう経緯か知りませんが、いかにも取ってつけたようにエンドクレジットのあとにがっつりくっ付いておりました。
 これは本編中に織り込むアイディアがプロデューサー陣になかったのか、すべてが終わってからスポンサーから出た注文なのか知りませんが(そんなことないと思うけど)、いずれにしても史上最低の仮面ライダー映画は、これで史上最悪の仮面ライダー映画に成り下がってしまいました。

 先生。この調子なら「仮面ライダー THE THIRD」があるような気がして来ました。おそらく次回はライダーマンが登場するでしょう。2度あることは3度あると言いますが、この回だけは何としても面白い作品にしなければなりません。このままでは「仮面ライダー」というソフト、あるいはブランド自体が「面白くないモノ」というイメージを確立し兼ねません。
 先生。近いうちにどうぞ東映のA級戦犯プロデューサー陣の枕元に立ち、「スタッフを刷新しねーと、次はねーぞコノヤロー」くらいのことは言ってやって下さい。優秀なクリエイターが知恵を絞れば、仮面ライダーは「ダークナイト」のような作品になるだけの素地があるのです。そして私にもお手伝いをさせて下さい。「50歳でも楽しめる仮面ライダー」を作るのが私の夢です。

 ちなみにGACKTのライダーマンも気になってますが、映画館に行く勇気がありません。DVDになったら観てみて、またお手紙したいと思います。ではまた。
                                                      草々。

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バーン・アフター・リーディング [2009年 レビュー]

バーン・アフター・リーディング」(2008年・アメリカ) 監督・脚本:イーサン&ジョエル・コーエン

 豊洲のHMVでズラリと並ぶDVDを発見し、買おうかどうしようかしばらく悩んだ。
 ジョージ・クルーニーとブラッド・ピットのコメディ。ジョン・マルコビッチも出てる。ティルダ・スウィントンも出てる。監督はコーエン兄弟。ただし未見。
 「これでつまらないなんてことある?」
 でもふと考えて止める。だって3,990円。帰りの車の中で妻にそう話したら「そんなの買っちゃダメ!」と怒られた。我が家の家計が火の車だから、ではない。妻の「買っちゃダメ」は、そんなロクでもない映画に4,000円も払ったらゼッタイに後悔するから!というコトらしい。
 「ワタシ観に行ったって言ったじゃん。笑ってたのガイジンだけだったよ!」
 妻のハナシを聞いたら、ますます観たくなった。TSUTAYAへ行ったら380円だった。ありがたや。

 上映時間は93分。妻と僕の出勤時間の時間差とほぼ同じ時間なので、妻が出勤したあと朝っぱらから観る。この「朝映画」って意外と好きだ。なんたって脳みそがスッキリしてるから理解力が高い。昔は土曜の朝からよく映画観てたなあ、なんてことを思い出しながら収録された予告編をだらだらと観る。…おっと、いかんいかん100分を超えると遅刻だ。

 さて。
 頭はクリアだったはずなのに、どうにも面白さが分からない。面白いのはブラピの演技だけだ。
 バカな役をやるブラッド・ピットはとにかく面白い。そう言えば「スナッチ」で演じたミッキーも抜群だった。この手のブラピがどうして面白いかというと彼がセレブリティ中のセレブリティだから。そして「ホントはバカなんじゃないか?」と思わせるほど、ハマっているからである(笑)。
 本作でもブラピは「スポーツドリンクをガブ飲みするiPod中毒の筋肉バカ」という役を演じている。コーエン兄弟の“当て書き”は悪意を感じるほど可笑しいが、ドラマの展開はさほど可笑しくなかった。この作品は一体何を楽しめばいいのか、後半まで分からないからだ。

 コーエン兄弟が言わんとすることは2つあったと思う。
 ひとつは「ネットの普及によって、とてつもなく複雑になった人間関係」。特に出会い系サイトの登場によって、一昔前では考えられなかった人と人との繋がりが生まれていることの恐ろしさ。
 もうひとつは「そういった人間関係を理解出来ずにいるCIAの慌てっぷりと、それでも昔ながらのやりかたで強引に処理するCIAの恐ろしさ」だろう。
 いや、こう思って観れば意外と楽しい気がする。これを最初に教えてくれないから、最初の30分はイライラするのだ。ホント、ブラピが出てくるまではイライラするから(笑)。
 結論。
 自分を取り巻く人間関係の最悪なパターンを想像しながら観ると、かなりブラックな雰囲気が味わえる気がします。「アイツとアイツが実は知り合いだったら…うわ、おっかねー!」的な想像力が大事。
 なんだよ、バカな映画なのにアタマ使うなあ(笑)。

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ウルヴァリン:X-MEN ZERO [2009年 レビュー]

ウルヴァリン:X-MEN ZERO」(2009年・アメリカ) 監督:ギャヴィン・フッド

 僕はシリーズ3作目の「X-MEN ファイナルデシジョン」を観たとき、あまりのつまらなさに「X-MEN 4」とブライアン・シンガー監督の復帰を期待したレビューを書いた。
 そして本作。
 「ファイナルデシジョン」の公開中に発表されたスピンオフ企画ではあったが
、やはりここにブライアンの名前はなく、それどころか監督は南アフリカのスラムを描いた映画「ツォツィ」のギャヴィン・フッドだと聞いて驚いた。およそアメコミには縁のなさそうな人物を、なぜ20世紀フォックスは起用したのだろう。

 公式サイトによると「『人物の描き方に惚れこんだ』というヒュー・ジャックマンのラブコールにより異色の大抜擢が実現した」とあるが、こんなものはもちろん表向きの
理由でしかない。
 「X-MEN」シリーズは過去3作で約1,160億円も稼ぎ出した20世紀フォックスの「ドル箱」である。今回も売り上げ目標は果てしなく高いところに設定されているはずで、間違ってもコケることは許されないし、コケたら担当重役のクビは確実に飛ぶだろう。そんな作品の監督を決めるにあたり、オージー俳優の意見など聞いていられるワケがないのだ。
 じゃあ、なぜギャヴィン・フッドが選ばれたのか。
 想像するに20世紀フォックスが「ファイナルディシジョン」の出来の悪さを反省した結果だと思う。
 このシリーズをヒットさせた最大の功労者は、間違いなくブライアン・シンガーである。
 ユダヤ人でかつゲイであることを明かしている彼は、その特殊能力ゆえに社会から排除されようとしているミュータントの気持ちを誰よりも理解していた。なにより「X-MEN2」のオープニングで表記されたメッセージがそのすべてを物語っている。
 「いずれにせよ歴史的にも“平和共存”は人類が苦手としてきたことである」
 「スーパーマン リターンズ」を撮るため降板したブライアンに代わり、すったもんだの末に「ファイナルデシジョン」の監督を引き受けたのはブレッド・ラトナーだった。彼は「ラッシュアワー」シリーズの監督を務めているが、元はと言えばマイアミビーチ生まれでマライヤ・キャリーのPVを多く手がけたミュージック・ビデオディレクターである。そんな人物に「X-MEN」の本質を理解しろというのが無理な話なのだ。
 「X-MEN ZERO」はウルヴァリンの不幸な身の上を明かす物語である。そして20世紀フォックスは過去の失敗を教訓にして、何よりマイノリティの気持ちを理解出来る監督を探していたと思う。ただし同時にアクションの演出もこなす必要があって、人選にはかなりの時間を要したのだろう。実際、監督が発表されたのは、企画が公になってから約1年も経ってからだった。

 前フリが長くなった。
 如何なる理由であれ、ブライアン・シンガーが監督じゃないという時点で、この映画に対する僕の期待はゼロだった。それでも劇場へ行ったのにはもちろん理由がある。
 まず第一に、残念ながら僕はこのシリーズが好きだということ。僕は「ヒーロー」と呼ばれる以前に「ミュータント」と呼ばれてしまった彼らの境遇にいつの間にか同情し、感情移入し、そして愛着を持ってしまっていた。
 第二に、中でもウルヴァリンという男気溢れるキャラクターを素直にカッコイイと思ったから。当然ヒュー・ジャックマンという魅力的な俳優が演じたことも大きい。
 第三に、ウルヴァリンのいわゆる「BEGINS」をどう構築したのかは興味があった。僕はアメコミを読むほどのマニアじゃないのでそのいきさつを知らないし、第1作に繋ぐためにどう辻つまを合わせて来るのか、テクニカルな興味から観てみたかった。

 そして結果。
 久し振りにデジタル上映の大きなスクリーンでアクション映画を観たのだから、もっと騙されてもいいと思ったのだが、意外やその雰囲気には騙されなかった。つまり、大して面白いと思えなかったのだ。
 冷静に考えるにその理由は、ウルヴァリン以外のミュータントが魅力的じゃなかったことと、「X-MENに出て来る女の人って、いまいちキレイじゃないのはなんで?」と漏らした妻の言葉がすべてじゃないかと思う。つまりウルヴァリン以外のキャラクターがイマイチだったということだ。これはもう監督以前の問題。とても残念だ。
 アメリカ国内の興行収入も(過去2作が突破し、おそらく本作の目標金額だったろう)2億ドルに届かず終わったのも、本作が「X-MEN」らしさに欠けていたからだろう。続編の予定がすでにあるようだが、次回こそ「X-MEN」らしさを取り戻した作品にして欲しい。そのためにはブライアンの復帰が一番だと思うのだが。どうだろう。

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  • 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
  • メディア: Blu-ray


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