見逃していたら絶対オススメの20本~2008年版~ [2008年 ベスト20]
今年観た映画の本数は2005年以来の200本超え。
205本でした。
まあほとんどがwowowだったんですけど、それでも旧い映画を沢山観られたのが良かった!
これは僕の大きな財産になったと思います。
では205本の映画を製作国別に分類すると…
アメリカ 85本
日本 67本
フランス 7本
アメリカ・イギリス合作 6本
イギリス 4本
韓国 4本
香港 3本
ドイツ、カナダ、中国、タイ、アルゼンチン、各1本
その他合作 24本
以上のようになりました。
中でも邦画の67本は過去最高。
韓国映画は2005年の24本から、2006年は16本、2007年は8本と下げて来て、
今年は過去最低の4本。僕の中で韓流は完全に終わりました(笑)。
では恒例となりました、2008年のベスト20を発表します。
毎年言いますがあくまでも「観た順」に並んでます!
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205本でした。
まあほとんどがwowowだったんですけど、それでも旧い映画を沢山観られたのが良かった!
これは僕の大きな財産になったと思います。
では205本の映画を製作国別に分類すると…
アメリカ 85本
日本 67本
フランス 7本
アメリカ・イギリス合作 6本
イギリス 4本
韓国 4本
香港 3本
ドイツ、カナダ、中国、タイ、アルゼンチン、各1本
その他合作 24本
以上のようになりました。
中でも邦画の67本は過去最高。
韓国映画は2005年の24本から、2006年は16本、2007年は8本と下げて来て、
今年は過去最低の4本。僕の中で韓流は完全に終わりました(笑)。
では恒例となりました、2008年のベスト20を発表します。
毎年言いますがあくまでも「観た順」に並んでます!
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ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習 [2008年 ベスト20]
「ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」(2006年・アメリカ)
この作品は「モキュメンタリー」というジャンルなんだそうです。
架空の人物や団体、虚構の事件や出来事に基づいて作られるドキュメンタリー風表現手法。
知らなかったけど20年前からやってたなあ。「ガンジーオセロ」とか「8月のペンギン」とか。
ボラットはカザフスタン国営テレビのリポーター。
彼はカザフスタン情報省の指示でアメリカへ渡り、アメリカンカルチャーを紹介するためにあらゆる場所でインタビューを収録。その模様を番組にするという体で進行するんですが、これがまあ相当くだらなくて大笑いしました。
のっけにまず笑わせてくれるのはカメラ前で濃厚なキスをして見せた相手が実妹で、しかもカザフスタンでベスト4に入る娼婦だというネタ。妹は紹介されて自身有り気にトロフィーを掲げます。あ、R-15です(笑)。
とにかく下品な下ネタと、ブラックジョークのオンパレード。個人的に一番ウケたのはロデオ会場でアメリカ国歌のメロディに載せてカザフスタン国歌(もちろん架空の歌詞)を歌い上げるところ。腹がよじれるかと思いました。秀逸です。R-15です。
他にもユーモア講座に参加、フェミニスト団体にインタビュー、社交マナーを学ぶためのディナーパーティなど、ボラットはありとあらゆるところで取材をします。僕はこの全部が映画のための設定で、俳優によるものだと思っていましたが、実際には違うようです。恐ろしい。どんな撮影か知らされずに参加した人たちがほとんどだったようで、いくつか訴訟も起こされたようです。R-15です。
でも、新しい笑いを生むためには訴訟も辞さないという姿勢は素晴らしいです。ホントに。
お笑いって命を賭けてやるものなんですよ。それくらい崇高なものなんです。だって人を泣かせることよりも、笑わせることの方が難しいんですから。そしてなにより「笑い」は人生を豊かにしますから。
この世の中から「お笑い」が無くなるということは、「太陽」が無くなるに等しいことなのです。
ボラット万歳!
テレビではすでにスターだったのに映画でフルチンになるなんて尊敬するぞ!
「そういや最近、笑ってないなあ」と思ったアナタ。今すぐこの映画を借りに行きなさい!
R-15です。でも子供もこっそり観ていい!これが笑えれば立派なオトナだ!
この作品は「モキュメンタリー」というジャンルなんだそうです。
架空の人物や団体、虚構の事件や出来事に基づいて作られるドキュメンタリー風表現手法。
知らなかったけど20年前からやってたなあ。「ガンジーオセロ」とか「8月のペンギン」とか。
ボラットはカザフスタン国営テレビのリポーター。
彼はカザフスタン情報省の指示でアメリカへ渡り、アメリカンカルチャーを紹介するためにあらゆる場所でインタビューを収録。その模様を番組にするという体で進行するんですが、これがまあ相当くだらなくて大笑いしました。
のっけにまず笑わせてくれるのはカメラ前で濃厚なキスをして見せた相手が実妹で、しかもカザフスタンでベスト4に入る娼婦だというネタ。妹は紹介されて自身有り気にトロフィーを掲げます。あ、R-15です(笑)。
とにかく下品な下ネタと、ブラックジョークのオンパレード。個人的に一番ウケたのはロデオ会場でアメリカ国歌のメロディに載せてカザフスタン国歌(もちろん架空の歌詞)を歌い上げるところ。腹がよじれるかと思いました。秀逸です。R-15です。
他にもユーモア講座に参加、フェミニスト団体にインタビュー、社交マナーを学ぶためのディナーパーティなど、ボラットはありとあらゆるところで取材をします。僕はこの全部が映画のための設定で、俳優によるものだと思っていましたが、実際には違うようです。恐ろしい。どんな撮影か知らされずに参加した人たちがほとんどだったようで、いくつか訴訟も起こされたようです。R-15です。
でも、新しい笑いを生むためには訴訟も辞さないという姿勢は素晴らしいです。ホントに。
お笑いって命を賭けてやるものなんですよ。それくらい崇高なものなんです。だって人を泣かせることよりも、笑わせることの方が難しいんですから。そしてなにより「笑い」は人生を豊かにしますから。
この世の中から「お笑い」が無くなるということは、「太陽」が無くなるに等しいことなのです。
ボラット万歳!
テレビではすでにスターだったのに映画でフルチンになるなんて尊敬するぞ!
「そういや最近、笑ってないなあ」と思ったアナタ。今すぐこの映画を借りに行きなさい!
R-15です。でも子供もこっそり観ていい!これが笑えれば立派なオトナだ!
ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習<完全ノーカット版>MANKINI水着付BOX(初回生産限定)
- 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- メディア: DVD
転々 [2008年 ベスト20]
「転々」(2007年・日本) 監督・脚本:三木聡
ハワイ島からの帰国便で唯一観たのは、オダギリジョーと三浦友和が競演したロードムービー。
84万円という借金を抱えていた大学生の竹村(オダギリジョー)は、ある日借金取り(三浦友和)に踏み込まれる。しかし返済の当てのない竹村は、借金取りから“ある提案”をされた。それは「吉祥寺から霞ヶ関まで一緒に“散歩”をする」こと。報酬は100万円だと言う。
借金返済までの期限はあと3日。竹村は断る理由を見つけられず借金取りの“散歩”に付き合うことにした…。
「東京散歩」という設定はおもしろい。
でも大切なのは、どこを散歩するかじゃなくて、どんな散歩をするかだ。そこにストーリーがなければ映画じゃない。ただの「ぶらり途中下車の旅」である。
僕は2年前から「東京での27年を歩く」と名付けた散歩をしている。上京から四半世紀が過ぎた2006年から始めた個人的イベントで、かつて住んだ街をふらり歩くというものだ。
他人から見ればただ旧いアパートを見上げるだけの散歩だけれど、その周辺には“僕の物語”がいくつも、いくつも横たわっている。
この散歩はときに独りだけれど、ときに妻を伴う。
僕が語り、妻が聴く。
共有することによって“個人の記憶”が“物語”になる。
「転々」では、借金取りの福原が語り、竹村が聞くことによって物語が成立する。
問題は、福原の個人的な記憶を、観客がどこまで共有出来るかだ。
それがこの映画の評価を決めるだろう。
僕自身は“思い出散歩”を実践しているだけに、すぐさま感情移入が出来た。
目的を持った散歩でありながら、途中新たな興味に牽引される散歩の愉しみも伝わってきた。しかし三木聡のカラーと言うべきか、意味を理解しかねるシークエンスに興味を削がれる部分もあった。アンプを背負ったギタリストまでは許せても、少なくとも東京のど真ん中で卒塔婆を持った葬列に出会うことは無いだろう。
ところが。
エンディングが近づくにつれ、徐々に散歩の意味が明らかになって来て、胸が熱くなる。
人はなぜ散歩をするのか?
それは「今の自分を受け入れるため。そして自分が如何に幸せであったかを確認するため」だ。
竹村のセリフが興味深い。
「幸せはゆっくりやって来る。不幸は突然やって来る」
オダギリジョーがこれまでのキャリアに無い、まったくフツーのにいちゃんを演じているのが楽しい。また、そうさせているのは三浦友和の俳優としての懐の深さである。まったく素晴らしい。
小泉今日子は器がデカくて温かい女をやらせるとバツグンに巧いということに気が付いた。「雪で願うこと」の彼女もそうだったけれど、まるで菩薩のような存在感が男目線の作品にぬくもりを与えるのだ。そういえば三浦友和の妻、山口百恵も「菩薩」と呼ばれた女性だった。
佳作。
ハワイ島からの帰国便で唯一観たのは、オダギリジョーと三浦友和が競演したロードムービー。
84万円という借金を抱えていた大学生の竹村(オダギリジョー)は、ある日借金取り(三浦友和)に踏み込まれる。しかし返済の当てのない竹村は、借金取りから“ある提案”をされた。それは「吉祥寺から霞ヶ関まで一緒に“散歩”をする」こと。報酬は100万円だと言う。
借金返済までの期限はあと3日。竹村は断る理由を見つけられず借金取りの“散歩”に付き合うことにした…。
「東京散歩」という設定はおもしろい。
でも大切なのは、どこを散歩するかじゃなくて、どんな散歩をするかだ。そこにストーリーがなければ映画じゃない。ただの「ぶらり途中下車の旅」である。
僕は2年前から「東京での27年を歩く」と名付けた散歩をしている。上京から四半世紀が過ぎた2006年から始めた個人的イベントで、かつて住んだ街をふらり歩くというものだ。
他人から見ればただ旧いアパートを見上げるだけの散歩だけれど、その周辺には“僕の物語”がいくつも、いくつも横たわっている。
この散歩はときに独りだけれど、ときに妻を伴う。
僕が語り、妻が聴く。
共有することによって“個人の記憶”が“物語”になる。
「転々」では、借金取りの福原が語り、竹村が聞くことによって物語が成立する。
問題は、福原の個人的な記憶を、観客がどこまで共有出来るかだ。
それがこの映画の評価を決めるだろう。
僕自身は“思い出散歩”を実践しているだけに、すぐさま感情移入が出来た。
目的を持った散歩でありながら、途中新たな興味に牽引される散歩の愉しみも伝わってきた。しかし三木聡のカラーと言うべきか、意味を理解しかねるシークエンスに興味を削がれる部分もあった。アンプを背負ったギタリストまでは許せても、少なくとも東京のど真ん中で卒塔婆を持った葬列に出会うことは無いだろう。
ところが。
エンディングが近づくにつれ、徐々に散歩の意味が明らかになって来て、胸が熱くなる。
人はなぜ散歩をするのか?
それは「今の自分を受け入れるため。そして自分が如何に幸せであったかを確認するため」だ。
竹村のセリフが興味深い。
「幸せはゆっくりやって来る。不幸は突然やって来る」
オダギリジョーがこれまでのキャリアに無い、まったくフツーのにいちゃんを演じているのが楽しい。また、そうさせているのは三浦友和の俳優としての懐の深さである。まったく素晴らしい。
小泉今日子は器がデカくて温かい女をやらせるとバツグンに巧いということに気が付いた。「雪で願うこと」の彼女もそうだったけれど、まるで菩薩のような存在感が男目線の作品にぬくもりを与えるのだ。そういえば三浦友和の妻、山口百恵も「菩薩」と呼ばれた女性だった。
佳作。
サン・ジャックへの道 [2008年 ベスト20]
「サン・ジャックへの道」(2005年・フランス) 監督・脚本:コリーヌ・セロー
以前「見逃していたら絶対オススメの映画ベスト20」に推したサスペンスコメディの傑作、「女はみんな生きている」の監督コリーヌ・セローが4年ぶりに撮った作品。
母親の遺産相続の条件である“聖地巡礼”にしぶしぶ向かった仲の悪い兄弟3人と、同じツアーに参加した面々が次第に心を通わせていくロードムービーです。
一部の方は「ウェス・アンダーソンの『ダージリン急行』に設定が似てね?」と思うかもしれませんが、作品のテイストは全く違いますから安心して下さい。しかも面白いです(笑)。
タイトルの「サン・ジャック」は、一行が向かうキリスト教の聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」のこと。wikipediaによるとここは「聖ヤコブの遺骸が祭られているため、古くからローマ、エルサレムと並んでカトリック教会で最も人気のある巡礼地」なのだそうです。ちなみに一向はフランスからスペインの西の果てまで約1,500キロを踏破することになる…。
と、これらの情報をインプットした上で本作を観ると、序盤余計な「?」に気を削がれることもなく、純粋に作品を愉しむことが出来ると思います。
ところで。
僕の記憶が正しければ、ロードムービーとは一人、あるいは二人で旅するものが多かった。
10年も仲たがいしていた兄を訪ねるためトラクターで旅する73歳の弟「ストレイト・ストーリー」
親友と共にバイク一台で旅に出た若きチェ・ゲバラ「モーターサイクル・ダイアリーズ」
終わらない夏を求めて世界中を旅した二人のサーファー「エンドレス・サマー」
バイクでの世界最高速を出したかったおじいちゃん「世界最速のインディアン」
そして、失恋の痛手を癒す旅に出たノラ・ジョーンズw「マイ・ブルーベリー・ナイツ」
彼らは小さなコミニュティから出て、旅先で出会う人たちとの交流によって大きく成長し、人生の意義を見出した訳ですが、「サン・ジャックの道」の場合はこれに当てはまりません。
旅をするのは全員で9人。彼らは数か月に及ぶ旅の中で互いの理解を深めていくというストーリーです。一番の見どころは遺産欲しさに旅する兄弟3人の葛藤ですが、フランスからスペインを旅する道程のロケーションも見応えがあります。観客はその変化に目を奪われ、やがて10人目の旅人となって映画に没入することになるでしょう。
実はこの作品と同系統のロードムービーに「リトル・ミス・サンシャイン」があります。
興味深いのは2つの作品の移動手段。
「リトル…」はクルマで、「サン・ジャック…」は徒歩でした。
前者の“クルマ”は「たとえどんなに仲違いしようと家族はひとつ」を表し、後者の“徒歩”は「たとえ人種や社会的地位に差があっても、神の前で人間は平等」を表していたように思います。
観る人によって感情移入する登場人物は異なります。
それがこの映画の本当の面白さ。
「本当に必要なものを手に入れるためには、今持っているものを手放さなきゃならない」
僕はそんなことを教えられました。できるかどうかは別ですけど、今はかなり悩んでいます(笑)。
以前「見逃していたら絶対オススメの映画ベスト20」に推したサスペンスコメディの傑作、「女はみんな生きている」の監督コリーヌ・セローが4年ぶりに撮った作品。
母親の遺産相続の条件である“聖地巡礼”にしぶしぶ向かった仲の悪い兄弟3人と、同じツアーに参加した面々が次第に心を通わせていくロードムービーです。
一部の方は「ウェス・アンダーソンの『ダージリン急行』に設定が似てね?」と思うかもしれませんが、作品のテイストは全く違いますから安心して下さい。しかも面白いです(笑)。
タイトルの「サン・ジャック」は、一行が向かうキリスト教の聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」のこと。wikipediaによるとここは「聖ヤコブの遺骸が祭られているため、古くからローマ、エルサレムと並んでカトリック教会で最も人気のある巡礼地」なのだそうです。ちなみに一向はフランスからスペインの西の果てまで約1,500キロを踏破することになる…。
と、これらの情報をインプットした上で本作を観ると、序盤余計な「?」に気を削がれることもなく、純粋に作品を愉しむことが出来ると思います。
ところで。
僕の記憶が正しければ、ロードムービーとは一人、あるいは二人で旅するものが多かった。
10年も仲たがいしていた兄を訪ねるためトラクターで旅する73歳の弟「ストレイト・ストーリー」
親友と共にバイク一台で旅に出た若きチェ・ゲバラ「モーターサイクル・ダイアリーズ」
終わらない夏を求めて世界中を旅した二人のサーファー「エンドレス・サマー」
バイクでの世界最高速を出したかったおじいちゃん「世界最速のインディアン」
そして、失恋の痛手を癒す旅に出たノラ・ジョーンズw「マイ・ブルーベリー・ナイツ」
彼らは小さなコミニュティから出て、旅先で出会う人たちとの交流によって大きく成長し、人生の意義を見出した訳ですが、「サン・ジャックの道」の場合はこれに当てはまりません。
旅をするのは全員で9人。彼らは数か月に及ぶ旅の中で互いの理解を深めていくというストーリーです。一番の見どころは遺産欲しさに旅する兄弟3人の葛藤ですが、フランスからスペインを旅する道程のロケーションも見応えがあります。観客はその変化に目を奪われ、やがて10人目の旅人となって映画に没入することになるでしょう。
実はこの作品と同系統のロードムービーに「リトル・ミス・サンシャイン」があります。
興味深いのは2つの作品の移動手段。
「リトル…」はクルマで、「サン・ジャック…」は徒歩でした。
前者の“クルマ”は「たとえどんなに仲違いしようと家族はひとつ」を表し、後者の“徒歩”は「たとえ人種や社会的地位に差があっても、神の前で人間は平等」を表していたように思います。
観る人によって感情移入する登場人物は異なります。
それがこの映画の本当の面白さ。
「本当に必要なものを手に入れるためには、今持っているものを手放さなきゃならない」
僕はそんなことを教えられました。できるかどうかは別ですけど、今はかなり悩んでいます(笑)。
再会の街で [2008年 ベスト20]
「再会の街で」(2007年・アメリカ) 監督・脚本:マイク・バインダー
この映画、9月11日に観ようと思っていたのに、1日遅れになってしまった。
けれどそのおかげで分かったこともある。
どうやら日本のマスコミはもう「9.11」には興味が無いらしい。
マンハッタンで歯科医院を営むアラン(ドン・チードル)は、ある夜、大学時代のルームメイトだったチャーリー(アダム・サンドラー)を見かける。大学卒業以来、何年も会っていなかった2人は偶然の再会を果たすが、チャーリーはアランを覚えていなかった。
「いったいなぜ?」
アランはチャーリーと交流を深める中で、やがて彼が9.11で妻と子供を亡くしたことを知る…。
2001年に発生した同時多発テロ。
当たり前のことなんだけど、その遺族は世界中にいて、今もやり場の無い怒り、哀しみ、そして心の痛みと闘っているのだ、ということを再認識させられました。
これは愛する人を一瞬のうちに失ったあの日以来、過去の記憶をシャットアウトして生きてきた男と、家族にも社会的地位にも恵まれながら、自身の生き方に悩んでいた男の「再生」の物語。
9.11はレアケースですが「大切な人を失う」瞬間は、世界中すべての人が経験することです。例えば「失恋」だってその範疇に入れてもいい。だから大切な人(動物でもいい)との「別れ」を経験したことがあるすべての人にこの映画を薦めたい。
なぜなら。
アダムのサポートを受けて立ち直ろうとするチャーリーが、クライマックスであなたの気持ちを代弁するから。
あなたが誰にも打ち明けられず、心の中に留めていた“やりきれない想い”を、あなたに代わってチャーリーが爆発させるから。
僕は心臓を鷲掴みにされたかと思いました。そして、さめざめと泣きました。
哀しいからじゃありません。
「哀しいのは自分だけじゃない」ことを知ったからです。
演出的なハナシ。
シリアスな中にも決してユーモアを忘れないマイク・バインダーのバランス感覚が素晴らしい。
脚本の面では、チャーリーの描写に力が入り過ぎて、アダムの悩みと、アダムを悩ませる女性患者の背景が若干分かり難いのが残念。しかしアダム・サンドラーのあまりに見事な演技が、途中それに気付かせずドラマを牽引していく。
出番は少ないがドナルド・サザーランドも存在感バツグン。彼に与えたセリフも絶妙だった。
それにしても。
この作品を観て、なぜ「9.11」は起きたのだろう、と改めて考えました。
何が足りなくて起きたのか。
何が余計で起きたのか。
日本のマスコミは興味を失いつつあるけれど、まだまだ議論すべきことはあるんじゃないだろうか?
この映画、9月11日に観ようと思っていたのに、1日遅れになってしまった。
けれどそのおかげで分かったこともある。
どうやら日本のマスコミはもう「9.11」には興味が無いらしい。
マンハッタンで歯科医院を営むアラン(ドン・チードル)は、ある夜、大学時代のルームメイトだったチャーリー(アダム・サンドラー)を見かける。大学卒業以来、何年も会っていなかった2人は偶然の再会を果たすが、チャーリーはアランを覚えていなかった。
「いったいなぜ?」
アランはチャーリーと交流を深める中で、やがて彼が9.11で妻と子供を亡くしたことを知る…。
2001年に発生した同時多発テロ。
当たり前のことなんだけど、その遺族は世界中にいて、今もやり場の無い怒り、哀しみ、そして心の痛みと闘っているのだ、ということを再認識させられました。
これは愛する人を一瞬のうちに失ったあの日以来、過去の記憶をシャットアウトして生きてきた男と、家族にも社会的地位にも恵まれながら、自身の生き方に悩んでいた男の「再生」の物語。
9.11はレアケースですが「大切な人を失う」瞬間は、世界中すべての人が経験することです。例えば「失恋」だってその範疇に入れてもいい。だから大切な人(動物でもいい)との「別れ」を経験したことがあるすべての人にこの映画を薦めたい。
なぜなら。
アダムのサポートを受けて立ち直ろうとするチャーリーが、クライマックスであなたの気持ちを代弁するから。
あなたが誰にも打ち明けられず、心の中に留めていた“やりきれない想い”を、あなたに代わってチャーリーが爆発させるから。
僕は心臓を鷲掴みにされたかと思いました。そして、さめざめと泣きました。
哀しいからじゃありません。
「哀しいのは自分だけじゃない」ことを知ったからです。
演出的なハナシ。
シリアスな中にも決してユーモアを忘れないマイク・バインダーのバランス感覚が素晴らしい。
脚本の面では、チャーリーの描写に力が入り過ぎて、アダムの悩みと、アダムを悩ませる女性患者の背景が若干分かり難いのが残念。しかしアダム・サンドラーのあまりに見事な演技が、途中それに気付かせずドラマを牽引していく。
出番は少ないがドナルド・サザーランドも存在感バツグン。彼に与えたセリフも絶妙だった。
それにしても。
この作品を観て、なぜ「9.11」は起きたのだろう、と改めて考えました。
何が足りなくて起きたのか。
何が余計で起きたのか。
日本のマスコミは興味を失いつつあるけれど、まだまだ議論すべきことはあるんじゃないだろうか?
アキレスと亀 [2008年 ベスト20]
「アキレスと亀」(2008年・日本) 監督・脚本・編集・挿入画:北野武
ヴェネチア映画祭では高評価を得ながら無冠に終わった作品。
ですが、「夫婦の絆」という普遍的なテーマを、正解なき「アート」の世界に落とし込み、押し付けがましいメッセージを一切排除して作られた素晴らしい作品でした。
ベタなドラマに慣らされた人たちには物足りないと思います。ストーリーは一応あるけれど、受け止め方は観客の自由という作品ですから。
僕は「その男、凶暴につき」と「3-4X10月」の排他的なバイオレンス描写が嫌いで、その後「座頭市」以外北野作品はまったく観ていなかったのですが、今回は「これまでとは一味違う」とのウワサを聞き、試写へ出向きました。
そこで観た119分。僕は素直に感動しました。そしてほとんどの北野作品を観ていないんだけど、監督は「人間として、今さらながら一皮剥けたんじゃないか」と思いました。というのも、劇中不幸な出来事はあるんだけれど、絶望感がまったくないからです。言い換えれば「救い」がある。
映画の後半。僕は「どんな決着の付け方をするんだろう?」と半ばドキドキしながら観ていました。真知寿に感情移入してしまったせいで「何があっても不幸にだけはなって欲しくない」という思いが募っていたからです。
その結末は、…ぜひご自身で確認してください。
ただし人生を折り返していない人たちには、この映画の“味”は分からないと思います。少なくとも僕と一緒に観た30代の男子は「オレはこういうのダメ」と言ってましたから。
唯一アートを愛している人たちなら世代を超えて楽しめるはず。
と言うのも、これまで数多くのアートに触れ、自らも絵を描くようになった北野武監督の「アートとはそもそも何なのか?」が、さまざまな形でアプローチされているからです。
中でも主人公・倉持真知寿(柳憂怜/ビートたけし)と画商(大森南朋)のやりとりは、本編を語る上でもとても興味深かった。
「真知寿は絵を描くことが好き。けれどそこにメッセージはない」
アーティストとしては「失格」としか言いようのない、真知寿の作家性がここで明らかになります。
絵を売るためにはゼッタイ必要な作品の背景も、ストーリーも、メッセージもない。つまり画商やコレクターにプレゼンテーションする武器が何もない真知寿は、画商のアドバイスを真に受けて、それを創作活動の指針とします。もちろんアドバイスに沿った絵を描くわけで、画商のイメージを超える作品が生まれるはずもなく、ひたすらダメ出しを食らう日々。やがて真知寿は絵の具を買うお金も無くなり、崖っぷちまで追い込まれます。ここからが俄然面白い。
どう面白いかは、…ぜひご自身で確認してください(笑)。
ちなみに監督はあるインタビューに答えて、こう言っていました。
「映画にメッセージを込めるのって嫌いなんですよ」
メッセージを持たない真知寿と、メッセージを込めない北野武。
監督は続けてこうも言っていました。
「身の丈に合わないものを求めたり、求められたりするから不幸になる。分相応が幸せなんです」
師匠の提案で本作から改名し、「3-4X10月」以来17年ぶりに北野作品の主演を務めた柳憂怜が出色。麻生久美子も絶妙な存在感を見せ、僕にとってはこの2人のパートが一番胸に熱かった。
今から27年前。上京して初めて住んだ街をゆっくり歩いてみたくなりました。
thanks! 980,000prv
ヴェネチア映画祭では高評価を得ながら無冠に終わった作品。
ですが、「夫婦の絆」という普遍的なテーマを、正解なき「アート」の世界に落とし込み、押し付けがましいメッセージを一切排除して作られた素晴らしい作品でした。
ベタなドラマに慣らされた人たちには物足りないと思います。ストーリーは一応あるけれど、受け止め方は観客の自由という作品ですから。
僕は「その男、凶暴につき」と「3-4X10月」の排他的なバイオレンス描写が嫌いで、その後「座頭市」以外北野作品はまったく観ていなかったのですが、今回は「これまでとは一味違う」とのウワサを聞き、試写へ出向きました。
そこで観た119分。僕は素直に感動しました。そしてほとんどの北野作品を観ていないんだけど、監督は「人間として、今さらながら一皮剥けたんじゃないか」と思いました。というのも、劇中不幸な出来事はあるんだけれど、絶望感がまったくないからです。言い換えれば「救い」がある。
映画の後半。僕は「どんな決着の付け方をするんだろう?」と半ばドキドキしながら観ていました。真知寿に感情移入してしまったせいで「何があっても不幸にだけはなって欲しくない」という思いが募っていたからです。
その結末は、…ぜひご自身で確認してください。
ただし人生を折り返していない人たちには、この映画の“味”は分からないと思います。少なくとも僕と一緒に観た30代の男子は「オレはこういうのダメ」と言ってましたから。
唯一アートを愛している人たちなら世代を超えて楽しめるはず。
と言うのも、これまで数多くのアートに触れ、自らも絵を描くようになった北野武監督の「アートとはそもそも何なのか?」が、さまざまな形でアプローチされているからです。
中でも主人公・倉持真知寿(柳憂怜/ビートたけし)と画商(大森南朋)のやりとりは、本編を語る上でもとても興味深かった。
「真知寿は絵を描くことが好き。けれどそこにメッセージはない」
アーティストとしては「失格」としか言いようのない、真知寿の作家性がここで明らかになります。
絵を売るためにはゼッタイ必要な作品の背景も、ストーリーも、メッセージもない。つまり画商やコレクターにプレゼンテーションする武器が何もない真知寿は、画商のアドバイスを真に受けて、それを創作活動の指針とします。もちろんアドバイスに沿った絵を描くわけで、画商のイメージを超える作品が生まれるはずもなく、ひたすらダメ出しを食らう日々。やがて真知寿は絵の具を買うお金も無くなり、崖っぷちまで追い込まれます。ここからが俄然面白い。
どう面白いかは、…ぜひご自身で確認してください(笑)。
ちなみに監督はあるインタビューに答えて、こう言っていました。
「映画にメッセージを込めるのって嫌いなんですよ」
メッセージを持たない真知寿と、メッセージを込めない北野武。
監督は続けてこうも言っていました。
「身の丈に合わないものを求めたり、求められたりするから不幸になる。分相応が幸せなんです」
師匠の提案で本作から改名し、「3-4X10月」以来17年ぶりに北野作品の主演を務めた柳憂怜が出色。麻生久美子も絶妙な存在感を見せ、僕にとってはこの2人のパートが一番胸に熱かった。
今から27年前。上京して初めて住んだ街をゆっくり歩いてみたくなりました。
thanks! 980,000prv
ダークナイト [2008年 ベスト20]
「ダークナイト」(2008年・アメリカ) 監督:クリストファー・ノーラン
前作「バットマン・ビギンズ」をはるかに凌ぐ出来栄えに驚いた。
僕はカタカナ英語のトラップにはまり、タイトルを「DARK NIGHT」と勘違いしていた。
実際は「DARK KNIGHT」。
タイトルからヒーローの名を下ろした監督の覚悟は本編を観れば明らかになる。
「バットマンはヒーローじゃない」
本作の醍醐味はこの一点に尽きる。
とにかくビターだ。
ブライアン・シンガーが作った「スーパーマン リターンズ」も傑作だったけれど、まさに明暗分ける仕上がり。星条旗カラーを纏うクリプトン星人は文字通りスーパーな力で絶体絶命のピンチを救う。しかし、ゴッサムシティのペントハウスに住む青年には力の限界がある。クリストファー・ノーランはそこを突いた。バットマンに与えた4つの究極の選択。これらが「ダークナイト」を面白くしている。
特に重要なエピソードが、ジョーカー(ヒース・レジャー)によって地方検事ハービー・デント(アーロン・エッカート)とかつての恋人レイチェル(マギー・ギレンホール)が別々の場所で監禁される、というもの。いずれにも時限爆弾が仕掛けられ、バットマンが自ら救えるのはどちらか一人。そしてバットマンはジョーカーのトラップにはまる…。ブルース・ウェインが「自分はヒーローじゃない」と自覚する瞬間だ。そしてバットマンはさらに闇の中へと向かっていく。
クリストファー・ノーランがタイトルから「BATMAN」を下ろしたのは、トヨタ自動車が「レクサス」という新しいブランドを生み出したのに似ていると思った。
トヨタはクラウンやセンチュリーと言った高級サルーンを作るメーカーだが、それ以前に“世界の大衆車”カローラを生産するメーカーでもある。
トヨタが世界のトップメーカーになるためには、薄利多売の商売だけでは勝てないことも分かっていた。メルセデスやキャディラック、リンカーンが幅を利かせる、より利益率の高い高級車市場への参入が不可欠だったのだが、そのためには大きな障害があった。
「トヨタ」の歴史である。
新しい富裕層にとって、トヨタは古臭いブランドでしかなかった。
そして、どんなに優れた高級車を作ってもビッグヒットは見込めないだろう、という読みがトヨタにもあった。
たとえば一個100円のキャベツを売っていたスーパーマーケットが、突如ブランド物のバッグを並べても絶対に売れないのと同じ。なぜなら、そこにはステイタスが存在しないからだ。
顧客が求めているのは形ある商品だけではない。高額商品を売るためには顧客の心理を満足させるブランディングが必要なのである。
「バットマン」は1939年に誕生し、20世紀中に多くのテレビドラマと映画が作られた。
初の実写化は1943年。66年にはテレビシリーズが制作され、77年にはアニメシリーズにもなった。ティム・バートンのリメイクは1989年。以降20世紀中に3本の続編が制作され、2005年に新シリーズ「バットマン・ビギンズ」がリリースされたのは記憶に新しい。
「バットマン」にも歴史がある。
つまり、クリストファー・ノーランは「どんなに面白い映画を作ったとしても、『バットマン、またやるの?』という風評だけは絶対に避けなければならない」ミッションを背負ったのだ。
そして、タイトルから“ヒーロー”は消えた。
結果、大成功した。
比べるなと言われても無理なのが、ジャック・ニコルソンとヒース・レジャーの「ジョーカー」だ。
ヒース・ジョーカーを観てしまうと、ジャック・ジョーカーはまさしく“道化”。思い出しても同情したくなるほど古臭く感じてしまう。
一方ヒース・レジャーは俳優としての才能をいかんなく発揮し、出力全開の仕事をしている。タイトルロール以上に見応えがあり、遺作となった今ではヒースのための映画といっても過言ではない。
必見。
このアートワークもカッコイイ。
前作「バットマン・ビギンズ」をはるかに凌ぐ出来栄えに驚いた。
僕はカタカナ英語のトラップにはまり、タイトルを「DARK NIGHT」と勘違いしていた。
実際は「DARK KNIGHT」。
タイトルからヒーローの名を下ろした監督の覚悟は本編を観れば明らかになる。
「バットマンはヒーローじゃない」
本作の醍醐味はこの一点に尽きる。
とにかくビターだ。
ブライアン・シンガーが作った「スーパーマン リターンズ」も傑作だったけれど、まさに明暗分ける仕上がり。星条旗カラーを纏うクリプトン星人は文字通りスーパーな力で絶体絶命のピンチを救う。しかし、ゴッサムシティのペントハウスに住む青年には力の限界がある。クリストファー・ノーランはそこを突いた。バットマンに与えた4つの究極の選択。これらが「ダークナイト」を面白くしている。
特に重要なエピソードが、ジョーカー(ヒース・レジャー)によって地方検事ハービー・デント(アーロン・エッカート)とかつての恋人レイチェル(マギー・ギレンホール)が別々の場所で監禁される、というもの。いずれにも時限爆弾が仕掛けられ、バットマンが自ら救えるのはどちらか一人。そしてバットマンはジョーカーのトラップにはまる…。ブルース・ウェインが「自分はヒーローじゃない」と自覚する瞬間だ。そしてバットマンはさらに闇の中へと向かっていく。
クリストファー・ノーランがタイトルから「BATMAN」を下ろしたのは、トヨタ自動車が「レクサス」という新しいブランドを生み出したのに似ていると思った。
トヨタはクラウンやセンチュリーと言った高級サルーンを作るメーカーだが、それ以前に“世界の大衆車”カローラを生産するメーカーでもある。
トヨタが世界のトップメーカーになるためには、薄利多売の商売だけでは勝てないことも分かっていた。メルセデスやキャディラック、リンカーンが幅を利かせる、より利益率の高い高級車市場への参入が不可欠だったのだが、そのためには大きな障害があった。
「トヨタ」の歴史である。
新しい富裕層にとって、トヨタは古臭いブランドでしかなかった。
そして、どんなに優れた高級車を作ってもビッグヒットは見込めないだろう、という読みがトヨタにもあった。
たとえば一個100円のキャベツを売っていたスーパーマーケットが、突如ブランド物のバッグを並べても絶対に売れないのと同じ。なぜなら、そこにはステイタスが存在しないからだ。
顧客が求めているのは形ある商品だけではない。高額商品を売るためには顧客の心理を満足させるブランディングが必要なのである。
「バットマン」は1939年に誕生し、20世紀中に多くのテレビドラマと映画が作られた。
初の実写化は1943年。66年にはテレビシリーズが制作され、77年にはアニメシリーズにもなった。ティム・バートンのリメイクは1989年。以降20世紀中に3本の続編が制作され、2005年に新シリーズ「バットマン・ビギンズ」がリリースされたのは記憶に新しい。
「バットマン」にも歴史がある。
つまり、クリストファー・ノーランは「どんなに面白い映画を作ったとしても、『バットマン、またやるの?』という風評だけは絶対に避けなければならない」ミッションを背負ったのだ。
そして、タイトルから“ヒーロー”は消えた。
結果、大成功した。
比べるなと言われても無理なのが、ジャック・ニコルソンとヒース・レジャーの「ジョーカー」だ。
ヒース・ジョーカーを観てしまうと、ジャック・ジョーカーはまさしく“道化”。思い出しても同情したくなるほど古臭く感じてしまう。
一方ヒース・レジャーは俳優としての才能をいかんなく発揮し、出力全開の仕事をしている。タイトルロール以上に見応えがあり、遺作となった今ではヒースのための映画といっても過言ではない。
必見。
このアートワークもカッコイイ。
落下の王国 [2008年 ベスト20]
「落下の王国」(2006年・インド/イギリス/アメリカ) 監督:ターセム
北京オリンピック開会式の演出家の一人、石岡瑛子さんの仕事が確認したくて試写に行く。
これ、好き嫌い激しいだろうなあ。でも僕はすごく好きです。
この映画は、まずストーリーを追いかけない方がいい。
すべては一人の少女の気を引くために、身体の不自由な青年が語った壮大な作り話。
一種の散文詩です。脈略がないわけじゃないけど、飛躍が過ぎる。
だからと言って複雑怪奇な話じゃありません。
5歳の女の子を虜にするくらいですから意外と単純。
ある復讐の物語です。
リアリティのないストーリーを“作品”に仕上げたのは、美しい映像の力です。
テレビCMを数多く手掛けてきたというターセムの映像美は凄まじい。
まずオープニング。モノクロームのスローモーション。
僕はあまりの美しさに見とれてしまい、ストーリーを掴み損ねました。
特筆すべきは構図。
とにかく大胆なロングショットが多用されています。僕の大好きな地平線ショットもあって、大きなスクリーンで観ると気持ち良いことこの上ありません。こういう大胆な構図を撮らせた最大の要因は、CGに頼らないホンモノのロケーションだからでしょう。テレビCMのディレクターとして世界各地を旅する過程で見つけた“絶景”の数々。
僕はこの作品、「絵がストーリーを追い越した」映画だと思います。
まず映像ありき。ストーリーはあとから作る。実際には違うでしょうが、このロケーションでなければ綴られなかった物語であることは間違いありません。
そしてそこに石岡瑛子さんの仕事がなければ、作品として完成しなかったことでしょう。
コスチュームデザインの存在感は圧倒的なロケーションに負けずとも劣らず、信じられないほどのエネルギーを放っていました。
この映像を堪能するためには、劇場でフィルムがまだ汚れていない段階で観るのがいいです。
冗談抜きで本当にキレイだから。
映像そのものもキレイだけど、絵の繋ぎも見事です。
僕は少なくとも2ヶ所で仰け反りました。「なんだその繋ぎ!」と声を上げそうになったくらい。
もし万が一劇場で見損ねたら、ブルーレイで観るのがいいでしょう。
僕はこの映画がDVD化されるタイミングでブルーレイを買おうと心に決めました。
これはたった1,800円で観られて、たった5,000円弱でいずれコレクション出来るだろう、素晴らしいコンテンポラリーアートです。
北京オリンピック開会式の演出家の一人、石岡瑛子さんの仕事が確認したくて試写に行く。
これ、好き嫌い激しいだろうなあ。でも僕はすごく好きです。
この映画は、まずストーリーを追いかけない方がいい。
すべては一人の少女の気を引くために、身体の不自由な青年が語った壮大な作り話。
一種の散文詩です。脈略がないわけじゃないけど、飛躍が過ぎる。
だからと言って複雑怪奇な話じゃありません。
5歳の女の子を虜にするくらいですから意外と単純。
ある復讐の物語です。
リアリティのないストーリーを“作品”に仕上げたのは、美しい映像の力です。
テレビCMを数多く手掛けてきたというターセムの映像美は凄まじい。
まずオープニング。モノクロームのスローモーション。
僕はあまりの美しさに見とれてしまい、ストーリーを掴み損ねました。
特筆すべきは構図。
とにかく大胆なロングショットが多用されています。僕の大好きな地平線ショットもあって、大きなスクリーンで観ると気持ち良いことこの上ありません。こういう大胆な構図を撮らせた最大の要因は、CGに頼らないホンモノのロケーションだからでしょう。テレビCMのディレクターとして世界各地を旅する過程で見つけた“絶景”の数々。
僕はこの作品、「絵がストーリーを追い越した」映画だと思います。
まず映像ありき。ストーリーはあとから作る。実際には違うでしょうが、このロケーションでなければ綴られなかった物語であることは間違いありません。
そしてそこに石岡瑛子さんの仕事がなければ、作品として完成しなかったことでしょう。
コスチュームデザインの存在感は圧倒的なロケーションに負けずとも劣らず、信じられないほどのエネルギーを放っていました。
この映像を堪能するためには、劇場でフィルムがまだ汚れていない段階で観るのがいいです。
冗談抜きで本当にキレイだから。
映像そのものもキレイだけど、絵の繋ぎも見事です。
僕は少なくとも2ヶ所で仰け反りました。「なんだその繋ぎ!」と声を上げそうになったくらい。
もし万が一劇場で見損ねたら、ブルーレイで観るのがいいでしょう。
僕はこの映画がDVD化されるタイミングでブルーレイを買おうと心に決めました。
これはたった1,800円で観られて、たった5,000円弱でいずれコレクション出来るだろう、素晴らしいコンテンポラリーアートです。
ジャーヘッド [2008年 ベスト20]
「ジャーヘッド」(2005年・アメリカ) 監督:サム・メンデス 脚本:ウィリアム・D・ブロイルズ・Jr.
原作は全米でベストセラーになったノンフィクション「ジャーヘッド アメリカ海兵隊員の告白」。
これは面白かった。近年見た戦争映画の中では群を抜いている。
この映画を観る前日の7月5日。毎日新聞の朝刊1面にこんな記事があった。
「独立記念日に1200人が再入隊 イラク米軍」
壮観な写真も掲載されている。カモフラージュの軍服に身を包んだ1200名。派遣中に契約期間が満了し帰国できたが、イラクに残る選択をした兵士たち。
ふと1面下の広告に目をやると、そこには映画「告発のとき」ノベライズの広告があった。
僕はこの映画の中にあった、ある兵士のセリフを思い出した。
「イラクへ帰りたい」
「ジャーヘッド」は原作の著者であり映画の主人公でもあるアンソニー・スオフォード(ジェイク・ギレンホール)のモノローグから始まる。
この物語…
男は何年も銃を撃ち、そして戦争に行く。
帰国し、武器庫に銃を戻す。
もう銃は手にしない。
だが、その手で何をしても…
女を愛したり、家を建てたり、息子のオシメを換えても、
その手は銃を覚えてる。
新聞記事と「告発のとき」と「ジャーヘッド」、三つが繋がった気がした。
「ジャーヘッド」(海兵隊員の頭はジャー(瓶)のように空っぽ、という蔑称)は戦争映画でありながら、戦闘シーンがほとんどない珍しい映画だ。しかも本編で流れる1曲目のBGMは、ボビー・マクファーリーンの「ドント・ウォーリー、ビー・ハッピー」。きっと誰もが意表を突かれると思う。
本編の大半は「戦地で待機中」の出来事に費やされる。
兵士同士の諍い、恋人に対する不信感、休暇の過ごし方、さらには糞尿の始末の仕方まで。戦争の最前線にはほど遠い、ベースキャンプでの日常。
これらを観ながら僕は長い間抱いていた、戦争に関する“ある疑問”を払拭できた気がする。
「なぜ戦えるのか?」
キレイごとはいくらでも言える。しかし当事者じゃない僕はどうしても「恐怖」を切り離せなかった。
死ぬかも知れないという最大の恐怖をアタマの隅っこに追いやるものは何か。
答えは「ストレス」だ。
戦地での待機期間中に蓄積される兵士たちのストレスが、上官の発砲許可と共に解放され、大量のアドレナリンを分泌するのだ。
ただし、そのストレスが解放されない場合もある。
主人公のスオフォードはあっけない「自分の中の戦争」の幕切れを味わう。
何のための待機だったのか。何のための訓練だったのか。
僕はイラクで再入隊した1200人の兵士のことを想った。
「イラクで溜めたストレスは、イラクで発散して帰る」
そんな1200人なんじゃないだろうか?
劇中、兵士たちが「地獄の黙示録」に熱狂するシーンがある。皆が「撃て!殺せ!」と叫んでいる。ところが休日に「ディア・ハンター」を観ようとする兵士たちの姿が興味深い。ただこのシーンには強烈なオチがあるのだけれど。
流れで書いておくと「裏切り者の壁」のシーンが可笑しかった。キャンプ内に立てられたパネルには、肌身離さず持っていた妻や恋人の写真が大量に貼られている。戦争の悲劇の断片。こんなさりげないシーンにリアリティが溢れている。
「ショーシャンクの空に」、「クンドゥン」、「ノーカントリー」の撮影を務めたロジャー・ディーキンスの映像も素晴らしい。
砂漠の砂がスオフォードの顔に降り注ぐスローモーションや、原油が兵士の顔に落ちてくる異様に気味の悪いシーン。そして何よりイラク軍が油田に火を放ってからのナイトシーンがあまりに美しすぎる。アカデミー賞ノミネート6回の実力はここでも遺憾なく発揮されている。
僕はここ数年、ドンパチやるだけの戦争映画には辟易としていた。
けれどこれは違った。
僕が観たかった戦争映画のひとつのスタイルがここにあった。
新しい戦争映画の傑作。
原作は全米でベストセラーになったノンフィクション「ジャーヘッド アメリカ海兵隊員の告白」。
これは面白かった。近年見た戦争映画の中では群を抜いている。
この映画を観る前日の7月5日。毎日新聞の朝刊1面にこんな記事があった。
「独立記念日に1200人が再入隊 イラク米軍」
壮観な写真も掲載されている。カモフラージュの軍服に身を包んだ1200名。派遣中に契約期間が満了し帰国できたが、イラクに残る選択をした兵士たち。
ふと1面下の広告に目をやると、そこには映画「告発のとき」ノベライズの広告があった。
僕はこの映画の中にあった、ある兵士のセリフを思い出した。
「イラクへ帰りたい」
「ジャーヘッド」は原作の著者であり映画の主人公でもあるアンソニー・スオフォード(ジェイク・ギレンホール)のモノローグから始まる。
この物語…
男は何年も銃を撃ち、そして戦争に行く。
帰国し、武器庫に銃を戻す。
もう銃は手にしない。
だが、その手で何をしても…
女を愛したり、家を建てたり、息子のオシメを換えても、
その手は銃を覚えてる。
新聞記事と「告発のとき」と「ジャーヘッド」、三つが繋がった気がした。
「ジャーヘッド」(海兵隊員の頭はジャー(瓶)のように空っぽ、という蔑称)は戦争映画でありながら、戦闘シーンがほとんどない珍しい映画だ。しかも本編で流れる1曲目のBGMは、ボビー・マクファーリーンの「ドント・ウォーリー、ビー・ハッピー」。きっと誰もが意表を突かれると思う。
本編の大半は「戦地で待機中」の出来事に費やされる。
兵士同士の諍い、恋人に対する不信感、休暇の過ごし方、さらには糞尿の始末の仕方まで。戦争の最前線にはほど遠い、ベースキャンプでの日常。
これらを観ながら僕は長い間抱いていた、戦争に関する“ある疑問”を払拭できた気がする。
「なぜ戦えるのか?」
キレイごとはいくらでも言える。しかし当事者じゃない僕はどうしても「恐怖」を切り離せなかった。
死ぬかも知れないという最大の恐怖をアタマの隅っこに追いやるものは何か。
答えは「ストレス」だ。
戦地での待機期間中に蓄積される兵士たちのストレスが、上官の発砲許可と共に解放され、大量のアドレナリンを分泌するのだ。
ただし、そのストレスが解放されない場合もある。
主人公のスオフォードはあっけない「自分の中の戦争」の幕切れを味わう。
何のための待機だったのか。何のための訓練だったのか。
僕はイラクで再入隊した1200人の兵士のことを想った。
「イラクで溜めたストレスは、イラクで発散して帰る」
そんな1200人なんじゃないだろうか?
劇中、兵士たちが「地獄の黙示録」に熱狂するシーンがある。皆が「撃て!殺せ!」と叫んでいる。ところが休日に「ディア・ハンター」を観ようとする兵士たちの姿が興味深い。ただこのシーンには強烈なオチがあるのだけれど。
流れで書いておくと「裏切り者の壁」のシーンが可笑しかった。キャンプ内に立てられたパネルには、肌身離さず持っていた妻や恋人の写真が大量に貼られている。戦争の悲劇の断片。こんなさりげないシーンにリアリティが溢れている。
「ショーシャンクの空に」、「クンドゥン」、「ノーカントリー」の撮影を務めたロジャー・ディーキンスの映像も素晴らしい。
砂漠の砂がスオフォードの顔に降り注ぐスローモーションや、原油が兵士の顔に落ちてくる異様に気味の悪いシーン。そして何よりイラク軍が油田に火を放ってからのナイトシーンがあまりに美しすぎる。アカデミー賞ノミネート6回の実力はここでも遺憾なく発揮されている。
僕はここ数年、ドンパチやるだけの戦争映画には辟易としていた。
けれどこれは違った。
僕が観たかった戦争映画のひとつのスタイルがここにあった。
新しい戦争映画の傑作。
ジャーヘッド (ユニバーサル・ザ・ベスト:リミテッド・バージョン) 【初回生産限定】
- 出版社/メーカー: ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
- メディア: DVD
満員電車 [2008年 ベスト20]
「満員電車」(1957年・日本) 監督:市川崑 脚本:和田夏十、市川崑
間違っても「痴漢シリーズ」ではありません。これは市川崑版の「大学は出たけれど」。
傑作でした。脚本が実に素晴らしい。
高度経済成長真っ只中の日本。
最高学府を卒業した茂呂井民雄(川口浩)は、後輩もうらやむ大企業ラクダビールにコネなしで就職をする。あいにく本社勤務の席は縁故入社の同期に奪われ尼崎工場に勤務になるが、プラス思考の民雄は仕事に没頭していく。
そんなある日、実家の父から「母親の気が触れた」と手紙が届き、時を同じくして民雄の身体にも異変が起きる…。
高度経済成長期になぜ「大学は出たけれど」なんだろう、と思いながら観ていたのですが、調べてみたら1950年代前半は空前の就職難の時代だったそうです。
1950~51年は朝鮮特需で“売り手市場”だったものが、52年からは雇用情勢が悪化した上に、旧制と新制合わせた大学卒業者が一気に倍増。完全に“買い手市場”となり、需要と供給のバランスが崩れた状態に陥ったのだとか。
そこで大卒者たちは官庁や大企業をあきらめ中小企業に目をやるものの、そこでは「大卒者は扱いにくい」と敬遠される始末。
市川崑監督は、空前の就職難の時代をこれ以上乗りようのない「満員電車」に例え、「それでもこの電車に乗り遅れると、人生の落後者になり兼ねない」という“大いなる矛盾”を、実にシニカルに描いています。
脚本の巧さを観たのは展開とセリフ。
展開は書くとネタバレになるので明かしませんが、セリフもいちいち巧いんです。
何と言ってもリズミカル。
主人公・民雄のせっかちな性格を、短いセンテンスで区切るセリフの文字数で。
父・権六(笠智衆)の厳格さは、まるで訓示のような文章で。
そして母・乙女(杉村春子)の気が触れた状態は、脈略のない老女の独り言風のセリフで表現していました。観れば分かりますが最大のポイントは母・乙女です。この先は自主規制(笑)。
この作品は市川崑監督の没後企画としてwowowが特集、放送したものですが、邦画の旧作には今の日本を理解する上で重要な教材へと熟した作品があるんだなと、改めて教えてくれた1本でした。
繰り返しますが、これは傑作です。
間違っても「痴漢シリーズ」ではありません。これは市川崑版の「大学は出たけれど」。
傑作でした。脚本が実に素晴らしい。
高度経済成長真っ只中の日本。
最高学府を卒業した茂呂井民雄(川口浩)は、後輩もうらやむ大企業ラクダビールにコネなしで就職をする。あいにく本社勤務の席は縁故入社の同期に奪われ尼崎工場に勤務になるが、プラス思考の民雄は仕事に没頭していく。
そんなある日、実家の父から「母親の気が触れた」と手紙が届き、時を同じくして民雄の身体にも異変が起きる…。
高度経済成長期になぜ「大学は出たけれど」なんだろう、と思いながら観ていたのですが、調べてみたら1950年代前半は空前の就職難の時代だったそうです。
1950~51年は朝鮮特需で“売り手市場”だったものが、52年からは雇用情勢が悪化した上に、旧制と新制合わせた大学卒業者が一気に倍増。完全に“買い手市場”となり、需要と供給のバランスが崩れた状態に陥ったのだとか。
そこで大卒者たちは官庁や大企業をあきらめ中小企業に目をやるものの、そこでは「大卒者は扱いにくい」と敬遠される始末。
市川崑監督は、空前の就職難の時代をこれ以上乗りようのない「満員電車」に例え、「それでもこの電車に乗り遅れると、人生の落後者になり兼ねない」という“大いなる矛盾”を、実にシニカルに描いています。
脚本の巧さを観たのは展開とセリフ。
展開は書くとネタバレになるので明かしませんが、セリフもいちいち巧いんです。
何と言ってもリズミカル。
主人公・民雄のせっかちな性格を、短いセンテンスで区切るセリフの文字数で。
父・権六(笠智衆)の厳格さは、まるで訓示のような文章で。
そして母・乙女(杉村春子)の気が触れた状態は、脈略のない老女の独り言風のセリフで表現していました。観れば分かりますが最大のポイントは母・乙女です。この先は自主規制(笑)。
この作品は市川崑監督の没後企画としてwowowが特集、放送したものですが、邦画の旧作には今の日本を理解する上で重要な教材へと熟した作品があるんだなと、改めて教えてくれた1本でした。
繰り返しますが、これは傑作です。