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千年の祈り [2009年 レビュー]

千年の祈り」(2007年・アメリカ/日本) 監督:ウェイン・ワン 脚本:イーユン・リー

 「SMOKE」の監督ウェイン・ワンの新作。
 アメリカで暮らす娘イーランを訪ねて北京からやって来た年老いた父、シー。
 娘は離婚をして独り暮らしを始めていた。父はその娘を慰め、再婚を促すつもりでやってきたのだが、娘は父に何も話そうとしない。戸惑う父もまた、娘にかける言葉を次第に失っていく…。

 恐ろしく地味な映画です。
 父と娘がなかなか口を開かないので、「ウェイン・ワンは一体なにが言いたくて、こんな映画を撮ったんだろう」と思いながら途中まで観ることになります。そういう意味では、登場人物がとても雄弁だった「SMOKE」とはまったくテイストが違います。
 ところが事が次第に明らかになると、観客の心にずしりと重くのしかかるものが現れます。しかもスクリーンからではなく、観客の内側からぬるりと現れる。それは観客自身が心の奥底にしまいこんだ「誰にも明かすつもりの無い秘密」。あるいは「誰にも弁解するつもりの無い誤解」。
 “思い出さないことにしていた痛々しい記憶”は、本作によって突然サルベージされ、私たちは“その記憶”ともう一度向き合うことになります。スクリーンに映し出されるのはあくまでその一例。観客はドラマの行く末を見届けながら、「はたして自分はどうすべきか」を考えることになるでしょう。
 不思議な映画です。これは「自分と向き合うことで完結するドラマ」と言ってもいいかも知れません。

 登場人物と脚本について。
 最も感心したのは、シーが公園で出逢う「裕福なイラン人マダム」というキャラクターの配置。
 語るに充分な言葉を持ちながら話し合わない父娘と、語り合うには心もとない英語で必死に分かり合おうとする異国の2人。これは「父娘の間に出来た壁が、人種の壁よりも高い」ことの象徴だったように思います。いや、この設定は素晴らしかった。
 イーランを演じたフェイ・ユーもいい。決して幸福とは言えない日常を生きる女性の悲哀を、しっとりと全身で表現していました。ヘンリー・オーの枯れた演技もきっと観客の心に響くでしょう。
 ウェイン・ワンの名作「ジョイ・ラック・クラブ」とも共通した、“親子間のコミニュケーション”という問題をじっくりと考えさせられる佳作です。この邦題じゃ、ヒットしそうもないけど。

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太平洋戦争 謎の戦艦陸奥 [2009年 レビュー]

太平洋戦争 謎の戦艦陸奥」(1960年・日本) 監督:小森白

 wowowで新東宝の戦争映画特集をやっていたとき、タイトルの意味が分からなくて、つい見逃してしまった作品。調べてみたら戦艦陸奥は1943年6月8日、広島湾沖に停泊中爆発、沈没しており、その原因は今もって解明されていないという。つまりタイトルにある「謎」とは陸奥が爆沈した理由であり、映画はその謎に迫るものかと思って観てみたのだが…。

 これは陸奥の爆沈事件をモチーフにした完全なるフィクションだった。
 序盤は、ミッドウェー海戦に参加しながら、陸奥を温存したかった司令部の命により戦線離脱し、それを潔しとしない乗組員たちの葛藤が描かれていて、まずまずフツーの戦争映画している。
 ところが、しばらくのちサングラスをかけて葉巻を燻らすけったいな外国人スパイが出て来た瞬間に、「あ、こりゃ違うな」と確信。そこから本作は「陸奥を沈めようと画策する人たち」の群像劇へと形を変えるのだけれど、もちろん登場人物たちの背景はすべてがでっちあげ。でも僕はこれはこれで面白いなと思った。というのも、陸奥を沈めようとする理由が何らかの形ですべて「反戦」に繋がっていたからだ。
 
 例えば、将校クラブのマダム美佐子。彼女の父は陸奥の建築技師だった。ところが陸奥の設計図を敵に渡したと疑惑をかけられ、美佐子の父は銃殺されてしまった。海軍に恨みを持つ美佐子に戦艦陸奥は遺恨の対象でしかなく、陸奥の爆破を企む国際スパイ団の一員として陸奥の副長、伏見少佐(天知茂)に近づくのだ。
 ところがこの映画がハチャメチャなところは、ここから先にある。爆破計画のため伏見少佐に接近した美佐子だったが、いつの間にか伏見を愛してしまい、「伏見を戦地へやらないため」に改めて陸奥の爆破を決意するのだ。正直、「銃殺されたオヤジのことはもういいのか」、と言いたい(笑)。まあ動機がどっちに転んでも、「反戦」であることに変わりは無いから許されると言えば許されるのだが。

 それにしても同じ新東宝が製作した「戦艦大和」と比べると趣は大きく異なる。
 本作はあくまでも事実をモチーフにした、娯楽アクション映画として観るべし。事件からも公開からも時間が経ち過ぎているために、これがひとつの仮説と取られるのは大きな誤りである。
 ま、ベタな外国人スパイが登場するから大丈夫だとは思うのだが、念のために注意を促したい。これはあくまでも仮想戦記である。そう思ってみると、かなり笑える。でも今さら誰も観ないだろうな。

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インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア [2009年 レビュー]

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」(1994年・アメリカ) 監督:ニール・ジョーダン

 映画は公開から年数を経て、ワインのように熟成する場合もあることを、最近いくつかのレビューで知った。ひとつはてくてくさんの「デイ・アフター・トゥモロー」。もうひとつはsatocoさんの「バットマン・ビギンズ」。お2人とも公開から時間を置いて観直してみたら面白味が増したり、味わいが変化した、といったことを書いておられた。
 僕個人は一度観た映画を観直すことはなかなか無いのだけれど、「熟成」という観点で観直してみるのも、映画の愉しみ方のひとつとして悪くない。
 そういう意味で言うと本作は、一度も開封しなかった94年物を今になって初めて開けるようなものだ。そもそも素材は偶然にも良かった。トム・クルーズ、ブラッド・ピット、アントニオ・バンデラス、クリスチャン・スレーター、そしてまだ幼かったキルスティン・ダンスト。初見である。当時の味は知らないが、15年後のいま開封するとどんな味がするのだろう。

 吸血鬼伝説が浸透している国とそうでない国。ここが本作を受け入れられるか否かの境界線だと思う。たとえば「四谷怪談」は面白い話だが、それを欧米の人間が受け入れられるかどうかは、また別問題なのと同じだ。
 序盤、ブラッド・ピット演じるルイは、ヴァンパイアになりながら人を殺すことを拒み、レスタト(トム・クルーズ)が“非常食”と呼ぶ動物の血で飢えを凌いでいる。日に何人も命を奪うレスタト。人間の心を残したルイにその行為は許されなかった。
 ここまで観て僕は、「人間の心を残したヴァンパイアの苦悩」が本作のテーマなのかと思った。ところがドラマはさらなる展開をする。
 人の血を飲まずに耐えていたルイだが、ある日出逢った幼い娘クローディア(キルスティン・ダンスト)の首に噛み付いてしまう。ふと我に返って動揺するルイ。レスタトはその様子を喜び、自らの血をクローディアに与え、ヴァンパイアとして蘇生させる。
 実はヴァンパイアは、ヴァンパイアとして生まれ変わった瞬間から老いることがない。
 数年後、クローディアは自らの容姿を呪うようになる。精神的な成長を果たした彼女は、大人の女の肉体が欲しいと騒ぎ立てるが、それは叶わない。
 と、ここで僕は「不老不死を手に入れた者の不幸」が本作のメインテーマなのだな、と膝を打つ。しかし、ここから先の展開が何を意図するのか、僕には読めなかった。とにかく、あっちへふらふら、こっちへふらふらする映画なのだ。
 特にオープニングから90分後、バンデラスが出て来てからは理解不能に陥った。
 一体なにが言いたいのか?
 
 15年前に素材は抜群と騒がれた94年ものの1本は、素材の良さを生かしきれずに瓶詰めされ、形にならずに崩壊した1本と言っていいかも知れない。特に日本人にこの味は分からないはず。飲み手を選ぶ1本。

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母べえ [2009年 レビュー]

母べえ」(2007年・日本) 監督・脚本:山田洋次 脚本:平松恵美子

 山田洋次監督の作品を悪く言いたくはないが、このタイトルはどうだ。もしも「観たくない映画タイトルランキング」があったら、僕の中では「カンフーくん」をぶっちぎってダントツの1位だ。

 反戦を訴えるヒューマンドラマである。一方で吉永小百合のための映画でもある。
 このときすでに還暦を過ぎていた吉永小百合が、おそらく30代半ばと思われる役年齢を無理なくこなしているのは驚きだが、治安維持法によって夫を逮捕された不遇の妻、という役を演じながら、「吉永小百合」と言う名前があまりにも大き過ぎて、所詮は「吉永小百合が演じる誰か」でしかないのは女優として致命的だ。そこへ持ってきて「母べえ」というタイトルで、「是が非でも観たい」と思った観客がはたしてどれほどいただろう。それでも映画人は吉永小百合を世に出したがる。この大女優については作り手と観客の温度差があり過ぎはしないだろうか。

 観ようか観まいか随分悩んだ末に観ることにした理由は、山田洋次監督の仕事を確認するためである。「たそがれ清兵衛」、「隠し剣 鬼の爪」、「武士の一分」と続いた藤沢周平時代劇3部作以来の、久しぶりに撮った「家族の物語」と聞いたら、妙に観たくなった。
 結論から言うと、山田洋次監督ならではの「暖かさ」に満ちた映画だった。そして何をやらせても「吉永小百合」でしかない主役を、脇役たちが実にうまくカバーしていたと思う。
 一番は浅野忠信。かつての師、野上滋(坂東三津五郎)が逮捕されたと聞いて矢も盾もたまらず駆けつけ、のちのち野上家の精神的支柱となる青年“山ちゃん”を、気負うことなく自然に演じている。
 浅野忠信はこの映画の「裏の主人公」と言ってもいい。実は男性の観客が感情移入できるのは唯一このキャラクターだけで、しかも後半の展開で大きな鍵を握る役どころだからだ。僕はこの“山ちゃん”のエピソードが一番泣けた。

 義理の妹として登場する壇れいと、大阪の叔父という役で登場する笑福亭鶴瓶もいい。
 壇れいはスクリーンを彩る花。鶴瓶は停滞する空気を吹き飛ばす風だ。
 ドラマの展開で僕が一番気に入ったのは、原爆のエピソードのさりげない挿入の仕方だ。壇れい演じる久子は主をなくした野上家で娘たちの世話を焼いていたが、やがて広島に帰ることになる。観客にとっても欠かせない家族の一員になっていた美しい娘が、不幸な巡り会わせで原爆に遭い、原爆症で苦しみながら死んでしまう。生々しいシーンはまったく挿入されないが、観客にとっては大事な家族を原爆に奪われたような感覚を得る。僕は原爆の不条理を訴える方法として、こんな手法もあるのだな、と感心してしまった。
 鶴瓶さん(なぜか、さん付けで呼びたくなる)。
 「ディア・ドクター」のときもそうだったけれど、地に足の着かない役をやらせると、とびきり巧い。次回作の「おとうと」も楽しみだ。

 タイトルはイケてない。けれど「さすが山田洋次」と言わせる佳作。

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THIS IS IT [2009年 レビュー]

マイケル・ジャクソン THIS IS IT」(2009年・アメリカ) 監督:ケニー・オルテガ

 休日とはいえ劇場はかなりの席が埋まっていた。
 僕も含め、日本人はマイケル・ジャクソンが好きだ。いや世界中でそうなのかも知れない。驚いたのは随分と年配のお客さんもいたことだ。でもジャクソン5の頃からのファンならうなずける。ユナイテッドシネマ豊洲、スクリーン10。東京の端っこの劇場。ここの様子を観ただけマイケルの偉大さが分かるなんて、やっぱり只事じゃない。

 映画を観ていて、いろんなことを考えた。
 まずは、ついに捕まった英国人女性リンゼイさん殺害・死体遺棄事件の容疑者、市橋達也。
 逃走のために整形手術を受けていた容疑者の顔は、およそ素人には見分けがつかない変貌を遂げていたが、マスコミはこぞって「顔は変えられても、声だけは変えられない」と市橋の声を繰り返し流していた。「はなみずき。夏には白い花を、秋には赤い実」(なんでこんな肉声を自分のPCに残していたのかすごく気になるんだけど、それはさておき)。この「いくら整形しても声だけは変えられない」説は、マイケルにも見事当てはまっていた。10年前、20年前と変わらない美しい声。あの「フォー!」も健在。僕はこの声を聴いた瞬間、「じゃあ、幻のロンドン公演はどんなステージだったんだろう」と俄然
興味が沸いた。本編はその興味に応えてくれる111分である。

 マイケルはショウを完成させようとしていた。
 「皆が聞きたい曲を演る」と語るマイケルは過去の栄光を引きずる“往年のポップスター”に見えなくもなかったが、リハーサルにのぞむひたむきな姿勢を観ていると、僕たちがマイケルに何を望んでいたかがよく分かった。はっきり言って近年のマイケルは「ヘンな人」だった。少年に対するいたずら問題や、子どもをホテルの窓から突き出してみたり、そもそもどうして白くなっちゃったのかもよく分からない。世界中のマスコミはそれらをおもしろおかしく伝え、僕たちも注目して来たのだけれど、僕たちは心のどこかで、「音楽やれよ、マイケル」と思っていたのだ。本作に老若男女がわらわらと集まるのは、そういう背景があるからだろう。

 一部は演出上、レコーディング音源がオーバーダビングされていると思う。中でも「スリラー」のリハーサルシーンはその施しが顕著だが、聴き応えがあるのはマイケルの地声である。ミキシングされていない
マイケルのストレートヴォイスは、ライブでは絶対に堪能できない代物である。良くも悪くもこれこそ「LIVE」だと思った。それはまるでビートルズの「Let It Be...Naked」のようでもあった。
 とは言うものの、所詮「ライブDVDの特典映像」レベルである。
 観客に見せるべきは「ショウ」であって、「バックヤード」ではない。しかしショウは行われなかった。そしてリハーサルの映像だけが残った。本来なら見世物にならないはずの粗い画像。正直言って中だるみすると思う。僕は途中で眠くなってしまった。けれど本作には重要な意味がある。
 僕は観ながら結果的に「マイケルの死」を実感した。なぜならマイケルが死んだからこそ、こんなものが表に出ることになったのだ。ブルース・リーの「死亡遊戯」と同じ。あのときも僕は、映画の完成度の低さから、稀代のアクションヒーローの死を実感したのだ。

 幻のロンドン公演は、この映画を観た観客がベストなライブをイメージするといい。それはチケットを買えなかった人にも平等に与えられたマイケルからの贈り物である。

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二つのロザリオ [2009年 レビュー]

二つのロザリオ」(2009年・トルコ) 監督:マフムト・ファズル・ジョシュクン

 東京国際映画祭5本目。WORLD CINEMA部門作品。
 
 「WORLD CINEMA」部門とは、今年海外の映画祭で話題になった作品や、有名監督の新作で日本公開が決定していない作品を紹介する部門なのだそうだ。
 その中の1本である本作はロッテルダム映画祭で最高賞を受賞した作品で、カトリック教徒の娘に思いを寄せるイスラム聖職者の儚い恋を描いたもの。
 
 個人的には、ここ2本ヘヴィーな映画が続いたので、予備知識なく観られるほのぼのコメディにまずはホッとした。国際映画祭のプログラミング・ディレクターを務めることがあったら(ねーよ)、ラインナップには「硬軟のバリエーションがとっても大事」と覚えておこう。
 もうひとつ。およそ北米では通用しないだろう“ベタ凪ぎ”のドラマにすんなりと感情移入を果たし、素直に楽しめた自分自身にもホッとした。と言うのも、本作は映像で見せるもの以上に、観客の想像力でしか観ることの出来ない、主人公の「心の揺れ」が最大の見どころだったからだ。それほど穏やかなドラマである。そして、人を好きになった経験さえあれば、誰にでも楽しめる作品でもある。この間口の広さは商業映画としても褒められる。

 主人公の男性ムサを演じたナーディル·サルバジャクがいい。
 セリフが極端に少ない脚本は俳優の演技が作品の出来を大きく左右するが、本作においてはまったく申し分なし。彼の表情が観客を笑わせ、泣かせ、胸を熱くさせる。特にラストショットで見せる彼の表情。僕はこれ以上せつないラストショットを今まで見たことがない。
 また僕はこのトルコ産映画に、恋愛における「当たり前のこと」と、「当たり前じゃないこと」をひとつずつ見つけた。
 当たり前のことは、「恋は告白をしなければ、それ以上決して前に進まない」ということ。
 当たり前じゃないことは、「世の中には絶対に実らない恋がある」ということだ。
 なかなか告白をしないムサにイラついたら、この映画は観ていられない。しかしムサには「晩熟」という自身の性格と、「信仰の違い」という抗いようのない現実が“二重苦”となって圧し掛かっていた。だからこのドラマは面白いのだ。
 日本人の恋愛にはありえない障害。これを観たら、「よし」と行動に移す人もきっといることだろう。
 人の背中を押してくれる映画も、きっと「いい映画」と言っていい。

二つのロザリオ.JPG

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ダーク・ハウス/暗い家 [2009年 レビュー]

ダーク・ハウス/暗い家」(2009年・ポーランド) 監督:ヴォイテク・スマルゾフスキ

 東京国際映画祭4本目。「コンペティション部門」作品。
 
 今年のコンペティションは例年以上に「観たい」と思わせる作品が並んでいた。
 まず辻仁成がアントニオ猪木を主演に撮った「ACACIA」
 近代中国史を背景に一人の若い女性の成長を描く「永遠の天」
 自分をロシア革命家の生まれ変わりと信じる高校生の騒動を描いた「少年トロッキー」
 現代のフィリピン社会で懸命に生きながらも脱落していく男の実話「マニラ・スカイ」
 しかし、いずれもスケジュールの都合がつかず断念し、唯一観ることが出来たコンペ作品がポーランドの犯罪心理劇だった。

 「大雨の夜に発生した事件と、4年後にその現場を検証する警察と容疑者。二つの時間に人間の欲望が渦巻く犯罪劇!」

 僕はこのTIFF公式サイトのコピーを読んで、犯罪捜査映画の傑作中の傑作「殺人の追憶」を勝手にイメージした。そして「また、あんな映画が観られるといいな」という小さな期待を抱きつつ劇場へ向かったのだが、やはりこれは似て非なる物語。しかし否定するものではない。見慣れない外国映画の“文法”を愉しむのも、国際映画祭の愉しみの一つである。

 まず驚かされたのは、思い切りの良さだ。
 大きくは、時間軸をずらして4年前と現在(いま)を激しく交差させる構成。そして細かくは、主人公の妻が迎えるあまりに唐突な死の描写。
 前者は4年前を「雨」、現在を「雪」の中で描き、その差別化を図っているところが“技アリ”だが、主人公の風貌を変化させ過ぎていて、僕は同一人物と理解するまでに若干の時間を要してしまった。
 後者は本編の「鍵」となるシーンだったと思う。

 主人公の妻は火にかけた鍋をテーブルに運ぶ途中で何の脈略もなく卒倒する。手をかける間もない即死。主人公以上に観客を驚かせるこの描写は、あとに続く「不条理」にリアリティを持たせるための極めて重要な伏線と言っていいだろう。このシーンのおかげで、観客は大概のことに疑問を持たず、劇中にずるずると引きずり込まれて行く。
 
 しかし残念なことに体感時間は実尺(109分)を大きく超えていた。それは僕がポーランドの背景を理解していなかったからだ。
 事件が起きた1978年は社会主義時代の末期。一方、事件の捜査が行われた1982年はワレサ議長率いる自主管理労組「連帯」と当局の対立が激化し、戒厳令が敷かれていた年。ここを理解していなければ、「殺人事件の捜査をする警察の面々が、まったく別の事件を隠ぺいしようとするドラマ」を完全な形では愉しめない。本作には「酒」と「煙草」が重要なアイテムとして登場するが、「酒に逃げるしかない社会」を僕たちは予備知識なしに理解することは出来ないからだ。

 興味深い設定だっただけに、予習せずに観てしまった自分を呪った。
 裏を返せば、予習すればかなり愉しめる作品だと言える。リトライしたい一篇。


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時の彼方へ [2009年 レビュー]

時の彼方へ」(2008年・フランス/イギリス/イタリア/ベルギー) 監督:エリア・スレイマン

 東京国際映画祭3本目。「アジアの風」部門作品。
 時間があったので六本木へ行き、なんだかWANDSの曲のタイトルみたいな映画を見つけたので観てみる。予備知識ゼロ。

 これはイスラエル建国から現在に至るまでを描いたスレイマン監督自身の自伝的作品で、パレスチナ史に明るくなければちょっと解読し難い作品だった。僕はこの「パレスチナ問題」が非常に苦手で、未だにこの問題の輪郭すら満足に理解出来ていない。僕は語るだけの知識を持ち合わせていないので、このレビューでパレスチナ問題については一切を割愛するが、本作の根底に流れているものは、今や世界中の国と地域で通じる「時代の移り変わりによって崩壊しつつあるアイデンティティ」というテーマだった。
  
 本編にはイスラエル・ナザレ出身の監督自身が主人公エリア・スレイマンとして登場する。が、まずは監督の父ファードの若かりし頃が描かれる。
 時は1948年。自らの信念の下に、命を省みず行動するファードはまさに男の中の男で、「義を見てせざるは勇なきなり」を地で行くような男だった。当時はこういった考え方をする男が多かったんじゃないかと思う。もちろんそれを当然と思った女たちもいたに違いない。
 ところが時は流れ、一定の平和が得られるようになると途端に緊張感と目標が失われ、生きる理由すらあやふやになる。 
 
先人たちはよく「何を成すために生まれてきたのか」を自問していたが、今に生きる我々の中で「この世のために何かを成そう」と考える者は極めて少ない。それは何故だろう。と、そんなことを考えさせる映画だった。

 これは何故そんな映画なのか。
 謎を探るためにスレイマン監督プロフィールを洗ったら、カンヌ映画祭60回記念プロジェクトである「それぞれのシネマ」に参加していたことがわかった。タイトルは「臆病」。改めて観てみると、ここでもスレイマン監督は自ら出演し、映画の中で立ち尽くしていた。一切の言葉を持たずに。その表情は本作の彼とも共通する。
 彼は偉大な父と、父が生きた時代に対して負い目を抱いているのかも知れない。
 イスラエルに生まれた者の宿命を知りつつ、なのに何も成し得ないジレンマ。アイデンティティ・クライシス(自己喪失)に陥りそうな自分を、繋ぎ止める唯一の手段が「映画」なのだろう。
 僕は常々「映画は観客のモノ」といいながら、最終的には「監督のモノ」だと思っている。仮に多くの人が1本の映画を愛したとしても、監督以上にその映画を愛した人はいないと思うからだ。だから本作も、スレイマン監督自身が自らと向き合うために撮った作品ということでいい。
 と言いつつ、実は素晴らしく計算された脚本なのだが、残念ながら僕には難し過ぎた。

 商業映画とは一線を画した作家性の強い作品に触れることが出来るのも国際映画祭の醍醐味である。作品の内容云々以前に、僕はこの作品の成り立ちを想像して愉しんだ。

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つむじ風食堂の夜 [2009年 レビュー]

つむじ風食堂の夜」(2009年・日本) 監督:篠原哲雄

 東京国際映画祭2本目。「日本映画・ある視点」部門作品。
 
 スケジュールの隙間を縫って映画を観るといっても、やっぱり興味のないものは観ないわけで、今回上映される全111本の中から観たい映画を選ぶ作業は、自分の趣向性も明らかになって面白い。
 僕が本作を観ようと決めたのはタイトルと、TIFFの公式サイトで観た、この写真が決め手だった。

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 ここはきっと食堂なんだろう。
 2人は背中あわせに座っているから親しくはないけれど、つい覗きたくなる何かがあって…。
 
 「想像力」は恐ろしい。
 観る前に勝手にハードルを上げておいて、映画がその期待を裏切ると勝手にガッカリする。
 僕はこんな1枚の写真からもいろんなことを想像してしまうので、常に余計な情報をインプットしないように心がけている。けれど本作に限ってはタイトルがそれを許してくれなかった。タイトルの中には僕の好きなものが2つも入っていたからだ。

 「風」と「食堂」

 「風」は僕がこの世で一番好きなものかもしれない。肌にまとわりつく地球の息吹きを感じるとき、僕は生きていることを実感する。だから何度となく書いてきたけれど「風を感じる映画」が好きだ。
 「食堂」は特に夜の食堂が好きだ。仕事を終えて集う人々は、一日の疲れをここで癒し、明日への活力を得て帰って行く。僕は子供のころ、主に肉体労働者が集まる食堂に出入りしていたことがあって、そこで愛すべき人たちのいろんな人生を見たことが、食堂という空間に愛着を持っている理由だと思う。

 僕が子供のころに見た食堂の風景は、映画として見せられるほどキレイなもんじゃなかった。けれどこの映画の100倍のドラマがあった。そう思うと恐ろしいのは「想像力」だけじゃない。人それぞれの「経験値」も恐ろしい。平気で「その程度のこと、面白くもなんともない」と言わせるのだから。
 
 原作は「ちょっといい話」の詰め合わせなんだろう。この映画を観たあとじゃ読む気にもなれないので、あくまで想像だけど。その原作がイマイチなのか、脚本がイマイチなのか知らないが、そもそもドラマとして面白くない。ここに出て来る登場人物たちの悩みは、「国民6人に1人は貧困層」なんてニュースが流れる時代にリアリティがなさ過ぎて、「オマエらアホか」と言いたくなる。
 
 キャスティング。
 写真の女優。宝塚の男役だった月船さららにどうしても入れ込めなかった。舞台芝居しか出来ない八嶋智人はまったく映画に向いてない。驚いたのは田中要次。雄弁な役をやらせるとびっくりするほどヘタだ。下條アトムもキャスティングとして本命じゃない感じがする。好感が持てたのは喫茶店のマスターを演じたスネオヘアーと、本が大好きな八百屋のお兄さんを演じた芹澤興人の2人。特に芹澤興人はかなりいい味を出していた。今後に期待したい。

 短いエピソードを包む“包装紙”は良かったけれど、残念ながら中身が伴っていない。
 僕の大好きな函館を舞台にしたんだから、もっと面白い映画にして欲しかった。
 こんな「思いこみ」も怖いね(笑)。


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君と歩こう [2009年 レビュー]

君と歩こう」(2009年・日本) 監督・脚本:石井裕也

 第22回東京国際映画祭が始まった。
 例年、なんとか参加しようと思いながら、結局1~2本観るのが限界だったので、今年は針の穴を通すようなスケジュールを縫って、一体何本観られるかに挑戦することにした。
 その1本目。
 「日本映画・ある視点」部門の本作は、完全にノリで駆け落ちした34歳の女英語教師と17歳の童貞高校生が、東京で必死に生きようとする物語。コメディである。

 「駆け落ち」というワードを使っている以上、それなりの恋愛シークエンスがあるものだと思っていた。しかし女教師と高校生の間に色恋沙汰の描写は一切ない。コメディと聞いた瞬間から、さすがに「あるスキャンダルの覚え書き」のような作品でないことは分かっていたけれど、「女教師×男子高校生=エロ」というにっかつロマンポルノ的な発想に全身を支配されている僕には、「もうちょっとなんかあっても良かったんじゃないのぉ?」という極めて個人的な不満はある。特に手塚理美と菊川怜を足して2で割ったような目黒真希が(高校生目線で見ると)意外にそそるから尚更だ。でもまあ、個人的ガッカリはいい。

 インディーズである。
 びっくりするほどお金がなかったと思われる。それがもろ照明に出ている。なるほど、お金がない映画を撮るときはデーシーンのみの映画にすればいいのだな。なんてことはさておき。
 しかし予算の無さはこのテーマには合っていた。貧乏たらしい映像が目に見えない形で作品の雰囲気作りに貢献していたし、なにより田舎から上京したときに僕自身が感じた「薄汚れていて輪郭のはっきりしない」東京の質感がとてもよく出ていたと思う。

 脚本はもう少し練っても良かった。
 そもそも、この設定で「別の展開」もあったと思う。早い話がいくらかの恋愛感情を交えた展開ということなのだけれど。
 笑いのポイントにリアリティが無いのも気になった。特に9歳の少年が、童貞高校生を憧れのプロ野球選手と勘違いする件は、若手お笑いのつまらないコントのようだった。童貞高校生の意外な背景や、親密になった相手の意外な側面が、糸がほつれるように明らかになっていく様などは上手く描けていただけに残念だ。唯一の救いはそれをけれんなく演じていた森岡龍の笑顔だろう。素人同然(のはず)でありながら、やらされている感がほとんど無かったのは評価していいと思う。目黒真希とのコンビネーションも良かった。

 実はロードムービーである。
 セックスのない駆け落ちをした2人は結局別々の道を行くことになるのだが、森岡龍の清々しい笑顔が「かわいい子には旅をさせよ」という言葉を思い出させた。この頃の少年に無駄な経験など何一つ無いのだ。
 この映画、中学高校の男子は見た方がいい。分かるヤツには分かるが馬鹿には一生分からないことがこの映画に隠れている。おい、おまえたち。家の中でヴァーチャルな冒険をしたところで何の身にもならないぞ。なんなら駆け落ちでもしろ。

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