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ベニイ・グッドマン物語 [2010年 レビュー]

ベニイ・グッドマン物語」(1955年・アメリカ) 監督・脚本:ヴァレンタイン・デイヴィス

 我ながら最近のラインナップの古さはどうかと思う。
 なぜこんなことが起きているかと言うと、我が家のホームシアターはリビングにあるのだけれど、2ヶ月前に産まれたばかりの娘と妻が、リビングに近い和室で寝起きしているからだ。
 だから僕は別の部屋で、ストックしてあるDVDをノートPCで
観るはめになり、しかも大抵は一度以上観ている旧作だから、レビューもついつい思い出話になりがち、と言うわけだ。そして今回も思い出話をするのである。やれやれ。

 「ベニイ・グッドマン物語」は、大ヒットした「グレン・ミラー物語」の二匹目のどじょうを狙って生まれた映画である。僕は2作とも映画より先にサントラを聴き込んでいた。
 僕が上京したのは1985年で、音楽は好きだったけれどレコードを買う余裕はまだなく、レンタルレコード店もまだ無かった。僕が住んでいた早稲田にレンタルレコード店が出来たのは、確か1986年だったと思う。そんな時代だから、多くの
学生たちはFM雑誌で特集番組を調べ、エアチェックをして、好きな音楽をカセットテープにダビングしていたのだ。
 「グレンミラー物語」と「ベニイ・グッドマン物語」はNHKFMで放送されたものを、SONYの90分テープのAB面にキレイにダビングし、ずいぶん長い間聴いていた(今もまだある)。
 聴けば当然映画も観たくなる。ところがレンタルビデオ店もまだ無い時代だったので、「ぴあ」で探して「グレンミラー物語」だけはどこかで観ている。「ベニイ・グッドマン物語」は観たのか観ていなかったのか、その記憶も曖昧で、実は今回観ても分からなかった(笑)。

 「グレン・ミラー物語」は彼の生涯そのものが劇的であるが故ストーリーにも厚みもあったが、かたやベニー・グッドマンは公開当時まだ存命で(それどころかまだ46歳と若く)、伝記映画にも成り得ていないところが最大の弱点である。
 しかし、劇中の演奏はすべてベニー・グッドマンによる吹き替えなので(そっくりさんスティーブ・アレンの吹きマネはときどき見ていられなかった)、彼のライブをホールではなく劇場で観る感覚はあったと思う。それだけでも当時は価値があったのかも知れない。
 映画としては可もなく不可もなく淡々と進むが、それでも監督の心意気を感じるシーンはあった。
 ダンスバンドと揶揄されながらも、やがて爆発的な人気を獲得する象徴的なシーン。L.Aの有名なダンスホール「パロマーボールルーム」で「ワン・オクロック・ジャンプ」を演奏するシーンは、客もまばらだったフロアにダンス客が徐々に集まり、やがて大勢の客がダンスを止めて、バンドの演奏に見入るのだが、ここを長回しのワンカットで見せようとしたところがいい。1分25秒も過ぎると辛抱たまらず別カットをインサートしてしまうが、エキストラの動かし方も上手く、全米での人気の出方をワンカットで表現しようとした演出はとても気に入った。

 こうなったら「グレン・ミラー物語」も観るか。

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最後の初恋 [2010年 レビュー]

最後の初恋」(2008年・アメリカ) 監督:ジョージ・C・ウルフ

 「コットンクラブ」から24年後にリチャード・ギアとダイアン・レインが共演した恋愛映画。
 カップリングには興味があったが、邦題に萎えて劇場での鑑賞はパスしていた。

 映画は家庭内に悩みを抱える中年男女の恋の物語である。
 「老いらくの恋」は古くからある題材だが、高齢化社会となった先進国では、これからますます増える作品のテーマだろう。
 となると映画をヒットさせるため、すなわち劇場に中高年層を呼ぶためには、いかに興味深い事例とキャラクター作れるかに懸かっているのだが、残念ながら本作はいずれも薄っぺらかった。
 「では中年男女の恋愛映画で厚みのある作品って?」と振り返って、
僕は一番に「マディソン郡の橋」を思い出した。僕自身は原作を読んだだけで映画は観ていないのだけれど、これと比較すると本作がいかに薄味かが分かるはずだ。

 ストーリーはどうかと思ったが、僕はダイアン・レインを観ているだけで充分だった。
 それは彼女が僕のアイドルだからではなく、彼女のキャリアが僕の映画人生とリンクしていて、いろんなことを思い出させてくれたからだ。
 最初の出会いは1979年の夏に公開された彼女のデビュー作「リトル・ロマンス」だった(いま気が付いたが、これはジョージ・ロイ・ヒル監督作品だった。なるほどだからオープニングで「明日に向かって撃て!」が使われていたのか。今になって謎が解けたw)。公開当時14歳だったダイアン・レインは健康的な美少女で、まさに清純派と呼ぶに相応しい出で立ちだった。
 2度目の出会いは「ストリート・オブ・ファイヤー」(1984)。清純派ど真ん中にいた少女はわずか5年でロック歌手となり、濃厚なメイクをしてステージ上で拳を突き上げていた。その翌年に「コットンクラブ」(1985)。それからしばらく開いて10年後に「ジャッジ・ドレッド」(1995)。そして「パーフェクト・ストーム」(2000)、「デブラ・ウィンガーを探して」(2002)、「ハリウッドランド」(2006)、「ジャンパー」(2008)と続いて来た。
 その数、「最後の初恋」を加えて9作品。足かけ31年もかけて9作も観て来た女優は他にいないと思う。例えばメグ・ライアンなら僕は15作品も観ているけれど、その年輪は17年にしかならないし、原田知世でさえ11作品23年である。こうなるともう、ダイアン・レインは僕にとって“幼なじみ”と一緒なのだ。

 その昔の僕は、映画の中で「年老いた男が年老いた女性に恋をする」意味が分からなかった。女性は若くて美しい方がいいに決まってる。もちろんそんなことを考える僕は10代だった。けれど僕も経験を重ねて、「恋愛とはコミニュケーションの成立なしに成就しない」ことを知り、だから「主に同世代にその相手を求める」ことを理解した。
 僕の映画人生においても、いろんな女優が僕の前を通り過ぎて行った。若かりし頃に憧れた年上の女優もいれば、中年になって眩しい年下の女優もいる。けれど同じ時間を生き、かつ加齢に逆らわない美しさを放つダイアン・レインは別格である。
 「良い映画観てる?」
 どの時代の彼女の映画を観ても、僕は毎度そんなことを言われている気がする。そしてダイアン・レインを幼なじみのように思えばこそ、もっと良い映画と出会って欲しい、と思った。例えば「マディソン郡の橋」。今のダイアン・レインがフランチェスカを演じたらどうなるのか。夢の中でもいいから観てみたい。

 最後にリチャード・ギア。
 数えてみたら彼の作品は26年かけて9作品観ていた。本作でも思ったのだけれど、とにかく絵になる男だ。特に芝居が上手いわけでもないのに何故か人気なのは、あの“捨てられた秋田犬”みたいな目が母性本能をくすぐるからだろう。
 短絡的なストーリーは褒められたものじゃないが、主演2人のうちどちらかのファンなら観て良し。きっと「ワタシもいい歳の取り方をしよう」と密かに思うはず。

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コットンクラブ [2010年 レビュー]

「コットンクラブ」(1984年・アメリカ) 監督・脚本:フランシス・コッポラ 脚本:ウィリアム・ケネディ

 タイトルは1920年代にニューヨーク・ハーレム地区で開業した実在の高級ナイトクラブ。
 白人のために黒人のジャズとショウを楽しませる店だったようだが、リチャード・ギア扮するディキシーがコルネット奏者として出演するなど、映画の中では若干脚色が加えられている。
 本作はこのクラブを“メインステージ”にした群像劇。

 ある夜、ダイナマイトを投げつけられたギャングのボス、ダッチ(ジェームズ・レマー)を救ったことから、付き人になったコルネット奏者ディキシー。
 そのディキシーと互いに惹かれ合いながらも、ダッチの愛人となる歌手のヴェラ(ダイアン・レイン)。
 兄ディキシーのコネを使ってダッチに取り入る野心家のヴィンセント(ニコラス・ケイジ)。
 一流のタップダンサーを夢見て、兄と共にコットンクラブのオーディションを受けるサンドマン(グレゴリー・ハインズ)。
 そしてコットンクラブのオーナーで暗黒街の顔役でもあるオニー(ボブ・ホスキンズ)などなど…。華やかな表舞台と、抗争の絶えない裏舞台を表裏一体にして、禁酒法下のハーレムの様が色鮮やかにときにドス黒く描かれている。
 ちなみに原案作成にはマリオ・プーゾも参加していた。

 観るのはおそらく20年以上ぶりだったと思う。
 公開当時からお気に入りの作品で、まだレンタルビデオ屋が出始めの頃に、確か2,500円も払ってVHSダビング(もちろん違法だ)をした記憶がある。だから何度観たか分からない。そのせいか20年以上も経って、大して重要じゃないシーンの台詞が無意識に出て来て驚いた。コットンクラブのオーディションに合格し、楽屋まで案内されるサンドマン兄弟。途中譜面を手に打ち合わせ中の男を弟が指さして一言。
 「デューク・エリントンだ」
 リズミカルな、いい間の編集が施してあって心地良い。

 それにしても。
 改めて観るとずいぶんセンチメンタルな映画だったと思う。
 一番気になったのは、恐らく女には不自由しないだろうディキシーが、クラブで偶然出逢った
ヴェラに何年も想いを寄せていることに対して、その理由がまったく語られなかったことfだ。惚れた女はギャングの情婦になり、自分はその使いっ走りをさせられて、仮に「その屈辱を晴らすため」と言うなら、ヴェラに対して純粋な気持ちではいられまい。
 こういった説明不足はコッポラの美意識がもらたした弊害だと思った。特にエンディングでディキシーが放つ台詞、「ハッピーエンドに乾杯」はコッポラの映画人生において「最大級の失点」である。
 ただし。もしかしたらプロデューサーであるロバート・エヴァンスの意向が反映されていたのかも、と思わなくもない。「くたばれ!ハリウッド」で彼の強引なやり方を垣間見ると、多少コッポラを弁護したくもなる。

 と言いつつ、やっぱり僕はこの映画が好きだ。
 リチャード・ギアのコルネットの“吹き真似”は見ていられないけれど、モーリス&グレゴリー・ハインズという実の兄弟で演じたサンドマン兄弟のタップは見事なプレイで、全編に流れるジャズ・ナンバーも耳障り良く、キャストのハマリ具合もレベルは高い。若かりし頃のニコラス・ケイジやローレンス・フィッシュバーンは一種のお宝映像的であり、なによりリチャード・ギアとダイアン・レインが美しい。
 これを踏まえて、近いうちに「最後の初恋」を観るのだ。年を重ねたギアとレインがどんな演技を見せるのか。永らく映画を観てきて良かったと思えると嬉しい。

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ジョイ・ラック・クラブ [2010年 レビュー]

「ジョイ・ラック・クラブ」(1993年・アメリカ) 監督:ウェイン・ワン

 子どもが出来たら観ようと思っていた映画が何本かある。これはその1本。
 今回観るのは3度目で、過去2回とも深い感動を覚えた作品だったけれど、娘が産まれてから観た今回は今まで以上に心に染みた。

 中国からサンフランシスコへ渡ってきた4人の中国人女性。スーユアン、リンド、アンメイ、インイン。
 彼女たちが麻雀卓を囲み、お茶とおしゃべりに興じつつ、“喜び”と“運”を分かち合う集まりが「ジョイ・ラック・クラブ」。彼女たちにはそれぞれ同世代の娘もいる。母親の過去や中国のことを知ることなくアメリカ人として育った娘たち。母と娘の間にはそれぞれ深くて大きな溝があった…。

 「あなたは母親の半分しか知らない」
 という秀逸なコピーがこの映画を観ようとしたきっかけだったと思う。
 ここで言う“半分”とは娘が見てきた母の半生のこと。僕もそうだったけれど、子どもは親の独身時代がどんなだったかなんて、なかなか想像しないものだ。そこには自分が生まれるきっかけが確実にあるのだけれど、大抵の子どもは興味を示さない。残りの半生に興味を抱くのは親を失ってからだったりするから、僕も含めて後悔する人は少なくないだろう。
 
 本作で展開される母親たちの半生は、大戦前後を背景に描かれている。また、そのエピソードは中国ならではの習慣や経済状態などが大きく関係していて一種独特に映るものの、根底に流れているのは有史以来「女性だけが味わってきた苦悩」という至極普遍的なテーマであるから、観客はすんなり受け入れることが出来ると思う。
 特筆すべきはそれぞれの母娘が、ちゃんと同じDNAを持った者同士に見えること。原作はあるが実話ではないので、原作者のエィミ・タンはキャラクターの背景の作り込みに相当の時間をかけたのだろう。まさに「この母にしてこの娘あり」という言葉を思い出させるほどだった。
 エィミ・タンが本作の脚本も手掛けたのも大きかった。キャラクターの行動やセリフにまったくブレがなかったのは原作者自ら脚本を手がけたおかげだ。

 僕は妻と娘のことを思いながら観た。
 そして、すべてのエピソードに妻と娘を当てはめてみると、登場人物たちの想いがいちいち心に痛かった。娘が産まれる前は気付かなかったけれど、母親が娘に対して時折見せる“理解し難い言動”は、娘を思えばこそと腑に落ちた。ただ、その思いが万人に理解されるかどうかは別として。

 母と娘の愛を描いた本作は、父と息子の愛を描いた「ゴッドファーザー」と比べても遜色ない名作だと思った。途中、これが4組の母娘のオムニバスであることに気付くと、一瞬リズムとテンポが単調になるのでは?と警戒するが、そんな心配を吹き飛ばすエィミ・タンの構成力が素晴らしい。

 「命の連鎖」とは「奇跡」でしかないことに気付かされるクライマックスは号泣必至。
 すべての女子、中でも娘を持つ母親は必見。

ジョイ・ラック・クラブ [DVD]

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ジョイ・ラック・クラブ (角川文庫)

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  • 作者: エィミ タン
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1992/06
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イルマーレ [2010年 レビュー]

イルマーレ」(2001年・韓国) 監督:イ・ヒョンスン 脚本:ヨ・ジナ

 初見はブログを始める前で、いつか記事を書こうと思っていたチョン・ジヒョン主演の佳作。
 キアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックでリメイクすると聞いたときは、「よくぞ、こんな韓国の小品を見出したもんだ」と驚きの方が大きかったのだけれど、6~7年ぶりに観直してみたら、すごく良く出来た脚本でハリウッドのリメイクも納得してしまった。

 1998年に生きる大学院生ソンヒョ(イ・ジョンジェ)と、2000年に生きる声優のウンジュ(チョン・ジヒョン)は
、あるポストを通じて手紙のやり取りが出来るようになり、やがて心を通わせていく、というファンタジーである。
 「時空を越えた愛」は、現実には起こりえないことだからこそ、フィクションの世界でたびたび扱われる「タイムパラドックス」の1エピソードだが、この設定でストーリーを構築すると
必ずどこかで破綻が起きるようになっている。
 破綻の典型的な一例は「親殺しのパラドックス」と言われるもので、過去に遡って自分が生まれる前に両親を殺した場合、「自分は生まれていなかった」ことになるが、そもそも自分が生まれなければ両親は殺害されこともなくなる、という矛盾である。
 「イルマーレ」の場合、そこまで物騒なハナシではないけれど、例えば
理論物理学者のスティーヴン・ホーキング博士が、「そもそも未来からの時間旅行者がいないのが、現在から過去に向うタイムマシンが存在できない証拠」と言うように、我々もなんとなく肌で感じている物理的な“非現実”はあって、時間を越えて手紙のやり取りが出来る大きな嘘は許せても、その仮説に則ったストーリーに小さな矛盾を認めたら、観客は一気に覚めてしまう。
 そんな中、今回「イルマーレ」を観直して感心したのは、その「矛盾」を観客が思うより先に手を打って、ことごとく潰していた点である。
 
 中でも一番のポイントは、ソンヒョにとっては2年後、ウンジュにとっては1週間後の2000年3月11日に済州島で逢おうと約束したシークエンス。別々のタイムライン(パラレルワールド)を生きる2人が、共に“未来の同じ日”を目指すという素晴らしいアイディアが披露され、観客は「ついに不可能が可能になる」と心躍らせる重要なシークエンスだが、この思いは叶わない。そして2人は再び手紙を交し、「この2年のあいだに何があったのか」に思いを馳せるが、やがて賢明な観客はこう思う。「ウンジュなら、その理由を探る方法はある」と。
 しかし、ウンジュにそうさせたくない脚本家は、別の手を打って観客の思いを潰しにかかる。2人が手紙をやりとりするきっかけとなった、ウンジュのかつての恋人を登場させたのである。そしてウンジュは忘れかけていた愛に再び火をつけ、ソンヒョと逢う理由を失ってしまうのだ。
 見事である。
 タイムパラドックスの矛盾が見え隠れした瞬間、先回りしてその芽を摘み、観客に疑問を抱かせないまま先に進めようとするテクニックは、この手の脚本を書くときのお手本とすべきである。しかもエンディングは大どんでん返し。タイムパラドックス的に言うと、この結末は“やり逃げ”に近く、好みも分かれるところだが個人的にはアリとしておく。

 当時まだ19歳だったチョン・ジヒョンがとても愛らしい。
 途中、彼女の幸せを祈りながら観ていた自分に気付いて、「映画は愛だな」と思った。映画の中の何かを愛せなければ、そこから得られる感動などないのだ。
 「ブルーとグリーンを基調に暖色系をワンポイント入れた」、と監督が語る映像も美しい。劇中でいい仕事をする犬(チベタン・テリアか?)も見もの。
 韓流ブーム前夜に作られた韓国映画の良品。

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トロン [2010年 レビュー]

トロン」(1982年・アメリカ) 監督・脚本:スティーヴン・リズバーガー 脚本:ドナルド・カシュナー

 2010年末に「トロン:レガシー」が公開されると聞いて、「懐かしい」と思う人は僕と同世代でも少ないと思う。というのも1982年9月に公開された「トロン」は、当時「世界で始めてコンピュータ・グラフィックスを全面的に取り入れた映画」と謳われ、多くの期待を集めたものの、興行的には大コケをした作品だからだ。ちなみに劇場公開時に観た19歳の僕は「大した内容じゃない」とバッサリ斬り捨てていた(笑)。

 ソフトウェアメーカー・エンコム社のプログラマー、フリン(ジェフ・ブリッジス)は「スペース・パラノイド」というゲームを開発するが、そのデータを同僚だったデリンジャーに盗まれてしまう。ゲームは大ヒットし、デリンジャーは社長にまで昇進。フリンはゲームセンターのマスターに成り下がる。
 フリンは「スペース・パラノイド」が盗作であることを証明するため、夜な夜なエンコム社へのハッキングを試みるが、ことごとく失敗。それはデリンジャーがプログラムしたMCP(マスター・コントロール・プログラム)が、外部からの侵入を厳重に阻んでいたからだ。
 ハッキングの事実を知ったエンコム社の社員アランとローラは、エンコム社内のコンピュータから直接アクセス出来るようフリンに協力をするが、それに気付いたMCPはエンコム社が開発中だった物質転送機を使って、フリンをコンピュータ世界の中に引きずり込んでしまう…。

 ストーリーが大した内容じゃない割りに、こんなに説明を要するのは、「コンピュータの中」という設定が(実は今も)理解し難いからだ。
 ビジュアルも大きく影響している。コンピュータ内のプログラムは擬人化され、プログラマーと同じ顔をしているのは、これがエンタテインメントだから許されはするが、場合によっては理解されないまま終わる可能性もあって、実際に興行が不発に終わった一因は、若干理解し難い世界観にもあったと思う。

 そんな分かり難い世界を分かり易く、ドラマとしても面白くする方法がある。それは今回改めて観て気が付いたことだが、「フリンは自らの意思でコンピュータ世界に飛び込むべきだった」のだ。
 盗作の証拠がコンピュータによって固くブロックされ、人間の手ではどうにもならないなら、そのブロックを解除するために自らコンピュータ世界に乗り込むべきなのだ。
 ではどうやって?そもそもコンピュータ世界に入り込むってどういうこと?
 この説明にはかなりの時間を要するだろう。けれどそれでいいのだ。
 例えば「ジュラシック・パーク」でも、いかにして恐竜を現代に蘇えらせたのか、についてはかなりの時間を割いて、きちんと説明をしていた。この時間を惜しんでいたら「ジュラシック・パーク」はヒットしていなかったと思う。「トロン」もその勇気は持つべきだった。
 コンピュータ世界の説明が出来たら、次に目指すべきは
「どうやってコンピュータ世界に入り込むか」である。こうやって順を踏むと観客の興味も徐々に高まるに違いない。
 人類未踏の地へ人間を送り、その世界から再び引き戻すとき、ドラマはアドベンチャーとなる。「ミクロの決死圏」を思い出して欲しい。あのテイストをそのまま頂いてしまえば、本作は「技術以外に観るものがない映画」と揶揄されることもなかったはずだ。

 とは言え、僕はコスチュームデザインは気に入っていた。デザインを手掛けたのは「ブレードランナー」でもデザインを担当したシド・ミードだった。さすが。

トロン [DVD]

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TSUNAMI-ツナミ- [2010年 レビュー]

TSUNAMI -ツナミ-」(2010年・韓国) 監督:ユン・ジェギュン

 タイトル通り、韓国の最新パニック映画。
 のっけからなんだが、この映画、日本では
当たらないと思う。それは内容の以前の問題として、韓国が作るCG映像のクオリティに期待する日本人がいないと思うからだ。
 たとえ実作業はハリウッドのスタジオで行われていようと、かける予算はアメリカと韓国とではケタ違いである。もしも近くのシネコンで「2012」と本作がかかっていたら、少なくとも僕は「2012」を選ぶと思う。
 かといって「TSUNAMI」に勝機がないわけじゃない。今回僕が観てみようと
思ったのも、「韓国にしか作れないディザスター・ムービーだったら掘り出し物」と期待したからだ。ちなみにここで言うディザースター・ムービーとは、「天変地異による災害」と「人的な大惨事」とする。

 そもそも何故ディザスター・ムービーは作られるのか。
 これは言うまでもなく、人の「怖いもの見たさ」につけこんだ映画会社の戦略である。
 たとえば、関東大震災は起きて欲しくない。けれど発生の可能性は充分にある。ではそのとき首都はどうなるのか?そんな様子をリアルに描いた映画があれば、多くの人が観たいと思うだろう。建設中の東京スカイツリーは立っていられるのか。関東ローム層の上に雨後のタケノコの如く増えた高層マンション群は大丈夫なのか。
 ただし、北海道や沖縄の人が首都壊滅の様子を観たいかどうかは分からない。
 本作におけるポイントもここにある。

 古い話になるが、ゴジラを代表とするかつての怪獣映画がやれ東京タワーだ、大阪城だ、銀座和光ビルだを壊しまくったのは、観客に怪獣のサイズを容易にイメージさせるためと、人間の持つ“破壊欲”を刺激するためだったと思う。
 破壊欲とは本来、「自分に危害を加えようとするものを排除しようとする感情」のことだが、人間には「作ったものを壊してみたい」という欲求も少なからずある。スクラップ・アンド・ビルドのスクラップが時折ショーとなり得るのはその証で、そのためにも映画の中で破壊される建造物は架空のものではなく、実在する認知度の高いランドマークでなければならなかった。それは1933年に製作された「キング・コング」からそう。あの日コングがエンパイア・ステート・ビルに登らなければ、観客は大して驚きもせず、きっと今に名を残す作品にはなっていなかっただろう。 

 さて。
 「TSUNAMI」が舞台としたのは朝鮮半島の南、釜山に近い海雲台(ヘウンデ)というリゾート地である。本編はディザスター・ムービーの王道よろしく、グランドホテル形式で何人もの生活が描かれるが、津波に襲われるシーンで日本人の知るランドマークは無く、僕は何のリアリティも感じなかった。
 きっとこれは韓国の国内向けの映画なのだ。少なくとも僕にはそうとしか思えなかった。
 またリアリティという点では、「対馬大地震によって100メートル級の津波が発生する」という設定にも疑問があった。そもそも日本海である。この狭い海域で仮に津波が発生したとしても一体何メートルの高さになるというのか。

 技術が向上すれば、観たこともない映像を作りたくなるのが、クリエイターの性である。しかしドラマを紡ぐのはデジタル技術ではないのだ。人間の暮らしは数学と違って「割り切れない」ことも無数にある。僕は天変地異に対する韓国人気質がもっと観たかった。最終的には脚本の完成度が低かったということか。

TSUNAMI -ツナミ- スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

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フェーム [2010年 レビュー]

フェーム」(1980年・アメリカ) 監督:アラン・パーカー 脚本:クリストファー・ゴア

 今から30年前、僕はまだ17歳で松山に住んでいた。
 けれどこの映画は、福岡か大分どちらかのとある劇場で観ている。
 当時つけていた映画ノートによれば、これを観たのは1980年の12月14日。冬休み前に1人で九州に行ったのは、読売新聞奨学生の面接を受けるためだった。
 僕は早くから映像の世界に興味があった。一方で実家は貧乏だった。実家に負担をかけずに映像の勉強をするためには、奨学金が必要だった。
 そこで僕は両親に内緒で読売新聞社に書類を送り、両親にバレないよう日がな一日郵便受けに張り付き、まもなく面接の通知が来たときは「よし」と思ったが、すぐさま困った。僕は四国に住んでいるのに、面接会場は九州だったからだ。
 正真正銘の一人旅はこのときが最初だったと思う。
 両親になんと嘘をついたのか記憶になく、お金をどう工面したのかも記憶にない。ただ覚えているのは松山からフェリーに乗って別府に着き(ここからの記憶が一部消えている)、どこかでタクシーを拾って、まず面接会場の下見をし、その途中に車窓から見つけたビジネスホテルへ戻って飛び込みで1泊。翌日面接を受けて、松山へ帰るフェリーの時間までずいぶんあったので、街をぶらぶらしていたら映画館を発見し、「Fame」と出逢ったと言うわけだ。

 名声の獲得を夢見て、ニューヨークの芸術専門学校に通う若者たちの物語である。当時の僕に刺さらないワケがない。僕は自分の将来を決める面接を受けた後で偶然この映画に出逢い、同じ夢を持つ者たちと共に学ぶことへの期待感を膨らませた。そして成功を勝ち取るためには、努力と協調が必要であることも学習したと思う。その後の30年は紆余曲折あったけれど、志半ばにして心が折れそうになったとき、僕はいつもこの映画のことを思い出していた。
 そして今、この映画を改めて観た理由は、上京から30年になろうとして僕がまた大きな分岐点に立っているからだが、まあそれはいい。

 出て来るのは無名の俳優ばかりである。そこがまた生々しくていい。
 オープニングは入学のためのオーディション。個性溢れるキャラクターが次々と現れ、スクリーンに鮮烈な印象を残していく。誰がどうなるのか分からずに傍観していると、やがて合格通知を受け取るシーンや初登校シーンで主要登場人物が明らかになっていく。登場の仕方も、それぞれが交わっていく様も、そして学年を進めながら積み重ねられるエピソードも、どれもがユニークで興味深い。
 エピソードは散発的だがまったく違和感はなく、編集のテンポとバランスは今観ても秀逸な仕上がりだった。ちなみにまだ17歳だった僕も「編集がずば抜けていい!」とノートに生意気なことを書いていた(笑)。

 本編には大きく3度のミュージカル的シーンがある。
 1度目は学食で突発的に始まったセッション。2度目は音楽科のブルーノが作曲し、ココ(アイリーン・キャラ)が吹き込んだ「フェーム」を、ブルーノの父が学校の前で大音量で流して始まるダンスシーン。3度目はクライマックス、卒業式のシーン。
 特に2度目、大勢の生徒が道路に飛び出して行われるダンスパフォーマンスは、一歩間違えると「アニマル・ハウス」のようなコメディに成り下がる可能性もあったが、周到なエキストラの演技指導と編集のおかげで、見応えのあるシーンに仕上げられていて改めて感心。
 また他2つのシーンもカット割りと編集が巧みで、特にエンディングの卒業式は潔すぎる締めくくりで今さらながら驚いた。
 とまれ僕の中で「フェーム」は、“音楽映画”という印象が強かったのだけれど、その音楽的要素が133分中わずか3つのシークエンスしか無かったのも驚きである。

 悩み多き今、このタイミングで観て良かった。僕は30年前の記憶を呼び戻し、初心に帰ることが出来ただけでも充分。普遍的なテーマとエピソードをミルフィーユ状に仕上げた本作は、今もなおまったく色褪せることのない青春映画の金字塔である。

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マルセイユの決着(おとしまえ) [2010年 レビュー]

マルセイユの決着(おとしまえ)」(2007年・フランス) 監督・脚本:アラン・コルノー

 16年ぶりのパリがあまりに愉しかったせいもあり、無性にフランス映画が観たくなっている。
 いや観たいというより、フランス語が聞きたいのかも知れない。
 そこで自宅のブルーレイレコーダーを確認したら、1本のフランス産フィルムノワールが出て来た。
 原作あり、オリジナルありのリメイク作品で、ダニエル・オートゥイユとモニカ・ベルッチ主演のギャング映画である。
 なんでもいい、とにかくフランス語が聞きたい(笑)。

 1960年代のフランス。
 刑務所を脱獄したギュ(ダニエル・オートゥイユ)は初老の大物ギャング。
 脱獄した足で、かつての相棒の未亡人マヌーシュ(モニカ・ベルッチ)のもとへ向かったギュは、マヌーシュとともにイタリア逃亡を決意する。そのためには金が必要だった。マヌーシュは自分の金を使うというが、ギュはそれを許さなかった。そこへ、ある大きなヤマの話が舞い込んでくる…。

 観ながらもしやデ・パルマの「カリートの道」も同じ原作かと疑ったが、それは違ったようだ。けれど老いたギャングが余生を静かに暮らそうと、最後の仕事に乗り出すシチュエーションは同じ。しかも仁義を重んじた時代は過去のものになり、礼儀を知らない若造と対峙することになるのも同じだ。
 いや、ちょっと待て。考えてみたら「ゴッドファーザー」から「アウトレイジ」まで、ギャング映画はすべて“世代交代”がドラマの肝だ。
 衝撃だった。
 そんなことに今頃気付くなんて。

 原作のタイトルは「おとしまえをつけろ」。
 ここからも分かる通り、ドラマは主人公ギュのプライドをかけた戦いである。自分を貶めようとした全ての者に対しての示し。フィルムノワールとはそういうものだが、大事なのは「悪役の存在感」と主人公が受ける「辱めの度合い」である。この二つが充分でないと観客はカタルシスを得られない。
 この構図はプロレスと似ている。
 序盤、悪役が派手に暴れてくれないと、後半ベビーフェイスの反撃を楽しめないのと一緒だ。
 そう言いつつ、「不条理」も無くはない。
 観客は人の道を外れた行為をスクリーンで目撃し、道理を知るのだ。これは映画だからこそ出来る逆療法である。フィルムノワールはそういう意味もあって今日まで存在しているように思う。

 映像がいい。
 暖色を強調した照明が時に油絵のように美しく、画角を傾けたアングルや人物と背景の配置がマンガのように闊達である。
 ダニエル・オートゥイユの枯れた演技も、脂の乗り切った(乗り過ぎか?)モニカ・ベルッチもいいが、何人かの脇役もいい仕事をしている。
 脚本もまずまず。
 この世で怖いことはいくつかあるが、「人の口に鍵は掛けられない」こともそのひとつだと改めて知る。フランス語がどれほど心地よくても、背筋が凍る思いをした。

マルセイユの決着(おとしまえ) [DVD]

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  • 出版社/メーカー: NIKKATSU CORPORATION(NK)(D)
  • メディア: DVD
おとしまえをつけろ (ハヤカワ・ミステリ 1054)

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  • 作者: ジョゼ・ジョバンニ
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1968/10/15
  • メディア: 新書

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ジェネラル・ルージュの凱旋 [2010年 レビュー]

ジェネラル・ルージュの凱旋」(2009年・日本) 監督:中村義洋 脚本:斉藤ひろし、中村義洋

 「アイアンマン2」もそうだったけれど、本作も特に突っかかることなく観ることが出来た。
 それは続編の持つ力、いわゆる「慣れ」のおかげだ。
 設定も世界観も認知し、登場人物に親しみを覚えると作品はぐっと近くなる。当たり前だが説明に余計な時間が必要ない分、観客はすぐさま映画に入り込めるというわけだ。

 「慣れる」ということは、一部「あきらめる」ということでもあった。
 前作「チーム・バチスタの栄光」で最大の不満だった竹内結子の芝居。もちろん気にならないではなかったが、しばらくすると「これはもう、しょうがないこと」と途中から意識の外に置いて観ていた。
 僕はきっと竹内結子と阿部寛をひとつのユニットとして認めたのだと思う。ボケが拙くてもツッコミが上手ければまずまず見ていられるお笑い芸人と同じ。だから阿部寛が登場してからは何も気にならなかった。ただ阿部寛の登場の仕方には引っ掛かった。交通事故に遭って病院に運ばれてくるとは、ご都合主義にもほどがある。
 
 「慣れ」があったとは言え、前作に比べれば俄然面白かったと思う。

 ドラマの縦軸は田口公子(竹内結子)の元に届いた一通の告発文書からスタートする。
 「救命救急の速水晃一センター長は医療メーカーと癒着している。看護士長は共犯だ」
 院長(國村隼)から事実関係の調査を託された田口は、周辺から聞き取り調査を始めるが、まもなく医療メーカーの支店長が院内で自殺を図る事件が起きる…。
 
 縦軸となるのは謎解きである。
 犯人探しを目的としたミステリーの場合、作品を面白くするためのポイントは、「観客をいかにミスリードさせるか」にかかっている。容疑者はいればいるほど面白い。それぞれに動機があって、かつアリバイがなければ、観客は大いに頭を悩ませ、作品に没頭していくだろう。
 本作の場合、解明されるべきは、①速水センター長の癒着が事実か否か、②告発文書を書いたのは誰か、③医療メーカーの支店長はなぜ自殺したのか、と入り組んでいるせいで、田口と白鳥がこのもつれた糸をどう解すのか観客の期待も高かったはずだ。そして、その期待を裏切ることなく謎解きのプロセスには見応えがあった。
 ただ、ある事件の犯人が前作同様小者で、動機も万人が納得するには至らず、ミステリーとしての失速感は否めなかった。
 それを補ったのが、謎解きのあとに用意された“見せ場”だ。なんと後半の30分はミステリーからヒューマンドラマへと姿を変える。平素はいがみ合っている院内も有事となるとそれどころではなく、「医師の本分は人命を救うこと」を観客に再確認させるのだ。
 このシフトチェンジは心地よかった。シリーズものの強みとも言うべき贅沢なキャスティングも効いていた。前作の主要キャストである佐野史郎と玉山鉄二が、ほんの数カットだが顔出ししたのは、クライマックスに相応しい演出だったと思う。

 堺雅人の映画である。
 後半30分に突入してしばらくすると、タイトルの「ジェネラル・ルージュ」の意味が明らかになるシーンがある。「血まみれ将軍」と謳った宣伝もいい伏線になって観客は心を震わせる。
 そのシーン。堺雅人にとっての“大見得”だった。
 歌舞伎も役者で観に行くものなら、本作も堺雅人を目当てに観ていい。きっと損はしないと思う。
 救命救急医療を取り巻く社会的メッセージも良し。

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