最高の人生の見つけ方(2007年・アメリカ) [2012年 レビュー]
監督:ロブ・ライナー
脚本:ジャスティン・ザッカム
ドキュメンタリー映画「エンディングノート」がヒットして、日本でも注目を集めるようになった、いわゆる「最後の覚書」。アメリカでは首吊りをする人が足下のバケツを蹴るところから「バケットリスト」と呼ばれているそうです。
ちょっと突飛で意外だったのはエドワードがとんでもない金持ちという設定だったこと。
カーターは彼の小型ジェットに乗ってあちこち旅するわけですから、ちょっと非現実だなあと。中でもピラミッドの頂上で2人が話し込むシーンでは、いくらなんでもそりゃないだろう、と思ってしまい(だって今は登れないし、登れたとしても年寄り2人が頂上まで行けるはずもない)若干気持ちも萎え気味に。
ただしバケットリストの大事なところは、「やり残したことをやり遂げること」であって、「やりたいことをやる」のではないと後半で教えられ、この着地点には納得しました。
「世界一の美女にキスをする」というエドワードの願いがまさにそれで、これが「やり残したことをやり遂げた結果」だったとき、観客の心は一気に温かくなります。これ以上の美女もいないだろうという納得感も含めて、とてもいいエピソードだったと思います。
この作品が教えてくれるのは、「人間、意固地になってはつまらない」ということ。自分も相手も「赦す」ことで、人は幸せになれる気がしました。
でも一番驚いたのは、これがたった97分の映画だったことかも(笑)。
もうひとりの息子(2012年・フランス) [2012年 レビュー]
監督:脚本:ロレーヌ・レヴィ
第25回東京国際映画祭、東京サクラグランプリ作品。
本題に入る前に、このグランプリ名。そもそも「サクラ」はいらないと思うんだけど、百歩譲ってもイベント開催は秋。なのになぜ「サクラ」なのよと思う。秋なんだから「イチョウ(そもそも東京都の木だ)」とか、「モミジ」とか、「焼き芋」とか季語は沢山あるわけで、でも「秋の季語は座りが悪いなあ」ってなるなら「サクラ」だって止めちゃえばいいじゃない。
これと同じでイラッとするのが、国内の空港名。「徳島阿波踊り空港」とか「高知龍馬空港」とか「たんちょう釧路空港」とか、なんで一枚乗っけちゃうのよ。そんな情報いらないでしょ。
…というわけで、今年の「東京サクラグランプリ」作品は、フランスの小品でした。
兵役用健康検査の結果、両親の実子でないことを知ったイスラエルの青年。出生の際の手違いが明らかになり、やがてイスラエルとパレスチナふたつの家庭のアイデンティティと信念が大きく揺さぶられる事態に発展する。根深い憎しみからの解放を巡る感動のドラマ。
公式サイトの作品解説を引用させてもらいました(ちなみに僕がTIFFの場合に限って解説を引用するのは、作品は沢山あるものの、少ない情報の中から何に引っ掛かって観ることにしたか、を記録するためでもあります。読者の皆さまに至っては「この解説で自分なら観ようと思うか」など考えて頂ければ善いかと思います)。
さて本題。
ドラマの設定として「出生時に入れ替わった2人の赤ん坊」は決して目新しくはないんだけど、だからこそ「どうして誰もこの設定をイスラエルとパレスチナに置かなかったのか」と言いたくなるくらい、いい着眼点だったと思います。ただそれだけでなくドラマのとしての落とし込みが実に巧かった。審査員が「グランプリに相応しい」と判断したのも、脚本の力が大きかったと思います。
当然ですが最低限の中東事情を把握していないと、このドラマは理解出来ません。
イスラエルとパレスチナ。互いの言い分が理解出来ていると、本作の展開には胸を打たれるはずです。監督のロレーヌ・レヴィは「紛争は相手の立場を理解しようとしない愚者の行為」と喝破しつつ、具体的なエピソードについては丁寧な筆致で実に優しく描いています。ゼッタイにあり得ないことが起きたことによって、互いの立場を超えて徐々に歩み寄る2つの家族と当事者の2人。特に互いの家族がよそよそしくしている間に、当人同士が早々と意気投合する辺りが、いかにも現代的で面白い。この2人の距離感こそがパレスチナ問題解決の糸口なのではないかと思えるほどでした。
俳優は皆素晴らしくて、とても良くまとめられた作品だと思います。
ただし、こんなにこじんまりとした作品が今年のグランプリで良かったのかどうかは疑問。それほど今年のTIFFは小粒な作品ばかりだったってことでしょうか?
天と地の間のどこか(2012年・トルコ/ドイツ) [2012年 レビュー]
原題:Araf-Somewhere in Between
監督・脚本:イェシム・ウスタオール
今年のTIFF。事前にチケットを入手したのは4本で、これが3本目。
僕はロードムービーが好きな一方で、旅人を見守る定住の人のドラマも好きなんだな、と思わせてくれたのが本作の作品解説。以下を読んで僕はチケットを入手することに。
郊外の高速沿いのドライブインに勤務し、単調で展望のない日々を送る少女。出入りするドライバーたちが、彼女を外の世界へとつなぐ唯一の存在だったが…。(中略)原題のArafとは、天国と地獄の間に位置する「煉獄」あるいは「リンボ」を意味するトルコ語である。ダンテの「神曲」では、待たされるばかりの「煉獄編」が最も辛いに違いないと語る監督は、ドライブインでくすぶる少女の状態を煉獄に重ねる。
僕はこの解説を読んで、勝手に「バグダット・カフェ」のような作品を期待してしまいました。
何度も言いますが、この手の“期待”は禁物なんです。なぜなら我々の想像力は底なしで、映画がそれを超えることなど有り得ないから。期待をして結果損をするのは我々観客の方、と知っていながら、無意識に期待してしまう。映画を観るってことは、この繰り返しですね。
と言いつつ、トルコ郊外のドライブインという設定は気に入ってました。状況説明のルーズショットが若干足りない気がしたけれど、無駄な照明を排した寒々しい映像はリアリティの獲得に成功し、美しい主演女優も違和感なく、その場所に溶け込んでいたからです。
「此処ではない何処かへ」
過去多くの青春映画が取り組んだテーマは、本作でも瑞々しく描かれていて、途中「素晴らしくいい作品かも」と思っていたのですが、終盤まったく個人的な理由で僕はこの映画のことが嫌いになってしまいました。
それは「堕胎」にまつわるシークエンスの存在。
少なくとも不妊治療に取り組んでいるご夫婦は観ない方がいい。極めて不愉快になると思います。
残念ながら僕はこの作品を正当に評価できません。僕に子どもがなかったら、あるいは10年前だったら、きちんと評価できたかもしれませんが、今は全く無理です。そして僕はこの作品に限らず、「堕胎」が絡むストーリーはこの先ゼッタイに受け入れられないのだな、と確信しました。
この作品の制作に関わられた皆さんには本当に申し訳ないのですが、ここまで「観なければ良かった」と思った作品はありません。あくまでも僕の個人的な事情です。ご了解ください。本当にすいません。
インポッシブル(2011年・スペイン/アメリカ) [2012年 レビュー]
原題:The Impossible
監督:J・A・バヨナ
脚本:セルヒオ・G・サンチェス
凄まじいTSUNAMI映画でした。
TIFFの公式サイトに「本作品には津波の再現シーンがあります。ご覧になる場合はあらかじめご了承のほどお願い致します」とあったので観てみる気になったのですが、やはり僕たち日本人には衝撃的な映画と言っていいでしょう。以下作品解説を一部引用します。
2004年のクリスマスの翌日、スマトラ沖でマグニチュード9.1の地震が発生し、巨大津波が近隣諸国に甚大な被害をもたらした。本作は、津波にのみこまれたスペイン人一家が経験した、まさに「インポッシブル」な実話を映画化したものである。スペイン人夫婦をナオミ・ワッツとユアン・マクレガーに置き換え、実際の出来事が克明に再現されている。10分間に及ぶ巨大津波のシーンの撮影には1年を要し、ワッツは1ヶ月以上を水槽タンクの中で過ごして生死の狭間で格闘する母親を熱演している。
とにかく津波のシーンが尋常じゃありません。
CGのクオリティも高いんですが、かなりの部分が実写で撮られているのではないかと思います。
特に衝撃的だったのが水中シーン。再現しているのは「津波に呑み込まれた中で、一体何が起きているのか」です。これが想像を絶する恐ろしさで、「津波が呑み込むものは陸上のありとあらゆるモノ」であることを改めて教えてくれます。それらと人間がシェイクされたら人間はどうなってしまうのか。バヨナ監督はナオミ・ワッツの肉体を傷つけることで、その恐ろしさを伝えます。
ほぼ満席の劇場内は凍りついていたように見えました。僕はもしや息を止めて観ていたかも知れません。それほど生々しかったし、息苦しかった。
実話を基にしたドラマです。
実話の強みは「狙って作っていない」という開き直りが出来ることでしょう。
本作は津波のあと消息不明になった家族の行方を追います。中盤までは「5人家族の何人が生存しているのか」が縦軸で、後半は「生き残った家族は混乱の最中再会出来るのか」が軸になっています。
この構造はもちろん悪くないと思うのですが、途中少し“盛った”んじゃないかと疑いたくなるような「偶然」が用意されています。それが事実なら仕方ないにしろ、それでも「いいようにエピソードを簡略化して、おもしろく再構築した」ような箇所があったと思います。それが事実なら仕方ないんですが、だったら“盛った”と思わせない作りは必要だったのではないでしょうか。
なんだかんだ言いながら、実話の強みで面白いです。
ところがラストに「そりゃねーだろ」的な展開が用意されています(ネタバレ自主規制)。この展開がすべてを台無しにしました。これさえなければ80点の映画だったのに、これのせいで20点です。人道的にまったく有り得ない。他のお客さんもきっと驚いていたと思います。終演後に拍手がパラパラとしか起きなかったのが、その証しだと思います。
過去最高に残念な映画。
マリーゴールド・ホテルで会いましょう(2011年・イギリス/アメリカ/アラブ首長国連邦) [2012年 レビュー]
原題:THE BEST EXOTIC MARIGOLD HOTEL
監督:ジョン・マッデン
脚本:オル・パーカー
東京国際映画祭が始まった。今年で25回目。
毎年TIFFが始まると秋を感じ、終わる頃に冬の到来を感じるイベント。今年は都合がつかず何本も観られないけれど、雰囲気を愉しみに何度か足を運ぶ予定でいる。
本作の監督は「恋におちたシェイクスピア」のジョン・マッデン。主演は同作でアカデミー賞を受賞したジュディ・ディンチ。さらにジュディを含めたイギリス人男女7人の物語と聞いて観ることにした。
「インドなら物価が安く、豪華なホテルで余生を送れる」とそそのかされ、7人の年金生活者たちがイギリスからインドへ渡る。しかしそれは甘い幻想に過ぎなかった。7人は衝撃的な異文化の洗礼を受け、明日をも知れぬ生活に突入していく…。
人は誰しも歳を重ねると固定概念の塊になる。そんな世代の環境適応能力を楽しむ映画だ。
ジュディ・ディンチ、トム・ウィルキンソン、ビル・ナイ、マギー・スミスといったロートル俳優のキャスティングが豪華で、それぞれの競演には見応えがあり、また「スラムドッグ$ミリオネア」のデヴ・パテルがホテルのオーナー役に配され、いいアクセントになっている。
イギリスでまったくつながりの無かった7人が、同じ飛行機に乗り、デリーに到着し、いきなりトラブルに遭うという展開は、ロードムービー好きとしてはワクワクするシチュエーションだ。ホテルに着いたら着いたで、見せられたパンフレットとは似ても似つかぬボロホテルだった、という展開も面白い。けれど僕は若干リアリティに欠けた映画だなと思って途中から観ていた。
一番はお金に関するやりとりが端折られていたことだ。
受給年金額に対して、インドでの滞在費はいくらなのか。そういったディテールの説明がなければ、この映画のお客さんは納得しないんじゃないかと思う。この映画のお客さんとは言うまでもなく年金生活者とその予備軍である。
この手のシルバー世代を描いた作品は、これからの日本で欠かせない商品になるだろう。劇場サイドからするとシルバー世代は昼間の空席を埋めてくれる上客である。そんな人たちを満足させる作品は、きっと何本あっても困らないだろう。
しかし固定概念の塊が相手だけに、筋が通っていないとそっぽを向かれる可能性は高い。特に「年金の有効利用」という題材はシビアなだけあって、中途半端な扱いは許されないだろう。少なくとも僕個人は「収支はどうなってるわけ?」という疑問がアタマから離れずに困った。
「人生を豊かにするのは金でも環境でもなく自分の考え方ひとつ」
本作のテーマはこれだ。
だから素晴らしく優等生な映画である。充分すぎるキャリアを積んだ俳優陣も「こんな役をやりたかった」とすんなり契約書にサイン出来た脚本だっただろう。でも、だからこそ僕は不満が残った。確かに「いいハナシ」ではあるがキレイにまとまり過ぎているのが不満。ジョン・マッデンってナルシストだったか?
「恋愛適齢期」のようなぶっ飛んだ展開があれば、もっと笑えてもっと泣けたはずなのに。ちょっと残念。
東京キッド(1950年・日本) [2012年 レビュー]
監督:斎藤寅次郎
脚本:伏見晁
「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本〜喜劇編〜」の1本。
この映画の存在は昔から知っていたけど、これが喜劇と知ったのは今回の企画にチョイスされてから。美空ひばり13歳のときの主演映画がどんなコメディなんだろうと思って観てみることに。
母子家庭で育ったマリ子(美空ひばり)の元へ、「死んだ」と聞かされていた父・浩一(花菱アチャコ)が突然現れる。浩一はビジネスのために妻とマリ子を置いてアメリカに渡っていたが、今は成功し一時帰国していた。マリ子は困惑するが、まもなく母親が病死してしまう。浩一はマリ子を引き取りたい一心だったが、マリ子は浩一に馴染めず家出をしてしまう…。
この作品が作られたとき美空ひばりは13歳だったのだけれど、前年(1949年)に作られた映画「悲しき口笛」が大ヒットし(同主題歌も45万枚の大ヒット)、ひばりはすでに国民的スターだった。そのためか出演しているメンツがスゴい。
ひばりの脇を固めるのは、花菱アチャコ、榎本健一、堺俊二と日本お笑い界の一時代を担った人たち。言うなれば万全の布陣で臨んだ1本というところだろう。コメディ映画としての完成度を62年後の今語るのは難しいが、この3人については三人三様の味を出していたと思う。特に榎本健一が演じたインチキ占い師は「唄が流れると無意識のうちに踊りだしてしまう」というトリッキーな設定なのだが、これをエノケンが見事に自分のものにしていて、今も笑えるところがスゴかった。
1点驚いたのはマリ子の夢のシーンでハワイロケが行われていること。
山本晋也カントクによると「戦後初の海外ロケだった」らしいのだが、なんともゼイタクな作りである。
美空ひばり。
多く人が「天才」という言葉を軽々しく使うせいで、本作では見劣りしたように思う。歌の表現力には舌を巻くが、劇中の歌はすべてがレコード音源であり、芝居は正直論外。器用とは言えるが映画から彼女の天才ぶりを見出すのは難しい。
劇中、マリ子を流しの歌手として売り出すギター弾きの三平を演じているのが、美空ひばり育ての親・川田晴久であることは後から知った。
まだわずか13歳の少女に、当時日本国民が寄せた期待は如何ほどのものだったのか。想像しながら観るのもいいだろう。昭和を彩る歌謡映画の典型。
アウトレイジ ビヨンド(2012年・日本) [2012年 レビュー]
監督・脚本・編集:北野武
前作から5年後という設定の続編。
映画の前にまず【beyond】というワードのチョイスが上手いなあと思った。世の中に続編は数あれど「ビヨンド」と付けた作品があるか、映画データベースallcinemaで検索したけれど見当たらなかった。
《場所》…の向こうに、《時間、範囲、限度》…を超えて、《優越》…より優れて、など単語の意味から察するに、ダブル・ニーミングも狙っているはず。さすが希代の漫才師だけあって…と言うべきか、言葉選びのセンスに感心。
先代を自らの手で殺め、山王組の二代目となった加藤(三浦友和)は、元大友組の金庫番・石原(加瀬亮)を重用して組織を拡大。今では政治家も操るまでになった。一方で古参の幹部はくすぶり続け、そこに目を付けたマル暴の片岡(小日向文世)が山王会の富田(中尾彬)を焚き付け、関西の巨大組織「花菱会」と接触をさせる…。
続編の宿命である“前作越え”は、さすがの北野武と言えど難しかったようだ。正直言って期待したほどの出来栄えじゃなかった。ただ、監督自身が“前作越え”を意識していたかどうかは分からない。圧倒的な“しゃべくり漫才”だった前作と比べると、いくらか状況説明が必要な“3人のコント”のような脚本だったし、何よりビートたけし演じる大友が5年のムショ暮らしですっかり枯れていたという設定だったからだ。
これらは「結果そうなってしまった」わけではなく「狙ってやっている」のだから、監督は世間が想像するところの“前作越え”など、はなから考えていなかったのかも知れない。
そうならそうで見方は大きく変わる。
「アウトレイジ ビヨンド」はこれまでの北野映画とは全く異なり、「牙の抜けた(折れたでも折られたでもない)ヤクザの映画」という監督としても役者としても新境地になるからだ。
すっかり枯れた大友は実に味わい深かった。枯れても流れる血に変わりはなく、それが時々着火する様も心地よかった。本作は監督としても役者としても、今の身の丈に合った作品と言えるんじゃないだろうか。
前作の続編ではあるが、あくまでもこれは後日談として作られたと思えば、観ていて愉しい。言うなれば前作の「おとしまえ」である。
そもそも続編はもっと早くに撮られるはずだった。それが東日本大震災で延期され、こう言うカタチで産み落とされたのだ。3.11が監督に与えた影響も大きいだろう。
容易に想像出来る結末だが、オチのキレが見事で思わず息を呑む。そういう意味ではこれもやはり「漫才師の映画」だ。相応の人生経験を積んでいるといくつか笑えるシーンもあって、まさにオトナのための映画である。
それにしてもこれから先の北野作品がますます愉しみになって来た。
ブリッツ(2011年・イギリス) [2012年 レビュー]
監督:エリオット・レスター
脚本:ネイサン・パーカー
寸暇を惜しんで映画を観るようになるとどうしても「アタマを使わなくていい映画」を選んでしまう。
ジェイソン・ステイサム主演の映画は大抵が「とにかくスカッとする」ので、録画ストックの中から大して迷わずチョイスしてみた。結果、良い意味で僕の期待を裏切らない映画だった。
西ロンドン警察のブランド刑事(ジェイソン・ステイサム)は、犯罪者への暴力が過剰でマスコミの格好のネタになっている。そんな中、連続警官殺しが発生、ブランドは着任早々のナッシュ警部代理(パディ・コンシダイン)とコンビを組み捜査に当たる。やがて“ブリッツ”と名乗る容疑者が浮かび上がるが、ブリッツの警官殺しはまだまだ終わっていなかった…。
ジェイソン・ステイサムが世に出たのは1998年、ガイ・リッチーの「ロック、ストック&トゥー・スモーキン・バレルズ」である。あれから13年。多少マッチョになったとはいえ、まだまだ尖った役が出来るのは素晴らしいと思った。「“一本筋の通った荒くれ者”をやらせるならジェイソン・ステイサムがいい」というキャスティング・ディレクターは未だに多いんじゃないかと思う。それくらい本作のステイサムも魅力的だ。ブランド刑事もステイサムで当て書きしたんじゃないかと思えるほどハマり役だった。
作品そのものは「謎解き」と「復習」がある97分のB級クライムサスペンスである。だからあまり細かいところまで追求するつもりはないんだけれど、いくつか気になったことはある。
たとえば、ブランドの相棒となるナッシュがゲイである必要性。ブランドを紙面で攻撃し続ける記者ダンロップの動機。ブランドがときどき記憶を失うとナッシュに告白したその後。ブランドに“ブリッツ”の情報をタレ込んだ情報屋ラドナーの背景。そして黒人婦人警官の私的なもみ消しを頼まれたクレイグ警部補に下心はあったのか否か。これらは(随分あるじゃないか)内心「どうなんだよ」と思いながら観ていた。
でも「まあ別にただの娯楽作品だしなあ」と思ってスルーしたのは事実。それよりもステイサムの立ち振る舞いやシニカルな会話を楽しむべき映画と言った方が正しい。ステイサムの魅力は充分に引き出されている。
愉快犯の“ブリッツ”を追い込む小気味いい結末も気に入った。
少なくともステイサムファンは見逃さない方がいい。
仮面ライダーV3対デストロン怪人(1973年・日本) [2012年 レビュー]
監督:山田稔
脚本:伊上勝
「オマエそれ映画か?!」と言われちゃいそうですが、れっきとした劇場公開作品です。
iTunesにラインナップされていたのでつい観ちゃいました。
というのも、この作品の一部は僕の地元・松山の奥道後でロケが行われたのです。しかもダブルライダーロケ!(笑)。そして僕はこの映画をロケが行われたホテル奥道後の映画館で観た気がします。iTunesでタイトルを見つけたときにはチョー懐かしくて思わずダウンロードしたのですが、これがまた意外なトラップで(笑)。
原始物理学者の沖田は四国の山奥でウラニュウムの数百倍の威力を持つサタンニュウムを発見し、おかげでドクトルGに誘拐されてしまう。風見志郎と立花藤兵衛はデストロンとの攻防の末に沖田を救出するが、サタンニュウムの地図の在処を言い残し、息を引き取ってしまう。サタンニュウムをデストロンに渡すまいと風見志郎は四国へ向かうのだが…。
いやあ、すごいストーリーです。
書いてて思ったんですけど、ショッカーだのデストロンだのって、世界征服に役立つものの匂いのするところ、何の脈略も無く現れてたんですよね。笑っちゃうねえ。
僕は何度か家族で行った奥道後温泉のロケーションを確認したくて観たわけですが、意外と使われているシーンが短くてガッカリ。ま、そりゃそうなんですけどね。タイアップ先の宿で30分もの尺のロケをするはずがないんです(笑)。でもほんのちょっとだけとは言え、かなり懐かしく見せてもらいました。
あと何がトラップだったって、ダブルライダーは出てくるんですけど、変身前の本郷猛と一文字隼人は出て来なかった。つまり変身シーンがないってワケ。オープニングタイトルで「藤岡弘、佐々木剛」ってクレジットされてるのにですよ。これは詐欺でしょ!(笑)。
それにしても今観て驚いたのは、思いのほか発破してることです。今みたいにデジタル処理じゃないから、かなりホンモノ感があって、そのスリルはなかなかのものでした。みんな身体張ってたんだねー。
そしてやっぱりV3はカッコ良かった。タイフーン(バイク)もカッコ良かった。テレビシリーズもちょっと観てみたいぞ。
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クヒオ大佐(2009年・日本) [2012年 レビュー]
脚本:香川まさひと、吉田大八
今さら観る理由は何もなかったんですけど、ブルーレイのハードディスクに150本ほどストックされている映画の中から、これをチョイス。何か大きく感動したいわけでもなく、だからってバカ笑いしたいわけでもなく、でもハラハラどきどきするのも面倒で、ただ「何か映画が観たい」という微妙な欲求に応えてくれそうな作品はこれかな、と思ったわけで。
ちなみに「クヒオ大佐」の前に、西原理恵子原作の「女の子ものがたり」と「毎日かあさん」を観始めたんですが、どちらも開始5分観ただけで消去しました。特に後者は小泉今日子が観ていられなかった。
カメハメハ大王の末裔でアメリカ空軍のパイロット「ジョナサン・エリザベス・クヒオ」と名乗り、何人もの女性を騙した実在の結婚詐欺師の物語です。
この程度の情報は多くの人が持っていたと思います。そしてこの程度の情報が意外と浸透したのは宣伝の勝利だと思う。これ以上知られても、もちろんこれ以下でも良くなくて、たったこれだけの情報を持って劇場に行くのがベストだったと思います。
ところが観てみたら意外と面白くなかった。理由は「中味が薄い」からでしょう。
この映画。何を見せたかったのかが僕にはさっぱり分かりませんでした。
クヒオ大佐の本性に迫るわけでなく、騙された女との愛憎を掘り下げるでもなく、全部が上っ面を撫でただけ。詐欺師の映画で思い出すのはスピルバーグの「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」ですが、この作品が詐欺師役のディカプリオだけで、FBI捜査官役のトム・ハンクスがいなかったら、相当つまらない映画だったと思います。
やはり詐欺師は「サツに追われてナンボ」。クヒオ大佐に騙されている弁当屋経営のしのぶ(松雪泰子)の弟・達也(新井浩文)に正体を見破られるという設定が面白いだけに、もう一枚追っ手をプラスし、その攻防戦を厚く描けば、面白さは増したように思います。
キャスティングミスという気がしないでもありません。
堺雅人はクレバーな印象が強く、凡ミスを犯す小悪党の匂いがしない。これが、なぜクヒオ大佐はクヒオ大佐を名乗り、結婚詐欺師になるに至ったかを掘り下げ、その本名にまでたどり着くような構成なら、クヒオ大佐の背景次第で堺雅人はアリだったと思う。でも結果そうなっていない以上は、キャスティングミスと言われても仕方ないでしょうね。
クヒオ大佐に騙される博物館学芸員役の満島ひかりは自然体な演技が巧くてスゴく良かった。
しのぶの弟役を演じた新井浩文も相当イイ。詐欺師から金を巻き上げようってキャラがピッタリで、堺雅人と新井浩文の掛け合いだけは楽しみました。松雪泰子の薄幸ぶりも板についてたねえ(笑)。
で結局、映画ではクヒオ大佐の人となりがよく分からなかったし、それが最大の不満だったので、ネットでいろいろ調べてみたけど、詳細は分からず。どれ原作でも読んでみようか知らん。