ショコラの見た世界 [2008年 レビュー]
僕は行定勲という“人”が好きだ。
何と言ってもカッコいい。顔が小さくて、スリムで、ファッションセンスも良くて、話し方は穏やか、物腰は柔らか。指が細くてきれいなところも個人的にはポイントが高い。早い話が僕と正反対。そして職業は映画監督。
生まれ変わったら行定勲になりたいと思う。けれど映画を撮るとき、伊藤ちひろの脚本を使うかどうかは別問題だ。
本作はソニーエリクソン携帯電話のストーリーCMを拡大した劇場公開映画。
ショコラ(竹内結子)とテンコは歳の離れた姉妹。旅が好きな姉のショコラは、旅先での不思議な体験を妹の「テンコ」に話し聴かせていた。その7年後、テンコは思わぬ形で姉の不思議な体験を目撃することになる…。
ファンタジーというジャンルは否定しない。竹内結子は「いま、会いにゆきます」や「天国の本屋~恋火」のおかげで本作の設定にも違和感は無かった。けれど僕は伊藤ちひろの書くダイアローグだけはどうにも受け入れらなかった。「スカイクロラ」のときも思ったのだけれど、彼女が書くのは映画のセリフじゃなく、マンガのネームなのだ。それ以上でも以下でもないと思う。
行定監督が伊藤ちひろの何を認めて脚本を書くよう勧めたのか、僕にとっては大きな謎だ。
物語の構造は「落下の王国」に似ている。
妹の枕元で姉が語る“ストーリー”。それが実写で作られたか、CGで作られたか。
もちろん前者が「落下の王国」で、後者が本編。比べちゃいけないけど、比べてしまうとスケールダウンするから要注意(笑)。
ボルサリーノ [2008年 レビュー]
フランスが生んだ世界的スター、ジャン=ポール・ベルモンドとアラン・ドロンが初共演したフレンチ・フィルム・ノワールの一篇。チェンバロの音色で有名なこのテーマ曲を知らないOVER40もいないでしょう。日本公開は1970年。
初見です。
思えばこの2年は歴史に名を残す映画を沢山観てきました。やっぱり旧い作品を観ていないと、新しい作品のことをうかつに批評出来ないんですよね。だからといって旧作ばかり観てもいられなくて(合間に仕事もするしサ)、1日24時間の使い道はつくづく難しいなあ、と思います。
そんな中、超有名なこの1本は突然wowowの企画で放送され(いろんな映画の放映権持ってんなあwowow)、「もちろん観ておいたほうがいい」と思って、僕は日本公開から38年目にしてようやく観たわけですが、率直な感想を言わせて頂くなら、駄作です。まぎれもなく。
一度は、「40年近く前の映画だからこんなもんかな?」と思ったりもしたんですが、いやいや同じ年日本で公開された「明日に向かって撃て!」は今観ても面白いですからね。
じゃ「ボルサリーノ」は何故イケてないのかと言うと、ジャック・ドレーがヘボ監督だからです。
「ボルサリーノ」は1930年のマルセイユを舞台に、シフレディとカペラという2人のチンピラが街の“顔役”までのし上がって行く様を描いたものです。このドラマをシリアスに作るか、シニカルに作るか、それともコメディにするのか。一番肝心なところがまったく定まっていません。驚いたのは冒頭でシフレディ(ドロン)とカペラ(ベルモンド)が殴り合うシーンが、ただのコントだったこと。カット割りも、芝居も、アクションの演出も、台詞も、事の成り行きも、まったく不自然極まりなく、作品に入り込むことが出来ません。思うのはただ、「ドロンもベルモンドも若いなあ」ってことだけ。
確認したら脚本には4人が名前を連ねていて、うち一人は監督自身。迷いのある人間が脚本に手を加えたって意味ないっつーの。
しかし、個人的に目を見張ったシーンがひとつだけありました。
それはドロンが振り向きざま、ある男めがけてナイフを投げると、見事胸に刺さって男は絶命するというシーン。これがワンカット、編集ナシで見せられます。
一連の動作があまりに見事だったので、僕は本当にドロンが投げたのか確認しようと思わず巻き戻してしまったのですが、これが驚きました。ドロンは振りかぶってナイフを投げる瞬間、背中の後ろにナイフを落として、まさに投げるフリだけし、瞬間男の胸元に仕込まれたナイフが(おそらくスプリングによって)飛び出すという仕掛けになっていました。この間合いがまた絶妙。僕は観客をアッと言わせたい“活動屋”の心意気を観た気がして、スタッフにもドロンにも感動しました。
それにしても、ドロンとベルモンドは恐ろしくカッコいい。主要登場人物のスタイリングも見事で、まるでエンジンは最悪だけどシートだけは抜群にいいフランス車みたいな映画です。
そんなワケで主演の2人に興味がなければ観る必要なし。
女バス [2008年 レビュー]
「女バス」(2006年・アメリカ) 監督:ウォード・セリル
「THE HEART OF THE GAME」という原題に対して、すごい邦題を付けたもんだと、ここまで来ると感心しますが、「女バス」とは「女子バスケット部」の略です。
そしてこれはアメリカ、ワシントン州にあるルーズベルト高校の女子バスケットチームを7年に渡って取材したドキュメンタリー。
表向きは「弱小チームが州チャンピオンを目指す」という、ありがちな目線なのですが、学校の要請を受けて就任したコーチ、ビル・レスラーと、チームのポイントゲッターでもある一人の黒人選手のおかげで、「教育」と言う面でも見応えのあるノンフィクションに仕上がっています。
僕が注目したのはコーチのビルが選手に指導した「インナーサークル」という制度。
チーム内で発生した問題を、コーチ、親、学校関係者、警察など、誰にも頼らず自分たちだけ話し合い解決する、というルールなんですが、これが実に効果的で感心しました。
僕はこの世の中に起きている争いごとの大半は、「コミニュケーションを密にすることで解決できるもの」だと思っています。
誤解、錯覚、勘違い、思い違い、曲解、無理解、これらはいずれもコミニュケーション不足が生み出したものです。解決のためには「当事者たちが関係改善を望むこと」が大前提ですが、互いの言い分を聞き、何が衝突の原因だったのかを探れば、おのずと解決策は見えてくるはずなのです。
大切なことは思いの丈をストレートにぶつけること。そしてそこへ導く者の存在。
ルーズベルト高校女子バスケットチーム「ラフライダーズ」のメンバーは、ビルの指導で始めたインナーサークルによって、チームの重大な危機を2度乗り越えます。僕はこの制度を自分の会社にも導入できないかと真剣に考えました(笑)。
個人的にはバスケットにあまり興味がありません。
NBAの試合がBSで放送されていても、チャンネルを止めるほどじゃないし、自分でやりたいとも思わない。けれど高校生が真剣にバスケットに取り組む姿は見ていて気持ち良かったし、7年も追い続けたことによって選手が入れ替わったりする展開は、まるで水島新司の「ドカベン」を観るようで面白かった。
でも一番感情移入したのはビル。僕は間違いなく彼の世代だし、選手をいかに鼓舞し、実力以上の力を発揮させるかは、少なからず参考になりました。
学生時代にバスケットをやっていた人たちは、かなり熱くなれるはず。
そうでなくても、スポーツドキュメンタリーとして充分に観ていられます。
ラスト、コーション [2008年 レビュー]
第二次大戦中の上海で、中国側のスパイとして活動をしていた鄭蘋如(テンピンルー)をモチーフにした短編を、「ブロークバック・マウンテン」のアン・リーが大幅に脚色したサスペンス。
抗日組織の弾圧を図る特務機関のリーダー、イーを演じるのはトニー・レオン。
祖国を裏切り、日本軍と手を結ぶイーを暗殺するため活動する女スパイ、ワン・チアチーはオーディションで1万人の中から選ばれた無名の新人、タン・ウェイ。
この2人の、まさに身体を張った演技が見ものの、R-18指定作品です。
本作をこれから観ようと言う人は、テンピンルーのことを知らずに(あるいは忘れて)観た方がいい。
テンピンルーの“最期”と、本作のクライマックスは大きく違います。僕はそこに少なからず失望してしまいました。
ヘタな先入観を持たず正しい情報を持って観ていれば、違う受け止め方があっただけに、久し振りに「見方を誤った」と後悔しています。
繰り返しますがこれはフィクションです。祖国を日本軍に占領されたある中国人の、“2つの生き様”がぶつかり合うドラマだと認識した上でご覧になってください。
さて、本作の宣伝文句に付いて回った「激しい性描写」については、僕がこれまでに観て来た映画の中では過去最高にきわどいものでした。「そのアングルから見せるか」と驚いたり、「そこにぼかし無しかい」と唖然としたり。けれどこれらのセックスシーンが決して話題づくりや客集めのためでないことは、イーとワン2人の複雑な表情のアップを幾度も折り込んだ編集から伝わって来ます。
攻守を入れ替えた何度かのセックスシーンがあってはじめて、クライマックス、ワンの重要な一言が重みを増すのです。
僕は「ブロークバック・マウンテン」を途中何度も思い出していました。
どうしてこんなにあの映画を思い出すんだろう?
考えていたら、「ブロークバック・マウンテン」と「ラスト、コーション」には共通するテーマがあることに気付きました。
「この世には身体を重ねた者同士にしか分からないものがある」
本作で描かれているのは、自身のアイデンティティを放棄させるほどの“想い”です。
時に国を、宗教を、家族を、そして性別までも乗り越えて結びつこうとする、人間が持つ最大の力。
「愛」
これはすべての人間が持ち合わせた、愛の力を思い知る作品なのです。
少女時代から熟練のスパイに成長するまでを一人で演じ分けたタン・ウェイは充分に観る価値ありです。けれどそれ以上に素晴らしかったのがトニー・レオン。誰にも心を開かず、誰も信じないという本人のキャラクターとは少々異なる役柄を、見事なまで物静かに、時に激しく演じていました。彼のキャリアで最高の演技だったかも知れません。
結論。
僕のように「見かた」さえ間違えなければ、上質のサスペンスドラマとして愉しめると思います。
大人のための上質な1本。
白い巨塔 [2008年 レビュー]
“骨太”日本映画シリーズです。相変わらず凝り性なもんで(笑)。
1978年放映のテレビドラマシリーズは両親が好きだったので一緒に観ていた記憶がありますが、いかんせん当時僕は15歳。「スター・ウォーズ」や「宇宙戦艦ヤマト」に「うきー!」となってた子供ですから、「大学病院の教授レース」って言われても、ぽかーんですよ。
それから30年後。
山本薩夫監督に目覚めた45歳のオッサンはオリジナル版を観るのですが、いや~面白いです。
田宮二郎、小沢栄太郎、東野英治郎、田村高廣、加藤嘉といった絶妙のキャスティングもさることながら、やはりキャラクターを際立たせた脚本と、テンポのいい編集が肝。中だるみは全く無く、バランスのいい緊張感を保ち続けたまま149分を駆け抜けます。
唯一不満があるとすれば、財前と正反対の志を持つ里見助教授(田村高廣)の“押し”が弱いこと。もう少し財前と丁々発止やってくれたら、と思ったのですが、それはあくまで結果論。
また、テレビシリーズを観た人には「そこで終わり?」ってタイミングでエンドマークが出ますが、大学病院内の派閥争い、教授レース、そして誤診医療による裁判と、見応え充分。単発の映画としては申し分ありません。
さてこの作品、実はタイトルバックからいきなり驚かされます。
財前五郎の手術シーンにスタッフ&キャストのクレジットが出るのですが、手術の手元がホンモノとしか思えないのです。まさか腹部にメスを入れるカットは、その瞬間別アングルに変わるのだろうと思って観ていたのですが、そのまま見事開腹され、臓器も確認できる状態。しかも、こんなカットが本編中も何度も出てくるのです。これは久し振りに驚きました。どうしてこんなことが可能になったのか。山本薩夫監督のこだわりもあったでしょうが、それを可能にしたプロデューサーや助監督の証言を聞いてみたいと思いました(どこかに資料がないかな?)。
そして本作を語る上で避けて通れないのが、田宮二郎。
設定年齢より若いのが少々物足りないのですが、彼は財前五郎の貪欲さを見事に醸し出していたと思います。これは恐らく、田宮二郎本人が内に秘めていた「欲」と重なるところがあったのでしょう。彼自身の俳優としての名声や格付けに対する執着心が、役に反映されたとしか思えません。
仮にこの役を田村高廣や、船越英二(菊川昇・金沢大学医学部教授)に演じろと言っても無理な話で、財前五郎とはそれ相応の人間でなければ演じられない強烈なキャラクターであり、田宮二郎が財前五郎に「命を与えた」と言っても過言ではないでしょう。
医学会の腐敗の実体を覗き見した満足度高し。78年のテレビ版を観直したくなった。
さらば、ベルリン [2008年 レビュー]
明日から11月。
この時期になると毎年考えるのが「あと何本映画観られるかなあ」。
だいたい今頃から恐ろしく忙しくなるんですよね。ありがたいことですけど。
そんな中、時間は無駄に出来ませんから、なるべく“地雷”を踏まないよう、警戒しつつ映画も選ぶんですが、まさかソダーバーグと言う名の“地雷”があったなんて、夢にも思いませんでした。
本作は(日本における)終戦直前。米・英・ソの3首脳が集まり戦後処理について協議したポツダム会談を取材するためベルリンにやってきたアメリカ人ジャーナリスト、ジェイク・ゲイスメール(ジョージ・クルーニー)が、ソ連領で発生したアメリカ人伍長タリー(トビー・マグワイア)殺害事件を調べるうち、ある陰謀に巻き込まれる…というストーリー。
なんですが、これが何を言いたくて、何を見せようとしているのか、まったく分かりませんでした。僕は最初も、途中も、そして「THE END」のマークを観たときも、物語の全貌をつかむことが出来ず、本当に久し振りにずーっとアタマの上に「?」マークが出っ放し。なんなら「あれ?今、オレってラリってる???」と自問したくらいです(笑)。
前編4:3のモノクロです。
何が嬉しくてそんなことしたのか知りませんが、ときにリアプロジェクション(俳優の背景に別途撮影した映像を投射する方法。スクリーンプロセスの手法のひとつ)で撮影し、カメラのレンズも年代モノのレンズを使用。場面転換はワイプカットを多用するというこだわりよう。よく言えばリスペクトですが、悪く言えば自己満足。個人的には後者としか考えられません。ラストなんて、ただの「カサブランカ」だし(笑)。
ジョージ・クルーニー、トビー・マグワイア、ケイト・ブランシェットという異色の顔合わせだっただけに、どうしてこんな作品になっちゃったのか残念でなりません。
ソダーバーグも仕事し過ぎて、アマタおかしくなっちゃったのでしょうか?面白そうな新作(チェ・ゲバラの生涯を描いた2部作)が控えているだけに、本作は「どんな名監督にも生涯1~2本はあるフツーの駄作」だと思いたいところです。
未来を写した子どもたち [2008年 レビュー]
インド・カルカッタの売春窟(赤線地帯)で生まれ育った子供たちのドキュメンタリー。
と、言ってもあるがままの生活を追ったわけではなく、ニューヨークで活動する女流カメラマンのザナ・ブリスキが子供たちに「写真」を教えるところから始まり、子どもたちが撮った写真を足がかりに売春窟から救い出そうと、ザナが奔走する様を追いかけたものです。第77回アカデミー賞では「スーパーサイズ・ミー」と争って最優秀ドキュメンタリー賞を受賞しました。
以前「それでも生きる子供たちへ」というオムニバス作品を観たときも驚いたんですが、今回はドキュメントだけに更に胸が痛くなりました。たとえば10歳の女の子がカメラの前でこう語ります。
「祖母も母も売春婦。いずれ私も客を取らされる」
売春窟で生まれた女の子はいずれ売春婦に。男の子は売春婦の世話役になる。それが運命。
言葉がありません。
10歳は小学5年生です。小学5年生が家族を養うためにいずれ客を取らなきゃいけないと我が身を案じているのです。
そんな子どもたちを一人でも救おうと、ザナは写真教室を開きます。
狙いのひとつは、赤線地帯を子どもたちの目線で“切り取る”こと。
もうひとつは、赤線地帯の外の世界を子どもたちに見せること。
そうして出来上がった写真の一部がこれです。
photo by Puja
photo by Manik
photo by Tapasi
photo by Shanti
photo by Avijit
photo by Suchitra
photo by Gour
すべての写真。たとえば目線の高さに注目してください。
大人に比べて身長の低い彼らが撮った構図から、彼らの社会との関わり方が見えて来ます。と同時に、彼らは芸術家であり批評家であり、確実に社会の一員であることが明らかになります。
子どもたちの才能に驚いたザナは、写真が持つ力を最大限利用して、売春窟の子どもたちを救う手だてを見つけました。ニューヨークで写真展を開催し、資金を調達するという方法です。
インドの閉鎖的なエリアで暮らす子供たちの写真が、ニューヨークやカルカッタで人の目に触れる瞬間は実に感動的。そして売春窟で生まれた運命に抗い、希望を持つことを赦された子どもたちは、ここからどんな道を歩みだすのか。ここが最大の見どころです。
子どもたちの無限の才能を生かすも殺すも、すべては大人たちの手にかかっているんだな、痛烈にと思い知らされた衝撃の1本。そして子どもに対して果たすべき責任を確認する上でも、すべての大人たちに観て欲しい1本。
金環蝕 [2008年 レビュー]
政治ドラマを面白いと思うようになるのは、やはり税金を納めるようになってしばらくしてからですね。いや、僕の場合はしばらくどころか、随分経ってからでしたけど。
そう言えば20代で「小説吉田学校」を読んだとき、それなりに面白いと思ったけれど、今ならもっと面白いんだろうなあ。当たり前か。つまり社会とのかかわりが密接になればなるほど、政治は身近なものになり、蔑(ないがし)ろに出来なくなるんですね。だって鬼のように働いて稼いだ金の何割かを税金という名の下に無条件で天引きされたら、「その金をどうするつもりなんだこの野郎」ってイチャモンつけたくなるのがフツーってなもんです。
さて本作は、1968年福井県に完成した九頭竜ダムの工事受注にまつわる汚職事件をモチーフにした石川達三の小説「金環蝕」を映画化したものです。
どうして今頃こんなものを観たかというと、「復讐するは我にあり」触発されたから。
この時代の日本映画って骨太だったんですよ。今の製作委員会システムを否定するつもりはありませんが、やはり製作者たちの意気込みは、明らかに今と違っていたように思うんですね。一番骨太だったのは映画監督自身。とにかく「世に訴えたい」、あるいは「世に問いたい」という圧倒的な情熱を作品から感じるのです。
本作も痛烈な批判精神によって作られた映画です。
冒頭、与党総裁選に始まるシークエンスで「政治家とカネ」の関係をあっさりと明かし、続いて「実弾」の捻出方法をダム建設に絡む汚職事件を例に見せる。さらに与党は党に不利益な情報を持つ秘書を殺害。汚職を追及する議員に圧力をかけ買収。政権転覆に繋がるネタを持つフィクサー(金融屋)を検察とグルになり逮捕など、一歩間違うと政治不信に陥りそうなネタが次々と出て来ます。さらにダメ押しとなるのは真実を書かないマスコミ。
「こんなことでいいわけないだろう!」
僕は山本薩夫監督の“声”を聞いた気がします。
しかし、映画の着地点としては実に歯切れが悪い。汚職に絡んだ政治家や関係者が逮捕されるわけでなく、真実は闇の中に葬られるからです。監督はこの歯切れの悪さをあえて選択したのでしょう。
「政治に美談ナシ」
素晴らしい決断だったと思います。
当時の日本を代表する俳優陣が大挙出演しています。
政治家は仲代達也、三國連太郎、久米明、大滝秀治、北村和夫、中谷一郎。アブラギッシュ!
フィクサー(金融屋)は入れ歯をした宇野重吉。存在感バツグン。
電力開発理事の面々は、神山繁、根上淳、高城淳一。悪党臭プンプン。
いい時代だったなあ(笑)。
かなり生々しい政治ドラマです。九頭竜ダム事件を予習してから観ると尚、面白い。
ちなみにタイトルは、「まわりは金色の栄光に輝いて見えるが、中の方は真黒に腐っている」ということらしいです。
ブロードウェイ♪ブロードウェイ コーラスラインにかける夢 [2008年 レビュー]
邦題はあまりにダサくて鳥肌立ちそうになりますが、ミュージカル「コーラスライン」を観た人にこのドキュメンタリーはかなり面白いと思います。
何が面白いって、まず「コーラスライン」誕生の秘話が明らかになること。
「コーラスライン」の生みの親、マイケル・ベネットは「ダンサーの物語を作りたい」と思い立ち、1974年のある日24人のダンサーを集め、彼らのさまざまな話を聞き出します。
ダンサーになったきっかけ。ダンサーになってからの苦難。コンプレックス、家族のこと、恋人との関係、将来の夢…。その様子はテープに録音され、トータル12時間分にもなった。
ベネットはこのテープを繰り返し聴くうちに「オーディションの物語」を着想し、翌年「コーラスライン」が生まれるのです。
このテープは現存していました。
そしてテープの中に残されていたダンサーの独白のいくつかが、そのまま「コーラスライン」の台詞として引用されている事実が明らかになります。
…そんなことを知った日にゃ、誰だってもう一度観たくなりますって(笑)。
ミュージカル「コーラスライン」は1975年7月25日初演。1976年トニー賞を9部門で受賞。のちに「CATS」に抜かれるまでロングラン公演の記録を立て、1990年4月28日千秋楽。
そして16年後の2006年秋。ブロードウェイでのリバイバル公演がスタートするのですが、この公演のためのオーディション(なんと8ヶ月にも及ぶ!)に密着したのが本作というわけです。
オーディションに参加したのはプロアマを交えた約3,000人。
この中から選ばれるのはわずか19人。
世界中から集まったダンサーの笑顔と涙が交錯する8ヶ月。ただし、単なる密着じゃないところが、このドキュメンタリーの巧いところです。
先の12時間にも及ぶテープ。
初演の貴重なモノクロ映像。
オリジナルキャストのインタビュー。
そして、AIDSのため42歳の若さで亡くなったマイケル・ベネットの貴重なインタビュー映像。
これらを巧くミックスし、「コーラスライン」というミュージカルの本質を明らかにして行きます。
その本質を理解し、表現出来るダンサーは誰か?
観客は製作者チームの一人となって、激闘のオーディションを観るでしょう。
また、ある瞬間はダンサーの家族となって、祈る思いで観ることになります。そして役を勝ち得たダンサーと共に泣き、多くの敗者にエールを送ることになるでしょう。
ミュージカルの新たな見方を教えてくれる佳作ドキュメンタリー。
ブロードウェイ♪ブロードウェイ コーラスラインにかける夢 (プレミアムエディション 2枚組) [DVD]
- 出版社/メーカー: 松竹
- メディア: DVD
東京ジョー [2008年 レビュー]
戦後間もない東京を舞台にしたハンフリー・ボガード主演の“B級”ハードボイルド。
日本未公開作品。
僕はこの時代の東京の様子が知りたくて、アーカイブ要素に期待して観た。
ところが残念なことに、野外でのロケーションは冒頭わずかなシーンに留まり、実はボギーも来日していないことが早々に分かる。
羽田から輪タクに乗り込み、ボギーが「ニチョウメ、ギンザ」と告げる爆笑のシーンは、スクリーン・プロセス(背景を投射したスクリーンの前で俳優が演じる手法)による撮影。ボギーが東京の街を歩くシーンはすべてロングショット、ボギーもすべて後姿で、これは間違いなくスタンド・イン。
「例えばボギーが日本橋を歩いてるシーンとかないかな?」と僅かでも期待した僕には、途中からもうどうでも良くなってしまった。
本作には日本人初のハリウッドスターとなった早川雪洲が出演していますが、当時雪洲は行方不明だったそうです。
Wikipediaによると、雪洲が戦前、撮影のためヨーロッパへ渡ったときに第二次大戦が勃発。帰国もままならぬ状況で雪洲の消息は途絶えてしまいます。
そして終戦。さらに4年後。ボギーが新作映画を撮る際、早川雪洲の出演を熱望したため、関係者がヨーロッパを探したところ、パリで画家をしていた雪洲を見つけ出し、「東京ジョー」に出演することになった、という有名なエピソードがあるそうです。今となっちゃ有名じゃないけどね。
それにしても、プロダクションデザインや設定は「間違いだらけの日本」のオンパレード。
ボギーが革靴のまま畳の部屋を歩くシーンは、「それってどうなの?」とやっぱり引いちゃう自分がいました。
当時日本で公開してたら、暴動が起きてたかも?(笑)。